刺客と媚薬とブランデー
右の頬に優しく、左の頬に長く、そして最後に深くいやらしく口づけを唇に落としたその女は、どうだと言わんばかりの顔で俺に微笑んでいる。
「具合はどうですかな?」
しかし彼女の考えを口にしたのは本人ではなく、なにやら不気味な薬品を手にした連れの男だった。
「残念ながら、彼女の大して美しくもない顔と体では私の体は満足できないようです」
ニッコリ微笑んだのに、返ってきたのは平手打ちと男のうなり声だけだった。
「特製媚薬も駄目だなんて、こんなのは初めてだ……」
「打つ手がないならそろそろお引き取り願えますか?」
「待ってください。今度はこっちの媚薬でいきましょう! 飲んだ方はそのあと3日間欲情しっぱなしだったほどの効き目ですぞ!」
そう言って差し出された媚薬は何とも珍妙なマーブル色をしており、正直飲みたくはない。
しかたなく、俺は奥の手として財布から100ドル札を3枚抜き出した。
「そこまで言うなら薬は買い取りますから、今日はどうかお引き取りを。申し訳ありませんが、私も多忙な身ですので」
ごねるかと思ったが、むしろ男は大喜びで300ドルと交換に媚薬を押しつけ、頬を打ち据えた女と一緒に部屋を出て行く。
勿論手の中の液体が300ドルもするとは思わないが、それで手打ちにして貰えるならありがたい。
邪魔者が消えたことにホッとしつつ、俺は飲まされた珍妙な薬の口直しに、ベッドの下に隠してあったブランデーを手に取った。
けれどいくら煽ってもそれはちっとも美味くない。薬の味もそうだが、先ほどの女の舌触りがまだ残っている感じがして酷く不快だった。
あれがリナのキスだったらと、そんなことを思った自分に俺は思わず頭を抱える。
彼女が暇と称して屋敷を出て行って、もうすぐ2ヶ月だ。
その間俺は、仕事の合間を縫って彼女の置きみやげの対応に追われている。
彼女の置きみやげは、普通の女性を愛せるようになるためのカウンセリングという奴だった。
けれどカウンセリングらしいカウンセリングを受けたのは最初の1月だけで、そのあとは今の男のような怪しい療法士や催眠術師との面会ばかりだった。そしてその殆どは、とにかくうさんくさい。
そんなうさんくさい奴らの相手を、多い日は5時間ほどしなければならないのは苦痛だ。
とはいえそれも今日で終わりだ。
先ほどの男がリナの用意した最後の刺客であり、来週には彼女もここに戻ってくる。
途端に笑みがこぼれそうになるのは、この2ヶ月俺の下半身は一度も本来の活動を行わなかったからだ。
先ほどの男が飲ませたのも精力剤のたぐいのようだが、目の前の女にいくらキスされても俺の下半身は1ミリたりとも起きあがらなかった。
その前の催眠術の時も、鍼療法の時も、得体の知れないクリームをあそこに塗りたくられた時も俺の下半身はうんともすんとも反応しなかったのである。
それに気をよくし、俺はもう一杯ブランデーを煽る。だが突然、ブランデーのグラスが細い指に取り上げられた。
「クリス様、程々にされないと夜のパーティに差し支えます」
いつの間にか背後に立っていたのは、執事頭のアナベルだ。
この手の小言はリナの仕事だったが、彼女がいないため今は彼が俺のお目付役だ。
「支度をせかしに来たのか?」
「いえ、まだ出発まで時間がありますので、いつものをお持ちしました」
そう言ってアナベルが差し出した物に、俺は思わずげんなりした。
身なり正しい老執事持つにふさわしいとは言い難いそれは、俺の大嫌いな細い女しか出てこないAV4点セットである。
「水着、巨乳、幼女、和製アニメがございますがどれになさいますか」
「一番肉付きがいいのを頼む」
俺の返しに、アナベルはまじめくさった顔でそれらを検分し、結局選んだのは和製アニメだった。
それをプレイヤーにセットするアナベルを見ながら、俺はさり気なく取り返したブランデーを片手にソファに腰掛ける。
ちなみに彼が持ってきたAVも、うさんくさい男同様リナが用意した物だ。
2ヶ月間、毎日3本は見るようにと押しつけられたそれはダンボール3箱分もあり、古今東西のあらゆる美女を取りそろえている。むろんそこにデブはいないので俺にとってはゴミと同じだが。
「なあ、アナベル」
いきなり始まったアニメを見ながら、俺はふとアナベルに疑問を投げかける。
「何でしょうクリス様」
「このアニメは、エロイのか?」
「私も和製のエロアニメというのは始めてみますが、まあ腰に来る物はあります」
というアナベルはもう60近いので、そんな彼を興奮させると言うことは、リナに見立ては一応完璧なのだろう。
だが魔法使いの少女が得体の知れないジェル状の生き物にあんな事やこんな事をされていても、俺の下半身はやっぱり無関心を決め込んでいる。
吹き替えの入ってない日本語のあえぎ声は新鮮だが、だからどうしたと言わんばかりの無反応さだ。
「これがデブなら喜んで見るのに」
「坊ちゃんの下半身は頑なですな」
「一途だといえ」
不満げにブランデーを煽れば、アナベルはそろそろ限界なのでと出て行く。
代わりに、入れ違いに部屋に入ってきたのは親父だ。
彼もまたアニメの少女になにやら感嘆していたが、別に親子でAV鑑賞をするためにやってきたわけではないらしい。
「今日のはどうだった」
「どうもならん」
「効くと有名だったんだがな」
親父が楽しげに見つめているのは、男が置いていった媚薬と「たたないあなたもこれ一本!」という身も蓋もない宣伝文句が書かれたチラシだ。
「別に不能な訳じゃない」
なんで親父にこんな台詞を吐かねばならんのかと肩を落とせば、やっぱり親父は楽しそうに笑っている。
「でも今日ので一通りの事は終わったんだろう」
「ああ、あれが最後だ」
言葉にすると更に現実味が増し、俺は不意に大笑いしたくなった。
未鑑賞のAVは残っているが、刺客は全て打ち倒したも同然だ。
「散々な目に遭わされたんだ、帰ってきたらたっぷり可愛がってやる」
思わずあくどい笑みを浮かべ、俺が想像したのは脂肪にまみれたリナを思いきり抱くことだ。
するとあれほどまで頑なだった下半身が、いきなりうずき出す。
やはり俺にはリナかいないと主張する体に、俺は喜びを隠せなかった。
そしてそれに追い打ちをかけるように、親父がある物を俺に手渡す。
「そういえば、言われていた物を持ってきたぞ」
「あったのか!」
「ああ、古いフィルムだから画質は悪いがな」
そう言って親父が出したのは、俺とリナが写る写真だ。
まだ出会ったばかりの幼い俺達が写るそれは俺の宝物だった。身辺整理と称してリナに破られたときは酷く落ち込んだが、見かねた親父が古いネガを引っ張り出してきてくれたのだ。
状態が悪くなかなか現像できなかったと彼は詫びたが、戻ってくるならそれで良い。
「これが欲しかったんだ」
小さなリナの姿を指で撫でれば、親父がおかしそうに笑う。
「お前は、このころからリナが大好きだったな」
「ああ、こいつの脂肪は昔から完璧だった」
それを思い出して思わず写真に頬ずりし、ついでにキスまで落とした。
「ああ、俺の脂肪ちゃん。帰ってきたら思う存分もみほぐしてやるからな」
「我が息子ながらその台詞は引くぞ」
「素直な子に育ってほしいと昔は散々言ってただろう」
「そっちの方に素直になるとは思わなかったんだよ」
ため息をつきつつ、親父は俺の手から写真を引き抜く。
「返せよ」
「その前に一つ聞いても良いか?」
返すのならばと念を押せば、親父は俺の目を真面目な顔でのぞき込む。
「お前が好きなのはリナか? それとも彼女の脂肪か?」
何を今更と思いつつも、親父の目があまりに真剣だったので、俺も真面目に答えてやった。
「リナだ。いくらデブ専だって、愛してなきゃたたないだろ」
「ならいい。ちょっと心配事があったんだが、今ので安心した」
なにやら含みのある言い方に、俺は嫌な予感を覚えた。
そして案の定、親父は写真と一緒に俺に爆弾を落としていく。
「さっきリナから電話があってね、メイド服のサイズが合わなくなったから新調して欲しいそうだ」
「あれ以上大きな服何てあるのか?」
「欲しいのは、Mサイズだそうだ」
XXLの服ですら物によっては入らないと言っていたリナがM。
あのリナがMサイズ。
耳を疑う言葉と共に、俺は今更のようにリナの目論見の全容を掴んだ。
「私に欲情したらって、まさかあいつこれを見越して……」
思い起こせば、勝負を持ちかけたときのリナは妙に素直だった。
お前に欲情したら勝ちだと言ったが、もちろんそれは脂肪付きのリナという意味だった。
けれど俺の記憶が確かなら、ただでさえ不機嫌な彼女を怒らせないように、あえて脂肪という単語は口にしなかった。
それに気付いて、リナがあえて勝負を受けた可能性は高い。むしろ内心「言質を取った!」とほくそ笑んでいたに違いない。
「でも彼女自身を愛しているなら、何の問題もないだろう?」
リナにも腹が立ったが、そう言う親父の笑顔にも俺は段々腹が立ってきた。
今回のことを妙に楽しんでいる様子だし、もしかしたら親父は、俺とリナの関係を実は余りよく思っていなかったのかもしれないとまで勘ぐってしまう。
「なあ、あんた本当は俺とリナが別れるのを望んでるんじゃないのか」
「どうしてそう思う」
「元々結婚の話を持ち出したのはあんただし、俺が真面目にカウンセリングを受けるのが嬉しそうだ」
「悩める若者を微笑ましく見守っているだけだよ」
と煙に巻く態度は相変わらずで、でもそれが俺の不信感を募らせていく。
「俺にはリナしかいない。親父が何と思おうと、この勝負に勝って俺は彼女を物にする」
「なら今日のパーティは気合いを入れると良い。ここで痩せた女の子の相手ができないようじゃ、Mサイズのリナの相手なんて無理だぞ」
「言われなくてもわかってる」
「変わり果てたリナに驚いた顔をしてみろ、あっという間に逃げられるのがオチだ」
「だから言われなくてもわかってる!」
俺は親父を押しのけるように立ち上がると、側に置いてあった媚薬を手に取った。
痩せた女なんて興味もないし触るのだって嫌だ。
でも例え痩せていたとしても、来週にはリナに欲情しなければならないのだ。
俺をはめたリナは腹立たしい。腹立たしいが、リナのいない2ヶ月は俺にとって地獄だった。
そしてその地獄を生み出したのはリナではなく、本当は自分だと言うことも理解している。
だからこそ、俺はどうしても勝たねばならないのだ。
勝ってリナに言わねばならないことが俺にはあるのだ
だからなんとしても彼女の前で男を見せて、今度こそ本当に俺の物にするのだ。
実際に男を見せられるかどうかは激しく不安だが、だからといってこんな所で負けを認めるわけにはいかない。
「絶対たたせてやる」
手始めに300ドルの媚薬をつかみあげ、俺は覚悟と共にそれを勢いよく胃に収めた。
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