3回目
風呂に突っ込まれて、全身赤剥けになるくらいにこすりあげられた。
そうして、オレは、待ち構えていた蕭将軍の前に連れて行かれた。
この国の金持ちのやつらは、何人もの妻や妾を持つらしい。それが当然と認められているんだ。
けど、妻も妾も、当然女だ。
男の妾を持つものなんか、いないに決まってる。
元々が一人しかいなかったという妻が死んでからは誰も相手にしたかった将軍が、なにをとち狂ってオレをそういう対象にしたのか。
将軍は自室にいた。
オレは、椅子に腰を下ろした将軍の前で突っ立ってた。
不安でならなかったんだ。
思いも寄らないこと尽くしで、オレの頭の中は、真っ白だった。
昨夜のことを罰されるのか。
それだけが、かろうじて頭の片隅にあることだった。
けど。
その場でされたことは、オレの不安を凌駕することだった。
なぜなら、それまでのオレが知らないことだったからだ。
平原暮らしをしてたオレにとって、男女間のことはごく自然なことだった。
知識としては羊や馬から学ぶ。だから、当然、行為も子供を作るためだけの即物的なものになる。
だから、あんな羞恥や屈辱を味わうものは、想像したこともなかった。
しかも、男と女じゃないんだ。
ありえないと思った。
できるわけがないと。
なのに、それは最後までいったんだ。
将軍は、着衣の一枚も脱ぐことなく、オレを苛んだ。
その日から、オレは男の唯一の夫人という立場に押し込まれた。
男ということを隠すためなのか、女物の服を着せられ、化粧をされて、西夫人と呼ばれるようになった。
食べ物も寝床も、最上級のものだ。けど、男のオレにとって、この待遇は、奴隷でいる以上の屈辱だった。
将軍は、二日と空けずにオレのところに来た。
オレにとって辛くてならないことは、男が来ることだったから、毎日が、苦しかった。
苦しくてならなくて。
奴隷の身には甘んじていたオレなのに、これは耐えられなかった。
だから、逃げたんだ。
笑うしかないようなひらひらとからみつく女物の着衣の裳裾を破りとって、将軍の広い屋敷から脱出を図った。
けど。
オレの体力は底をつきかけていたらしい。
豪華な食事も、食べられなければ意味がない。
やわらかな寝床も、安眠できなければ、意味がない。
気力を掻き集めて逃げたって、すぐに捕まるのもしかたのないことだったろう。
引き据えられたオレは、オレを左右から捕らえている男たちとは別の男たちに逃亡で汚れ傷ついた足を押さえつけられた。
オレはただ信じられない思いで、将軍の振りかぶった剣の描く軌跡を凝視していた。
血がしぶき、衝撃と後から襲ってきた痛みに、オレの意識は闇に落ちた。
底をつきかけていたはずの体力で、よくオレは生きのびれたものだ。
遠医師が誰に向かって言うでもなく一人語ちていたのを、オレは熱と痛みに苛まれながら聞いていた。
さすが騎馬民族というのは我々とは違って丈夫なのですね。
どこか憐れむような響きだった。
金銀真珠で飾り立てられた赤い沓。
赤ん坊が履くようなそれを、何足作られただろう。
ヨチヨチと、次女の手を借りなければ、オレは歩くことすらままならない。
逃げる意地なんか挫かれた。
それどころか。
生きる気力もありはしない。
ぼんやりと椅子に腰掛けて、庭を眺めるだけの毎日だった。
傍から見れば優雅な生活なんだろう。
けど、
「まったく上達しないな。お前は」
オレの顔をそこから遠ざけて、男が無表情のまま言う。
心臓が悲鳴をあげるのは、ここから放りだされたとたん、オレは野垂れ死ぬに違いないからだ。
オレの心は半分以上生を拒んでいるというのに、からだは生にすがりつく。
野垂れ死にたくない―――と。
「しばらく間を空けるとこうか」
オレを見下ろす黒い瞳には、ただ、オレを震え上がらせる色が宿るばかりだった。
将軍がオレを見放すのはかまわない。
けれど、ここから放り出されてオレが生きてゆくすべは、物乞いか、考えたくはないものくらいしかないのだった。
うつむいたオレの顎を指のひとつで持ち上げて、
「おまえに技巧を望むのが間違いだな」
酷薄そうな口端をもたげて嘲う。
もう一度顔を伏せようとしたものの、遅きに過ぎた。
深く貪るように、噛みついてきた。
ただ一点から全身へと走り抜けるのは、覚え込まされた欲だ。それが、男の技巧ひとつで身体を内側から炙るのだ。
しかし、そうしておきながら。
くちびるへのくちづけひとつで煽るだけオレを煽っておいて、将軍は、オレを突き放し、
「罰だ」
低い笑い声とともに、将軍はオレの部屋を後にしたのだ。
下手だから罰を受けたのだろうか。
よくわからないまま、その後のオレは、からだに点された熱と戦わなければならなかった。
どこまでも広がる草原を夢に見る。
つやめく馬体にまたがって、草いきれ満ちる風になる。
黒いたてがみが風になびいてオレの顔にかかる。
それすらもが心地よくて、オレは腹の底から笑う。
愛馬も楽しそうにいななく。
心ゆくまで疾駆する。
そんな夢を見た朝は、部屋にいたくなかった。
いくら敷地が広くても、地平線が見えるわけじゃない。花も緑も、ひとの手が加えられたものばかりだ。
それでも。
梢を鳴らし花を揺らす、風かおる場所にいたかった。
風を感じていたい。
ほんとうならひとりぎりで。
できることならば、いまはない愛馬とともに。
「陽射しが強くなってまいりましたよ」
鈴を振る声が言う。
こんな声を将軍は望んだのだろうか。
オレの今の声は、いじられる前よりは細く高くなりはしたものの、こんなに涼やかな声じゃない。将軍の希望になどそっていないに違いないのだ。
情けないくらいに小さな声しか出せなくなっている。
焦ると出ない時すらある。
将軍の好みは、しなしなとはかない女性に違いない。
それなら、そんな女性を探せばいい。
いなくても、最悪、オレにやったみたいに、手を加えればいいと思うのだ。
そんなこと、将軍が躊躇するはずがない。
重なる手術のせいで、オレは、肉体的にも精神的にも、限界だった。
将軍はオレを好きなように変えてゆく。
肋骨を何対か抜くと告げられた時、オレは気を失った。
いっそのこと一思いに殺されたほうがましだと思った。
恥もなにもない。
どんなことを命じられてもこれからは逆らわないから――と、こみ上げてくる涙を流しながら毎日掻き口説いた。
否も諾も将軍の口から聞かされることはなく、無情に時が流れた。
毎日のように来てはオレの体調を診る遠医師も何も言わなかった。
施術当日、オレが男の言葉に従うのは当然のことだと、将軍は鼻で笑ったのだ。
主人の命令には異を唱えることこそが罪悪なのだと、諭すような口調だった。
穏やかそうな声で淡々と言いながらも、将軍のまなざしは、炭がいこったような光を帯びていた。
喉の手術の時にも使われた、花からとるという薬を焚くむせるような匂いにオレの意識は遠くなる。
意識が途切れるまで、将軍の黒い瞳は逸らされることなくオレを凝視しつづけていた。