10 乗り込む
下町に着くと、オフェリーがいた頃とはまるで違っていた。
そこは見違えるほど通りが整えられ、店も増えている。
だが、見覚えのある店は一つもない。
(お世話になった服飾店は? 定食屋の女将さんはどこに行ったの?……違うお店になってる)
オフェリーが住んでいた頃の面影は、どこにも残っていない。オフェリーは大きな通りを外れ、路地へと足を向けた。
ようやく見つけたのは、裏通りの片隅にある小さな仕立て屋だった。かつての店とは比べものにならないほど狭く、薄暗い。
けれどそこに、オフェリーは見慣れた姿を見つけた。
アパートに住み続けてもいいと言ってくれた、あの服飾店の店主オルガの姿を。
「……オルガさん」
「……えっ……こんなところに、お貴族様が……?」
今のオフェリーはギラマン公爵令嬢として、庶民から見れば息を呑むほど豪奢なドレスを纏っていた。プラチナブロンドの髪は光を弾き、肌も滑らかに艶めいている。
そんな少女が侍女や護衛騎士を従えて現れれば、オルガが息を呑むのも無理はない。
「私よ。オフェリーです」
「えっ……。そう言われれば確かに……」
オルガは大きく目を見開き、やがてその面影を見つけたのか、ぽろりと涙をこぼした。
「どうして、こんな場所に……?」
「営業許可料が払えなくてね……毎月取り立てが来るんだよ。人相の悪い男たちが嫌がらせするようになって、客足もすっかり遠のいちまってね」
「酷すぎるわ……でも、もう大丈夫。この領地は、私が治めることになりました」
「えっ……えぇぇ……?」
少し遅れて、トリスタンとダリルが姿を現す。
オルガは二人を見た瞬間、その洗練された佇まいと気品に言葉を失い、口をぱくぱくと動かしたまま固まってしまう。今にも気を失いそうな顔だった。
オフェリーはこれまでの経緯を簡潔に話す。
オルガもまた、この下町で起きたことをぽつぽつと語り始めた。
その話を聞くにつれ、トリスタンの表情は目に見えて険しくなっていった。
「営業許可料だと? そんなものが必要なわけがないだろう」
「ここには、領主様がいないも同然なんですよ。領地管理官がこの一帯を好き勝手に取り仕切っていて……法外な営業許可料を払える商売をしている者だけが、あの通りで店を構えられるんです。こんなことになったのは、オフェリー様がいなくなってからすぐのことなんですよ」
「オルガさん。私がここを立て直します。その管理官は、必ず裁きます!」
「そんなことができるのかね……そうなら、ありがたいけどね」
◆◇
ルードが任せきりにしていた領地管理官ジェームスは、もともとは下町のごろつきどもが「みかじめ料」と称して、取り立てていた金を合法にし、さらに額を吊り上げた。
ごろつきにはそのまま脅しの役目を与え、自分は手を汚さずに金だけを吸い上げていた。
「ふっ……これほど効率的なやり方もあるまい」
下町で最も見晴らしのいい一等地に構えた屋敷。豪華な執務室の机に積まれた今月分の金――営業許可料を数え終えたジェームスは、満足そうに口元を緩めた。
「ジェームス様。ヴィダル伯爵様がお見えですぜ」
ごろつきの一人が、慌てた様子で執務室のドアを叩いた。
「……何だと? そんなはずはない。私がここに来てから、ヴィダル伯爵から連絡のひとつも来たことがないのだぞ」
「とにかく早く来てください。もう応接間にお通ししちまいました」
(勝手に通しただと? しかも、こいつ、なんでこんなに怯えてる? ヴィダル伯爵は、確か小柄でひょろひょろした男だったはずだが……爵位はあるものの怖がる必要もない男だぞ)
応接間の扉を開けた瞬間、ジェームスはぴたりと足を止めた。
そこにいたのは、想像していた伯爵の姿ではなかった。
美しい少女が一人、まっすぐ前を向いて座っていたのだ。
「お嬢さんはヴィダル伯爵家のご令嬢ですかな? ヴィダル伯爵様はどちらに?」
「私が、ヴィダル伯爵ですわ。伯父から引き継ぎました。ところで、下町で妙な話を聞きました。営業許可料なんて取ってはいけません。そんなものを勝手に作って、領民を苦しめるなんて……私は認めません!」
「……これは驚きました。まさか、これほどお若い方が爵位を継ぐとは。ですが領地運営に口を出されるには、少々ご経験が不足しておられるのでは?」
「年齢なんて関係ありません! 私が領主です。従わないなら……あなたを解雇するだけです」
間髪入れず、オフェリーがきっぱりと言い切った。
「……妙ですね。領主様ともあろう方が、たったお一人でこんな場所に来るとは。正直、信じ難い」
ジェームスは、ごろつきにオフェリーを拘束するよう命じた。
だが彼らは顔を見合わせ、首を横に振るばかりだった。
「……ちっ。こんな命令も聞けないとは、使えない奴らだ。こんな子供一人、どこかに売り飛ばせばそれで済む話でしょう。本物かどうかなど、関係ありませんね」
そう言って、自らオフェリーへ近づく。
手を伸ばそうとした、その瞬間。
「おい、そこまでだ!」
低く響く声が、室内の空気を一変させた。
「今の発言、全部聞かせてもらったぞ。私の娘を売り飛ばそうとした証拠も取った」
カーテンの陰から、ぬっと男が姿を現す。
その後ろには、鎧に身を包んだ騎士たちがずらりと並んでいた。
男は長身で、鋭い眼光を持ついかにも武人といった風貌。
両脇に控える騎士たちも筋骨隆々で、ただ立っているだけで圧がある。
「……これは、一体どういう状況です? あなたは何者なのですか?」
「私はトリスタン・ギラマン公爵だ。この子の父であり、後見人を務めている」
「……ギラマン公爵? あの王国軍の元帥閣下? 異能者を集めて兵として使い潰す冷酷な方だという噂は、前に聞いたことがあります」
「父上を侮辱するな。不敬だぞ! それにオフェリーを売り飛ばすなんて、させるかよっ!」
その言葉を遮るように、鋭い声が飛んだ。
ダリルが、ジェームスを睨みつける。
「……これはこれは、元帥閣下のご子息ですか……お父上にそっくりですな。しかし、売り飛ばす? はて、なんのことでしょう?」
ジェームスは一転してへらりと笑い、肩をすくめた。
トリスタンは胸ポケットから、洒落た細身のペンを取り出す。
「王都でも一部にしか出回っていない記録装置だ。王国騎士団の捜査にも使われている。つまり、お前の発言はすべて残っている。言い逃れはできん」
「はったりは結構です。そんなもので何ができるというのですか?」
ジェームスが嘲るように笑った、その瞬間。
カチッ、と乾いた音が鳴る。
『お嬢さんはヴィダル伯爵家のご令嬢ですかな? ヴィダル伯爵様はどちらに?』
応接間に、ジェームスの声が響いた。
(……は? なんだ……?)
額に、じわりと汗が滲む。
止めろ……その声を止めろ。
それ以上、流れるな!
『……ちっ。こんな命令も聞けないとは、使えない奴らだ。こんな子供一人、どこかに売り飛ばせばそれで済む話でしょう。本物かどうかなど、関係ありませんね』
ジェームス自身の下卑た発言が、はっきりと聞こえてきた。
彼は言葉を失い、その場に立ち尽くす。だが次の瞬間、ぎこちなく口元を歪めた。
「最初から元帥閣下が姿を見せていれば、丁重におもてなしをしていたのに。不意打ちなんて卑怯な……だいたい、そんなお偉い方がカーテンの影に隠れるなど、プライドはないのですか!」
「身を潜めて相手が気を緩めたところを一気に叩く。戦いは頭でするものだ」
トリスタンは冷ややかに言い放つ。
「戦い? ここは戦場じゃないです! 元帥閣下がカーテンの裏に潜んでるなんて、誰が想像できますかっ! くそっ……嵌められた」
吐き捨てるように言った、その直後。
ジェームスの視線が、トリスタンの手元、細身のペンに吸い寄せられた。
(あれさえ壊せば!)
彼はテーブルの上のティーポットを掴み、投げつけた。
狙いは、トリスタンの手。
だが、焦りで照準がぶれる。
ポットはわずかに逸れ、オフェリーへと向かう。
咄嗟に割って入ったのは、ダリルだった。
ティーポットからこぼれた熱い紅茶が、そのままダリルの背中に降りかかった。




