07 救う
――ゴォォォォォ……!!
腹の底を揺らすような地鳴りが、空気を震わせた。次の瞬間、山肌が崩れ落ちた。
土と岩が崩落し、塊のまま斜面を滑り落ち、村へと襲いかかってきた。
速い。
村人たちが逃げ切れる距離ではない。
「しまった……遅かったか……ダリル、オフェリーを乗せて馬を走らせろ! 騎士隊長はエミを乗せて。早く行け! 逃げるんだ!」
「公爵様は?一緒に逃げないのですか?」
「私はこの地の領主だぞ。領民を見捨てて逃げられるはずもない。オフェリー……君がこの先ずっと生活に困らないよう、遺産の一部は受け取れるよう証書は作ってある……もっといろいろしてやりたかったが……」
(生活に困らないように?……そんなことまで考えてくれていたの?)
(ドレスも靴も買ってもらった。学問も学ばせてくれて、暖かい食事も美味しいお菓子も……あんなにたくさん与えてもらったのに……それなのに私は、公爵様に何の恩返しもできていない!)
「私が……私がなんとかします!公爵様を死なせません!」
オフェリーは、一歩踏み出す。
視線はただ、迫り来るそれだけを見据えていた。
「……お願い。私たちを助けて!」
頭の中で、イバラが土砂を阻む光景を思い描く。
異国から来た教師との授業で、己の力はイバラを操ることに特化していると知った。イバラはトゲのある蔓植物や低木の総称だ。
オフェリーは、強く願う。
(イバラたち――今こそ、応えて。皆を助けたいの!)
地面の下で、何かが蠢いた。次の瞬間、イバラが噴き出す。鋭い棘の蔓が一斉に前方へと走り、絡み合いながら壁のように立ち上がった。逃げ場を塞ぐように広がり、迫り来る土砂へと食らいつく。
無数の棘が、深く、深く食い込む。
絡め取る。引き裂く。押さえ込む。
「止めて――ッ! お願い! 村を守って!」
オフェリーが絶叫したその瞬間。
ぶわり、とイバラがさらに膨れ上がる。
増殖した棘の蔓が、土砂へと喰らいつく速度を一気に引き上げた。
ほとんどは、それで押さえ込めた。
だが土砂の一部が、イバラの壁の隙間をこじ開けるようにして溢れ出す。
人々はすでに高台へ避難していたものの、向かう先は村の家々で数軒は巻き込まれそうだ。
「オフェリーお嬢様! 私も頑張りますっ!」
エミの声とともに、風が走った。
地面近くを横に強く吹き抜ける突風が、溢れた土砂だけを横へと弾き飛ばす。
流れは分断され、民家へ向かう軌道がわずかに外れた。
やがて、あたりはしんと静まり、雨も止んでいた。
山肌に絡みつく無数のイバラと、地中深く食い込む根。
その内側に、押し潰されるようにして封じ込められた土砂。
それはイバラを操るオフェリーが作った、完璧な防壁となった。
「これは……オフェリー、良くやった! 君は私の命の恩人だな。エミも頑張ったな」
「オフェリー。お前……凄いよ。村の連中、みんな見てたぞ。ほら、こっちに駆けてくる」
「公爵様ーー! い、今の力は誰が……? これが、公爵様が集めている異能者の力なんですかい?」
「有事の時に戦わせるという噂の子じゃろうか……どの子が、あんなことを……あ、この綺麗な少女が?」
「ああ。この子たちだ。こちらが私の娘、オフェリー。イバラを操り、皆を守った自慢の娘だ。土砂の一部を風で逸らしたのがエミだ」
「オフェリーはギラマン公爵家の養女になったんだ。俺の妹だ。トゲのある植物を手足のように操れる」
村人たちは、多すぎる情報に目を白黒させた。
だが、次の瞬間。
「イバラの公爵令嬢に祝福を!」
「助けてくださって、ありがとうございます……!」
「風を操る子もすごい! 異能者って不気味だと思っていたが……助けられちまったなあ」
感謝と興奮が、一気に広がっていった。
その後、オフェリーたちは村長の家へと招かれた。
差し出されたのは香りのよい野草茶と、焼きたての素朴な菓子。小さな器には、蜂蜜が添えられている。
整えられた室内や人々の身なりから、村人達が穏やかに不自由なく生活をしていることが伝わってきた。
(公爵様が、この地をきちんと治めている証なのね……)
そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
血は繋がっていなくても、トリスタンは確かに自分の父なのだと。
誇らしさが、静かに広がっていった。
その日を境に、異能者を見る目が変わった。
不気味な存在ではなく、人を救う力を持つ者として。
そして、トリスタンの悪い評判も良い方向へと上書きされた。
異能者を使い捨てにするという見方は、少なくともこの領内では大きく薄れていった。
そしてオフェリーの噂は、瞬く間に広がっていく。
やがて周辺の領地にまで届き、オフェリーの伯父ルードの耳にも入ることとなった。
◆◇
ルードはオフェリーをギラマン公爵に売りつけ、大金を手に入れた。
(これだけあるんだ。少しくらい遊んでもいいよな)
酒場での賭け事にのめり込み、歓楽街に入り浸った。
気づけば、手にした金はみるみる減っていく。
(まずいぞ……何とかしなければ……)
そんな時だった。いつもの酒場で声をかけられる。
隣国の著名な学者を名乗る男が、ヴィダル伯爵領に宝石がザクザクと採れる鉱山があると持ちかけてきたのだ。
「私に金を預けてくれれば、その鉱山を必ず掘り当ててみせましょう」
「本当なのか? 今まで我が領地にそんなものはひとつもなかったが……」
にわかには信じられなかった。
男の家へと誘われ、学者らしくたくさんの専門書に囲まれた住まいを見た。
その中で男の話を聞くうちに、ルードは疑いもなく信じ込んでいった。
翌日、残りの金のほとんどを、その男に渡してしまう。そして、宝石がザクザクと採れたという朗報を、ほくほくと待ち続けた。
サビーネはオフェリーを売って得た金があるのをいいことに、ドレスをツケで次々と買い漁った。それはマルグリットも同じだった。
イザークは、明らかに身分不相応なほど見事な駿馬に目を奪われ、「支払いは父上に回せ」と当然のように言い残し、ツケで手に入れていた。
しかし、待てど暮らせど、朗報はルードのもとには届かない。
代わりに屋敷へ運び込まれたのは、分厚い請求書の束だった。
サビーネとマルグリットがツケで買い漁ったドレス代。
そして、イザークが連れ帰った駿馬の高額な代金。
どれもこれも、支払いを迫るものばかりだ。
ルードの顔色が変わる。
(おかしい……鉱山はどうした?もうとっくに掘り当てている頃だろうが……!)
嫌な予感が、じわりと広がる。
ルードは慌てて、あの“学者”のもとへ向かった。
だが家は、もぬけの殻だった。確かに数ヶ月前、そこで 学者と話をした時には家具もあり、たくさんの本が置かれていたはずなのに。
人の気配はなく、家具も何もかも持ち去られている。
「おい!ここに住んでいた男は、どこに行った!?」
隣の住人に問いただす。
だが返ってきたのは、思いがけない言葉だった。
「はぁ?あそこはずっと空き家でしたよ」
誰一人、その男を知らない。
まるで最初から、存在していなかったかのように。
その場に立ち尽くしたまま、ルードはようやく理解した。
(……騙された?……学者じゃなかったのか?)
血の気が引く。
だが、呆然としている暇などない。
残った金はほとんどないのだ。
あるのは請求書の束だけ。
「くそ……くそっ……!」
ルードは半ば狂ったように、男の行方を追って街を駆け回った。
しかし、どこを探しても見つからない。
そんな時だった。
「聞いたか? 異能の娘が村を救ったらしいぞ。土砂崩れを止めたとか……イバラを操るんだと」
「異能者って不気味だと思ってたが、人助けをしてくれるなら大歓迎だぜ。領民も大喜びだったそうだ」
ふと耳に入った噂に、ルードの足が止まる。
(……異能者だと? もしかしたら……)
「令嬢の名は、確かオフェリーだったぜ。ギラマン公爵が、そりゃぁもう溺愛してるらしい……ご子息のダリル様にも可愛がられているって話だ」
その瞬間、ルードの目が、ぎらりと光った。




