第6話 兵士の顔、死にすぎじゃない?
市場の重たい空気を抜けたあとも、るなの胸の奥に残ったざわつきは消えなかった。
王都南区画を歩く。石畳の道は広く、建物もしっかりしていて、店も人もちゃんとある。なのに、どこを見ても「元気」が薄い。市場だけの問題じゃなかった。通りを歩く人々の足取りも、話し声も、視線の上げ方も、全部どこか低い。
「ねえ、ほんとにさ」
ももかが、るなのすぐ横で小声で言う。
「この街、みんな疲れすぎじゃない?」
「うん」
るなも即答した。
「なんかもう、眠いとかだるいとかじゃなくて、“削れてる”って感じ」
「それ」
ジェシカが短く返す。
「削れてる」
前を歩く騎士団長ガルドは相変わらず無言だ。だが昨日までより、五人の声を完全に無視しているわけではない気配があった。案内役としてついている若い騎士も、最初ほど緊張していない。ただ、彼らもまたどこか張っている。肩の力が抜けていない。
るなはふと、通りの先で立っている兵士たちに気づいた。
王都の警備兵らしい。城の近衛とは違う、もう少し実務寄りの装備だ。鎧もところどころ擦れていて、槍の先端や革ベルトには使い込んだ跡がある。二人一組で交差点を見張っているようだが――その顔を見た瞬間、るなの口から反射で言葉が出た。
「いや、顔しんでるって」
ぴたり、と周囲の空気が止まった。
えれなが一瞬で顔を覆う。
「るなぁ……!」
「いやだって!」
「だってじゃないの! もうちょい言い方!」
「でもほんとに!」
「ほんとでも!」
ももかが「うわ」と小さく息を呑み、みうは目を丸くし、ジェシカは「出た」とでも言いたげに目を細める。
言われた当の兵士たちも固まっていた。
一人は二十代前半くらいだろうか。短く刈った髪に日焼けした肌。体格は悪くないのに、目の下の隈がひどい。もう一人は少し年上で、頬に古い傷跡がある。こちらも立ってはいるが、背中の芯が妙に疲れていた。
最初に反応したのは、年上の兵士の方だった。
「……は?」
低く、険しい声。
当然である。るなでも、知らない奴に急にそんなこと言われたら「は?」となる。
でも、るなは言ってしまった以上、引っ込めることができない性格をしていた。
「いや、ごめん、失礼なのはわかるんだけど、ほんとに顔やばいっていうか、ちゃんと寝てる?」
「るな、やめなさい」
えれなが本気の声で止める。
「今それ以上は」
「でも」
「でもじゃない!」
ガルドが振り返った。こめかみに青筋が浮いていそうな顔である。
「勝手に兵へ話しかけるなと言ったはずだ」
「いや見たらわかるくらい疲れてるから!」
「だからといって言ってよいことと悪いことがある!」
「じゃあ誰か言ったの!?」
「……!」
るなの返しに、ガルドが一瞬だけ詰まる。
その沈黙が、逆に答えになっていた。
兵士の一人が、そこで小さく鼻を鳴らした。
「はっ。異界人ってのは遠慮がねえな」
若い方の兵士だった。
「遠慮ないっていうか、見えたことそのまま言っただけっていうか」
「それを遠慮がねえって言うんだよ」
年上の兵士が吐き捨てるように言う。
だがその直後、若い兵士の口元が妙に歪んだ。笑ったのか、それともただ皮肉っぽく口を吊り上げただけか、最初は分からなかった。
「……まあ、間違ってもいねえけどな」
「え」
ももかが反応する。
若い兵士は槍を肩へ立てかけるように持ち直し、肩をすくめた。
「寝てるかって聞かれりゃ、寝てねえよ。交代詰め込みすぎて、まともに眠れる日なんか減った」
「補給も足りん。人も足りん」
年上の兵士が続く。
「街は街で不安ばかり吐く。上は上で『持ちこたえろ』としか言わん。死んだ顔にもなる」
その言い方に、るなはちょっとだけ息を飲んだ。
軽口で返して終わり、くらいだと思っていた。なのに予想以上に、声の奥が擦り切れている。
「……ごめん」
るなが少しだけ真面目な声になる。
「軽く言うつもりじゃなかった」
「軽かったけどな」
若い兵士は言った。
「でも、久々だよ。そういうこと面と向かって言われたの」
「普通言わないからね……」
えれながため息混じりに言う。
「うちらの中でも、特にこの子は」
「なんで私が問題児みたいな説明されてんの」
「問題児ではあるでしょ」
「即答!?」
そのやり取りに、若い兵士がとうとう吹き出した。
ごほ、と一回変な咳みたいに漏れてから、次にちゃんと笑いになる。声は大きくない。けれど、たしかに笑った。
るなは目を丸くする。
「笑った」
「笑うだろ、その流れ」
兵士はまだ少し肩を揺らしている。
「なんなんだお前ら」
「ギャルです」
ももかが胸を張って言う。
「説明になってる?」
みうが小さく笑う。
「知らんけど、そうらしい」
ジェシカも淡々と加わる。
年上の兵士はまだ険しい顔をしていたが、その眉間の皺がほんの少しだけ浅くなっていた。
「……見慣れねえ格好だとは思ったが、噂の召喚された異界の娘たちか」
「噂になってんの!?」
ももかが食いつく。
「朝のうちから城内でざわついてりゃ耳にも入る」
「やだ、もう有名人じゃん」
「そこ喜ぶな」
えれながツッコんだところで、若い兵士がるなたちを改めて見た。
「で、何しに来たんだ。観光か?」
「半分は見学」
えれなが答える。
「王都の現状を見ろって言われて」
「現状、ねえ」
年上の兵士が鼻を鳴らす。
「見てどうする」
「どうするって……」
るなが言葉を詰まらせる。
正直、まだそこははっきりしていない。ただ見て、知って、それから考える。そう決めたばかりだ。でも目の前の兵士からしたら、それはあまりにもふわっとしているのだろう。
そこで、みうが小さな声で言った。
「でも、見なかったら、何もわからないから」
兵士たちがそちらを見る。
「……昨日まで私たち、ここにいなかったし。なのに急に“この世界のために何かしろ”って言われても、ほんとにわからなくて。だから、見たいんです」
「みう」
るなが少し驚く。
「こんなふうに疲れてる人がいるって、ちゃんと知りたいし」
みうは視線を逸らさずに続けた。
「それで何もできないかもしれないけど、知らないままでいるのは嫌だから」
みうの声は強くない。けれど、その分まっすぐだった。
若い兵士は少しだけ目を細める。
「……変わった娘たちだな」
「よく言われる」
ジェシカが返す。
そこで、ももかが兵士たちを見ながら眉を寄せた。
「てかさ、ほんとに顔やばいよ」
「ももかまで」
「いやだって、目の下すごいし。ちゃんと食べてる?」
「るなと同じこと言い始めた」
「でも大事じゃん」
「まあ、食ってるには食ってる」
若い兵士が肩をすくめる。
「食える時にまとめてな」
「それ絶対よくない」
「だろうな」
「寝れてないし食事もちゃんとしてないとか、そりゃ死んだ顔にもなるって」
「るな、もうその表現やめて」
えれながまた額を押さえる。
だが意外にも、今度は年上の兵士の方が小さく笑った。
本当に小さくだ。ほとんど息みたいな笑い。でもさっきまでより確実に空気が柔らいでいる。
「お前たち、兵にそんなことを言って無事でいられると思うなよ」
「え、今さら処される?」
ももかが半歩下がる。
「処しはしない」
兵士は呆れたように言った。
「ただ、妙な奴らだと思っただけだ」
「うちらも思ってるよ。ここにいること自体、妙だし」
るなが返す。
若い兵士がその言葉にまた少しだけ笑う。
「たしかに」
「名前、聞いていい?」
るなが訊く。
「なんで」
「いや、ずっと“兵士さん”だと話しづらいし」
「……カイル」
若い兵士が言う。
「こっちはバルド」
「よろしく、カイル、バルド」
「軽いな」
バルドが言う。
「でもまあ、今さらか」
るなはにっと笑った。
「こっちは天城るな。で、こっちが姫野ももか、黒崎えれな、白雪みう、一ノ瀬ジェシカ」
「律儀に全員言うんだ」
えれなが小さく言う。
「だって一応」
「へえ」
カイルが一人ずつ見ていく。
「……ほんとに五人組なんだな」
「そうだよ」
ももかが言う。
「最強の」
「何が最強なの」
「ノリ?」
「自信なくなってるじゃん」
そのやりとりに、カイルがまた吹き出した。
るなは、そこでようやく気づく。
さっきから、この兵士たちは笑っている。
最初は明らかに不機嫌だったのに。疲れきって、苛立って、余裕のない顔をしていたのに、今はもう何度か笑っている。
しかも、周囲にいた別の兵士まで少しこちらを気にしていた。露骨に近づいてはこないが、「何があったんだ」という感じで視線が集まっている。
ガルドが重々しく咳払いした。
「雑談はその辺にしておけ」
「雑談じゃないですよ」
るなが言う。
「ちゃんと交流」
「交流」
ガルドが低く繰り返す。
「兵の勤務中にか」
「でも、ちょっとは息抜きになったくない?」
るなが言い返す。
「くないって何だ」
「なったでしょ?」
るなは今度は兵士たちを見る。
カイルが少しだけ口元を上げた。
「……まあ、退屈しなかったのは確かだ」
「だよね」
「うるさかったがな」
バルドが付け足す。
「え、褒めてる?」
「褒めてはいない」
「でも半分くらい褒めてる」
「ももか、それ違う」
えれなが言うが、声の調子はさっきよりずっと軽い。
みうが周囲を見て、そっと言った。
「兵士さんたち、みんな疲れてるんですね」
「そりゃそうだ」
バルドが答える。
「前線ほどではないにせよ、王都も楽じゃない。避難民の流入、物資不足、夜警の増加、揉め事の仲裁……。守る側が余裕をなくすと、街も余計に沈む」
「悪循環じゃん」
るなが言う。
「そうだ」
ガルドが珍しく会話へ入った。
「兵の士気は街に伝わる。街の沈みは兵へ返る。今の王都はその循環の底にある」
その言葉は、やけにわかりやすかった。
るなは通りを見回す。確かに、兵士の顔が死んでいたら――いや、疲れきっていたら、街の人も安心できない。逆に街が暗ければ、兵士だって守る意味を感じにくい。そういうのがぐるぐる回ってるのかもしれない。
「……ねえ」
ももかがぽつりと言う。
「顔、もうちょいなんとかなんないの?」
「ももか」
「いや、だってこのままじゃほんとしんどくない?」
「顔をどうにかって、化粧でもしろってか」
カイルが半笑いで言う。
「そこまでは言ってないけど、せめて覇気?」
「覇気は売ってない」
「それはそう」
ジェシカがそこで兵士たちを見ながら静かに言う。
「でも、見た目って大事だよ」
「ジェシまで?」
るなが少し驚く。
「疲れてても、疲れてるなりに整えるだけで自分の気分も変わるし、周りの見え方も変わる」
「……それは、あるかも」
みうが頷く。
「髪とか顔とか服とか、全部ってわけじゃなくても、ちょっと整ってるだけで違う」
「兵士にそれを求めるのか」
ガルドが眉をひそめる。
「求めるっていうか、余裕の問題」
ジェシカが答える。
「余裕がないからこそ、ちょっとしたことで変わることもある」
バルドが黙ってそれを聞いていた。やがて、自分の手甲を見下ろし、小さく息をつく。
「……たしかに、この連中、最近は鎧の手入れも雑になってきている」
「隊長」
カイルが苦笑する。
「お前もだ」
「……否定はせん」
そのやりとりに、るなは少しだけ前のめりになる。
「じゃあさ」
「嫌な予感がする」
えれなが即座に言う。
「ちょっとだけでも、元気ある感じにできたらよくない?」
「何を言い出すの」
「いや、ほら。めちゃくちゃ大掛かりじゃなくていいから。顔上げるとか、声出すとか、整えるとか、ちょっとしたとこから」
「お前は本当に思いついたらすぐ口にするな」
ガルドが本気で言う。
「でもそれがるなだし」
ももかがなぜか誇らしげに言う。
「誇るな」
カイルは槍を軽く持ち替えながら、るなたちを見ていた。
「できると思うのか」
「わかんない」
るなは正直に答える。
「でも、今のままよりはよくしたいって思う」
「……」
「だって顔が死んでるの、見てらんないし」
「だから表現」
えれながまた突っ込むが、今度は半分諦めていた。
バルドが、ようやく真正面からるなを見る。
「お前、無礼だな」
「うん」
「遠慮もない」
「うん」
「だが」
そこでほんのわずか、口元が緩む。
「そういうのは嫌いじゃない」
るなが一瞬止まる。
「え、今ちょっとデレた?」
「デレてない」
「隊長、顔はちょっと」
カイルが言いかけて、自分で笑った。
その笑いにつられて、周囲の兵士まで少しだけ表情を崩したのが見えた。
ほんの数分前まで、空気は完全に重かったのに。
それが今、少しだけ動いている。
るなはその変化を見て、胸の奥がじわっと熱くなるのを感じた。
大きなことじゃない。
世界が救われるわけでもない。
でも、疲れきった兵士が、少しだけ笑った。
その事実は、妙に手応えがあった。
ガルドが再び歩き出す気配を見せる。
「行くぞ。市場へ向かう」
「はーい」
るなが返事をする。
別れ際、カイルが肩越しに言った。
「異界の娘」
「ん?」
「また妙なこと言いに来い」
「え」
るなが目を丸くする。
「それ、誘ってる?」
「さあな」
「隊長、素直じゃな」
カイルが言いかけて、バルドに肘で小突かれた。
ももかがけらけら笑う。みうも口元を押さえて笑っている。えれなは「調子に乗らないの」と言いつつ、自分も少しだけ笑っていた。ジェシカはいつもの薄い笑みを浮かべる。
るなは振り返って、大きく手を振った。
「じゃあ今度、もうちょいマシな顔になっててよ!」
「お前な!」
えれなの悲鳴みたいな声が飛ぶ。
でもカイルは笑っていたし、バルドも完全には否定しなかった。
その光景を見ながら、るなは思う。
この世界、やっぱりずっと沈みすぎてる。
だから、少し笑うだけでも目立つ。
少し声が大きいだけでも、空気が揺れる。
だったら――まだ何も分からないけど、自分たちにできることは本当にあるのかもしれない。
市場へ向かう石畳の道の上で、るなはふっと息を吐いた。
重いままの王都の中で、ほんの小さく、何かが動いた気がした。




