第5話 城の外、暗すぎん?
王都へ出ると決まったあと、いちばん最初に揉めたのは、もちろん服装だった。
「いや、さすがにこのままは目立つでしょ」
えれなが腕を組んで言う。
「いや今さら?」
るなが返す。
「今さらとかじゃなくて、目立つかどうかの話じゃないの。昨日の時点で目立ってたのは分かってる。でも、外に出るなら余計に」
「でも、着替えとかなくない?」
ももかが首を傾げる。
「この世界の服なんか急に着れないし」
「サイズとか絶対合わないよね」
みうも困ったように言う。
「素材も分からないし、肌に合わなかったら嫌だし……」
「そこはほんと一貫してる」
ジェシカが壁際に寄りかかったまま呟く。
五人が通された支度部屋には、朝食のあとに侍女たちが何着か服を持ってきていた。王城の外を見学するための、比較的動きやすい格好らしい。たしかにドレスほど重くはない。けれど、形が見慣れない。生地も、日本で着るワンピースやブラウスとは微妙に違う。レースの位置も、袖の広がりも、全部が「なんか惜しい異文化」感を放っている。
そして何より。
「色が全体的に地味」
るながぽつりと言った。
「わかる」
ももかが秒速で同意する。
「悪くないけどテンション上がんなくない?」
「上がる上がらないで選んでる場合じゃないでしょ」
えれながすかさず言う。
「いやでも大事じゃん」
「大事ではあるけど!」
「うちら、ただでさえ知らん世界で緊張してるのに、服まで自分じゃなくなるのきつくない?」
るなの言葉に、えれなが少し黙る。
その時、部屋の隅で控えていた年若い侍女が、おずおずと口を開いた。
「あの……」
五人が一斉にそちらを見る。侍女はびくっと肩を揺らしたが、逃げはしなかった。
「もし、お召し物そのものが難しければ、羽織だけでもこちらのものをお使いになっては、と」
「羽織?」
みうが反応する。
「はい。外気を避けるためのものです。下は皆さまのお洋服のままでも、多少は……」
「馴染む?」
ももかが言う。
「その、はい……」
えれながその案を一秒で飲み込む。
「それでいこう」
「即決じゃん」
るなが言う。
「現実的だから」
「えれなのそういうとこ助かる」
「分かってるなら少しは従って」
結局、五人は元の服装をベースにしながら、上からそれぞれ薄手の外套やショールのようなものを羽織ることになった。王城側としても、全身こちらの装いに無理やり変えさせて不機嫌にされるよりは、その方がいいと判断したらしい。
るなは淡い茶色の軽い羽織を選んだ。ももかは少しでも可愛い形のものを探して薄桃色に近いものを確保し、みうは日差し避け優先でフード付きの白い羽織に即決、えれなは動きやすさ重視でシンプルな紺色、ジェシカは深い灰色の長めの上着を選んだ。どれも異世界っぽいのに、それぞれが着ると妙に馴染むのが面白い。
「……なんかRPGの街入る前のイベント感ある」
ももかが鏡を見て言う。
「でもちょっとテンション上がる」
「結局上がるんだ」
えれなが呆れる。
「みう、そのフード似合う」
「ほんと?」
「うん、なんか白ギャル感強まった」
「白ギャル感ってなに」
「概念」
るなが真顔で言うと、みうが少しだけ笑った。
そこへ、扉が開いた。
「準備はできたか」
低く硬い声。騎士団長ガルドだった。
朝から重い。
扉の前に立つ姿は相変わらず圧がある。鍛え抜かれた身体に、実戦用だろう鎧を軽くしたような装備。剣を腰に佩き、眉間には最初から皺が刻まれている。おそらくこの人は、寝起きでも機嫌が良いという概念がない。
「できましたー」
るなが答える。
「その言い方は何だ」
「元気に返事しただけですけど」
「軽い」
「重ければいいんですか?」
「るな」
えれなが小声で制止する。
ガルドはこめかみを押さえた。初日からもう頭痛そうだ。
「……本日は王都南区画の一部を見せる。勝手な行動はするな。人混みから離れるな。騒ぐな。余計な揉め事を起こすな」
「無理難題」
ももかが即座に言った。
「なんだと」
「いや、三つ目くらいまでは頑張るけど、最後は保証できないっていうか」
「四つ全部頑張りなさいよ」
えれなが本気で言う。
「でもさ」
るなが肩をすくめた。
「外出る前からそんな顔で言われると、余計緊張するんだけど」
「緊張しているくらいでちょうどいい」
「この人ずっと固いなあ」
「当たり前だ」
ジェシカがそこでぼそりと口を挟む。
「逆にこの人が急に笑ったら怖いし」
ガルドの眉がぴくっと動く。
「笑う必要がどこにある」
「ほら」
ジェシカが五人の方を見た。
「想像できない」
「たしかに」
るなも頷く。
ガルドが何か言い返しかけた時、さらにその後ろから別の声がした。
「朝からにぎやかですね」
王妃セレフィーナだった。
その瞬間、ガルドがぴたりと口を閉じる。分かりやすすぎる。
王妃は今日も上品な装いだったが、昨日より少し外向けの軽さがある。隣には王女エリシアもいた。彼女は五人の格好を見るなり、少し目を輝かせた。
「……皆さま、そのお姿も素敵です」
「ほんと?」
ももかが嬉しそうに反応する。
「フード、変じゃない?」
みうも訊く。
「とてもお似合いです」
エリシアはきちんと答えた。
るなはその顔を見て、あ、昨日より話す時の緊張が減ってる、と思った。
王妃はガルドへ向き直る。
「団長、あまり脅かさないで差し上げて。初めての王都なのですから」
「脅かしているつもりはありません」
「見た目が少し」
王妃がさらりと言う。
「……」
さすがのガルドも返せない。
ももかが小声で「王妃さま強」と呟き、るなが頷く。
「皆さん」
王妃が五人を見る。
「城の外で見るものは、きっと楽しいものばかりではありません」
その声音は柔らかいが、軽くはない。
「けれど、だからこそ目をそらさないでくださいね」
「うん」
るなが答えた。
「ちゃんと見る」
「はい」
みうも頷く。
「それで十分です」
王妃は微笑んだ。
エリシアは、何か言いたそうにしてから、少し迷って言った。
「その……」
「ん?」
るなが顔を向ける。
「お気をつけて」
小さいけれど、昨日よりずっと自然な声だった。
「ありがと、王女さま」
るなが笑うと、エリシアも少しだけ笑い返した。
その表情を胸の中に置いたまま、五人はガルドに連れられて王城の外へ向かうことになった。
◆
王城の廊下は広く、磨かれた床に朝の光が長く落ちている。
その中を歩きながら、るなは妙な感覚を覚えていた。異世界だというのに、城の中は整いすぎているのだ。花は飾られ、壁の絵はきれいで、侍女たちの歩く音は静かで、どこにも汚れがない。戦争で荒れている世界だという話が、ここだけ聞けば嘘みたいだった。
でも、その「整いすぎ」が逆に不自然でもある。
人の息遣いが薄い。笑い声がほとんどない。廊下ですれ違う侍従や侍女たちは一様に礼儀正しいが、その顔には余計な感情が出ていない。失礼のないように、間違えないように、それだけに集中している感じがした。
「……静か」
みうが小さく呟く。
「でしょ」
るなが返す。
「やっぱそう思う?」
「うん。朝なのにさ、なんか“始まってる感”がない」
「分かる」
ももかも声を潜めたまま言う。
「学校の朝ってもっとざわつくじゃん」
「比較対象が学校なのどうなの」
えれなが言う。
「でもまあ、分かる」
「王宮だぞ」
ガルドが前を向いたまま低く言う。
「学校のようであるわけがない」
「いや、そりゃそうだけど」
るなが言い返す。
「そういう意味じゃなくて、なんていうか……人の気配が少ないっていうか」
「気を張ってる感じ」
ジェシカが短く補足する。
ガルドは何も返さなかったが、その沈黙は否定ではなかった。
やがて厚い扉が開かれ、五人は城の正門前へ出る。
そこで、はじめて王都の朝の空気を真正面から吸い込んだ。
石造りの広い道。遠くへ続く街並み。屋根の連なる景色。市場へ向かう荷車。行き交う人々。城壁の向こうに薄く霞む空。
外の世界は、思っていた以上に普通だった。
ファンタジー映画みたいに空にドラゴンが飛んでいるわけでもなければ、全員がローブで歩いているわけでもない。人々の服装は中世っぽいが、洗濯された布と使い込まれた革の匂い、道端で売られているパンらしきものの香り、遠くから聞こえる木箱を運ぶ音。ちゃんと人が生活している街の空気がある。
だが。
「……暗っ」
るなの口から、思わずそれが漏れた。
道は広い。人もいる。店も開いている。なのに、全体に色が薄い。
いや、建物や服の色ではない。空気だ。
誰も大声で話していない。商人の呼び声も弱い。子どもが走り回ってもいない。立ち話をしている大人たちも、どこか声を抑えている。街全体が、音量を下げたみたいだった。
ももかも同じものを感じたのか、いつもより小さい声で言う。
「え、空気おも……」
「しっ」
えれなが慌てて肘でつつく。
「いやでも、ほんとに」
「……うん」
みうも頷いた。
目の前に広がる王都は、廃墟ではない。
壊滅しているわけでもない。
でも、生き生きしていない。
それは、るながこれまでに感じたどんな「しんどい空気」とも少し違っていた。クラスが荒れてるとか、仕事でみんな疲れてるとか、そういう局所的なものじゃない。もっと街全体、国全体に沈殿している感じ。
ジェシカが通りを見ながら呟く。
「国が疲れてるね」
その一言が、一番しっくりきた。
ガルドは振り返らずに言った。
「これでも王都の中ではまだましな方だ」
「……これで?」
るなが思わず聞き返す。
「地方はもっとひどい。戦火が近い場所ほどな」
「……」
「言ったはずだ。楽しい見物ではないと」
言われた瞬間、少しだけムッとした。でも今は反発より先に、目の前の景色の方が強かった。
王都南区画。ガルドがそう説明した一帯は、商人や職人が多く住む場所らしい。かつては活気に満ちた地区だったと、道案内の途中でついてきている若い騎士が教えてくれた。祭りの日には広場が人で埋まり、朝から晩まで店が呼び込みをし、楽師や芸人が路地の角で芸をしていたのだという。
今は、広場に人はいるのに、立ち止まる者が少ない。
店は開いているのに、声が小さい。
焼きたてのパンを売る店の前にも列はなく、布を扱う露店にも客が長く留まらない。みんな必要なものだけ買って、すぐ帰る。笑い合うでもなく、寄り道するでもなく。
「なにこれ……」
ももかが本気で困惑した顔をする。
「え、みんな元気なくない?」
「なくない? じゃない」
えれなが珍しく強めに言う。
「ないの。たぶん、本当に」
「……そっか」
みうは視線を通りの端へ移した。
小さな子どもが二人、店の前に座っていた。ぐずってもいないし、騒いでもいない。ただ静かに、大人たちの足元を見ている。親らしき女性は買い物をしているが、その顔にも余裕がない。
「子どもまで静か……」
「それ」
るなが頷く。
「普通もっと、ちょろちょろしない?」
「この状況でそれ求めるのもどうかと思うけど」
えれなが言う。
「でも、言いたいことはわかる」
そこへ、道の向こうから荷車を押した男が通った。車輪の軋む音が妙に大きく響く。積まれているのは袋詰めの穀物らしいが、量は少ない。男の顔はまだ若いのに、目の下にくっきりと影があった。
るなは、その男とすれ違う瞬間、なんとも言えない気持ちになる。
自分たちは昨日まで普通に学校へ行って、コンビニ寄って、ダラダラしゃべって、将来のこととか恋バナとか、そんなので日常を回していた。
この街の人たちは、それ以前に、毎日を削ってる感じがした。
「……るな」
みうが小さく呼ぶ。
「うん」
「なんか、思ってたより……」
「重い」
「うん」
るなは正直に認めるしかなかった。
王が言っていた「活気がない」が、もっとぼんやりしたものだと思っていた。なんとなく不景気で、みんな元気ない感じ、くらいの。だけど実際は違う。ここには、毎日少しずつ何かを削られている人たちの空気がある。
ガルドが足を止めた。
「ここから先は市場へ出る」
「市場」
ももかが反応する。
「もっと人多い?」
「本来ならな」
「本来なら、って言い方やめてよ」
るなが眉をひそめる。
「余計しんどい」
「事実だ」
「事実でも言い方ってあるし」
「るな」
えれなが止める。
「今ケンカするとこじゃない」
「……わかってる」
わかっている。
でも、こういう重さの前で、いつも通りでいるのが逆に難しい。ももかが珍しく静かなのも、みうが口数少ないのも、そのせいだろう。ジェシカは平静に見えるが、目だけはずっと周囲を追っている。
市場へ近づくにつれ、物の匂いが濃くなる。乾いた香辛料の匂い。焼いた肉の匂い。布と革と油の匂い。人の集まる場所特有の雑多な空気。
それなのに、やっぱり音は少ない。
広い通りに店が並んでいるのに、盛り上がっていない。店主たちは客を呼ぶが、どこか声が弱い。並ぶ品物も色味が乏しいというか、疲れて見える。並べ方のせいなのか、本当に物資が足りないのか、その両方なのか。
るなの中で、昨日からぼんやりあった違和感が、はっきり形になってきた。
「……もったいない」
「え」
みうが振り向く。
るなは市場全体を見回しながら言った。
「人いるのに。店もあるのに。場所も広いのに。なんか全部、もったいない」
「るな、それは」
えれなが言いかける。
「いや、わかる」
ももかが珍しく真面目な顔で続けた。
「なんか、“売る気ない”っていうか、“楽しくなさそう”」
「言い方は雑だけど、近い」
ジェシカが言う。
「生き延びるためだけの市場って感じ」
「それだ」
ガルドがちらりと五人を見た。初めて、少しだけ意外そうな目だった。
「……何か見えるのか」
「見えるっていうか、感じる」
るなが答える。
「こういうの、学校の文化祭とかでもあるじゃん。やる気あるクラスと、全然ないクラス」
「比較対象がやっぱり学校なのね」
えれなが半分呆れる。
「でも分かるよ。並べ方とか、声の出し方とか、空気づくりってだいぶ出る」
ももかが言う。
「そうそう」
るなが乗る。
「ここ、みんな気持ちが沈んでるのはわかる。でも、そのせいで余計に沈んで見える」
「……」
ガルドは何も言わなかった。
たぶん、五人が何を言い出すのか警戒しているのだろう。
そして、その警戒は正しい。
るなは市場の中央近くにある広場を見た。人が少ないわけではない。なのに、どこにも「ここに来たくなる感じ」がない。色も、声も、動きも足りない。元気がないだけじゃなく、誰もそこを変えようとしていないように見える。
王都の空気は、ただ暗いんじゃない。
暗いまま固まっている。
そのことが、るなの胸に変な苛立ちを生んだ。
「……ねえ」
るなが小さく言った。
「これ、ほんとにこのままでいいの?」
その問いは、誰に向けたものだったのか、自分でもよく分からなかった。
ガルドかもしれない。王かもしれない。この街の人たちかもしれない。そして、見ているだけの自分たち自身かもしれない。
市場の空気は相変わらず重い。
でもその重さの中で、五人の中に何かが少しずつ引っかかり始めていた。
ただの見学では終わらない予感。
まだ何もしていない。していないのに、胸の中が妙にざわつく。
王都の空は高く、明るいのに。
その下にいる人たちは、まるでずっと曇りの中を歩いているみたいだった。
るなはその景色を見つめながら、無意識に拳を握っていた。




