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第4話 王女の初めての“かわいい”

 翌朝、るなは見慣れない天井を見上げながら目を覚ました。


「……あー、夢じゃない」


 目覚め一発目の感想がそれだった。


 ベッドは相変わらずやたらふかふかで、掛け布団は軽いのに妙にあったかい。枕も沈みすぎず硬すぎず、正直かなり寝やすかったのが腹立たしい。異世界ならもっと「石の寝台で寝返り打つたび痛い」みたいな雑なファンタジー感があってほしい。なんで寝具だけ妙にレベル高いんだ。


 窓の外はもう明るい。厚いカーテンの隙間から入る光は、昨日みうが言っていた通り、少しだけ日本と違って見えた。色味の問題なのか、空気の透明度なのか、よく分からない。でもたしかに、同じ朝日でもどこか異質だ。


 ベッドから起き上がると、すぐ隣の部屋からももかの声がした。


「ねえ、誰か起きてる!? 起きてたら返事してー!」


 元気すぎる。


「起きてるー!」


 るなが返すと、少し間を置いてえれなの低い声も飛んできた。


「朝からでかい」

「だって静かすぎて逆に不安なんだけど!」

「それはちょっと分かる」

 みうの声まで乗る。


 るなは笑いながら軽く髪を整え、内扉を開けて隣室へ向かった。すでにももかは窓辺でそわそわしていて、みうは鏡の前で髪の広がり具合を確認し、えれなは椅子に座って「今日何を聞くべきか」を頭の中で整理している顔をしていた。ジェシカだけは、壁際に寄りかかって静かにみんなを眺めている。


「で、今日どうすんの」

 るなが訊く。


「どうするもなにも、王都見せるって昨日言ってたじゃん」

 えれなが即答する。

「その前に朝ごはんじゃない?」

 ももかが言う。

「知らん世界の朝ごはん、ちょっと気になる」

「そこはたしかに」

 るなも頷く。

「でも、先に誰か来そう」

 みうが小さく言った。


 その予想は当たった。ちょうどその時、部屋の外で扉が叩かれる。


「皆さま、お目覚めでしょうか」


 昨日と同じ女官の声だった。五人はなんとなく顔を見合わせる。まだ完全に慣れたわけではないけれど、少なくともこの声には敵意がない。


「はーい」

 ももかが返すと、女官が入ってきた。その後ろには侍女が二人。銀盆に飲み物と軽食を運んでいる。朝食というよりは、軽い支度用のものらしい。


「おはようございます。本日は午前のうちに王都見学のご予定ですが、その前に……」

 そこで女官は少しだけ表情を和らげた。

「王女殿下が、皆さまにお会いしたいと」


「え」

 ももかの目がぱっと輝いた。

「朝から!?」

「はい。皆さまのご都合がよろしければ、とのことです」

「かわいいかよ」

 るながつい言ってしまう。

「るな」

 えれながいつもの調子で止めに入るが、その声音も少しだけ柔らかい。


 正直、意外だった。


 昨日の夜、王妃と一緒に少しだけ打ち解けたとはいえ、王女エリシアはまだかなり緊張しているように見えた。なのに自分から会いたいと言ってきたのなら、それはかなり勇気のいることだろう。


「会う」

 るなは即答した。

「もちろん」

「私も」

 みうが頷く。

「ネイル見せたいし」

 ももかが当然のように言う。

「理由がぶれない」

 えれなが呆れる。

「でも、まあ……会うべきだとは思う」

「そだね」

 ジェシカが短く言った。


     ◆


 通されたのは、昨日の夜に王妃と話した小さな応接室ではなく、その隣にある明るい小部屋だった。


 大きな窓から朝の光がたっぷり差し込み、室内には白や淡い水色の布が多く使われている。花瓶には瑞々しい花が飾られ、机の上には茶器と焼き菓子。夜の落ち着いた空気とは違い、ここはもっと若い女の子のための空間という感じがした。王城の部屋なのに、少しだけ息がしやすい。


 王女エリシアは、窓辺で立って待っていた。


 今日の彼女は昨日よりも軽めの装いだった。淡い青のドレスに、白いレースの羽織り。髪は半分だけ結い上げられ、真珠の小さな飾りが揺れている。相変わらずきちんとしていて可憐なのに、今日は少しだけ「私服感」があった。多分、王妃が気を回したのだろう。


 五人が入ると、エリシアは少し緊張したように背筋を伸ばした。


「お、おはようございます」

「おはよー」

 るなが一番に返す。

「朝から呼んでくれてありがと」

「い、いえ。突然、申し訳ありません」

「全然」

 みうがやわらかく言う。

「むしろ嬉しいです」


 エリシアはその一言にほっとしたように息を吐いた。昨日より少しだけ、顔色がいい気がする。


「どうぞ、おかけください」


 促されるままに座ると、エリシアも対面ではなく、少し斜めの位置へ腰を下ろした。真正面から向き合うのではなく、話しやすい距離を選んだのが分かる。王妃譲りかもしれない。


 でも、視線はやっぱりそわそわしていた。


 るなたちの顔を見る。髪を見る。爪を見る。アクセサリーを見る。服の細かなところを見る。気になってしょうがないのが丸分かりだ。


 ももかが、案の定すぐに気づいた。


「王女さま、めっちゃ見てる」

「えっ」

 エリシアがびくっとする。

「ご、ごめんなさい!」

「いや謝らんでいいって」

 るなが笑う。

「気になるんでしょ?」

「……はい」

 小さく、でもちゃんと答える。


 その素直さに、五人の空気が一気に和らいだ。


「見て見て」

 ももかが手を差し出す。

「昨日のネイル、ちゃんと明るいとこで見るともっとかわいいから」

「え、よ、よろしいのですか」

「むしろ見てほしい」

「ももか、それは本音」

「本音だよ?」


 エリシアはおそるおそる席を立ち、ももかの近くへ寄る。動きはまだ慎重だが、昨日よりずっと自分から近づいてきている。


「わぁ……」

 小さく漏れた声は、本当に感動している音だった。

「きらきらしてる」

「でしょ?」

「こんな細かい模様まで……」

「これね、左右でちょっと変えてるの」

「本当だ……!」


 その反応が可愛すぎて、ももかが完全に上機嫌になる。るなは内心、「王女さま、ももかの承認欲求ボタンを的確に押しすぎ」と思った。


 みうもそこでそっと髪飾りを外して見せる。


「これもよかったら」

「え」

「昨日、見てくれてたから」

「お、お気づきだったのですか」

「めっちゃ見てましたよ」

 ジェシカがぼそっと言う。

「ひゃう」

 王女から小さく変な声が出た。


 可愛い。


「ほら、こっちの素材柔らかいでしょ」

 みうが丁寧に説明する。

「花びらっぽく見えるけど、布でできてるの」

「本当にお花みたい……」

 エリシアは目を輝かせながら、壊さないようにそっと触れた。


 昨日の夜にも感じたけれど、この王女は“可愛いもの”に対してものすごく素直だ。多分、好きなのに、ずっとあまり表に出せなかったのだろう。


「ねえ」

 るながふと思いついて口を開く。

「王女さまって、普段あんまりこういう話できない感じ?」

「……はい」

 エリシアは少しだけ目を伏せた。

「侍女たちは皆よくしてくれますが、私が好きなものをあまり熱心に語るのは、少し……その」

「子どもっぽいとか?」

 えれなが言う。

「……そう思われることもあります」

「えー、最悪」

 ももかが即座に眉をひそめる。

「かわいい好きで何が悪いの」

「ほんとそれ」

 るなも頷く。

「好きなもん好きって言えないの、普通にしんどくない?」

「しんどい、です……」

 エリシアが小さく認める。


 そこを素直に言えるようになっていること自体、昨日より進歩している気がした。


 みうが少し身を乗り出す。


「王女さま、普段の髪ってずっとこうなんですか?」

「え、ええ。基本は侍女たちが整えてくれて……」

「ほどいたらもっと雰囲気変わりそう」

「わかる」

 ももかが力強く頷く。

「絶対似合う。髪質きれいだし」

「ほんと?」

 るなが便乗する。

「昨日より今日の方がちょっと柔らかい感じしていい」

「き、昨日と今日で違いが分かるのですか」

「なんとなく」

 るなが言うと、エリシアはなぜか少し照れたように頬を染めた。


 えれなが、そのやりとりを見ながら少しだけ苦笑する。


「王女殿下って、思ったより素直ですね」

「えっ」

「いい意味です」

「たぶん」

 ジェシカが付け足す。

「たぶんいらない」

 るながツッコむ。


 エリシアは少し迷ったあと、控えめに笑った。


「皆さまが、そう言わせてくださるのです」

「うわ、言い方きれい」

 ももかが感心する。

「うちらだったら“なんか話しやすいから”で終わる」

「それはそれでいいと思います」

 エリシアが返す。

「だから、羨ましいのです」


 その言葉に、るなは少しだけ真面目な顔になった。


「羨ましい?」

「はい。皆さまは、誰かに遠慮しすぎることなく、思ったことを口にして、それでも仲がよくて……」

「いや遠慮しなさすぎてえれなが苦労してるけど」

「るな、ほんとそれ以上言わないで」

 えれなが低く言うと、エリシアが小さく笑った。


 笑いながら、それでも視線はどこか真剣だった。


「私には、皆さまのような友人がおりませんでした」

「……」

「王女である以上、当然かもしれません。皆、礼儀正しく接してくれます。優しくしてくれる人もいます。でも、“普通の友達”のように話せる方はいなくて……」


 その声は悲しそうというより、ずっとそういうものだと思い込んできた人の声だった。


 るなはその時、昨日の夜に王妃が言っていたことを思い出す。


 この城では、みんなが気を遣いすぎる。


 正しく、慎重に、空気を読みすぎて、何も言えなくなる。


 王女はその真ん中で育ったのだ。


「じゃあ」

 るなが言った。

「うちらと話せばよくない?」

「るな」

 えれながまた止めるが、今回は少し遅かった。

「え」

 エリシアが固まる。

「いやだって、普通にまた会えばいいじゃん。王女さまが嫌じゃなければだけど」

「嫌では、ありません」

「じゃあいいじゃん」

「そんな簡単に……」

「簡単でいいと思う」

 みうがやさしく言った。

「難しく考えすぎると、余計に話せなくなっちゃうから」

「みう……」

「ね」

 ももかも乗る。

「次会ったらまたネイル見せるし、髪もやろうよ」

「髪……」

 エリシアの目が揺れる。

「やってみたいです」

「うわ言った!」

 るなが思わず声を上げる。

「よし、その一歩デカい」

「るな、なんで上から」

「いやなんか嬉しくて」


 エリシアは少し恥ずかしそうにしながらも、今度はきちんと自分の言葉で続けた。


「私は、皆さまのようにすぐに話せるわけではありません。でも……少しずつでも、変わってみたいと思っています」

「うん」

 るなが頷く。

「絶対そっちの方が楽しい」

「断言するんだ」

 えれなが言う。

「するよ」

「でも、同意」

 ジェシカが短く言った。


 王女はその一言に少し驚いたようにジェシカを見る。ジェシカは腕を組んだまま、淡々と続ける。


「王女さま、今も充分ちゃんとしてる。でも、“ちゃんとしてる”しかないと息切れする」

「……はい」

「だから、可愛いもの好きでも、髪変えてみたくても、それ言える方が自然」

「自然……」

「そう。あと似合うと思う」

「えっ」

 エリシアが目を丸くする。

「髪、少し崩した方が雰囲気出る」

「ジェシ、それ褒めてる?」

 るなが訊く。

「褒めてる」

「わ、珍し」

「るな」

 今度はジェシカが低く返した。


 でもその場の空気は、確かに変わっていた。


 昨日は王女と五人の間に、はっきりと「王女」と「異世界人」の距離があった。今はまだそれが完全に消えたわけではない。でも、少なくとも「可愛いものが好きな女の子」と「その話で盛り上がる女の子たち」の距離にはなっている。


 その時、部屋の扉がノックされる。


「エリシア、そろそろお時間ですよ」

 王妃の声だった。


「はい、お母さま」


 エリシアが返事をすると、扉が開き、王妃セレフィーナが入ってきた。朝の光を背負ったその姿はやはりきれいだったが、目の前の雰囲気を見た瞬間、表情がほんの少しやわらいだ。


「ずいぶん楽しそうですね」

「お母さま」

 エリシアが少し照れたように立ち上がる。


 王妃は五人にも目を向けた。


「ありがとうございます。あの子、今日は朝から少しそわそわしていたのです」

「え、そうなんですか」

 ももかが嬉しそうに言う。

「楽しみにしてたんだ」

「ももか」

 えれなが止める。

「だってそうじゃん」

「……はい」

 エリシアが小さく認める。


 その認め方があまりにも可愛くて、るなはちょっと笑ってしまった。


 王妃は娘の様子を見ながら、どこか安心したように息をつく。


「エリシア」

「はい」

「今日は、先ほどより少しだけ、自分の言葉で話せていたわね」

「……そうでしょうか」

「ええ」

 王妃ははっきりと言う。

「とても良かったですよ」


 エリシアの頬がほんのり赤くなる。


 たぶんこの親子は、普段からちゃんと想い合っている。けれど城の空気のせいで、言葉にできることが少なかったのかもしれない。王妃がこうして娘の小さな変化をちゃんと拾うのを見て、るなは少しだけ胸があたたかくなった。


「それで」

 王妃が五人を見た。

「このあと王都へ出る前に、何か困っていることはありますか?」

「いっぱいあるけど、今すぐってほどでは」

 るなが答える。

「でもまあ、朝から王女さまに会えたので、ちょっと元気出ました」

「るな、それ本人の前で言う?」

「いいじゃん、本当だし」

「……わ、私もです」

 エリシアが小さく言う。


 その言葉に、ももかがぱっと笑顔になった。


「やば、両想いじゃん」

「なにが」

 えれなが即座にツッコむ。


 王妃も笑いをこらえきれないようだった。


「本当に、あなたたちは空気を変えるのが上手ね」

「え、そうですか?」

 みうが首を傾げる。

「ええ。気づいていないところも含めて」


 王妃のその言葉が、るなの中に少しだけ残る。


 空気を変える。


 昨日の夜も言われた。まだピンと来てない。でも、王女がこうして笑ったり、自分の好きなものを口にしたりするのを見ると、たしかに何かが少し動いているのかもしれない。


「では、そろそろ」

 王妃が言う。

「今日は王都をご覧になるのでしょう?」

「はい」

 えれなが頷く。

「見てから考えようと思ってます」

「それが良いと思います」

 王妃は微笑んだ。

「見ることは、始まりですから」


 その言葉を最後に、エリシアは名残惜しそうにしながらも王妃と一緒に部屋を出ることになった。


 出る直前、彼女は一度振り返る。


「あの」

「ん?」

 るなが応じる。


 エリシアは少しだけ勇気をためて、言った。


「また、お話ししても……よろしいでしょうか」


 昨日の夜とほとんど同じ問い。


 でも、その声は昨日よりずっとはっきりしていた。


「全然いいよ」

 るなが即答する。

「ていうか、むしろして」

 ももかが言う。

「今度髪やろうね」

 みうがやわらかく続ける。

「王女殿下が良ければ、だけど」

「はい」

 エリシアは今度こそしっかり頷いた。

「ぜひ」


 その返事を聞いて、るなたちは自然に笑う。


 エリシアも、小さいけれどちゃんと笑った。


     ◆


 王女と王妃が去ったあと、部屋に残された五人は一斉に息を吐いた。


「かわいすぎん?」

 ももかが最初に言った。

「わかる」

 みうが強く頷く。

「なんか守りたくなる……」

「いや、守るっていうか、解放したくなる感じ」

 るなが言う。

「もっと普通にしゃべっていいのにって思う」

「でも今日、かなり頑張ってたよね」

 えれなが珍しく素直に評価する。

「自分から“やってみたい”って言えたし」

「うん」

 ジェシカが短く言った。

「昨日よりずっといい」


 るなは窓の外を見た。


 朝の光の中に、王都の一部が見える。まだ遠い。でも、これから自分たちはあそこへ出る。


 王妃の言葉が頭に残っている。


 見ることは、始まり。


 たぶん王女エリシアの変化も、小さいけれど始まりなのだろう。


「……よし」

 るなが手を打つ。

「王女さまがちょっと変わったんだし、うちらも今日ちゃんと見に行こ」

「急にまとめた」

 えれなが言う。

「でもまあ、その通り」

「王都、どんな感じなんだろ」

 みうが少し不安そうに呟く。

「暗いんでしょ、たぶん」

 ももかが珍しく静かな声で言う。

「王様の話だと」

「だろうね」

 ジェシカが窓の外を見たまま返した。


 るなは少しだけ拳を握る。


 まだ何かできるとは思っていない。思っていないけど、さっき王女が笑ったみたいに、何かが少し変わる瞬間があるなら、それをちゃんと見てみたい。


 それに――王女にあれだけ「また話したい」と言われてしまったのだ。無様にはできない。


「じゃ、行こっか」

 るなが言う。

「まずは王都。ちゃんと見て、ちゃんと感じて、それから考える」

「その前に朝ごはん!」

 ももかが両手を上げる。

「そこはブレないな」

「大事だし」

「うん、そこは大事」

 みうも同意する。


 えれなが小さく笑い、ジェシカが肩をすくめる。


 五人はいつもの調子で、でも昨日までよりほんの少しだけ、自分たちがこの世界に触れ始めているのを感じていた。


 王女の“かわいい”から始まった朝は、静かな王城の中に小さな色を差したまま、次の場面へとつながっていく。


 暗い世界を見る前に、まず一人の少女が少しだけ自分を出せた。


 それはきっと、軽く見えて軽くない一歩だった。

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