第41話 この町、見本市を忘れてる
翌日のルクレツィアは、朝から妙に整いすぎていた。
空は晴れている。通りの布は風に揺れ、店先には色があり、香辛料と焼き菓子の匂いもちゃんと漂っている。人もいる。荷車も動く。店も開く。見た目だけなら、やっぱりこの町は十分に“商都”だった。
でも、昨日の酒場で若い商人たちの本音を聞いたあとだと、その整い方そのものが少し苦しく見えた。
整っている。
でも、遊びがない。
崩れてはいない。
でも、息が詰まっている。
「……朝からちゃんとしてるの、逆につらいね」
るなが通りを見ながら言った。
「何その感想」
えれなが即座に返す。
「いや、でも」
るなは肩をすくめる。
「この町、“ちゃんとしてる”が行き過ぎてる感じしない?」
「うん」
みうが静かに頷く。
「店先も、声かけも、服も、全部“崩れないように”してる」
「華やかなのに窮屈」
ジェシカが言う。
「それ」
ももかが指を鳴らす。
「ほんとそれ。
見ててかわいい店はあるのに、“うわ、入りたい!”までいかない」
「昨日の若い商人たちも、結局ずっと“負けないために立ってる”だったし」
えれなが言う。
「うん」
るなが頷く。
「この町、“見せる”より“守る”が先に来すぎてる」
五人は昨日の夜から、ひとつの言葉を頭の中で転がし続けていた。
前向きな勝負。
見せるための競争。
“うちの新作見たか”って張り合える空気。
今のルクレツィアには、それがない。
でも、昔はあったかもしれない。
その気配が、酒場での会話の端々に混じっていた。
「今日、それ掘りたい」
るなが言う。
「“昔はあった”の正体」
「うん」
みうも頷く。
「何がなくなったのか、ちゃんと見たい」
「若い商人だけじゃなくて、もう少し上の世代にも聞いた方がいいかも」
えれなが言う。
「“前はこうだった”を知ってる人」
「で、誰に聞く?」
ももかが聞く。
「昨日のミナたちでもいいけど」
「今日は、商人本人より“見てきた人”の方がいい」
ジェシカが短く言った。
「見てきた人?」
「長く同じ通りにいるやつ。店主でも、荷運びでも、酒場の親父でも」
るなはそこで、ふと思い出した。
「……ミエルのベルンさんとか」
「お」
ももかが言う。
「菓子店のお父さん」
「うん」
「たしかに。
あの人、守りに入ってたけど、昔のこと知ってそう」
「青鷺布舗のダリオさんも」
みうが言う。
「兄の方」
「うん」
るなが頷く。
「あと、酒場のおっちゃん」
「候補多いね」
ももかが笑う。
「珍しくちゃんと捜査してる感じ」
「“珍しく”はいらない」
えれなが言う。
◆
まず向かったのは、布通りと菓子通りのちょうど間にある、小さな広場だった。
広場といっても、セレストの港広場ほど大きくはない。通りの交差点に少し余白があるくらいの場所だ。中央には古い石の噴水があり、今は水が細く落ちているだけ。周囲には荷を下ろすための台と、立ち話用に使われるらしい木箱がいくつかある。
人は通る。
でも誰も留まらない。
「……ここもだ」
るなが立ち止まる。
「なに」
みうが聞く。
「広場なのに、広場じゃない」
「通路」
ジェシカが言う。
「うん」
るなが頷く。
「ルクレツィア版のそれ」
「王都は重い広場」
えれなが言う。
「セレストは忘れられた広場」
「で、ここは?」
ももかが聞く。
「……“使い方を忘れた広場”かな」
るなが言った。
その言葉に、四人が少し黙る。
たしかにそんな感じだった。
物理的にはちゃんとある。
でも、人が“ここで何かを見る”“ここで何かを競う”“ここで何かを楽しむ”という発想が抜けている。
ただの抜け道。
ただの余白。
「ねえ」
みうが噴水の縁に触れながら言う。
「こういう場所って、昔は何かしてたんじゃないかな」
「うん」
るなが頷く。
「普通にそう思う」
「商都なんだから」
ももかが辺りを見回す。
「絶対、見せるとか売るとかの中心になってた時期ありそう」
「じゃあ、誰かに聞こう」
えれなが言う。
「ちょうど来た」
布の荷を引いた年配の男が、噴水の横を通ろうとしていた。
顔立ちは厳ついが、荷運びに慣れた無駄のない動きだ。五十代後半くらいだろうか。日焼けした首元に、何十年もこの町の通りを見てきた感じがある。
「すみません」
みうが柔らかく声をかける。
「少しだけ聞いてもいいですか」
「なんだ」
男は足を止めた。
「この広場って、前からこんな感じですか?」
「こんな感じ?」
「人は通るけど、あまり留まらないというか」
みうが言う。
「……」
男は少しだけ五人を見てから、鼻を鳴らした。
「王都の娘か」
「わかるんだ」
るなが言う。
「見ればな」
「最近それ多い」
ももかが小さく言う。
「昔は、もっと使ってた」
男は噴水の周りを顎で示した。
「荷の受け渡しも、見世の新作の披露も、ここでやることがあった」
「新作の披露?」
るなが目を上げる。
「ああ」
「どんな」
「どんな、って」
男は少しだけ面倒そうにしながらも、記憶を辿るみたいに視線をずらした。
「季節の菓子とか、新しい布とか、変わった装飾とか。
若い店主が“うち見ろ”って前へ出す場だった」
「……」
「商人も職人も、よくここに物を持ってきた」
「じゃあ」
みうが聞く。
「今は、なんでやらないんですか」
「やる意味がないからだろ」
男は即答した。
その返事の速さに、るなはセレストの“海鳴り祭はやる意味ない”を思い出した。
町が止まっている時、人はだいたい同じ言葉を使う。
「意味がないって」
ももかが聞く。
「売れないから?」
「それもある」
男は言う。
「だが今は、誰かが前へ出ればすぐ他所が値で潰しに来る」
「……」
「新しいものを見せたところで、“で、いくら安くできる”の話になる」
「うわ」
るなが顔をしかめる。
「最悪」
「最悪だ」
男は淡々と答える。
「だから、やらなくなった」
「……」
「昔は違ったんですか」
えれなが静かに聞く。
「昔は、もっと“見せる勝負”だった」
男は少しだけ目を細めた。
「安さだけじゃなく、目新しさ、腕、工夫、並べ方、客の足の止め方。そういうので張り合ってた」
「……」
「今は?」
「今は値と損得ばかりだ」
「……」
るなは、その言葉を聞いた瞬間、昨日のピースがまた一つはまるのを感じた。
見せる勝負。
前向きな競争。
通りに色を出す場。
やっぱり、この町には“そういう場所”があったのだ。
「名前とか、あったの?」
ももかが聞く。
「名前?」
「その、新作見せたり張り合ったりする場」
「……あった」
男は少しだけ間を置いた。
「見本市だ」
五人が同時に顔を上げた。
「見本市」
みうが小さく繰り返す。
「そうだ」
男は頷く。
「ルクレツィアの見本市。年に一度の大きいものもあったし、季節ごとに小さな披露の日もあった」
「……」
「今は?」
るなが聞く。
「ない」
男は短く答えた。
◆
そこから話は、一気に深くなった。
男の名はボルス。若い頃は商人見習い、その後は荷運びと中継管理を長くやってきたらしい。商人にも職人にも顔が利く、いわば“町の裏側を知っている人間”だった。
「見本市って、祭りみたいなもの?」
みうが聞く。
「祭りでもあるな」
ボルスは答える。
「だが、もっと露骨に商売だ」
「露骨」
ももかが言う。
「うん」
ボルスは頷く。
「新作を出す。外から客が来る。職人と商人が組む。若いのが名を売る。
町全体が“今年は何を見せる”でざわつく」
「……」
「めっちゃいいじゃん」
るなが言う。
「昔はな」
「また昔」
ジェシカがぽつりと言う。
「そうだ」
ボルスはあっさり認めた。
「この町、今や“昔は”ばかりだ」
その言い方は、セレストで聞いた言葉とすごく似ていた。
セレストは、海鳴り祭を忘れていた。
ルクレツィアは、見本市を忘れている。
「なんでなくなったの」
るなが聞く。
「一つじゃない」
ボルスは指を折るように言う。
「領主側の管理がきつくなった。
商人同士の不信が強まった。
値の張り合いばかりになった。
若いのが目立つと潰されやすくなった。
それで、“見せるより守る”が先に立った」
「……」
「で、誰も前に出なくなった」
「……」
「見本市なんてやっても、昔ほど盛り上がらない」
ボルスは続ける。
「だったら、やる意味がない。
そうやって、少しずつ消えた」
「……」
みうが小さく息を吐く。
「ルクレツィアも、そうなんだ」
「そう?」
るなが聞き返す。
「“昔の大きいもの”に届かないから、今やる気力まで消えてる」
「……」
「セレストと少し似てる」
「うん」
るなは頷いた。
ただし、決定的に違うのは、こちらは祭りよりもっと“勝負の場”だということだ。
見る。
比べる。
競う。
でも、本来ならそれは前向きだった。
今はその前向きさだけが抜けて、損得の削り合いだけ残っている。
「……ねえ」
ももかが聞く。
「見本市って、どんな感じだったの」
「どんな、ね」
ボルスは少しだけ笑った。
「通りの空気が変わる」
「空気」
「若いのがそわそわする。職人が眠らなくなる。商人が“今年は誰と組む”って動く。
子どもまで“何が出る”って浮かれる」
「……」
「外から来た客も、ただ買うだけじゃない。“今年のルクレツィアは何が面白い”って見に来る」
「うわ」
るなが言う。
「それ、めっちゃ商都っぽい」
「そうだ」
ボルスは頷いた。
「だから、誇りでもあった」
「……」
「今は?」
「今は誰も“見に来い”なんて言えん」
ボルスの声は乾いていた。
「“安いぞ”しか言えなくなった」
その一言で、みんな少し黙った。
それはあまりに、今のルクレツィアをそのまま言い当てていた。
◆
ボルスと別れたあと、五人は噴水の縁へ自然に集まった。
水の落ちる音が、小さく響いている。
でもこの広場は、やっぱり静かすぎる。
「……きたね」
るなが言った。
「うん」
えれなが頷く。
「核」
「見本市」
みうが小さく繰り返す。
「そう」
ジェシカが言う。
「この町が失った“前向きな競争の場”」
「それそれ」
ももかが言う。
「若い商人も職人も、そこで勝負できなくなったから、日常で削り合うだけになってる」
「うん」
るなが頷いた。
「菓子も布も、出したいのに出せない」
「出したところで、“で、いくら安い”にされる」
えれなが言う。
「だから、見せる気力が死ぬ」
「……」
「この町、見本市を忘れてる」
るながぽつりと言った。
その言葉を、自分の中で反芻する。
見本市。
ただのイベントじゃない。
商都ルクレツィアにとって、“競うこと”を前向きに保つための中心だったもの。
それが消えたから、競争が全部後ろ向きになってしまった。
「……でもさ」
ももかが噴水の縁に腰をかける。
「今の町で“昔の見本市復活!”は、絶対無理だよね」
「無理」
えれなが即答する。
「たぶん一番だめ」
「だよね」
「“昔ほどじゃない”を全員で確認する地獄になる」
ジェシカが言った。
「うわ」
るなが顔をしかめる。
「言い方えぐいけど、ほんとそれ」
「だから」
みうが静かに言う。
「また、同じなんだと思う」
「同じ?」
「セレストと」
みうは噴水の水面を見る。
「昔の大きいものをそのまま戻すんじゃなくて、今の町ができる形を探す」
「……」
「今のルクレツィア版、だね」
ももかが言う。
「うん」
「見本市そのものじゃなくて、“見せる勝負”を少し戻す場」
えれなが整理する。
「それ」
るなが指をさす。
「それだ」
「最近、“それだ”が多い」
ももかが笑う。
「だって本当にそれなんだもん」
ジェシカが通りを見ながら言った。
「今はまだ、名前だけ」
「見本市?」
「うん」
「でも、たぶんここから」
るなが言う。
「そう」
ジェシカが短く返す。
広場の向こうを、若い売り子が急ぎ足で横切っていく。
小脇に抱えた布。疲れた顔。
でも、その後ろにある店先には、きれいなものがちゃんと並んでいる。
ルクレツィアはまだ華やかだ。
でもその華やかさを、自分たちで楽しめなくなっている。
だからこそ。
「……よし」
るなが小さく言う。
「なに」
えれなが聞く。
「次は、“今の見本市って何ならできるか”考える」
「早い」
「でも、そこ行くしかない」
「うん」
みうも頷く。
「私もそう思う」
「まだ反発も大きいだろうけど」
えれなが言う。
「今の段階では、まず若い人たちからだね」
「リゼとかニコとか、ミナたちとか」
ももかが数える。
「うん」
るなが答える。
「この町、“やりたいけど出せない”人がもう見えてるし」
風が通りを抜ける。
色布が揺れ、噴水の水面がわずかに揺れる。
昔はここにも、もっと人が立ち止まり、誰かの新作に目を輝かせる時間があったのだろう。
今はまだない。
でも、その“なかった場所”の輪郭は、ようやく見えた。
見本市。
それはたぶん、この町の次の鍵だ。




