第39話 若い商人たち、売るより先に削り合ってる
ルクレツィアの夜は、見た目だけなら賑やかだった。
通りには灯りが点り、酒場の看板は明るく、香辛料と焼いた肉の匂いが風に混ざる。昼より人通りも増えているし、笑い声らしきものも聞こえる。王都よりずっと派手だし、セレストよりも音がある。
なのに。
「……やっぱ楽しくないんだよなあ」
るなが酒場の前で立ち止まりながら言った。
「その感想、毎回けっこうひどい」
えれなが言う。
「いや、でも」
るなは看板の下に集まる男たちを見る。
「騒いでるのに、なんかずっと尖ってない?」
「うん」
みうも小さく頷く。
「笑ってる人もいるけど、肩が下りてない」
「戦闘中の飲み会みたい」
ももかが言う。
「その例えはあんまり飲み会に行きたくなくなる」
「でも近い」
ジェシカが短く言った。
昼間、《ミエル菓子店》のリゼと、布店《青鷺布舗》のダリオとニコから聞いた話は、るなの中でまだ熱を持っていた。
新しいものを出したい。
見た人が立ち止まるものを作りたい。
でも、今のルクレツィアではそれを前へ出しにくい。
じゃあ、その“出しにくさ”はどこから来るのか。
職人側だけじゃない。
売る側、つまり商人たちの空気も見ないといけない。
「ここ?」
ももかが酒場兼食堂の扉を見上げる。
「若い商人たち、いるかな」
「いるって聞いた」
えれなが言う。
「夕方以降、この辺の若い店主や見習い商人が集まりやすいって」
「じゃあ、行くか」
るなが扉に手をかける。
「ちょっと待って」
みうが言う。
「最初から飛ばしすぎないようにね」
「わかってるって」
「今の返事、五割くらい不安」
「下がった」
ももかが笑う。
「でも、うちらが最初から静かすぎるのも変じゃない?」
るなが言う。
「そこは私が調整する」
えれなが即答した。
「助かる」
「当然」
◆
中は、想像していたより広かった。
木の長机が並び、壁には酒樽。奥の方では簡単な煮込みと焼き肉の匂いがしている。客は多すぎないが少なくもない。旅人風より、町の人間が仕事帰りに寄っている空気だ。
その中でも、入口から少し離れた場所にいる一団が目についた。
年の頃は二十代前半から三十前後。服装は派手ではないが、どこか商人らしい小綺麗さがある。指先や腕には帳簿仕事の癖、店先に立つ者の立ち方が残っている。
ただし、その顔にはあまり余裕がない。
「……あそこ」
ジェシカが目線だけで示した。
「うん」
るなが頷く。
「めっちゃ“若手商人たち”っぽい」
「なんとなくわかるのすごいね」
みうが小声で言う。
「空気が“隣に負けたくない”って感じする」
るなが答える。
「その解像度が雑に高い」
えれなが言う。
席へ着く前に、店の主人らしき男がやってきた。
「何にする」
「軽いものと、飲み物」
えれなが素早く答える。
「あと、あっちの人たちってよく来る?」
さりげなく聞くと、店主はちらりと若手商人たちを見る。
「来るよ」
「商人さん?」
「見りゃわかるだろ」
「まあ」
るなが苦笑する。
「ちょっと話しかけても平気かな」
「平気かどうかは知らん」
店主は肩をすくめた。
「機嫌がいい日ならな」
「今日は?」
「半分悪い」
「また半分」
ももかが小さく言う。
料理が来るまで少し様子を見ていると、若手商人たちの会話の端が耳に入った。
「だから、あそこがまた値を下げたら、こっちも合わせるしかないだろ」
「合わせたところで儲けが消える」
「消えても客が流れるよりましだ」
「まし、で店続くか?」
「続かねえよ、でも今さら止められるか」
るなは思わず小さく眉をひそめた。
「……うわ」
「だいぶ来てるね」
みうが小声で言う。
「うん」
えれなも頷く。
「これ、かなりそのまま」
「売る話なのに、全然楽しそうじゃない」
ももかが言う。
「戦略会議っていうより消耗会議」
ジェシカが言った。
るなは、そこで立ち上がった。
「行く」
「早い」
えれなが言う。
「いや、今しかなくない?」
「せめて一言考えてから」
「うん」
「ほんとに?」
「……行きながら考える」
「最悪」
「でも止めても行くでしょ」
ももかが言う。
「行く」
「じゃあついてく」
「みんな止める気ないじゃん」
「だって面白いし」
「面白いって言うな」
◆
「こんにちはー」
るなが声をかけると、若手商人たちの会話がぴたりと止まった。
テーブルにいたのは四人。
一人は髪をきっちり撫でつけた細身の男。
一人は背の高い女商人。
あと二人は年若い見習いか、店を継ぎ始めたばかりという感じだ。
四人とも露骨に「誰だ」という顔をした。
「……」
「誰」
細身の男が言う。
「王都から来たギャル五人」
ももかが言う。
「自己紹介として最悪」
えれなが即座に小声で返す。
「いやでも、だいたいそうじゃん」
「そうだけど」
るなは少し笑って言い直した。
「王都から来てる。今ルクレツィアを見て回ってる」
「見て回る?」
女商人が眉を上げる。
「観光かい」
「そう見える?」
るなが逆に聞く。
「見えない」
女商人は即答した。
「だから聞いてる」
警戒はされている。
でも、完全に追い払うほどではない。
それだけでもルクレツィアらしい。敵意より先に“損か得か”を測っている感じだ。
「少し話、聞きたい」
えれなが前へ出る。
「何の?」
細身の男が言う。
「商売のこと」
「は?」
「値下げ競争のこと、客足のこと、隣の店との関係」
「……」
「あと、“毎日どんな顔で店に立ってるか”」
ジェシカが静かに足した。
四人が、一瞬黙る。
「……変なこと聞くな」
年若い方の男が言う。
「変なこと聞くために来てるから」
るなが答える。
「堂々とすんな」
「そこはもう性格」
女商人が、ふっと息を吐いた。
「まあいい」
「え」
みうが少し驚く。
「どうせうちらも今、似たような愚痴しか言ってなかったし」
「ありがたい」
えれなが言う。
「私はミナ」
女商人が名乗る。
「こっちはセルト、こっちはラウル、こっちはフィオ」
順に視線で示す。
「で、王都のギャルたちは?」
「るな」
「ももか」
「みう」
「えれな」
「ジェシカ」
「……ほんとにギャルなんだな」
ラウルが言った。
「そこに驚く?」
ももかが言う。
「見た目と王都からって情報だけで、もっと別の何か想像してた」
「何」
「わからんけど、もっと怖いの」
「それはちょっと傷つく」
「でも、半分は合ってるかも」
ジェシカが言う。
「ジェシ」
るなが振り向く。
「否定して」
そのやり取りに、ミナが小さく笑った。
ほんの小さな笑いだった。
でも、それがこのテーブルで最初に出た“値段でも損得でもない笑い”だった。
◆
るなたちは、若手商人たちのテーブルへ半ば混ざる形になった。
最初のうちは探り合いだったが、酒場という場所もあってか、少しずつ本音がこぼれ始める。
「何が一番しんどい?」
るなが聞く。
ミナが即答した。
「毎日、隣の店を見なきゃいけないこと」
「……」
「え」
みうが少し驚く。
「客じゃなくて?」
「客も見る」
ミナは言う。
「でも、まず隣」
「なんで」
「値」
セルトが低く言う。
「あそこが下げたら、こっちも下げるしかない」
「下げないと客が流れる」
フィオが続ける。
「でも、下げたら利益が飛ぶ」
「飛んでも、客がゼロになるよりマシ」
ラウルが言った。
「……」
「いや」
るなが顔をしかめる。
「めっちゃしんど」
「だろ」
ミナが苦く笑う。
「でも毎日それ」
「それって」
えれなが静かに言う。
「誰も得してなくない?」
「してないよ」
セルトが即答した。
「でも止められない」
「なんで?」
ももかが聞く。
「自分だけ止めたら負けるから」
ラウルが吐き捨てるように言う。
「……」
「“隣も下げてるならこっちも”って流れになる」
「値下げ競争」
みうが小さく繰り返す。
「うん」
「でも、それって」
るなが言う。
「売ってるっていうより、毎日“負けないために立ってる”だけじゃない?」
「……」
四人が少し黙る。
ミナが、先に目を逸らした。
「そうだよ」
低い声。
「売ってるんじゃなくて、落ちないために店開けてる」
「……」
「今日一日だけで見たら赤字でも、客を切らすよりまし。
そういうことの積み重ね」
「きつ」
ももかが本気で言う。
「それ、商売っていうより消耗戦じゃん」
「その通り」
ジェシカが言った。
「競争してるんじゃなくて、削り合ってる」
「……」
「そこまで言われると腹立つけど」
セルトが言う。
「否定もできない」
「できないんだ」
るなが言う。
「できるなら、こんな顔してない」
ミナが返した。
その言葉に、るなは少しだけ息を呑む。
やっぱり、この町の人たちは自分の状態をわかっている。
わかったうえで、抜け出し方が見えないのだ。
◆
えれなが、少し身体を乗り出した。
「商人ギルドは?」
「は?」
フィオが聞き返す。
「まとめないの?」
「まとめる、ね」
ミナが苦い顔をする。
「言うだけなら簡単」
「でも?」
「上は上で、“自由競争の結果だ”とか、“各店が工夫しろ”とか言う」
「……」
「いや、間違ってはないよ」
セルトが言う。
「工夫は必要だ」
「でも今のルクレツィアって」
えれなが言う。
「工夫する余裕がある空気じゃない」
「そう」
ミナが強く頷いた。
「新しいこと試して失敗したら、その分だけ隣に食われる」
「だから、無難に寄る」
ジェシカが言う。
「うん」
「菓子店もそうだった」
みうが言う。
「布店も」
るなも続ける。
「全部“本当はもっと出したいものあるけど、今の町じゃ危ない”だった」
「……」
「あるよ」
ラウルがぽつりと言う。
「本当は、もっと派手なことしたい店も」
「新しい客向けに変えたいって話もある」
フィオが言う。
「でも、最初に失敗したやつが笑われる」
「しかも、領主側の視察もある」
ミナが続ける。
「妙に目立つと、“何をしてる”ってなる」
「うわー」
ももかが顔をしかめる。
「だいぶ息苦しい」
「だろ」
ミナが返す。
「見た目だけなら華やかだけどね」
るなはそこで、思わず言った。
「この町、誰も勝ってなくない?」
「……」
四人がまた黙る。
「だって」
るなは続ける。
「隣に勝ちたい、客取られたくない、値で負けたくない、ってやってるのに、町全体ではどんどん苦しくなってる」
「……」
「じゃあ、個々では“負けたくない”で動いてるのに、全体では全員負けてるじゃん」
「……」
「るな」
えれなが小さく言う。
「今の、かなり刺さったと思う」
「いや、だってほんとに」
「ほんとだよ」
ミナが先に認めた。
その声は、怒っていなかった。
むしろ、ずっと言いたくなかった事実を、他人の口から言われてしまったみたいな疲れがあった。
「誰も勝ってない」
ミナは自分で繰り返す。
「……そう」
「でも、じゃあどうすんの」
ラウルが言う。
「いきなり仲良くしろって?」
「それは無理」
ももかが即答する。
「え」
「いや、だって」
ももかは肩をすくめる。
「商売って別に仲良しごっこじゃないじゃん」
「……」
「でも、“隣が死ねば自分が生きる”で回してるの、普通に最悪」
「雑だけど合ってる」
ジェシカが言った。
「そこを、もう少し前向きに競えないのかなって話」
みうが言う。
「前向き?」
フィオが聞き返す。
「うん」
「それ、どういう」
「“あの店いいな、悔しい、でも自分ももっとよくしよう”って方向」
みうはやわらかく言った。
「今はたぶん、“あの店が落ちろ”の方向に寄りすぎてる」
「……」
ミナが少しだけ目を細める。
「それ、理想論っぽいのに、妙にわかるのが腹立つね」
「理想論、ではある」
えれなが言う。
「でも、町ごと沈むよりまし」
「うん」
るなが頷く。
「このままじゃルクレツィア、華やかな顔して全員で息苦しくなってくだけじゃん」
◆
しばらくして、酒場の主人が追加の飲み物を持ってきた。
「今日は珍しく静かだな」
主人がミナたちを見る。
「いつもなら、もっと値の愚痴で荒れてるだろ」
「今日は外から変なのが混ざってるから」
ミナが言う。
「それ、うちら?」
るなが聞く。
「他にいるか」
「たしかに」
主人は少しだけ笑うと、るなたちへ視線を向けた。
「お前ら、王都から来たやつだろ」
「うん」
るなが答える。
「商都見物?」
「半分」
「もう半分は」
「空気の見物」
るなが言う。
主人は一瞬黙ってから、肩を揺らした。
「なるほど。変なやつらだ」
「よく言われる」
ももかが言う。
「でも、今の町は見てておもろいもんじゃないぞ」
「うん」
るなが頷く。
「だから見てる」
「……」
「見て、どうする」
「まだわかんない」
るなは正直に言った。
「でも、“誰も勝ってない”のは嫌だなって思った」
「……」
「それで十分かもな」
主人はそれだけ言って去っていった。
その後、話は少しずつ別の方向にも広がった。
“昔はもっと店ごとに色があった”こと。
“若い職人と組んで面白いものを出す日”があったこと。
“見に来るだけでも楽しい通り”が、今よりずっと強かったこと。
るなはそれを聞きながら、昨日までのピースが繋がっていくのを感じていた。
リゼの菓子。
ニコの布。
若い商人たちの疲れ。
領主側の視線。
値下げ競争。
そして、“昔はもっと店ごとに色があった”という記憶。
この町は、商品の質を失ったわけじゃない。
競争そのものが悪いわけでもない。
失ったのは、たぶん“前向きな勝負の場”なんだ。
「……ねえ」
るなが言う。
「なに」
ミナが見る。
「この町、前は“見せるための競争”してたんじゃない?」
「……」
ミナは少しだけ目を細めた。
「どういう意味」
「今は“削るための競争”じゃん」
るなが答える。
「でも前は、たぶん“見せるための勝負”があった」
「……」
「客に“こっち見て”って言える空気」
「……」
「それがなくなって、“隣に負けないための消耗”だけ残った」
「……」
セルトが、そこで初めてゆっくり頷いた。
「それ、近いかもな」
「うん」
フィオも言う。
「昔は、“うちの新作見たか”って張り合い方だった」
「今は、“あそこより下げたか”しかない」
ミナが苦く笑う。
「そりゃ、つまらん町になるわけだ」
その一言が、酒場の空気を少しだけ変えた。
愚痴でも、諦めでもない。
“そうだったのかもしれない”という確認の空気。
るなはその変化を感じながら、胸の中で小さく思った。
見えてきた。
この町に必要なのは、たぶん“競争をなくすこと”じゃない。
競争の向きを前へ戻すことだ。
そのために必要な“場”が、きっとあるはずだ。
「……ありがとう」
るなが立ち上がりながら言う。
「何が」
ミナが聞く。
「だいぶ見えてきた」
「見えてきた?」
「うん」
るなは少し笑う。
「この町、どこが詰まってるか」
「そりゃよかった」
ミナは肩をすくめる。
「でも、見えたところで簡単には動かないよ」
「うん」
るなは頷いた。
「それもわかってる」
「ならいい」
「でも」
みうがやわらかく言う。
「また話聞かせてください」
「……」
ミナは少し黙ってから言った。
「気が向いたら」
「半分OKだね」
ももかが言う。
「便利な言い方するな」
「でも合ってる」
◆
酒場を出ると、夜風が少しだけ冷たかった。
ルクレツィアの通りはまだ灯りがきれいだ。
でも、その灯りの下で、るなたちの中にはもっとはっきりした輪郭ができ始めていた。
「……きた」
るなが言う。
「なに」
ももかが聞く。
「この町、何が悪いのか」
「うん」
えれなが頷く。
「だいぶ言葉になった」
「“売るより先に削り合ってる”だね」
みうが静かに言う。
「それ」
るなが指をさす。
「まさに」
「競争してるんじゃなくて消耗してる」
ジェシカが補足する。
「そして、誰も勝ってない」
「……」
「それ、普通にしんどい」
ももかが言う。
「うん」
るなも答えた。
「だからたぶん、この町に必要なのは“仲良くしよう”じゃない」
「うん」
えれなが言う。
「“前向きな勝負”を戻すこと」
「それ」
ジェシカが短く言った。
灯りの多い通りを歩きながら、るなたちは次の一歩をぼんやりと感じ始めていた。
ルクレツィアは、まだ華やかな顔をしている。
でも、その奥では若い商人たちが削り合い、職人たちが夢を飲み込み、売り子たちが仕事顔のまま笑っている。
その空気を変えるには、きっと“見せるための場”が必要だ。
まだ名前はない。
でも、その気配は、もうすぐ手が届くところまで来ていた。




