第3話 王妃さま、ギャルに興味津々
異世界の夜は、思っていたより静かだった。
るなは、やたらふかふかなベッドの上で仰向けになりながら、天井を見つめていた。
広い。高い。白い。知らん。
今日だけで何回この感想を抱いたか分からない。大聖堂の天井も知らなかったし、王城の廊下も知らなかったし、この寝室の天井も当然知らない。知らないものしかない一日だった。
なのに、身体はもうどっと疲れている。
あれだけ騒いでいたももかは、隣の部屋との境になっている扉の向こうでまだ何か喋っているらしく、ときどき「やばくない?」だの「いやでも王女さま可愛かったし」だの声が漏れてくる。えれなの「もう少し静かにして」という低いツッコミも混じる。みうはたぶんスキンケアの代用品になるものを真剣に探している。ジェシカは静かだが、静かな時ほど考えていることが多い。
るなはごろりと寝返りを打った。
ベッド脇の窓は大きく、そこから見える夜空は、日本で見ていたものより少しだけ星が近い気がした。気がするだけかもしれない。さすがにそこまで分からない。でも、夜の濃さが違う。車の音も、遠くのアナウンスも、マンションの生活音もない。ただ、城の外からかすかに風の音がするくらいだ。
「……ほんとに異世界なんだ」
言葉にしてみると、やっと少し現実味が出る。
その時、扉が軽く叩かれた。
「るな、起きてる?」
えれなだ。
「起きてるー」
返事をすると、隣室から繋がる内扉が少しだけ開いた。えれなが顔だけ覗かせる。髪をほどいた姿は昼間より少しだけ年相応に見えたが、表情は相変わらずしっかりしている。
「寝れそう?」
「無理」
「だと思った」
「えれなも?」
「無理」
「だよね」
えれなは部屋へ入ってきて、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。勝手知ったる感じで座るが、椅子の細工がいちいち豪華なのでちょっと面白い。
「ももかは?」
「騒ぎ疲れて急に黙った。多分寝る前に一回不安になってる」
「みうは?」
「知らない瓶の匂い嗅いで“これは違う”ってなってる」
「ジェシは?」
「窓見てる」
「っぽい」
二人で小さく笑う。
笑ったあと、少しだけ沈黙が落ちた。
えれなが指先で肘掛けを軽く叩きながら言う。
「……怒ってる?」
「何に」
「全部に」
るなは天井を見たまま、少し考えた。
「怒ってるよ」
「だよね」
「勝手に呼ばれたし。帰れるか分かんないし。いきなり王とか出てくるし。意味わかんないし」
「うん」
「でも、なんか……単純にキレるのも違う感じしてきた」
「それも分かる」
えれなの声は落ち着いている。
「王、ちゃんと疲れてたから」
「うん」
「嘘ついてる感じじゃなかった」
「うん」
るなはようやくえれなの方を見た。
「えれな、なんでも分かるみたいに言うのちょっとムカつく」
「何それ」
「でも助かる」
「それは素直に受け取っとく」
また少し笑う。
その時、今度は部屋の外の扉が叩かれた。
るなとえれなが同時に顔を上げる。
夜だ。もう遅い。しかもここは王城。普通に怖い。
「……誰」
るなが思わず低い声で訊くと、扉の向こうから返ってきたのは、昼間に何度も聞いた女官の声だった。
「お休み前に失礼いたします。王妃殿下が、少しだけ皆さまにお会いしたいとおっしゃっております」
「え」
「今!?」
えれなが素で返した。
扉越しに、女官が少しだけ間を置く。
「はい。ご迷惑でなければ、と」
「そんなことある?」
「王妃さま自由じゃない?」
「いや自由っていうか、そんな夜に来る?」
るなとえれなが顔を見合わせる。
正直、断れる空気ではない。でも、昼間の王妃の雰囲気を思い出すと、命令というより本当に「少し話したい」だけにも思えた。
「みんな起きてます」
えれなが返す。
「なら、応接用の小間へお越しいただけますか。王妃殿下がお待ちです」
「はい……」
足音が遠ざかっていく。
るなはベッドから起き上がり、髪を手ぐしで整えた。
「王妃さま、行動力えぐ」
「王様よりよっぽど読めないかも」
「でも、なんか嫌な感じしない」
「それはそう」
◆
五人が集められた小さな応接室は、昼間に通された部屋よりずっと私的な空気を持っていた。
王のいる部屋が「仕事の場」だとしたら、こちらは「人が休む場所」だ。明かりは柔らかく、ソファは低めで、花の香りも少し甘い。窓際には夜風を避けるための厚い布が引かれ、壁には小さな絵が何枚か飾られている。重たさより、落ち着きが先に来る空間だ。
そこに、王妃セレフィーナはひとりで座っていた。
護衛も、女官もいない。いや、外にはいるのだろうが、この部屋の中にはいない。王妃は淡い藤色の室内着に身を包み、髪も少しだけ緩く下ろしていた。昼間の完璧な王妃然とした姿より、ずっと近い距離の人に見える。見えるのに、やっぱり気品は隠れない。
「夜分にごめんなさいね」
王妃は五人を見ると、やわらかく微笑んだ。
「え、いえ」
なぜか全員、少し姿勢がよくなる。
「昼間はあまりにも慌ただしかったでしょう。ちゃんとお話しできなかったものですから」
そう言われると、たしかにそうだ。昼間は王、大聖堂、召喚、説明、魔族、帰れないかも、で情報量が多すぎた。王妃とちゃんと会話したのはほんの少しだけである。
「座ってくださいな」
促されて、五人はソファへ腰を下ろした。るなとももかが並び、その隣にみう、少し離れてえれな、最後にジェシカ。いつもの自然な配置だ。
王妃はその並びを見て、少しだけ目を細めた。
「本当に仲がいいのですね」
「まあ、はい」
るなが答える。
「腐れ縁っていうか」
「るな、その言い方どうなの」
「え、でもそうじゃん」
「違わないけど、もうちょい言い方あるでしょ」
「仲良しでーす」
ももかが明るく言い切った。
王妃がくすりと笑う。
「ええ、そう見えます」
その笑い方が、なんだかすごく自然で、五人の肩から力が少し抜けた。
「まずは、改めて。ようこそアストレアへ、と申し上げるのは少し酷かもしれませんね」
「いや、それはまあ……ちょっと」
えれなが慎重に返す。
「そうですね」
王妃は頷いた。
「本来なら歓迎とは、相手が自分の意思で訪れた時に使うものですもの」
その言い方に、るなは少しだけ意外さを覚えた。
王妃は、ちゃんと分かっているのだ。自分たちが“客人”という綺麗な言葉だけでは済まない立場にいることを。
「……怒ってます?」
ももかがぽろっと訊いた。
「誰が?」
「その、うちらに。急に呼ばれたのに、文句ばっか言ってるから」
王妃は、少しだけ驚いたように目を開き、それから首を横に振った。
「いいえ」
「ほんとに?」
「ええ。あなたたちが怒るのは当然です」
「……」
言い切られると、逆に戸惑う。
王妃は続けた。
「むしろ、怒って当然のことに怒れるのは健全ですわ。宮廷に長くおりますと、怒るべきことにすら黙る者ばかりになりますから」
「それ、だいぶ重くない?」
るなが思わず言う。
「ええ、重いのです」
王妃は穏やかに答えた。
部屋の空気が少し変わる。
ただ優しいだけの人ではない。この人もたぶん、いろんなものを見てきて、飲み込んできて、そのうえで今ここにいる。
ジェシカが、そこで静かに口を開いた。
「王妃さま、昼間からずっと落ち着いてたよね」
「そうかしら」
「普通、もっと引くでしょ。召喚陣からギャル五人出てきたら」
「ギャル、というのは皆さんの呼び名でしたわね」
「そう」
「そうですね……たしかに少し驚きはしました」
少し、ではないだろう。絶対に。
でも王妃は、軽く笑って続けた。
「けれど、驚いたからといって拒む必要もありませんもの」
「普通に名言なんだけど」
ももかが感心したように呟く。
王妃はそのまま五人を見た。
「あなたたちは、あの場でとてもよく喋っていました」
「いやそれ悪口?」
るなが反射で返す。
「いいえ」
即答だった。
「私は、少し羨ましかったのです」
さすがに全員が黙った。
「……羨ましい?」
みうが小さく繰り返す。
「ええ。怖くても、分からなくても、まず声に出せること。相手が誰でも、自分の言葉を持っていること。仲間同士で目を見て、すぐに言葉を交わせること」
王妃の声は静かだったが、その中にはほんのわずかな熱があった。
「この城には、そういう空気がずいぶん前から足りていません」
るなはなんとなく、昼間に感じた違和感の正体に触れた気がした。
静かすぎるのだ、この城は。
広くて立派で、綺麗で、すべて整っているのに、息を潜めている感じがする。人がいるのに、人の気配が薄い。誰も間違えないように、余計なことを言わないように、ずっと肩に力を入れて生きてる感じ。
王妃はそんな城の中で長く生きてきたのだ。
「……王妃さまって、しんどくない?」
るなが思わず訊いた。
えれなが横で目を見開く。ももかも「るな」と小さく言う。みうは固まり、ジェシカだけが無言でるなを見た。
王妃本人は、ほんの少しだけ目を瞬かせたあと、ふっと笑った。
「ええ。とても」
あまりにもあっさり認めたので、今度は五人が固まる番だった。
「でも、そういうものでもあります」
「そういうもんで済ませていいやつ?」
「本来は、あまり良くないのでしょうね」
「でしょうね」
えれなが思わず同意する。
王妃は机の上の茶器へ手を伸ばし、自分で茶を注いだ。侍女を呼ばないのも、たぶん今は“王妃”ではなく“セレフィーナ”として話したいからなのだろう。
「エリシア――娘にも、ずいぶん無理をさせています」
「王女さま」
みうが反応する。
「かわいかった」
ももかが即座に言う。
「ええ、かわいい子です」
王妃の返しが早い。
「そこ認めるんだ」
「母ですもの」
その返答で、部屋の空気が少し和らぐ。
「でもね、あの子はまじめすぎるのです。優しくて、空気を読みすぎて、自分のことを後に回してしまう」
「……っぽい」
るなが頷く。
「ですよね?」
王妃が少しだけ嬉しそうに言う。
「会ったばかりなのに、もう分かるんだ」
「いや、なんか。すごい“ちゃんとしなきゃ”って顔してたから」
「そう。あの子はいつもそうです」
王妃の視線が、少しだけ遠くを見る。
「だから、今日あなたたちに笑った時、私は少しほっとしたのです」
「……」
「この城に来てから、あの子があんなふうに気を抜いた顔をしたのは久しぶりでしたから」
みうとももかが、顔を見合わせる。るなもなんだか照れくさくなった。笑わせようとしたわけではない。ただ普通に騒いでいただけだ。
えれながそこで、一歩慎重に踏み込む。
「王妃さまは、私たちに何を求めてるんですか」
問いは鋭かったが、必要なものでもあった。
王妃は少しだけ目を細めた。
「賢いのですね、えれなさん」
「褒められてる気がしない」
「褒めていますよ」
その上で、王妃は答えた。
「正直に言えば、まだ分かりません。あなたたちが本当にこの世界をどう変えるのか、私にも見えてはいません」
「ですよね」
「ただ」
王妃の視線が五人を順番に見ていく。
「あなたたちがいるだけで、空気が少し変わるのは確かです」
「それ、褒めてる?」
るながまた訊く。
「とても」
「え、そうなんだ」
「城では皆、慎重に、正しく、穏やかにふるまおうとします。けれどそれが行き過ぎると、人は何も言えなくなる。あなたたちはその逆です」
「それはそう」
ジェシカが小さく言う。
「だからこそ、風になるのかもしれません」
風。
その言葉が、るなの胸に少し残った。
王は“英雄”と言った。王妃は“風”と言った。
どっちもピンとこないけど、後者の方がまだ自分たちらしい気がする。
その時、ももかがふと王妃の手元を見て身を乗り出した。
「……え、王妃さま、その爪」
「爪?」
王妃が自分の手元を見る。
「色ほぼのってないのに、形きれいすぎません?」
「ももか!」
えれなが止めるが遅い。
王妃は、怒るどころか不思議そうに首を傾げた。
「形?」
「え、だって見てくださいよ、縦長で超きれい。絶対磨いてるやつじゃないですか」
「……侍女が整えてくれています」
「やっぱり! え、いいなー」
「そこ行くんだ」
るなが笑う。
みうも身を乗り出してしまった。
「ほんとだ、爪の先までちゃんと手入れされてる……」
「みうまで」
「だって気になるもん」
「王妃さま、肌もめっちゃきれいだし」
「ももか静かに」
「でもほんとじゃん!」
王妃は、最初こそ少し驚いていたが、やがて面白そうに自分の手を眺めた。
「宮廷では、褒められることがないところを褒められますね」
「え、だって普通にきれいだし」
「そういうの大事ですよ」
みうが真顔で言う。
「手元ってめちゃくちゃ見られるから」
「そうなの?」
「そうです」
みうはきっぱり断言した。
その真剣さに、ジェシカが肩を揺らして笑う。
「みう、その顔で言うと説得力ある」
「あるでしょ」
「ある」
るなはそのやり取りを見て、なんだか変な気分になった。
昼間、大聖堂で見た王妃は近寄りがたいほど綺麗だった。今目の前にいる王妃ももちろん綺麗だ。でも、こうしてももかやみうが美容の話に食いついていると、急に距離が縮まる。
王妃もまた、その変化を楽しんでいるようだった。
「髪もすごくきれいですよね」
みうが続ける。
「白銀って感じで。どうやって保ってるんですか?」
「そこまで聞く?」
えれなが呆れる。
「気になるじゃん」
「分かる」
ももかが乗る。
「私、みうさんほど詳しくはありませんが、それなりに手はかけています」
「やっぱり」
「あと、侍女たちが優秀です」
「いいなぁ……」
「その“いいなぁ”は、たぶん立場ごとじゃないよね」
ジェシカがぼそっと言う。
「髪だけ」
みうが即答した。
全員が笑う。
王妃も、今度ははっきり笑った。
その笑顔は昼間よりずっと人間くさくて、るなは少し驚いた。王妃って、こんなふうに笑うんだ。
「……王妃さま」
るなが口を開く。
「はい」
「なんか、思ってたより話しやすい」
「それは嬉しいですね」
王妃は少しだけ首を傾げた。
「もっと怖いと思っていました?」
「いや、怖いっていうか、近づきにくいっていうか」
「わかる」
ももかが元気に頷く。
「めっちゃきれいだし、王妃だし、すごい“高い”感じする」
「高い、ですか」
「でも今は普通に話せる」
「それは、あなたたちが普通に話してくれるからでしょう」
その返しに、えれなが少しだけ表情をゆるめた。
「たぶん普通じゃないですけどね、私たち」
「そうかもしれません」
王妃は頷く。
「でも、だからこそ良いのです」
その時、扉の外で小さな気配がした。
五人の誰よりも先に、王妃がそちらへ目を向ける。
「エリシア?」
扉が、ほんの少しだけ開く。
そこからそっと顔を覗かせたのは、やはり王女エリシアだった。寝間着ではないが、昼間より簡素な淡い色のドレス姿。どうやら、部屋の前まで来て帰るか迷っていたらしい。
「も、申し訳ありません、お母さま。まだお話し中でしたか」
「え、王女さま!」
ももかの声がぱっと明るくなる。
「入ってよくない?」
るなが言う。
「るな」
「だって廊下で聞いてる方が気まずくない?」
「その言い方」
エリシアは完全に戸惑っていたが、王妃が優しく頷く。
「よろしければ、あなたもいらっしゃい」
「……はい」
王女がそろそろと入ってくる。昼間よりずっと緊張している。たぶんこっちに。王とか大臣相手より緊張してない? とるなは思った。
エリシアは王妃の隣に腰を下ろしたが、視線は何度も五人の方へ向いていた。いや、厳密にはみうの髪飾りとももかのネイルと、ジェシカの耳元のアクセサリーに向いていた。
ももかがすぐに気づく。
「え、見る?」
「え」
「ネイル。気になってるでしょ」
「い、いえ、その……」
「気になってるやつじゃん」
るなが援護する。
「近くで見ていいよ」
みうもやわらかく言う。
エリシアは助けを求めるように母を見る。王妃は楽しそうに微笑むだけだった。
「……では、お言葉に甘えて」
おそるおそる、王女がももかの隣へ少し身を寄せる。
「うわ、近くで見るともっときれい……」
「でしょ?」
ももかが得意げになる。
「これ自分で?」
「半分はサロン、半分はセルフ」
「さろん?」
「……えっと、そういう、お店」
「ああ……」
エリシアは本当に興味津々だった。指先を見つめる瞳がきらきらしている。るなはそれを見て、昼間よりずっと年相応に見えるな、と思った。
「髪飾りも可愛いです」
今度はみうに向く。
「ありがとう」
「その、ふわっとしていて……お花みたい」
「うれしい」
みうが素直に笑う。
ジェシカが横からぼそりと言った。
「王女さま、可愛いもの好きなんだ」
「……は、はい」
エリシアは少し恥ずかしそうに頷く。
「けれど、あまりそういうことを言う機会がなくて」
「なんで?」
るなが訊く。
「宮廷では、私が身に着けるものはほとんど決まっておりますし……」
「うわ、しんど」
「るな」
「いやでもしんどくない?」
エリシアは驚いたように目を見開いたあと、小さく笑った。
「……少し」
「でしょ」
るながすぐ返す。
「自分で選びたいよね」
「はい」
今度の返事は、昼間より少しだけはっきりしていた。
王妃はその様子を静かに見守っている。
たぶん、こういう時間が欲しかったのだろう。娘が、誰かに気を遣いすぎず、好きなものを好きと言える時間。
「ねえ王女さま」
ももかが身を乗り出す。
「今度、髪とかちょっとアレンジしてみる?」
「えっ」
「ももか」
「いやガチで。絶対似合うもん。今のままでもかわいいけど、ちょっと変えるだけでめちゃくちゃ雰囲気出る」
「それは……」
エリシアが明らかに揺れる。
「でも、許されるでしょうか」
「そこが問題かあ」
「そうだよね」
みうも頷く。
るなは少し考えてから、王妃を見る。
「王妃さま」
「はい」
「王女さま、息詰まってません?」
「るな!」
えれながまた止める。
「いやでも」
「ええ」
王妃が穏やかに答える。
「詰まっています」
そこも認めるのか。
でもエリシアは驚きより、少しだけほっとした顔をした。
「だから、少しずつ変わればいいと思っています」
王妃は娘の肩をそっと撫でる。
「一日で全部は無理でも、あなたが“こうしたい”と言えることが増えていけば、それで十分です」
「お母さま……」
「そして、そのきっかけをくれたのがこの方たちなのだとしたら、私は感謝したいのです」
るなは、なんだかむず痒くなった。
そんな大層なことをしたつもりはない。ただ普通に喋っていただけだ。
でも、この城では、その“普通に喋る”が足りていないのかもしれない。
ジェシカがそこで背もたれに寄りかかったまま、ゆっくり言う。
「王妃さまってさ、たぶん昼間から分かってたよね」
「何をかしら」
「うちらを、ただの失敗作扱いしない方がいいってこと」
部屋が少し静かになる。
王妃はすぐには答えなかった。
代わりに、一度だけ五人全員を見る。
「……失敗かどうかなど、誰にもまだ分かりません」
そして続ける。
「けれど少なくとも、あなたたちが“人を動かす側”であることは、もう分かります」
その言葉は、不思議と重かった。
勇者とか英雄みたいな大仰なものじゃない。でも、ずっと現実的で、だからこそ胸に残る。
「人を動かす……」
るなが小さく繰り返す。
「ええ。良くも悪くも」
王妃は微笑む。
「おそらく、王もいずれそれを理解します」
「いずれって、まだなんだ」
「まだです」
きっぱり。
その断言に、五人そろって少し笑ってしまった。
「王様、めっちゃ困ってたしね」
ももかが言う。
「正直、胃痛やばそう」
るなも頷く。
「それは昔から少し」
王妃がさらっと言って、今度は全員が吹き出した。
エリシアまで笑っている。
その光景を見て、王妃はどこか満足そうだった。
◆
夜も更け、五人が部屋へ戻る頃には、最初に感じていた張り詰めた違和感は少しだけ和らいでいた。
異世界であることは変わらない。帰れるか分からないことも変わらない。魔族がいて、世界が荒れている現実も消えない。
でも、この城の中に、少なくとも自分たちを面白がり、拒絶しない人がいる。
それは思っていた以上に大きかった。
部屋へ戻る途中、ももかが小声で言う。
「王妃さま、好きかも」
「早いな」
えれなが呆れる。
「でも分かる」
みうが頷く。
「なんか、ちゃんと見てくれる感じ」
「うん」
るなも同意した。
「あと強い」
「それ」
ジェシカが短く返す。
「静かなのに強い人」
しばらく歩いたあと、るながぽつりと言った。
「王女さまも、変わったらもっとすごそう」
「わかるー!」
ももかがすぐ乗る。
「絶対伸びる」
「何目線よ」
えれなが言う。
「でも、自分で何か選べるようになったら、雰囲気変わりそう」
みうも柔らかく続けた。
るなは窓の外の夜をちらりと見た。
この世界は暗い。城も、街も、たぶん国ごと。
でも、さっきの小さな部屋ではちゃんと人が笑っていた。
王妃が笑って、王女が笑って、自分たちも笑った。
そんなことが少しずつ増えたら、どうなるんだろう。
まだ何もできるとは思えない。思えないけど、今日みたいに、ちょっと空気が変わることはあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、自分の部屋の前で立ち止まる。
「……ねえ」
るながみんなを見る。
「明日、ちゃんと見よ」
「うん」
えれなが頷く。
「騒ぐだけじゃなくて」
「騒ぐのはやめないけど?」
ももかが言う。
「それはやめなくていい」
るなは笑った。
「でも、ちゃんと見て、それで考えよ」
みうもジェシカも頷く。
たぶんこれが、自分たちなりの決意みたいなものだった。
大げさな誓いじゃない。英雄っぽい言葉でもない。
ただ、目をそらさないと決めるだけ。
それだけでも、この世界では意味があるのかもしれなかった。
知らない天井の下で迎える二度目の夜は、最初の夜よりほんの少しだけ、呼吸がしやすかった。




