第2話 ここどこ? てかアンタら誰?
王城の客室に通されたあとも、天城るなは三回ほど「いや、意味わかんないんだけど」と口にした。
三回どころではないかもしれない。もはや数えるのも面倒なくらい、その言葉は部屋の中を飛び交っていた。
「ねえ、ほんとにさ、なにこれ」
るなは部屋の中央に置かれた長椅子へ勢いよく腰を下ろし、両手を膝に打ちつけた。金の刺繍が入った淡い青のクッションがふわりと沈む。座った瞬間に「うわやわらかっ」と漏れたのは、半ば反射だった。
広い。
まず部屋が広い。
学校の教室半分くらいあるのではないかと思うほど広い。壁は白い石と淡い木目で整えられ、窓には薄いレースのような布と重たげなカーテンが何枚も垂れている。床にはふかふかの敷物。天井からは細工のきれいな照明が下がっていた。ただし電気ではない。中で揺れているのは火に見えるのに、煙も煤も出ていない。部屋の隅には香りのいい花が飾られていて、見たこともない果物と焼き菓子が銀盆に乗っている。
完全に異世界の部屋だった。
夢ならもっと分かりやすくファンタジーしていてほしいのに、妙に生活感があるのが腹立たしい。
「いやでも、ドッキリじゃないのはもう確定でしょ……」
姫野ももかが、部屋の隅に置かれた鏡台を覗き込みながら言った。鏡に映る自分の顔と、その向こうの見慣れない調度品を交互に見て、だんだん本気で青ざめている。さっきまで「やば、王様いた」とか「甲冑えぐ」とか言いながら半分テンションで押し切っていたが、落ち着ける空間に移されたことで逆に現実味が増してきたらしい。
「ここまでやる日本の番組あったら逆に怖いし」
「日本ですらないでしょ、もう」
「言い方」
「事実でしょ」
黒崎えれなが深いため息をついて、壁際に立ったまま腕を組んだ。あの大聖堂からここへ来るまでの間、いちばん人と話していたのは間違いなく彼女だった。廊下に並ぶ甲冑姿の騎士を警戒しつつ、案内役の女官に「この部屋はどこですか」「鍵は外から閉まりますか」「私たちは何人に監視されていますか」と容赦なく確認していた。相手の女性は困ったように微笑みながらも、できる範囲で答えていたが、るなはその横で「えれな、尋問みたい」と思わずにはいられなかった。
でも、その尋問みたいな確認がありがたかったのも事実だ。
勢いで乗り切れることと、確認しなきゃいけないことは別らしい。
「……とりあえず、監禁って感じではなかった」
一ノ瀬ジェシカが窓辺に寄りかかりながら言った。銀がかった長い髪が、差し込む夕暮れ前の光を受けてやわらかく光る。さっきからずっと静かだったが、何も考えていないわけではもちろんない。むしろ五人の中でいちばんよく見ているまである。
「廊下に騎士は立ってる。逃がさないためでもあるし、守るためでもある。たぶん両方」
「それ“安心”にはならないんだけど」
「なるならないで言えば、ならない」
「言い切るなあ……」
るなは頭を抱えるように後ろへ倒れ込み、天井を見上げた。
白い。高い。きれい。知らん。
「ねえ、みう。肌大丈夫? 乾燥とかしてない?」
「いや真っ先にそこ?」
「そこ大事だけど?」
「分かるけど今!?」
白雪みうは窓際ではなく、逆に日差しが届きにくい内側のソファへちょこんと座っていた。さっきから何度も手の甲を見たり、頬に触れたりしている。異世界に飛ばされた衝撃より先に、光の質と空気の乾き方が気になっているらしい。
「だって、空気違くない? なんかちょっと乾いてる気がするんだけど。あと光も、日本の午後っていうよりもっと……強い感じする」
「さっきからずっとそれ言ってる」
「だってほんとにするもん」
「こんな状況でもいつも通りで逆にすごい」
「いつも通りじゃないよ。普通に怖いし。でも怖いからこそ、気になること気にしてないと無理」
その言い方に、るなは少しだけ納得した。
自分もそうだ。意味わかんない、と連呼してるのは、意味わかんないって言い続けてないと、逆に本気で怖くなるからだ。
異世界。
召喚。
魔族。
荒廃した世界。
王。
王妃。
王女。
現実離れした単語が、現実のような顔をして目の前に並んでいる。
笑い飛ばしたい。けど、笑い飛ばせない。
そんな中で、部屋の扉が外から軽く叩かれた。
全員の肩が同時に跳ねる。
「失礼いたします」
大聖堂から案内してきた女官の声だった。柔らかいが、きちんとした響き。えれなが真っ先に扉の方を見る。
「入ります」
返事を待つというより、通告に近い。重厚な木扉がゆっくり開き、女官が一礼して入ってきた。その後ろには二人の侍女と、銀盆を持った使用人。テーブルに温かそうな飲み物や追加の軽食を並べ、また一礼して下がる。動きは静かで、無駄がない。完全に「城の人たち」だった。
「国王陛下が、改めて皆さまへ事情をご説明されるとのことです」
るながソファから半身を起こした。
「え、今?」
「はい。ご準備が整い次第、別室へご案内いたします」
「いや準備って何」
「心の」
「無理でしょ」
思わず出たるなの言葉に、女官は一瞬だけ目を瞬いた。だが笑いはしなかった。ただほんの少し、口元がやわらいだ気がした。
「可能な範囲で構いません」
「その言い方だと、無理なの分かってるじゃん……」
「……恐れながら、はい」
ももかが小さく吹き出した。
えれなが眉をひそめる。
「その説明って、私たちだけ?」
「はい。王妃殿下、王女殿下も同席なさいます」
「騎士とか大臣とかは?」
「必要最小限の方々のみ、と伺っております」
「必要最小限の基準が不安」
「えれな、ほんとそういうとこ」
「大事だから言ってるの」
女官が答えられる範囲を見極めながら言葉を選んでいるのが分かる。たぶんこの人自身も、召喚された五人にどう接していいのか探っている最中なのだろう。
「着替えとか必要?」
るなが聞くと、女官は首を横に振った。
「そのままで問題ない、と陛下より」
「え、いいんだ」
「たぶん“問題しかないけど今はしょうがない”のやつでしょ」
「言い方!」
「でもたぶんそう」
ジェシカが窓から離れ、ゆっくり立ち上がった。
「行くしかないでしょ。ここで逃げても余計めんどい」
「逃げる先もないし」
「だよねえ……」
るなは立ち上がって伸びをした。怖い。怖いけど、立たないともっと怖い。
「じゃ、行こ。えれな、なんかあったらフォローよろしく」
「なんで私が前提でフォロー係なの」
「だって一番ちゃんとしてるし」
「不本意だけど否定できない……」
みうも立ち上がりながらスカートの裾を整え、ももかは「え、王女さままたいるのかな」となぜかそこだけ少しうきうきしていた。ジェシカは最後に窓の外を一度見た。高い城壁の向こうに、灰色がかった街並みが見える。大聖堂に入る前、王城へ運ばれる途中に見えた王都の景色がふと蘇る。
人はいるのに、音が少なかった。
それが妙に引っかかっていた。
◆
案内されたのは、大聖堂ほど荘厳ではないが、それでも十分すぎるほど立派な部屋だった。
長い机ではなく、応接のための円形に近い配置。おそらく「威圧せずに話をするため」なのだろう。高い窓から入る光はやわらかく、壁には見たことのない風景画がいくつか飾られている。香の匂いがほのかに漂い、重苦しさを少し和らげていた。
そこにはすでに王がいた。
国王レオンハルト・アルス・アストレア。
大聖堂で見た時ほどの圧はない。王冠もかぶっていないし、儀式用の重々しい外套もない。濃紺の衣服に身を包んだ姿は、それでもやはり王なのだが、儀式の時より少しだけ人間に見えた。
その右には王妃セレフィーナ。左手側には王女エリシアもいる。王女は相変わらずきちんと背筋を伸ばしていたが、五人が入ってきた瞬間、ほんのわずかに目を丸くした。もしかして本当に、また会えると思っていなかったのかもしれない。
宰相らしき厳しそうな男と、あの騎士団長も控えている。やっぱり必要最小限の定義は人によって違う。
「来たか」
王の声は低く落ち着いていた。怒っているというより、腹を括った人の声だ。
「座るがよい」
「失礼します……?」
「疑問形で座らないでよ、るな」
「だって緊張するし」
用意されていた椅子に五人がそれぞれ腰を下ろす。るなとももかが前のめり、えれなが警戒気味、みうが姿勢を正し、ジェシカは一見だるそうにしながら周囲を見ている。王女はそんな五人の様子をじっと観察していた。
少しの沈黙のあと、王が口を開いた。
「改めて話そう。そなたたちは、我が国が執り行った異界召喚の儀により、この世界へ招かれた」
「その、“招いた”ってやつなんですけど」
えれながすぐに手を上げた。学校か。
でも王は咎めなかった。むしろ、来たか、という顔をした。
「聞きたいことがあるか」
「ありすぎます」
「……だろうな」
「まず、私たちは元の世界に戻れるんですか」
「それが一番大事」
るながすかさず乗っかる。みうとももかも強く頷いた。ジェシカも表情こそ変えないが、視線が王へ向く。
王は数秒、答えを選ぶように沈黙した。
「現時点では、分からぬ」
「うわ最悪」
「るな」
「いやだって最悪でしょ!?」
思わず声が大きくなる。宰相の眉がぴくりと動いた。騎士団長の顔は最初からずっと険しい。だが王妃が静かに手を重ねているのを見て、るなはかろうじて言葉を飲み込んだ。
「……ごめん、でかかった」
「気持ちは分かる」
意外なことに、そう言ったのは王だった。
その一言に、逆にこっちが止まる。
「古文書によれば、召喚に関する記録はあっても、帰還の術については記述が欠けている。あるいは失われたか、秘されているか」
「それ、ほぼ手がかりないってことじゃん」
「今のところは、そうだ」
ももかが「えぇ……」と小さく崩れ落ちそうになる。みうも唇を結んで俯いた。
異世界に来た。
でも、帰れるかは分からない。
想像以上に重い現実が、ようやく言葉になって落ちてくる。
るなは拳を握った。怒りたい相手は目の前にいる。いるのだが、王の顔があまりにも疲れていて、単純に怒鳴りつけることもできない。
「……じゃあ次」
えれなが声を整える。
「私たちはなんで呼ばれたんですか。大聖堂で“英雄”とか言ってましたけど、どう見ても人選ミスじゃないですか」
「そこはほんとそう」
「うちら戦えないし」
「剣とか触ったことないんだけど」
「包丁でも危ないのに」
王の隣で、宰相がいかにも不愉快そうに顔をしかめた。
「……陛下。やはりこの者たちに詳しい国家機密を――」
「リヒャルト」
王が名を呼ぶだけで、宰相は口を閉じた。
王は五人を見た。
「そなたたちを呼んだ理由は、今のこの世界が、もはや通常の手段では立て直せぬところまで来ているからだ」
静かな声だった。
「魔族は強い。ただ強いだけではない。奴らは土地を汚し、物流を断ち、人心を削り、絶望を広げる。戦場で勝つだけでは足りぬ。奪われたものを、戦いのあとに取り戻さねばならぬ。だが我らには、その力が足りなかった」
るなはその言葉に、少しだけ身じろぎした。
ただの「魔王を倒して」じゃない。
さっき大聖堂で聞いた話の続きが、ここで少し具体的になった。
「街も村も、傷ついてるってこと?」
「そうだ」
「……戦うだけじゃダメって?」
「そうだ」
王の返答は迷いがなかった。
「我らが求めたのは“世界を立て直す力”だ。古文書には、異界より来た者は理の外にあり、この世界に停滞した流れを変えると記されている。剣の勇者であるとは限らぬ」
「いや後付けくさくない?」
「るな」
「でも気になるじゃん」
「気になるけど今言わなくていい!」
ももかが小声でつっこみ、なぜか部屋の空気が少しだけ緩んだ。王女がほんのわずかに、笑いそうになったのをるなは見逃さなかった。慌てて無表情に戻ってたけど。
王妃がそこで口を開く。
「実のところ、私たちも、どのような方が現れるかまでは分からなかったのです」
柔らかい声。
「甲冑を着た勇者かもしれない。老賢者かもしれない。聖女かもしれない。あるいは、まったく別の誰かかもしれない」
「で、うちらだった」
「ええ」
王妃はさらりと頷いた。そこに皮肉も失望もない。ただ事実を受け止めている感じだった。
「最初は驚きました」
「そりゃそうでしょ」
「ですが」
王妃の視線が五人を順番に見ていく。
「大聖堂で、あれほどの場で、状況も分からぬまま声を上げ、互いを気にかけ、怯えながらも黙り込まなかったこと。それは、弱さだけではできないことです」
えれなが少しだけ目を伏せる。ももかはきょとんとしている。るなは、まっすぐ褒められると逆に困る。
「……いや、単に騒がしいだけっていうか」
「それもまた、力です」
王妃が真顔で言うので、るなは返事に詰まった。ジェシカが横で小さく鼻で笑う。
「王妃さま、強い」
「でしょう?」
さらりと返した王妃に、ジェシカの口元が少しだけ上がった。
そのやり取りを見ながら、王は話を続けた。
「とはいえ、そなたたちが戸惑うのも当然だ。ゆえに、直ちに“戦え”とは言わぬ。まずはこの世界の現状を知ってもらいたい」
「知るって」
「王都を見てみるがよい。城の外も、兵の顔も、民の暮らしも。そなたたちの目で見たうえで、今後のことは話したい」
るなは眉を上げた。
意外だった。
もっと一方的に「国のために働け」と言われると思っていた。実際、召喚なんて勝手なことをしておいてそれはそれでどうなんだという気持ちはある。でも、この王は少なくとも、完全にこっちを駒扱いしているわけではなさそうだった。
えれなも同じことを考えたのか、慎重に訊いた。
「それ、選ぶ余地があるってことですか」
「……余地、か」
王の眉間に少し皺が寄る。
「正確に言えば、ない。そなたたちは異界より来て、この国の庇護下にある。元の世界へ帰る術を探るにも、王宮の協力が要る。ゆえに無関係ではいられぬ」
「そこは正直」
「だが、余は少なくとも、事情も知らぬまま働かせるつもりはない」
るなはその言葉を聞いて、胸の中に引っかかっていた棘が少しだけ位置を変えた気がした。
抜けたわけじゃない。
でも、最初の怒りだけでぶつかれる相手でもなくなってきた。
「……質問」
今度はみうが、おずおずと手を挙げた。王女エリシアが、その仕草を見てまた少し目を丸くする。王の前でそんな気軽に挙手する人いないのかもしれない。
「なんだ」
「その、王都って……どれくらい危ないんですか」
「危ない、とは」
「外、歩けるのかなって」
「歩けはする」
「日差しは」
「みう、そこ今?」
「いや大事じゃん。外出るなら」
「そこはほんとブレないね」
「ありがと」
ありがたくない。
でも、王は意外にも真面目に答えた。
「王都内部は比較的安全だ。城壁内に魔族が入り込むことは稀である。ただし活気はない。商いも以前ほどではなく、治安も決して万全ではない」
「……活気ないって、どういう感じですか」
るなが聞いた。
王はそこで少し黙った。
答えにくいのではなく、どう言えば正しく伝わるか考えているようだった。
「人はいる。店もある。火も灯る。だが皆、声を抑え、笑わず、先を見ぬ。生き延びるためだけに生きている」
「…………」
部屋の温度が、また少し下がった気がした。
るなは何も言えなかった。
“暗い”という言葉の中にもいろいろある。失恋したとか、テストがだるいとか、空気が重いクラスとか。そういうのとはたぶん違う。もっと根っこの方が沈んでる感じだ。
ジェシカがそこで初めて、少しだけ前へ身体を傾けた。
「その“魔族”って、人間をただ殺して回ってるだけじゃないんでしょ」
「……そうだ」
「街を腐らせるのが上手いタイプ?」
「言葉は悪いが、近い」
王が目を細める。
「兵站を断つ。農地を焼く。井戸を汚す。交易路を襲う。恐怖を植え付ける。奴らは勝つために、人が立ち上がれなくなる状況を作る」
「最悪じゃん」
「最悪だね」
ももかとるなが同時に言った。
ももかは珍しく、いつもの勢いだけじゃない顔をしていた。そういう理不尽が嫌いなのだ。本人はあまり深く考えてないようでいて、泣いてる子とか、明らかに弱ってる人にはめちゃくちゃ弱い。
るなは、王の言葉よりも、その後ろで立っている騎士団長の顔が気になった。
ずっと険しい。けど、その険しさは自分たちへの怒りだけじゃない。もっと長く、別の方向へ向いている疲れも混じっている。
「……ねえ」
ももかが恐る恐る王妃を見た。
「王妃さまって、さっき大聖堂で普通にうちらに話しかけてくれたじゃないですか」
「ええ」
「この国の人、みんなそんな感じってわけじゃないですよね」
「残念ながら」
王妃はきれいに微笑んだ。
「そうではありません」
「ですよねー……」
「けれど、皆が余裕を失っているのです。知らぬものを受け入れるより先に、怖れる。それだけです」
「うちら、怖がられてんだ」
「派手だし」
「そこ?」
「そこも」
えれなが小声で返すと、王女エリシアがとうとう我慢できなかったように、ふっと笑った。
全員の視線がそっちへ向く。
王女は真っ赤になった。
「も、申し訳ありません」
「いや全然」
「今、笑った?」
「え、かわい」
「ももか静かに」
エリシアは戸惑いながらも、小さな声で言った。
「皆さまは、その……見たことのないお姿でしたので」
「でしょ? 爪とか?」
「は、はい。とても……きれいです」
「うわ、めっちゃ見てくれるじゃん」
ももかがぱっと顔を明るくする。さっきまでの重さが一瞬だけ和らいだ。
王はこめかみを押さえたくなったが、実際に押さえたら負けな気がしてやめた。
この娘たちは、空気が沈みきる寸前で自然に別の話を差し込んでくる。意図しているのか素なのか分からないが、結果として場が呼吸を取り戻してしまうのが厄介だった。
「……話を戻す」
王が言うと、ももかが「すみません」と素直に頭を下げた。素直なんだよな、こういう時。
「そなたたちには、明日以降、王都の一部を見てもらう。護衛はつける」
「それ拒否権ある?」
「ない」
「即答」
「だが、窮屈にするつもりもない。案内役は必要だ。危険もある」
「まあ、それはそう」
「騎士団長ガルドが指揮を執る」
「え」
全員が一斉に、後ろに立つガルドを見る。
筋肉の塊みたいな、いかにも堅物そうな男である。最初から今まで、こっちに好意的な気配は一ミリもなかった。
「絶対相性悪いじゃん」
るなが思わず漏らすと、ガルドの眉がひくりと動いた。
「聞こえているぞ」
「わ、すいません。でもたぶん事実です」
「るな!?」
「いやだって!」
「おぬしは黙れないのか」
「そっちも割とすぐ言うじゃん!」
えれなが額を押さえ、ももかは吹き出し、みうはどうしていいか分からず目を泳がせ、ジェシカは「やっぱり」と呟いた。
部屋の空気がまた揺れる。
王妃は完全に楽しんでいる顔だった。王女は笑ってはいけないのに笑いそうで大変そうだ。
王だけが、一人だけ、胃のあたりに鈍い痛みを覚えていた。
だがその一方で、不思議と、重苦しいだけの空気ではなくなっていることにも気づいてしまう。
この数年、王の前では誰もが慎重に言葉を選んだ。兵も大臣も神官も、悪い報告を少しでも和らげようとした。王の顔色を窺い、空気を読み、沈黙を選ぶことが増えた。
目の前の五人は、読まない。
読まないし、黙らない。
それが礼節としてどうなのかは置いておいて、少なくとも、死んだような部屋にはならない。
「……質問は以上か」
王がそう問うと、えれなが手を下ろした。
「今のところは」
「増えたらまた聞きます」
「当然のように言うな」
「当然じゃないですか? こっち何も知らないんで」
「……そうだったな」
王は長く息を吐いた。
るなは、その息が怒りではなく疲労混じりだったことに少しだけ胸がざわついた。
本当に、この人も余裕がないのだ。
召喚なんて大きなことをしておいて何を今さら、という気持ちは消えない。消えないけど、この王もただ偉そうに命じてるだけじゃない。たぶんこの国ごと追い詰められて、最後の最後にこっちへ手を伸ばした。
「……じゃあ最後に、こっちから一個いい?」
るなが言った。
えれなが「ちょっと」と目で止めようとしたが、もう遅い。
王が頷く。
「言ってみよ」
「うちら、勝手に呼ばれたのは普通にムカついてるから」
「るな!?」
「でも言っときたいし」
「……続けよ」
王の声は驚くほど静かだった。
るなはまっすぐ王を見る。
「意味わかんないし、帰れるか分かんないとか最悪だし。でも、さっきの話、嘘じゃなさそうなのも分かる」
「…………」
「だから、明日見に行く。ちゃんと見てから考える」
「るな」
「いいじゃん、そういうので」
ももかが小さく言った。
「見ないと何も分かんないし」
「そうね……」
みうも続く。
「私も、怖いけど……見ないで決めるのは、なんか違う気がする」
「まあ、情報は必要」
えれなは肩をすくめた。
「行くしかないでしょ」
ジェシカが締めるように言った。
五人の意見が、自然にひとつへ寄っていく。
その様子を見て、王妃が静かに頷いた。王女エリシアは、どこかほっとしたように息をつく。
王はその光景をじっと見ていた。
派手で、騒がしくて、礼儀も危うい。だが、五人が互いの言葉を待ち、拾い、まとまっていく様子には、奇妙な安定感があった。
「……よかろう」
王は言った。
「ならば、明日だ。王都の現状をその目で見よ」
そしてほんの一瞬だけ、王の表情に疲れ以外のものが差した。
期待、というにはまだ小さい。
だが諦めだけではない何か。
「本日は休め。そなたたちも混乱していよう」
「それはまあ、はい」
「あと一つ」
王が付け足す。
「城内では極力、騒ぎを起こすな」
「無理では?」
るなが即答した。
「るな!」
「いやだって五人だし」
「五人の問題じゃないから!」
エリシアがついに吹き出した。
今度ははっきりと。
自分でもびっくりしたように両手で口を押さえる。王は娘を見る。エリシアは慌てて姿勢を正したが、もう遅い。部屋の中に、小さいけれど確かな笑いの痕跡が残った。
王妃は目を細めた。
ガルドは信じられないものを見る目をしていた。
宰相リヒャルトに至っては完全に困惑している。
そして五人は、笑われたのが嫌ではなかった。
むしろ、あの王女が笑ったことの方に少し驚いていた。
王は、言うべきことを探した末に、結局こう言うしかなかった。
「……とにかく、ほどほどにしろ」
「善処します」
「一番信用ならぬ返答だな」
「善処はするもん」
「結果は知らんって顔してる」
「えれな、細かい」
そんなやり取りを交わしながら、五人は部屋を辞した。
扉の外へ出て、案内の女官に連れられて廊下を歩き始める。閉じた扉の向こうで、まだ王たちが残っている気配がした。
ももかが最初に息を吐いた。
「……つっっっかれた」
「わかる」
「でも、思ったより怒鳴られなかった」
「王妃さまいたからじゃない?」
「あと王女さま、かわいかった」
「ももかのそこブレないな」
「いやでもマジでかわいくない?」
「分かるけど」
るなは歩きながら、ふと大きな窓の外を見た。
王都の街が、夕方の薄い橙色の中に沈んでいる。
屋根は連なり、人は動いている。けれど、やっぱり何かが足りない。遠くから見ても分かるくらい、元気がない。
「……明日、見るんだよね」
ぽつりと、みうが言った。
「うん」
るなが答える。
「見たら、たぶんもっと分かる」
「嫌なことも?」
「たぶん」
「でも、見なきゃわかんないし」
「そうだね」
ジェシカは窓の外から目を離さないまま、小さく言った。
「この世界、思ってたより静かすぎる」
誰も返せなかった。
るなだけが、胸の奥に妙なざわつきを覚える。
異世界だからとか、王がいたからとか、そういう非現実じゃなくて。
この静けさは、たぶん、よくない静けさだ。
落ち込んだ空気とか、しんどいムードとか、そういうのに近いけど、もっと広い。街全体が深呼吸を忘れてるみたいな感じ。
明日、それを見る。
ちゃんと見たら、たぶんもう「知らん」で済ませにくくなる。
そこまで考えて、るなは首を振った。
「ま、今考えてもしゃーない!」
わざと明るく言うと、ももかがすぐ乗ってくる。
「それそれ! とりあえず今日は寝よ!」
「寝れるかなあ」
「無理かも」
「でも寝ないと肌終わる」
「みう通常運転すぎ」
「通常じゃないよ、むしろギリギリ保ってる」
「わかる」
えれなが少しだけ笑い、ジェシカも肩をすくめた。
五人の声が、静かな城の廊下にやや浮くように響く。
前を歩く女官は一瞬だけ振り返り、困ったように、それでもどこか柔らかな目を向けた。
るなはそれを見て、ほんの少しだけ思う。
たぶん、この城も、この国も、ずっとこんなふうに声が少なかったのだ。
だから、自分たちのガヤガヤが、変に目立つ。
でも。
目立つことが、悪いとも限らない。
その答えは、まだ出ない。
けれど少なくとも、明日この目で見るまでは、逃げるみたいに黙るのは違う気がした。
廊下の先に灯りが伸びている。
知らない城。知らない国。知らない世界。
そのど真ん中で、五人のギャルはまだ、騒ぎながらも前に進いていた。




