第25話 無理って言われると、逆にやりたくなるっしょ
その日の夕方、宿屋《海鳥亭》の食堂には、潮の匂いと焼いた魚の匂いが薄く混ざっていた。
本来ならもっと客の声や皿の触れ合う音で満ちていてもいい場所なのだろう。けれど今、広い食堂にいるのは、るなたち五人と護衛の兵、それに宿の従業員が数人だけだ。
窓の外にはセレストの海が見える。
昼間と同じように綺麗な色をしているのに、その下の町だけがどこか静かすぎる。
港も、魚市場も、宿屋街も、みんな同じ方向に沈んでいた。
そして、その中心にあるのが“忘れたふりをされている祭り”――海鳴り祭。
「……で」
ももかが魚の骨を器用に避けながら言った。
「結局どうする?」
その一言に、五人の視線が自然と集まる。
るなは少しだけスープを飲み込んでから、正面を見た。
「やりたい」
「何を」
えれなが聞く。
「祭り」
「雑」
「いやでも」
るなは身を乗り出す。
「この町に必要なの、たぶんそこじゃん」
「そこ、って」
「町全体が一回同じ方向を見るやつ」
「……」
「市場だけいじってもダメ。宿だけ元気にしてもダメ。子どもたちだけ笑わせても、たぶん足りない」
「それはわかる」
みうが静かに頷く。
「この町、全部つながってる」
「うん」
るなも頷く。
「だから、“町全体でちょっと元気出すきっかけ”がいる」
「それが祭り」
ジェシカが短く言った。
「そう」
るなは即答した。
えれなは腕を組み、少しだけ視線を落とした。
「理屈はわかる」
「お」
ももかが反応する。
「えれなが最初から否定してない」
「最後まで聞きなさい」
えれなが低く言う。
「“理屈は”わかる。でも、それを今のセレストで口にするのは、正直かなり危ない」
「危ない?」
みうが聞き返す。
「うん。だって、あの町の人たちにとって海鳴り祭って、“昔よかった頃の象徴”でしょ」
「……」
「そこに対して、外から来た私たちが簡単に“やろうよ”って言ったら、下手したら一番傷つける」
「……それは」
るなは口をつぐむ。
「わかる」
「でしょ」
えれなは続けた。
「中途半端に触って、もし“やっぱ無理でした”になったら、今度こそほんとに終わった感だけ残る」
「うわ」
ももかが顔をしかめる。
「それはやだ」
「やだ、じゃ済まない」
えれながきっぱり言う。
「だから、やるなら相当慎重に入らないとダメ」
ジェシカが、窓の外の暗くなり始めた海を見ながら言った。
「でも、必要なのも事実」
「うん」
みうが頷く。
「今のセレストって、みんなバラバラに疲れてる感じだもんね」
「そう」
ジェシカは続ける。
「魚市場は魚市場。宿屋は宿屋。港は港。子どもたちはその余波」
「それを一回まとめるもの」
るなが言う。
「祭り」
「たぶんね」
ジェシカは短く答えた。
そこへ、ガルドが低い声で割って入る。
「その“祭り”とやらを、今の段階で軽々しく口にするな」
食堂の空気が少し締まる。
「軽々しくは言ってない」
るなが返す。
「でも考えてる」
「考えるのは勝手だ」
ガルドは言う。
「だが町の者に吹き込むな」
「吹き込むって」
ももかがむっとする。
「悪いことするみたいに言わないでよ」
「結果として同じことになりかねん」
ガルドの言い方は固い。
「祭りは、人も物も金も動かす。今のセレストに最も欠けているものを、最も必要とする行事だ」
「うわ、言い方」
るなが言う。
「でも、つまり一番やりたいけど一番無理ってこと?」
「そうだ」
ガルドは即答した。
食堂に少し沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、意外にもマレーナだった。
厨房の奥から出てきた女将は、皿を置きながらぶっきらぼうに言う。
「団長さんの言う通りだよ」
「マレーナさん」
みうが見る。
「海鳴り祭なんて、今さら口にするだけで白ける連中もいる」
「……」
「“昔みたいにできるわけない”“余裕もねえのに何寝言言ってんだ”ってね」
「それは、まあ」
るなは認めるしかない。
「言いそう」
「言うよ」
マレーナは淡々としていた。
「特に、昔を知ってる連中ほど」
「……」
るなは、その言葉を聞きながらも、胸の奥で別の感覚が膨らむのを止められなかった。
そうだろう。
無理だと言われる。
昔みたいにはできないと言われる。
やる意味ないと切られる。
でも――。
「だからこそ」
るなが口を開く。
えれなが「るな」と少しだけ警戒した声を出す。
「だからこそ、逆に必要なんじゃない?」
「……」
「今のセレストって、“無理だからやらない”を積み重ねてこうなってる感じする」
「るな」
「いや、わかってる。昔と同じは無理だよ」
るなは両手を軽く上げた。
「でも、“昔と同じじゃないと意味ない”って空気の方が、この町止めてる気がする」
「……」
「海鳴り祭って名前を聞くだけで、みんな“昔ほどじゃないから無理”ってなるんでしょ?」
「なるね」
マレーナが返した。
「なら」
るなは身を乗り出す。
「昔の祭りじゃなくて、“今のセレストでできる何か”に変えたら?」
その言葉に、食堂が一瞬だけ静まった。
ももかが先に反応する。
「それ!」
「いや、ちょっと待って」
えれながすぐに止める。
「“それ”って簡単に言うけど」
「でも今の、結構大事じゃない?」
ももかが真顔で言う。
「だって“昔の完全復活”が無理だから止まってるなら、そこずらせばいいってことでしょ」
「……」
「規模ちっちゃくてよくない?」
ももかはさらに続ける。
「魚ちょっと出して、飾りちょっとつけて、子どもたちがちょっと笑って、宿に人がちょっと寄る。それだけでも、今のセレストだと結構でかくない?」
「……」
みうもゆっくり頷く。
「うん。大きい祭りじゃなくて、“この町で今できる祭り”」
「“海鳴り祭”っていう形そのものじゃなくて」
ジェシカが言う。
「“みんなが同じ方向を見る時間”を一回作る」
「それ」
るなが指をさす。
「言いたかったのそれ」
「るな、たまに雑に出して、あとで人が整えるよね」
えれなが本気で言う。
「ひど」
「でも事実」
マレーナは五人を見ていた。
疲れた顔のまま、でもさっきまでとは違う種類の沈黙だった。
「……そんなもんで」
やがて低く言う。
「町が戻るわけじゃない」
「うん」
るなは頷いた。
「戻らないと思う」
「え」
ももかが少し驚く。
「るな?」
「だって“戻る”のが無理なんでしょ」
るなが答える。
「昔のセレストそのままには」
「……」
「だったら、戻すんじゃなくて“今のセレストで前向くきっかけ”作る方が現実的じゃん」
「……」
「いきなり大復活とかじゃなくて、ちっちゃくても、今の町でできる形を一回作る」
その言葉に、えれなが小さく息を吐いた。
「……ほんと、そこで妙に本質踏むのやめて」
「褒めてる?」
「半分は」
「最近それ流行ってるね」
「便利だから」
ガルドは腕を組んだまま五人を見ている。
「仮に、だ」
低い声。
「仮にそういう方向を考えるとしても、誰が乗る」
「それ」
えれながすぐに頷く。
「そこが問題」
「魚市場だけじゃ足りない」
みうが言う。
「宿屋街も、港も、子どもたちも関わってないと意味が薄い」
「しかも“祭り”って言葉に拒否感ある人も多い」
ジェシカが補足する。
「最初からその名前で押したらたぶん反発される」
「うわ、それある」
ももかが言う。
「だったら“祭り復活!”じゃなくて」
るなが考えながら言う。
「“ちっちゃい港の時間”みたいな……」
「ださい」
ジェシカが即答した。
「待って」
るなが傷ついた顔になる。
「今結構頑張ったんだけど」
「ださいけど方向は近い」
えれなが言う。
「“昔の祭り”を掲げるんじゃなくて、“今この町でできる何か”として出す」
「そうそう!」
るながすぐ復活する。
「それ!」
マレーナがふっと、ほんの少しだけ息で笑った。
笑ったというより、呆れ半分の抜け方だ。
でも、それでも、さっきまでより確実に空気が動いていた。
「……お前たち」
マレーナが言う。
「無理って言われると、逆にやりたくなる口かい」
「うん」
るなが即答する。
「そこは迷わないんだ」
ももかが言う。
「でもまあ、そう」
えれなも認める。
「ただし、無茶と無謀の区別はしたい」
「したいけど」
るなが笑う。
「やりたいもんはやりたい」
「るな」
「わかってるって」
「今の返事は全然わかってない」
「でも」
みうがやわらかく言う。
「“無理だからやらない”で止まってるなら、そこをずらすのはありかもしれない」
「うん」
ジェシカも短く頷く。
「最初から祭りそのものじゃなくて、賛成しそうな人から見つける」
「賛成しそうな人?」
ももかが聞く。
「若い漁師」
ジェシカがすぐ答えた。
「あと、子どもたち」
「うん」
みうも頷く。
「それに、宿屋の人」
「なんで宿」
るなが聞く。
「人が来る理由が欲しいから」
みうが答える。
「宿屋がちょっとでも乗ったら、“人が集まる”方へ空気が向く」
「……」
マレーナがその言葉を聞いて、少しだけ視線を逸らした。
ももかが、にやっとする。
「女将さん、もしかして今ちょっと考えた?」
「考えてないよ」
マレーナが即答する。
「早」
「でも、完全否定でもない」
ジェシカが言う。
「お前はほんと嫌なとこ見てるね」
マレーナが言う。
「よく言われる」
ジェシカは平然としていた。
◆
話し込んでいるうちに、夕方の光が食堂の床を長く染め始めていた。
窓の外では、港へ戻る男たちの影が少し伸びている。
宿屋街の通りは相変わらず静かだが、その静けさの中に、五人の会話だけが妙に熱を持っていた。
えれなが最後に整理するように言う。
「今わかってることは三つ」
「はい」
るなが妙に素直に返す。
「一つ、セレストには町全体が同じ方向を見るきっかけが必要」
「うん」
「二つ、海鳴り祭はその象徴だけど、昔のままを復活させるのは無理」
「うん」
「三つ、だから“今のセレストでできる形”を考える必要がある」
「うん」
「で、まだ何も始めてない」
「……うん」
るなはちょっとだけ勢いをなくす。
「そこ大事」
「わかってるって」
「本当に?」
「七割くらい」
「減った」
「正直でよろしい」
ももかが立ち上がり、ぐっと伸びをした。
「でも、なんか久々に“やること見えた感”ない?」
「それはある」
みうが言う。
「魚市場も宿も、海辺の子どもたちも、全部バラバラだったけど」
「祭りの話で一本見えた」
ジェシカが言う。
るなは窓の外の海を見る。
海鳴り祭。
まだ何も決まっていない。
復活させるなんて口にするには早すぎるし、軽すぎる。
でも、この町のど真ん中にある“忘れたふりをしてるもの”がそこだということだけは、もう確かだった。
「……よし」
るなが小さく言う。
「今日はここまで」
「珍しく自制した」
えれなが言う。
「だって今ここで暴走しても意味ないし」
「成長した?」
ももかが聞く。
「たぶん」
「たぶんか」
「でも」
るなは少しだけ笑う。
「無理って言われると、逆にやりたくなるのはほんと」
「それは知ってる」
四人がほぼ同時に言った。
その声が重なって、食堂に小さく笑いが混じる。
マレーナはそれを見て、呆れたように首を振った。
「……変な娘たち」
「知ってる」
るながまた返す。
「でも、悪くない」
マレーナはぼそっとそれだけ言って、厨房の方へ戻っていった。
五人は一瞬黙る。
そして、ももかがにやっと笑う。
「今の、だいぶでかくない?」
「うん」
みうが頷く。
「女将さん、最初より全然違う」
「まだ乗ってないけど、完全に閉じてはない」
ジェシカが言う。
「半開き」
「言い方」
えれなが言う。
「でも近い」
るなは、海の向こうが少しずつ赤く染まっていくのを見ながら、胸の中でそっと思う。
セレストはまだ暗い。
でも、町の真ん中にあるものは見えた。
昔の祭りそのものじゃない。
“今のこの町で、もう一回みんなが同じ方向を見る理由”。
それを作れたら。
この港町は、もう一度少しだけ前を向けるかもしれない。
その手応えみたいなものを、るなは確かに感じ始めていた。




