第17話 次の依頼は、沈んだ港町
レフィア村から戻って三日後、王城の中に流れる空気は、静かなまま少しだけ騒がしくなっていた。
騒がしい、といっても、るなたちの周りだけの話ではない。王城全体が、目に見えないところでざわついている感じだ。廊下を歩く侍女たちの視線、兵士たちのひそひそ声、文官たちが遠くから投げてくる妙に計るような目。以前までの「珍しいものを見ている」空気とは違う。
今はもう、明らかに「何かを起こした連中を見る目」になっていた。
「……ねえ、これ普通に噂広がってるよね」
朝の控え室で、ももかが焼き菓子をつまみながら言った。
「市場の件とか、レフィア村のこととか」
「広がってるでしょ」
えれなが即答する。
「隠しようないし」
「でも、レフィア村のことって、そんなすぐ伝わる?」
みうが首を傾げる。
「村長さんから報せ行ったのかな」
「それもあるだろうし、護衛の兵経由もあるでしょ」
るなが椅子にもたれながら言う。
「あと、こういう城って、なんか知らんけどすぐ広がるじゃん」
「雑な解像度」
えれなが呆れる。
「でもまあ、近い」
「でしょ」
ジェシカは窓の外を見ながら、ぼそりと呟いた。
「噂が広がるのは別にいい」
「え」
ももかが振り向く。
「よくはなくない?」
「内容による」
ジェシカは相変わらず淡々としている。
「問題は、誰がそれをどう使いたいか」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ締まる。
るなは小さく息を吐いた。
そうだ。単に「有名になった」で済む話じゃない。王城の中には、自分たちを面白がっている人もいれば、警戒している人もいる。王妃や王女みたいに好意的な人ばかりじゃないのは、もう肌でわかっていた。
「……なんかめんどくさいね」
ももかが素直に顔をしかめる。
「うん」
みうも頷く。
「でも、避けられない感じはする」
「そりゃ、あんだけ動いたし」
るなが言う。
「市場も、村も、王女さままでちょっと変わったし」
「“ちょっと”で済ませていい?」
えれなが聞く。
「王女が昼の席で自分から発言したの、たぶん城の中じゃかなり大きいわよ」
「それは……たしかに」
るなも認めた。
その時、扉が叩かれた。
いつもの女官だろうと思って「はーい」と返したるなは、入ってきた相手を見て少しだけ背筋を伸ばした。
王宮付きの年配文官だった。何度か王の近くで見かけたことがある。姿勢がやけに良く、顔には必要以上の感情が出ない。いかにも「正式なお呼び出しです」という雰囲気だ。
「国王陛下が、皆さまをお呼びです」
「……今?」
えれなが聞く。
「はい」
文官は一礼する。
「至急ではございませんが、早めにとのことです」
るなたちは顔を見合わせた。
「やな予感」
ももかが小声で言う。
「だいたい当たるやつ」
「行くしかないでしょ」
えれなが立ち上がる。
「またなんかあるんだよ、たぶん」
「うん」
るなも立った。
「しかも“ちょっと呼んだ”感じじゃない」
「その文官さんの圧がね」
みうが小さく言う。
「すごい」
「堅い空気」
ジェシカがまとめた。
◆
通されたのは、これまでの応接室ではなく、やや広めの会議用の間だった。
長机ではないが、円卓でもない。話し合い用に椅子が整然と並び、壁には大きな地図が掛けられている。王都と周辺各地が色分けされ、何本もの線で結ばれていた。第一章でレフィア村の話を聞いた時の部屋に近い空気だが、今回はさらに「王国の話」が前面に出ている。
王レオンハルトはすでに席についていた。
その右手に王妃セレフィーナ。少し後ろに王女エリシアもいる。左側には宰相リヒャルト、騎士団長ガルド、それから文官が二人。神官の姿はない。
王は、五人が入るとすぐに口を開いた。
「来たか」
「はい」
るなが答える。
「何かあったんですか?」
「単刀直入だな」
「回りくどいの苦手なんで」
「知っている」
王はそこで一つ息を吐いた。
その表情は疲れていたが、同時に、何かを決めた人の顔でもあった。
「次の依頼だ」
その一言で、五人の空気がわずかに変わる。
「依頼」
えれなが復唱する。
「また、どこかですか」
「そうだ」
王は地図の一角を指した。
「北東部の港町、セレスト」
るなは地図を見た。位置は分からない。けれど、海沿いの大きな街らしい印がついている。王都から離れているのもなんとなく伝わる。
「港町?」
ももかが言う。
「海ある感じ?」
「ある」
ガルドが答える。
「王国北東部最大の港町だ」
「最大」
みうが少し驚いたように言う。
「じゃあ、かなり大きいところなんですね」
「かつてはな」
王が低く言った。
「今も規模は大きい。だが、物流の停滞と魔族被害の影響で、町全体が沈んでいる」
その言い方に、るなは市場やレフィア村の空気を思い出す。
王の口から「沈んでいる」と出た時、それはもうかなり重いのだ。
「漁は完全には死んでおらぬ」
王は続ける。
「魚も揚がる。船も出る。だが、交易路の不安と人心の萎縮で、港町の活気が失われつつある」
「……」
「商人たちも漁師たちも疲弊しておる。宿屋街も同じだ。王都の市場と似ているが、より広く、深い」
るなはその説明を聞きながら、なんとなく胸の奥がざわつくのを感じた。
王都の市場は“一角”だった。
レフィア村は“小さな村”だった。
でも今度は、港町。
それも王国北東部最大。
規模がひとつ上がっている。
「それで」
えれなが静かに問う。
「私たちに何を」
「視察し、見て、必要なら動いてほしい」
王は正面から答えた。
その言葉は、第一章の頃より一歩進んでいた。
“ただ見てこい”ではない。
“必要なら動いてほしい”。
それは、期待と責任の両方を含む。
ももかが顔をしかめる。
「必要なら、ってまた重いね」
「そうだな」
王は否定しない。
「ゆえに、おぬしたちが安易に受けるべきとも思ってはおらぬ」
「じゃあ何で」
るなが聞く。
「なぜ私たち?」
王は少し黙ってから言った。
「レフィア村の件で、余は一つ確信した」
「確信?」
「おぬしたちは、“空気が死ぬ前の場所”より、“もう死にかけてる空気”に対して敏い」
るなは一瞬、えれなの方を見た。
えれなは小さく眉を動かした。たぶん表現が気になったのだろう。
けれど言いたいことは分かる。
市場の“もったいない”も、村の“張りつめすぎ”も、五人は先に感じた。理屈より前に、肌で違和感を拾ったのだ。
「……それは、まあ」
るなが頷く。
「感じる、かも」
「うむ」
王は続ける。
「そして、おぬしたちはそれをただ嫌がるだけでなく、動かそうとする」
「止められてもね」
ジェシカが言う。
「おぬしも止めた側だろう」
ガルドが低く返す。
「でも今は?」
ジェシカが視線だけ向ける。
「……」
ガルドは一瞬黙り、それから小さく息を吐いた。
「必要であれば、今回は止めん」
ももかが小さく口を開ける。
「え、今それ、ほぼ協力宣言では」
「過大解釈だ」
「でもだいぶ前進」
みうが言う。
「うん」
るなも頷いた。
そのやり取りを見ていたリヒャルトが、やや厳しい口調で言う。
「陛下、私はなお慎重であるべきと申し上げます」
部屋の空気が少し張る。
「地方都市にまでこの者たちを自由に出せば、宮廷内の反発はさらに強まります」
「反発」
ももかが小さく言う。
「そっちか……」
「既に一部の貴族たちは、“異界の娘たちを好きにさせすぎている”と不満を表明しております」
リヒャルトは淡々としていた。
「王都の市場、兵、村、王女殿下。短期間で影響を及ぼしすぎている」
「影響を及ぼしすぎ」
るなが繰り返す。
「なんか悪口っぽい」
「悪口ではない。懸念だ」
リヒャルトが返す。
「変化を歓迎せぬ者は、必ずいる」
「そりゃそうだろうね」
ジェシカが言った。
「停滞してる側は、変わるの怖いし」
その言葉に、王妃が静かに微笑んだ。
「やはり、よく見ているのですね」
「それは、まあ」
ジェシカは少しだけ肩をすくめる。
王妃は王へ向き直る。
「けれど陛下、反発があるからといって、止まる理由にはならないのでは?」
「……」
「今この国に必要なのは、動いた結果への調整です。動かないことではありません」
「王妃」
リヒャルトが少し眉を寄せる。
「もちろん、無秩序に任せるのは問題です」
王妃は穏やかなまま続けた。
「ですが、この子たちは既に結果を出し始めています」
「……」
「それを無視して“反発があるからやめる”のは、陛下らしくありませんわ」
るなは少しだけ目を見開いた。
王妃はやはり強い。しかもただ庇うだけではなく、王に対しても真正面から言う。
エリシアも、そこで少しだけ前へ身を乗り出した。
「お父さま」
「なんだ」
「セレスト……わたくしも、話だけは聞いたことがあります」
「うむ」
「本当は、とても明るい港町だったと」
「……そうだ」
王の声が少しだけ低くなる。
「交易の要で、祭りも盛んで、北東の活気を支えていた」
「なら」
エリシアは一瞬だけ五人を見る。
「今こそ、行っていただく意味があるのではないでしょうか」
「エリシア」
王が娘を見る。
王女は少し緊張しつつも、以前のように視線を逸らさなかった。
「わたくしは……この方たちが、ただ騒がしいだけではないと知っています」
「……」
「だから、セレストでも何かを見つけてくださる気がします」
その言葉に、ももかが少しだけ嬉しそうに息を呑む。
るなも胸の奥がじわっとした。
王女は、もうただ見守られる側じゃない。ちゃんと、自分の言葉で後押しできるところまで来ている。
王はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……だからこそ、だ」
全員が王を見る。
「おぬしたちに改めて問う」
王の視線が、五人を順に捉える。
「セレストへ行くか」
静かな問いだった。
「これは王命ではない。少なくとも、今この場では」
「……」
「王国にとっては必要な動きだ。だが、おぬしたちは巻き込まれた立場でもある」
「……」
「ゆえに、余は今回はあえて選ばせる」
るなは、一瞬だけ息を止めた。
選ばせる。
それは、重い。
でも、それがあるからこそ誠実でもある。
るなは四人を見る。
ももかは少し不安そうだが、目は泳いでいない。みうは静かに考えている顔。えれなは既に現実的な条件を整理し始めている。ジェシカは相変わらず静かだが、どこか“もう半分答えは出てる”みたいな雰囲気をしている。
るなが口を開いた。
「……行く」
その声は、思ったよりも自然に出た。
王の目がわずかに動く。
「理由は」
「見た方がいいと思うから」
るなは正直に言う。
「王都も村もそうだったけど、見ないで決めると後悔する」
「うん」
みうが頷いた。
「私も行きたいです」
「港町の子どもたちも、たぶんまたいるでしょ」
ももかが言う。
「そういうの放っとけない」
「私は条件つき」
えれなが言う。
「現地での裁量はある程度必要。でも護衛や連絡体制はきちんとしてほしい」
「それは当然だ」
ガルドが即答する。
「なら行く」
「私も」
ジェシカが最後に言う。
「セレスト、見てみたい」
五人の答えを聞いて、王はゆっくり息を吐いた。
まるで、それを予想していたようでもあり、同時に少しだけ肩の荷が動いたようでもあった。
「承知した」
王は言う。
「では、正式に依頼する」
その声には、第一章の最初とは違う重みがあった。
「北東の港町セレストを見てこい。必要なら動け。だが無理はするな」
「はい」
るなが返す。
「ただし」
王は視線を少し細めた。
「宮廷内の反発は確実に強まる」
「だよね」
ももかが小さく言う。
「地方まで行くなら、なおさら」
リヒャルトが淡々と付け加える。
「民衆の支持を得るたびに、警戒する者も増えると思え」
「それって」
みうが少し不安そうに聞く。
「私たち、けっこう面倒な立場になってる?」
「既に、だ」
リヒャルトはきっぱり言った。
「だが、それでも動かすと陛下は決められた」
王妃が微笑む。
「なら、やることは一つでしょう」
「うん」
るなが頷く。
「ちゃんと見て、ちゃんと動く」
「そうです」
王妃は満足そうだった。
エリシアは少し迷ってから言った。
「戻ったら、また聞かせてください」
「もちろん」
るなが笑う。
「王女さま用セレスト報告会やる」
「何その会」
えれなが言う。
「でも、やるでしょ」
「やる」
るなが即答した。
そのやり取りに、王女が少しだけ笑う。
王はそんな娘の顔を横目で見て、また小さくため息をついた。
「……本当に」
低い独り言みたいだった。
「何を連れてきたのだ、余は」
るなはそれを聞いて、ちょっとだけ笑った。
「今さらじゃない?」
「おぬしが言うな」
その返しに、部屋の空気がほんの少しやわらぐ。
けれど、緩みきらないのが今の王城らしかった。
王は最後に言う。
「出立は二日後だ」
「早」
ももかが思わず言う。
「そんなに驚くな」
ガルドが返す。
「港町だぞ。準備にも移動にも時間がかかる」
「逆に二日あるんだ」
みうが言う。
「もっとすぐかと思った」
「私たちも準備いるしね」
えれなが現実的にまとめる。
「服とか、情報とか、体力とか」
「体力……」
ももかが少し遠い目になる。
「港町って歩く?」
「歩く」
ジェシカが言う。
「あと匂いすごそう」
「それはちょっと楽しみ」
るなが言う。
「え、そこ?」
「だって“元気だった記憶が残ってる町”って、ちょっと気になるじゃん」
「……それはわかる」
えれなが小さく頷いた。
部屋を出る時、るなはもう一度だけ振り返った。
王は地図の方を見ている。王妃はその横顔を静かに見守り、エリシアは五人の背中を目で追っていた。リヒャルトはまだ警戒を崩していない。ガルドは相変わらず固い顔だが、完全な反対ではない。
支持もある。
反発もある。
期待もある。
不安もある。
その全部を抱えたまま、第二章は本当に動き始めるのだと、るなははっきり感じた。
◆
廊下へ出ると、ももかがすぐに大きく息を吐いた。
「はー……港町かあ」
「怖い?」
るなが訊く。
「ちょっと」
ももかは正直だった。
「でも、楽しみもちょっとある」
「それはわかる」
みうが頷く。
「海は見たい」
「白ギャルと日差しの相性最悪では」
えれなが言う。
「それは対策する」
みうは真顔だった。
「全力で」
「そこは通常運転」
るなが笑う。
ジェシカが窓の外を見ながら言った。
「港町、祭りとかありそう」
「祭り」
ももかが食いつく。
「いいじゃん」
「まだ何も聞いてないのに?」
えれなが言う。
「でも、港町ってそういうイメージあるじゃん」
るなが言う。
「海っぽいし」
「海っぽいし、で決めるな」
「でも、なんかある気する」
るなが笑う。
えれなは呆れたように息を吐いたが、完全には否定しなかった。
「……まあ、行けばわかるでしょ」
「それそれ」
ももかが頷く。
「じゃ、次はセレスト」
「うん」
るなが言う。
「次の町、ちょっと変えてこっか」
その言葉に、四人がそれぞれ少しだけ笑った。
重さもある。
宮廷の反発もある。
でも、それでも前へ行く。
そう決めた五人の足音が、夕方の王城の廊下に軽く響いた。




