第15話 王の前で、初めて本音を言う
王女エリシアが自分の言葉で「民の暮らしを知りたい」と告げた、その日の夕方だった。
五人は再び、王に呼ばれた。
「また?」
ももかが半分うんざりした顔で言う。
「今日、会いすぎじゃない?」
「王城ってそういう場所なんじゃない?」
るなが肩をすくめる。
「知らんけど」
「その“知らんけど”で済ませないで」
えれなが言う。
「相手、王様だから」
「でも、たしかに今日は多い」
みうも少し落ち着かない顔をしていた。
「何の話だろ」
「昼の王女さまの件、かな」
ジェシカが窓辺から振り返りもせずに言う。
「でもそれだけじゃない気がする」
「なんで?」
るなが訊く。
「空気」
短い返事だった。
「今日はずっと、“次の話がある”感じしてた」
「ジェシのそういう勘、外したことないからやめて」
ももかが本気で嫌そうな声を出す。
呼びに来た女官の表情も、いつもより少しだけ固かった。急ぎではない。だが、私的な雑談のために呼ぶ空気でもない。それだけはすぐに分かる。
通されたのは、これまでの応接室ではなく、王が個人的な会談に使うらしいやや小さめの謁見室だった。
広くはない。けれど重みがある。
高い天井。深い色の絨毯。壁に掛けられた王国の紋章。窓の外には夕暮れの庭が見える。昼の明るさはもう薄れ、室内には燭台の灯りが温かく揺れていた。
王レオンハルトが一人、窓際ではなく正面の椅子に座っていた。
王妃も王女もいない。
宰相もガルドもいない。
そのことが、逆に少し緊張を増した。
「……来たか」
王の声は低く、しかし昼の席よりずっと静かだった。
るなたちは五人並んで立つ。
王はすぐに座れとは言わなかった。ただ、しばらく五人の顔を順に見た。
その視線には、値踏みのようなものはない。だが、考えている。かなり深く、何かを。
やがて王は言った。
「座るがよい」
五人は促されるまま、向かい側の席へ腰を下ろした。ももかがいつものように前のめりになりかけて、えれなに膝を軽く叩かれる。みうは自然に背筋を伸ばし、ジェシカはやや深く腰掛けて王を見た。るなは、王の顔の疲れが昼よりも濃いことに気づいた。
「……なにかあったんですか」
るなが率直に訊く。
王は、ほんの少しだけ口元を動かした。
「毎度まっすぐだな、おぬしは」
「回りくどいの苦手なんで」
「それは知っている」
そう言ってから、王は深く息を吐いた。
「今日は、命令や依頼の話ではない」
その一言に、五人は少しだけ肩の力を抜く。
「では何かと言えば……確認だ」
「確認?」
えれなが聞き返す。
「おぬしたちは、一体何を望む」
その問いは、予想外に静かで、予想外に重かった。
るなは一瞬、答えられなかった。
王は続ける。
「市場へ出て、兵と話し、村を見て、子どもを笑わせ、王女にも影響を与えた。結果だけ見れば、おぬしたちは王国にとって有益だ」
「有益って言い方」
ももかが顔をしかめる。
「気持ちはわかる」
王はあっさり認めた。
「だが、王としてはそう言うしかない面もある」
えれなが王を見据える。
「それで、私たちの望みを確認する、と」
「そうだ」
「なんで今それを?」
るなが訊く。
王はしばし黙ってから答えた。
「おぬしたちは、勝手に呼ばれた」
「……」
「元の世界へ帰れる保証もない。事情もわからぬまま、この国の問題の前へ連れ出された。怒りも、不満も、当然あろう」
「あります」
えれなが即答した。
るなも、小さく頷く。
「あるよ」
「うん」
ももかも言う。
「普通にある」
「私も」
みうが少しだけ目を伏せる。
「……ある」
ジェシカも短く言った。
王は、その言葉を真正面から受け止めた。
「ならば、確認せねばならぬ」
「何を」
るなが問う。
「おぬしたちが、何に対してこの国へ関わるのかだ」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ張る。
「余の命に従うからか」
王はゆっくりと言う。
「恩を感じたからか。帰還の術を探るためか。あるいは、ただ流されているだけか」
「……」
「それとも、別の理由か」
るなは王を見つめた。
この人は今、本当に聞いているのだ。
“勇者として働け”と押しつけるためではなく、自分たちがどういう気持ちでここにいるのかを、ちゃんと知ろうとしている。
そう思った瞬間、胸の中に溜まっていたものが少しだけ動いた。
「正直に言っていい?」
るなが聞く。
「そのために呼んだ」
王が答える。
るなは、膝の上で手を組み、それから言った。
「勝手に呼ばれたのは、今でもムカついてる」
ももかが横で「うん」と強く頷く。
「こっちの都合とか、生活とか、全部置いてこられた感じするし」
「そうね」
えれなも続く。
「“国が大変だから来てくれ”って、こっちが選んだわけじゃない」
「元の世界に帰れるかもまだ分からないし」
みうが静かに言う。
「その不安は、たぶんずっとある」
「……」
「だから、“ありがたい話でした、全力で頑張ります”みたいなのは無理」
ジェシカが言った。
「そこは最初からはっきりしてる」
王は頷いた。
「だろうな」
その頷き方は、怒りでも落胆でもなく、予想通りの現実を認めるものだった。
るなはそこで、少しだけ深く息を吸う。
「でも」
その一言に、王の目がわずかに動く。
「でも、見ちゃったから」
「見た、とは」
「この国の空気」
るなが言う。
「市場とか、兵士さんとか、レフィア村とか。王都もそうだけど、ずっとしんどい感じが残ってるの、見ちゃった」
「……」
「で、それ見たのに、“じゃあ知りませーん”って帰って寝るの、なんか違う」
言いながら、自分でも不思議だった。
つい数日前まで、自分はただの女子高生だった。学校があって、友達がいて、コンビニ寄って、どうでもいいことで笑って、時々将来のことにぼんやり不安になるくらいの生活だった。
なのに今、自分は王の前で、他人の国のことを“知りませーんでは寝られない”なんて言っている。
でも、それが本音だった。
ももかが言った。
「うちも、最初はまじで帰りたいしかなかった」
「今も帰りたいのは帰りたい」
えれなが補足する。
「うん」
ももかも素直に頷く。
「でもさ、リナとかユトとか見ちゃって、兵士さんの顔とか見ちゃって、王女さままでちょっと変わってきてるの見て、それで“うちら関係ないんで”ってやるの……無理」
「……」
「なんか、後味悪すぎる」
みうは、両手をそっと重ねて言う。
「私は、みんなの空気にすごく引っ張られるタイプだから」
少し自嘲気味に笑う。
「だから、最初はこの世界の重さに飲まれそうで怖かったです」
「みう」
るなが横を見る。
「でも」
みうは続ける。
「逆に、ちょっとだけ笑った時の感じとか、空気がやわらいだ瞬間も、すごくよく分かった」
「……」
「だから、そういうのを見つけた以上、やっぱり放っておきたくないです」
えれなが少しだけ目を伏せてから言った。
「私はたぶん、五人の中でいちばん現実を見てる方です」
「自分で言う」
るなが小さく言う。
「事実でしょ」
えれなが返してから、王を見る。
「だからこそ言いますけど、私たちに何でもできるとは思ってません」
「うむ」
「魔族を倒せるかもわからない。国を再建できるなんて、そんな大きいことも今は言えない」
「当然だ」
「でも」
えれなの声が少しだけ強くなる。
「少なくとも、“どうにもならない空気を少しでも動かすこと”は、私たちにできるかもしれないと思い始めてます」
「……」
「それが役に立つなら、やる意味はある」
ジェシカが最後に口を開いた。
「帰りたい気持ちと、放っておけない気持ちは、両立する」
短い言葉だったが、重かった。
「どっちかだけじゃない」
「……」
「だから今の私たちは、“この世界に骨を埋めます”でもないし、“全部投げます”でもない」
「じゃあ、何?」
るなが小さく言う。
ジェシカは一拍置いてから答えた。
「見ちゃったものに対して、目をそらさないってだけ」
その言葉に、るなははっとした。
ああ、そうか。たぶんそれだ。
すごく綺麗な理想があるわけじゃない。王国を救う使命感に燃えてるわけでもない。勇者になる覚悟を決めたわけでもない。
ただ。
知ってしまった。
見てしまった。
だから、見なかったことにはできない。
王は、しばらく五人を見ていた。
長い沈黙だった。
けれど、気まずい沈黙ではない。噛み砕いているのだ。王としてではなく、一人の人間として、目の前の娘たちの本音を。
「……なるほどな」
やがて王はそう言った。
「きれいな忠誠でもなく、使命感でもなく、正義感だけでもない」
「うん」
るなが頷く。
「そういうのじゃない」
「だが、そこに嘘はない」
「ないよ」
るなは即答した。
王はそこで、ほんのわずかに表情を緩めた。
「余はな」
低い声が、静かな部屋に落ちる。
「おぬしたちが、王家に取り入るために動いているのではないか、と考えぬでもなかった」
「は!?」
ももかが素で声を上げる。
「そんな器用なことするわけなくない!?」
「ももか」
えれなが止める。
「いやでも、そこ疑われるの普通にショックなんだけど!」
「王としては疑うべきところでしょ」
ジェシカが言う。
「それもそうだけど!」
「でしょ」
るながうなずく。
「うちら、そういうタイプに見える?」
「見えぬ」
王が即答した。
一拍置いて。
「見えぬが、王である以上は考える」
その返答が妙に正直で、るなは少しだけ笑ってしまった。
王もまた、飾らない人なのだ。国王としての言葉は重いが、その中身は意外とごまかさない。
「……なら」
王は肘掛けに手を置き、五人を見渡した。
「余もまた、正直に言おう」
「うん」
るなが頷く。
「おぬしたちが来てから、城の空気が変わった」
その言葉に、五人は少しだけ驚く。
「王妃が笑うことが増えた。エリシアが、自分の言葉を使い始めた。兵は報告の中でおぬしたちの話をする。商人は市場の様子を少し変えた。村からも、わずかだが空気が戻ったと報せがある」
「……」
「余はそれを、認めぬわけにはいかぬ」
るなは胸の奥が熱くなるのを感じた。
王が、はっきり口にした。
まだ全面的な信頼ではないだろう。けれど、少なくとも見ている。そして変化を、認めている。
「だからこそ、怖くもある」
王は続けた。
「変化は、良い方へ進むとは限らぬ。保守的な者の反発も、宮廷内の軋轢も増えるだろう。おぬしたちが意図せず火種になることもある」
「それは……」
えれなが口を開く。
「わかります」
「だが、それでも」
王は一度言葉を切った。
「おぬしたちが、自分の意志で関わると言うのなら。目をそらさぬと言うのなら。余は、それを無下にはせぬ」
その言い方は、「信じる」より少し手前だ。
でも、それで十分だとるなは思った。
最初から全部わかり合えるわけがない。自分たちは異世界から来た、訳のわからない五人組だ。王は国を背負っていて、何を信じ、何を疑うかで人の生死が変わる立場にいる。
その王が今、ここまで言う。
それは軽くない。
「……じゃあ」
るなが少しだけ笑って言う。
「今のところ、クビではない感じ?」
「おぬしらはそもそも雇っておらぬ」
王が返す。
「でも追い出されもしない」
「帰還の術も見つかっておらぬからな」
「そこはまだ現実か」
「現実だ」
そのやりとりに、少しだけ笑いが混ざる。
笑いながらも、みうが小さく言った。
「でも、ちゃんと話せてよかった」
「うん」
ももかも頷く。
「なんか、ちょっとスッキリした」
「それはある」
えれなも認めた。
「王様がちゃんと聞いてくれたし」
王は、その“王様”という呼び方にいちいち反応しなくなっていた。少し慣れたのかもしれない。
「では」
王が最後に言う。
「今後も、見たもの、感じたことを率直に述べよ」
「え」
るなが少し驚く。
「そんなのでいいの?」
「よい」
王は言い切った。
「おぬしたちの長所は、まだこの国に慣れきっておらぬところだ。慣れれば見えなくなるものもある」
「それって」
ジェシカが静かに問う。
「“外からの目”として使うってこと?」
「使う、という言葉が気に食わぬなら、借りるでもよい」
「……」
「この国には、内側からでは見えぬ停滞が多すぎる」
その言葉に、るなは少しだけ目を見開く。
ああ、この人はちゃんと分かっているんだ。
王として、国の中に長くいればいるほど見えなくなるものがあることを。だから、突然現れた自分たちの“違和感センサー”みたいなものを、怖がりつつも必要としている。
「わかった」
るなが頷く。
「言う。遠慮なく」
「遠慮は少し覚えよ」
王が即座に返した。
「そこは無理かも」
「おぬしな」
王が小さく眉を寄せる。
でも、その表情はもう最初ほど固くなかった。
五人が席を立ち、退室の礼をとる。
扉の前で、るなはふと振り返った。
「王様」
「なんだ」
「……ありがと」
「何に対してだ」
「ちゃんと聞いてくれて」
「……」
王は一瞬だけ言葉を失ったように見えた。
けれど、すぐにいつもの低い声で言う。
「余は王だ。当然のことをしたまでだ」
「うん」
るなは笑う。
「でも、それでもありがと」
王は返事をしなかった。
ただ、否定もしなかった。
それだけで十分だと思いながら、るなたちは部屋を出た。
◆
廊下へ出た瞬間、ももかが大きく息を吐いた。
「はああああ……」
「うるさい」
えれなが即座に言う。
「いやでも今のは許して!」
「それはまあ、わかる」
るなも同じように息を吐く。
「なんか、緊張してたの今さら来た」
「うち、途中で胃きゅってなった」
みうが胸元を押さえる。
「王様の前であんな話するの、普通にこわい」
「でもした」
ジェシカが言う。
「うん」
みうは少しだけ笑った。
「したね」
るなは廊下の窓から見える夕方の空を見る。
城の中は相変わらず静かだ。侍女たちは静かに歩き、遠くで鐘が鳴る。何も変わっていないように見える。
でも、自分たちの中では確かに何かが変わった。
勝手に呼ばれて、怒ってる。
帰りたい気持ちも、まだある。
それでも、見てしまったものからは目をそらさない。
そのことを、王の前で言葉にした。
そして、王はそれを聞いた。
「……なんかさ」
るながぽつりと言う。
「やっと“始まった”感じする」
「今まで何だったの」
えれなが言う。
「いや、今までも始まってたんだけど」
「雑」
「でもわかる」
ももかが乗る。
「今までは流れで巻き込まれてた感じあった」
「うん」
みうも頷く。
「今日は、自分たちで“関わる”って言った感じ」
「それ」
ジェシカが短く言う。
五人は少しだけ黙る。
その沈黙は重くない。
むしろ、腹が決まったあとの静けさに近かった。
世界はまだ暗い。問題も山ほどある。王都も村も、魔族の脅威も、宮廷の反発も、これからもっと面倒になるだろう。
でも。
それでも。
見なかったことにはしない。
その選び方だけは、五人の中でちゃんと共有できた。
「……よし」
るなが最後に言う。
「じゃ、次も見るか」
「雑な締め」
えれなが呆れる。
「でも、そういうこと」
るなは笑う。
「そういうこと」
ももかが頷き、
「そうだね」
みうも微笑み、
「うん」
ジェシカが短く返した。
夕暮れの王城の廊下を、五人の足音が並んでいく。
それはまだ小さな歩みだ。
けれど、確かに自分たちの意志で踏み出した一歩だった。




