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第10話 泣かない子ども、笑わせたい

 レフィア村へ向かうことが決まった翌朝、空気はいつもより少しだけ重かった。


 王城の朝は相変わらず静かで、侍女たちの足音も控えめで、窓の外に広がる庭は綺麗すぎるくらい整っていた。なのに、五人の部屋の中には昨日までと違う種類の緊張があった。


 市場へ行く時は、正直どこかで「異世界の街を見る」くらいの感覚もあった。


 でも今日は違う。


 これから行くのは、揉め事が起き始めている村。余裕がなくなり、人と人の間が軋み出している場所。


 軽い気持ちではいられない。


「……ねえ、マジで行くんだよね」

 ももかが、支度をしながらぼそっと言った。


「昨日あんだけ話したのに、今さら?」

 るなが返す。

「いや、頭では分かってるんだけど。実感わくとこわくない?」

「それは、わかる」

 みうが小さく頷く。

「市場の時と違って、楽しそうな要素がまだ一個もないもん」

「お前は楽しそう要素を探しに行くんじゃない」

 えれなが言う。

「でも、それくらいの方が正常でしょ。緊張してる方が」


 ジェシカは長椅子に座ったまま、ブーツの紐を整えていた。


「怖いのは普通」

 低い声が部屋に落ちる。

「怖くないふりして雑に入る方がまずい」

「ジェシが言うと説得力ある」

 るなが言う。

「今日はずっと正論マシンじゃん」

「今日は、じゃない」

「はいはい」


 いつも通りのやり取りに少しだけ呼吸が戻る。


 けれど、胸の奥の重さは消えない。


 やがて扉が叩かれ、女官が「ご出発の準備が整いました」と告げた。五人は昨日と似たように、この世界の羽織を上から重ねた姿だが、今日は全体的に色味が抑えめだった。ももかでさえ「今日はちょっと落ち着かせた」と言っていたくらいだ。


「落ち着かせたの基準が分かんない」

 えれなが呟く。

「いやでも、昨日よりはでしょ?」

「まあ、昨日よりは」

「ならよし」


 部屋を出て、城門前へ向かう。


 そこにはすでに護衛の騎士が数名待機していた。大人数ではない。王の言った通り最小限だ。騎士団長ガルドと、昨日も付き添っていた若い騎士が一人、それから荷を持つ兵が二人。馬車は一台。華やかさのない実務用のものだった。


 王妃と王女も見送りに来ていた。


 王女エリシアは五人を見るなり、少し心配そうな顔をした。


「皆さま……お気をつけて」

「ありがと、王女さま」

 るなが返す。

「王女さまこそ、今日はちゃんとごはん食べてね」

「え」

 エリシアが目を丸くする。

「なぜそこで食事なのですか」

「いや、なんとなく」

「るなの“なんとなく”は雑に見えて案外外さない」

 えれなが横から言う。

「それフォロー?」

「半分」

「ありがとうございます?」


 王妃がそんなやり取りを見ながら、やわらかく微笑む。


「レフィア村は、王都よりさらに疲れています」

 王妃の声音は静かだが、軽くない。

「だからこそ、焦らずに見てきなさい。誰かをすぐ元気にしようとしなくていいのです」

「……はい」

 みうがまっすぐ頷いた。

「わかりました」

「見ること、聞くこと、そして無理をしないこと」

 王妃は一人ずつ見るように言う。

「特に、子どもがいたら」

「子ども?」

 ももかが反応する。

「避難民もおります。村の子と、外から来た子。どちらも」

「……そっか」

 ももかの顔から、いつもの軽さが少し引く。


 るなはその様子を見て思う。


 たぶん、ももかはそういうのに弱い。泣いてる子とか、我慢してる子とか、そういうのを見ると一番最初に心が動くタイプだ。


 王妃はさらに続けた。


「子どもは、大人が思う以上によく見ています。だから、大人が余裕をなくしていると、先に笑わなくなることがあるのです」

「……」

 五人が一斉に黙る。


 その言葉は、やけに重かった。


 王都で見た、静かすぎる子どもたちの姿が頭に浮かぶ。


「行ってきます」

 るながそう言うと、王妃は頷いた。

 エリシアも、小さく手を振った。


     ◆


 王都を出てからしばらく、馬車の中は意外と静かだった。


 車輪が石の道を叩く音。馬の足音。時折、荷台の木箱がきしむ音。窓の外には、王都近郊の畑や小さな集落が見える。だが、どこも明るい景色ではなかった。耕されてはいるが、痩せた土。人の姿はあっても、動きが少ない。遠目にも「疲れてるな」と分かる。


「……外までこんな感じなんだ」

 みうが窓の外を見ながら言う。


「王都がまだマシって、本当だったんだね」

 ももかの声も少し小さい。


 えれなは膝の上に置いた手を軽く組みながら、言った。


「昨日の説明、ちょっと盛ってるかもとか思ってた」

「え」

 るなが見る。

「いや、完全に信じてなかったわけじゃないけど。城の中って綺麗すぎたから」

「あー」

 るなも頷く。

「わかる。あの城だけ見てると、“大変です”って言われてもピンとこないとこあった」

「でも外は違う」

 ジェシカが淡々と言う。

「綺麗に見せる余裕がない」


 馬車の前方から、ガルドの声がした。


「もうすぐ着く」

「近」

 ももかが反射で言ったあと、すぐに「いや近くないか」と自分で訂正する。

「半日って聞いてたのに」

「王都から南東半日、は馬の速度次第だ」

 若い騎士が説明する。

「急げばもっと早い」

「急がなかったらもっと遅い」

 ジェシカがぼそっと言う。

「その通りです」

 若い騎士がちょっと困ったように笑った。


 その笑い方は、王都の兵士たちより少しだけ余裕がある。まだ若いからかもしれない。だが、完全に明るい笑いではない。


 馬車が少し揺れて、やがて速度を落とす。


 窓の外に見えてきたのは、小さな村だった。


     ◆


 レフィア村は、最初の一目で「しんどい」と分かる場所だった。


 壊滅しているわけではない。家はある。井戸もある。畑もある。柵もある。煙突から煙が上がる家もある。ぱっと見れば、普通の小村だ。


 でも、空気が違う。


 王都の市場のような“沈んだ静けさ”とも少し違う。もっとぴりついていた。


 人の視線が尖っている。


 馬車が入ると、村人たちが一斉にこちらを見る。好奇心より先に警戒が立つ目だ。誰が来たのか、何をしに来たのか、どちら側の人間なのか――そういうものをまず量ろうとする視線。


「……うわ」

 ももかが思わず小さく漏らす。

「ほんとに笑ってる場合じゃないやつだ」

「うん」

 るなが短く答える。


 村の中央には小さな広場があり、その脇に水汲み場があった。そこに桶を持った女たちが並んでいる。列は長くない。けれど、会話がない。全員が前だけ見ている。子どもが一人、母親のスカートの裾を握って立っていたが、騒ぎもしない。ただ大人の顔色を窺っている。


 るなは、その光景を見た瞬間、胸の奥がぎゅっとなった。


 王妃が言っていたことが、すぐ分かった。


 子どもが笑わないのは、大人が笑わないからだ。


「……」

 みうも同じものを感じたのか、唇をきゅっと結んでいる。

「静かすぎる」

「市場より、もっと」

 えれなが低く言う。

「張ってる」


 ガルドが馬から降り、村の年配の男へ声をかけた。村長だろうか。男は深く頭を下げたが、その表情にも歓迎は薄い。ありがたいのか、迷惑なのか、そのどちらも言えない顔だった。


「王都より視察に参った」

 ガルドが短く告げる。

「状況を見せてもらう」

「……承知しております」

 村長らしき男はそう答え、そこで初めて、ガルドの後ろにいる五人へ目を向けた。

「そちらの方々は」

「同行者だ」

 ガルドは必要最低限しか説明しない。

 村長は納得していない顔だが、さらに問うことはしなかった。


 その時だった。


 広場の端にいた小さな子どもが、五人を見て一瞬だけ目を丸くした。


 年は六つか七つくらい。少し汚れた服。痩せすぎではないが、頬はこけ気味。瞳だけがやたら大きい。


 子どもはももかの髪を見て、それからみうの白い羽織を見て、最後にジェシカの銀がかった髪へ目をやる。


 明らかに「見たことないものを見た顔」だった。


 ももかはその視線に気づき、反射的に小さく手を振りかけて――止まった。


 ここでいつもの調子で「やっほー!」とやるのは違う。


 そのことが、ももかにもちゃんと分かったのだろう。


 代わりに、ほんの少しだけ笑ってみせる。


 だが子どもは笑い返さない。


 ただ見て、それからすぐに視線を逸らした。


「……」

 ももかの顔が曇る。

「やだ」

 小さく呟く。

「泣いてる方がまだマシ」

「ももか」

 えれなが呼ぶ。

「うん、わかってる。わかってるけど」

「わかる」

 るなが言った。


 笑わないのではなく、笑い方を忘れてるみたいな顔だった。


 村長に案内され、五人と護衛たちは広場から少し離れた集会小屋のような場所へ入る。中には簡素な机と椅子があり、壁際には乾いた穀物袋が積まれている。備蓄らしいが、量は多くない。そこに避難民らしき人々が何人か身を寄せているのも見えた。


 空気は重い。


 大人たちは、王都から来た騎士と、その後ろの派手な娘たちを見て、困惑と警戒を隠さない。子どもたちはその陰に隠れるようにしている。


 るなは、王都の市場で感じた「もったいない」とは全然違うものを感じていた。


 ここは、何かを飾り直せばいい場所じゃない。


 足りないのは色とか声じゃなくて、もっと根本の余裕だ。


「……ねえ」

 みうが、小声で言う。

「どうしよう」

「まだ、どうもしない」

 ジェシカが即座に答える。

「今は見るだけ」

「うん」

 えれなも同意する。

「ここで“元気出して”は絶対違う」

「わかってる」

 ももかが少しきつく言う。

「わかってるけどさ……」


 その時、小屋の隅で膝を抱えていた女の子が目に入った。


 年は八つくらい。茶色い髪がぼさつき、服の袖口は擦り切れている。近くに弟らしき小さな子がいるが、その子の面倒も彼女が見ているようだった。大人たちの会話を邪魔しないように、小さく息を殺している。


 るなは、その子の視線に気づいた。


 正確には、その子がこっちを見ていることに気づいたのではなく、見たいのに見ないようにしている感じに気づいた。


 興味はある。でも近づいてはいけないと分かっている顔。


 その時、ももかが息を呑んだ。


「……無理」

 小さく呟く。

「なにが」

 るなが問う。

「こういうの。無理」

 ももかの声は震えていた。

「ちっちゃい子が、ああいう顔してんの無理なんだけど」


 みうも同じ方を見て、静かに頷く。


「うん」

「なんか……“静かにしてなきゃ”って顔だよね」

「それ」

 ももかがすぐ返す。

「怒られないようにしてる顔」


 るなは胸の奥が熱くなるのを感じた。


 怒りとか悲しさとか、そういうのがごちゃっと混ざった熱だ。


 でも、ここで勢いだけで動いたら多分失敗する。


 だから深呼吸する。


 王妃の言葉を思い出す。


 まず見る。聞く。痛みを見ないまま騒がない。


 えれなが村長へ向かって、現実的な質問を始めていた。何人が村にいるのか。避難してきた者は何人か。水と食料はどれほど足りていないのか。揉め事はいつ、どこで起きたのか。大人たちの会話は重いが、必要なものだ。


 その間にも、るなの視線は子どもたちへ吸い寄せられる。


 小屋の外にも何人かいる。


 走り回る子はいない。声を上げる子もいない。ただ、大人の背中のそばにいるだけだ。


「……るな」

 みうが小さく呼ぶ。

「うん」

「あとで、子どもたちのとこ行っていいかな」

「いいと思う」

 るなは頷く。

「うちも行きたい」

 ももかがすぐ言う。

「でも、急にテンション高く行ったら逆に怖いよね」

「うん」

 るなが返す。

「今日は、それやったらダメな気がする」

「わかる」

「話しかけるなら、静かめに」

 みうが言う。

「うん」

「まず近くに座るだけでもいいかも」

 ジェシカが淡々と口を挟む。

「向こうが見るまで、無理にこっち見せない方がいい」

「ジェシ、今日ほんとに正論しか言わない」

 るなが言う。

「そういう日」

 ジェシカは短く答えた。


 村長との話が一段落したらしく、えれなが五人の方へ戻ってきた。


 顔は疲れている。


「どうだった」

 るなが訊く。

「だいぶきつい」

 えれなは率直に言った。

「物資も足りないけど、それ以上に“誰に回すか”で空気が悪くなってる。もともとの村人と、避難してきた人たちで見えない線が引かれ始めてる」

「うわ……」

 ももかが顔をしかめる。

「最悪じゃん」

「しかも、子どももその空気わかってる」

 えれなの視線が、小屋の隅の兄妹へ向く。

「だから騒がない」

「……」

 五人が黙る。


 しばらくして、るなが低く言った。


「笑わせたい」

 ももかがすぐに顔を上げる。

「うん」

「でも、無理やりは違う」

 るなは続ける。

「わかってる。わかってるけど、あのままなのやだ」

「うん」

 みうが頷く。

「私も」

「まず、子どもたちからかな」

 ももかが小さく言う。

「大人は今たぶん、余裕なさすぎるし」

「それもある」

 えれなが言う。

「大人の問題は大人の問題として重い。でも子どもは、少し別の入り方ができるかもしれない」

「話しかけるだけでも?」

 みうが問う。

「それでいい」

 ジェシカが答える。

「最初は」


 るなは小屋の外を見る。


 広場の端。井戸のそば。家の影。そこにいる子どもたちは、みんな静かすぎる。


 大人の顔色を見て、自分たちまで小さくなっている。


 その光景が、どうしても嫌だった。


 すぐに何かができるわけじゃない。たぶん笑わせるなんて簡単じゃない。下手したら余計に警戒されるかもしれない。


 でも。


 このまま見ているだけは、もっと嫌だ。


「……行こ」

 るなが言う。

「子どもたちのとこ」

「うん」

 みうが立ち上がる。

「行こ」

 ももかも頷く。

「静かめにね」

 えれなが念を押す。

「わかってる」

 るなが答える。

「今日はさすがに」

「“今日はさすがに”ってことは、普段は違うんだ」

 えれなが呆れる。

「そこは今つっこまなくていい」


 五人は、小屋の外へ出た。


 風は乾いていて、空は青いのに、村の中にはやっぱり明るさが少ない。


 でも、その少ない明るさを、少しでも取り戻したいと思ってしまった。


 泣かない子どもたちのところへ向かいながら、るなは胸の奥でそっと決める。


 今日は、派手に何かをする日じゃない。


 でも、笑えなくなった子どもたちに、「笑っても大丈夫かも」と思わせる一歩くらいは、探したい。


 そのために、自分たちはここまで来たのだと。

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