表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~囚われの姫と月の使者編~  作者: バニラ味一択


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

9.神罰




 ――ッ!!

 肺が千切れるような勢いで、ルナは現実世界の空気を吸い込んだ。

 視界に映るのは、自分の部屋の天井。柔らかな照明。リンククレイドルの冷たい感触。


 エデンのプロトコル――「国民に危害を加えてはならない」。


 その絶対原則により、VRゲームでの死が確定したことで、システムは彼女を現実へログアウトさせたのだ。つまりは、ゲームオーバー。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」


 肉体は無事でも、魂が受けた傷はあまりにも強烈しかった。

 鼻腔の奥にこびりついた鉄錆のような血の匂い。首にまとわりつく手の感触。そして、耳の奥で鳴り止まない、呪詛の言葉と子供の泣き声。


「うっ……げほっ……!」


 胃の底からせり上がる強烈な不快感に、ルナは這うようにしてトイレへと駆け込んだ。

 何も入っていない胃から、苦い胃液だけが吐き出される。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、ルナは震える指でタイルの壁を掴んだ。


(……負けられない。このまま、あいつの思い通りにやられてたまるもんか……!)


 ルナは震える膝に力を込め、立ち上がった。洗面台の鏡に映る自分を見る。瞳は赤く充血し、顔色は紙のように白い。それでも、彼女の奥底にある意志が、消えかかった炎を燃え立たせていた。

 彼女は再び、リンククレイドルへと歩を進める。


「ログイン……再接続リコネクト……エデンへ」







 祈るような思いで意識をダイブさせる。

 せめて派出所へ。せめて学園へ。皆のいる場所へ。

 だが、電子の海を抜けた先でルナを待っていたのは、再びの絶望だった。


「……嘘、でしょ」


 デジャヴ。いや、それは悪夢の完全な再現だった。

 足元には血の海。目の前には、負傷して泣き叫ぶ子供、倒れた市民たち。


「人殺し! 悪魔め! 死ね、死んで詫びろ!!」


 全く同じ怒声。全く同じ憎悪の眼差し。

 自分を殺した男が再び突進してくる。

 ルナの首を絞めるための剥き出しの殺意が目の前にある。


 ルナの手には、再びあのベレッタが握らされていた。

 引き金を引けば、この男を止められる。

 だが――できない。


(撃てない……。ゲームだと、偽物だとは分かっている……。でも……この怒りは、悲しみは、否定できない。私の心が、否定することを許してくれない……!)


 男の指が、ルナの細い喉に食い込む。

 男から吐き出される呪詛が、重苦しい質量を持ってルナの再び心にのしかかる。

 これは罰だ。罪なき者をその手にかけた自分に対する、回避不能の報いなのだと、彼女の心が認めてしまう。

 抵抗することもできず、ルナは涙を流しながら、再び絞め落とされる感覚を受け入れるしかなかった。

 視界が、二度目の暗転に飲み込まれていく。







 ――ッ!!

 肺が焼けるような呼吸と共に、ルナは現実へと弾き出された。

 再び訪れる強烈な不快感、そして嘔吐。


 ルナの動きは止まった。

 理解してしまったのだ。

 三度目のログインを行っても、結果を変えることはできない。


 ここはエデン。システムの恩恵を余すことなく享受し、環境そのものを書き換える権限を持った相手に、自身一人で挑むことの無謀さを。


「……エイミット! 聞こえているんでしょ!」


 ルナは虚空に向かって叫んだ。誰もいない部屋に、彼女の悲痛な声が虚しく響く。


「……認めるわ。あなたには勝てない。残念だけど……私の負け。降参よ」


 悔しさに奥歯を噛み締め、屈辱に涙を滲ませながら、ルナは敗北を宣言した。

 甘んじて罰を受ける。エマを奪われ、敗北者として生きる道を受け入れる。それが今できる唯一の、そして最後の抵抗だった。




 しかし――反応はない。


「返事をしなさい! エイミット! …………嘘……? まさか……」


 静寂。

 ルナの心臓がじわじわと締め上がる。

 ついにルナは、真に理解した。

 エイミットが告げた「奴隷にする」という言葉の、本当の意味を。


 彼女の狙いは、VR空間での精神攻撃などではなかった。

 凄惨な光景を見せて心を折るのは、単なる前座に過ぎない。

 真の拷問は、ここから始まるのだ。


「あ……ぁ……」


 ルナの呼吸が、恐怖で再び浅くなっていく。

 この部屋には水がある。ベッドもある。時間が来れば、生命を維持するためのチューブ入り食料も自動で供給されるだろう。


 だが、誰もいない。


 エマがおらず、リンククレイドルも使い物にならない以上、外部との連絡手段は存在しない。

 真っ白な部屋の中、ルナはただ一人で、過ぎ去る時間を数え続けなければならない。


 何時まで?

 一日?一週間?一ヶ月?一年?


 話しかけても誰も答えない。鏡に映る自分の顔は、少しずつ生気を失っていく。

 思考は堂々巡りを始め、やがて自分の声すら忘れていくような、絶対的な孤独。


「私……耐えられるの? ……エマ、怖い。怖いよ……!」


 ルナは膝を抱え、ガタガタと震えた。

 エイミットは待っているのだ。

 ルナが孤独に耐えかね、発狂し、自らのアイデンティティを完全に喪失するその瞬間を。

 

 もし、その時――。

 精神が砂のように崩れ落ちたルナの前に、エイミットが姿を現したとしたら……。


 その時エイミットは、もはや憎き敵ではない。

 永遠の孤独から救い出してくれる唯一の存在、救済と祝福を与える真の天使として、ルナの瞳に映るだろう。

 自らひれ伏し、魂のすべてを差し出して縋り付く……。

 エイミットが求めているのは、ルナの敗北ではない。

 自らへの崇拝だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ