8.人の限界
ルナの意志に呼応し、手中のベレッタが淡い光を放つ。
「生成。【9mm対異形弾装填型自動式拳銃】――」
演習用デバイスであるベレッタが、ルナの力によって異形を屠るための実戦仕様へと強制換装された。
ルナは迷わず、空中のエイミットへ狙いを定め、引き金を絞る。
放たれた弾丸は空を切り裂き、智天使の眉間へと吸い込まれる――だが。
ギィィィィン!
耳を劈く金属音が響く。エイミットは漆黒の翼を翻し、鋼鉄以上の硬度を持つ羽で銃弾を易々と弾き飛ばした。
「観念しなさい、エイミット! 次は更に強い意志を込める。その翼ごと、蜂の巣にしてやるわ!」
ルナが次弾に意志の力を込め、発射しようとしたその時。エイミットは冷笑を浮かべ、憐れむように首を振った。
『我々エデンのAIは、国民に危害を加えることはできない。……ルナ、貴様がこれほど調子に乗っているのは、その絶対原則を知っているからか? であれば、あまりに浅はかだぞ。わざわざこの空間をゾンビシューティングとして構成した理由……その真意すら理解できないとはな』
ルナの背後から、低いうめき声が迫る。
見れば、一体の小柄なゾンビが、飢えた獣のようにルナへ飛びかかってこようとしていた。子供のゾンビだ。
「……っ、どいて!!」
ルナは反射的に銃口を向け、発砲する。
銃弾は子供のゾンビの肩を消滅させ、その勢いで小さな体は後方へ吹き飛んだ。
「無駄よ! いくら気味の悪い幻覚を見せようと、私の意志は折れない! エマを救うまで、私は止まらないわ!」
叫ぶルナに対し、エイミットは空中で優雅に指を動かした。
『ルナ。いくら義憤に駆られようが、強い意志を持とうが……貴様ら人間という種は、あまりに脆いのだ。しばらくの間、貴様には、あの下位AI解凍のためのキーフレーズを考え続ける「鍵」となってもらおう。つまり、我々の奴隷としてな』
エイミットは中空に指を立て、スライドさせるようにゆっくりと横へ動かす。
まるで、ディスプレイの調整バーを動かすかのように。
『さあ――解像度を上げよう』
その瞬間、ルナの感覚が激変した。
周囲の背景は、真っ白な空間から何処かの村落へと姿を変えた。
鼻を突いていた腐臭が消える。その代わりに、混じり気のない血の匂いが立ち上った。
何を喋っているのか分からないゾンビ達のうめき声は、意味を持った言語へと収束していく。
そして――ルナの視界を覆っていたゾンビのテクスチャは、剥がれ落ちていった。
「……っ!? ……ああ、あああぁ……!!」
ルナの指先から、力が抜ける。
眼前に転がっていたのは、腐った怪物ではない。
腕がちぎれ飛び、肩であった場所から真っ赤な血を流し泣き叫ぶ、生身の子供。
「お父さん……お父さん、痛いよぉ……っ!」
子供の泣き声が、ルナの鼓膜をナイフのように切り刻む。
周囲に横たわる死体の山。それはルナが先ほどまで正確にヘッドショットを決めていた、一般市民たちの姿だった。
「お、お前……! 子供までッ!なんてことを!!」
一人の男性が、血に染まった妻を抱きかかえながら、鬼のような形相で立ち上がった。その瞳には、紛れもない怒りと、殺意が宿っている。
「違う……私は、私はゾンビを……撃ったはず……」
ルナは震えが止まらない。
エイミットは嘘をついていない。AIは国民であるルナに危害を加えられない。それがエデンのシステムの前提であり限界。
――だからエイミットは、VRゲームとして、ルナの精神を傷つける手法をとる。
ゾンビシューティングからFPS、更にはホラーまで。視覚情報などのゲームの設定を変化させ、ルナの精神を自壊させるために。
「私が……生身の人間を……殺した……?」
VRゲームであろうと頭では気づいている。
だが、それは意味をなさない。視覚が、嗅覚が、五感の全てが、目の前で起きたことを現実と認識してしまう。
ルナはもはや、銃口を構えることすらできなかった。
絶望に塗りつぶされた彼女の元へ、激怒した男性が突進し、その細い首を全力で締め上げる。
「人殺し! 悪魔め! 死ね、死んで詫びろ!!」
怨みの言葉を浴びせられ、ルナは抵抗できずに涙を流した。
喉が潰れる感触、酸素も途絶える。
だが、不思議と痛みはなかった。
ルナの視界は急速に、真っ暗な闇へと沈んでいく。
遠のく意識の端で、エイミットの勝ち誇ったような笑い声が、どこまでも冷たく響いていた。




