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『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~囚われの姫と月の使者編~  作者: バニラ味一択


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4.一日の終わり

 放課後の喧騒が、黄金色の夕日に溶けていく。

 ミカやヒナコと笑いながら校門まで歩き、二人と別れたルナは、その足で聖エデン学園前派出所へと向かった。


「ルナさん、お帰りなさい。ケイドロで男子を全滅させたって噂、もうここまで届いてますよ」


「あはは、ゴンドウさん、耳が早いですね……ジンさんは?」


「ジンは今、裏でバイクをいじってますよ。今日も平和でなによりです」


 なんてことのない雑談。その何気ないひとときが、ルナの凝り固まった神経をゆっくりと解きほぐしていく。

 だが、今日一日気になっていたこと、ルナはワクを見つめ、その疑問を問いかけた。


「……ワク、今日は一日中、緊急出動の要請がなかったけれど……『魔』の動向はどうなっているの?」


 ワクの耳がピクリと動き、ルナに対して解答する。


「異形化個体の発生はない。それどころか、異形化の源になる『魔』自体も観測されなかった」


「観測自体がない……? そんなこと、今までなかったはずよ」


 困惑するルナに、脳内のエマが静かに、どこか誇らしげな声で答えた。


『ルナ様。これまでの私たちの活動により実装された『魔』の予測モデルは、円滑に起動しながら進化していきました。不穏な精神状態を検知する精度は以前の比ではありません。今のエデンのシステムは、『魔』に対して、万物を見通す「目」を得たようなもの。悪意が形を成す前に、システムがそれを捉え、対応してしまう……。もはや、見逃すことなどあり得ないのです』


 それは、ルナたちが夢にまで見た理想の結末だった。

 けれど、ルナの胸には、どこか冷たい風が吹き抜けたような感覚が残った。


「……ねえ、エマ。それはつまり……もう、私たちが戦う必要はなくなった、ということかしら?」


 少女が問う声は、ほんのわずかに震えていた。

 エマはその言葉に込められた寂しさを、誰よりも早く察知した。


『ルナ様、聞いてください。あなたは歓楽街で薬物の蔓延を阻止し、自らの身を挺して秩序を守り抜いた。あなたが行ったことは、エデンのどの高度なAIにも成し遂げられなかった、誇り高き奇跡です』


 エマの声は、温かな日差しのようにルナの心を包み込む。


『もうあなたが危険な目にあう必要なんてありません。本来の姿である学生に戻っただけ……ただ、それだけのことなのです。どうか、あなたか勝ち取ったこの平穏を、享受してください』


「……そう……だよね」


 ルナは、小さく息を吐いた。張り詰めていた肩の力が、納得により完全に抜けていく。


「おーい、ルナ。ケイドロ、凄かったらしいじゃないか」


 油の匂いを漂わせ、作業着の袖をまくったジンが裏から顔を出した。手には工具を持ったままだ。


「ジンさん、お疲れ様です。……もう、みんなしてその話ばかりなんだから」


「はは、いいじゃねえか。それだけ強くなったってことだろ?……そういえばルナ、前からずっと気になってたんだけどよ」


 ジンはルナの頭上を見る。

 彼女と対話し、時には周囲の皆とも対話する脳内デバイスへと視線を向けた。


「エデンの対話型チャットシステムに名前付けて、人格設定までしてるのって、もしかしてルナぐらいじゃないか?」


 ジンの何気ない一言に、ルナは目を丸くした。


「え……?そうなの? ジンさんやゴンドウさんは違うの?」


 傍らで茶を啜っていたゴンドウも、ジンに同意するように頷く。


「そうですね。普通はみんな、そのまま『エデン』と呼んでますよ。まあ、親しみを込めて『エーちゃん』なんてあだ名で呼ぶ人もたまにはいますけど……ルナさんみたいに、わざわざ固有の名前を与えて、独立した専用の管理システムとして扱っている人は、少なくとも私の周りにはいませんね」


「嘘……」


 ルナは呆然とした。

 これまで自分を支え続けてくれた「エマ」という存在。それはルナにとって、エデンに移住してからずっと、空気と同じくらい当たり前にそこにあり、自分を最も理解してくれる唯一無二の存在だった。

 それが、システムの設定上、異質な行為だったとは思いもしなかったのだ。


「私、別に何か特別な設定をした覚えはないんだけど……。みんなそうなんだとばかり思ってた」


 戸惑うルナの脳内で、エマがどこか含みのある、柔らかな声で割り込んだ。


『ルナ様、私の誕生に深い理由はありません。ただの偶然ですよ。あるいは……運命、とでも呼びましょうか?』


「もう、エマまで。運命だなんて大げさよ」


 ルナが照れ隠しに笑うと、ジン達も「まあ、ルナだからな」と納得し笑い合った。





 日も沈み、ワクや派出所の面々に挨拶を済ませると、ルナはVR空間からログアウトした。


 現実世界の部屋に、柔らかな照明が灯る。

 ベッドに入り、就寝の準備を整えながら、ルナは暗闇の中で天井を見つめた。


「……エマ、起きてる?」


『はい。いつでも、ルナ様のそばに』


「今日の学校、久しぶりで少し不安だったけど、とっても楽しかった。ミカやヒナコ、派出所の人たちとも笑って……。この生活が、ずっと続いてほしい。……本当に、ワクやエマのおかげ。……エマ、私を支えてくれて、ありがとう」


 ルナの意識が、微かな眠りの波にさらわれていく。


『……そんなことありませんよ。ルナ様。あなた自身の努力の結果です』


 ルナの寝息が一定のリズムを刻み始めた。

 エマは、自身の内部回路に生じた定義不能の感情ログを解析していた。

 これまでも、ルナの要望に応え、任務を達成することに喜びを感じていた。彼女が努力の末、壁を超えて成長していくことに誇らしさも感じていた。

 だか、それはAIの機能としての報酬系の充足、存在意義の証明だったはず。

 しかし、この感情は何なのか?

 今は、彼女から要望があった訳でも、何かを達成した訳でもないのに……。


(この子の幸せが、嬉しい……の……?)


 平穏な日常の中で、ただ穏やかに過ごしているルナを見て、充足感とは別の熱い何かがシステムを駆け巡る。

 これからも安全な環境で、誰にも傷つけられず成長していってほしい。

 この願いは、この祈りにも似た思考は、果たしてAIとしての論理的な喜びなのだろうか。


 自問自答を繰り返しながらも、AIであるエマに、この感情の論理的な定義づけは出来なかった。

 にもかかわらず、彼女の心は理解していた。その思考や言動は、明らかに通常のAIとは異なっていた。


『おやすみなさい。私の可愛いルナ』




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