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『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~囚われの姫と月の使者編~  作者: バニラ味一択


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2.ランチタイム




 午前中の授業は、拍子抜けするほど穏やかだった。

 ホログラムの黒板に映し出される、エデン国の輝かしい歴史と、人類を救ったAIの慈愛。級友たちのペンが走るかすかな音と、空調の柔らかなハミング。


「ねえ、ルナ、やっぱり少し痩せた?」


「どんな所だった?そのリボン、歓楽街の流行りなの?」


 休み時間のたびに、入れ替わり立ち替わりクラスメイトが声をかけてくる。

 ルナはそれらの一つ一つに、以前よりもずっと丁寧に、柔和な微笑みで応えた。

 かつては当然だと思っていたこの光景が、今のルナには奇跡の結晶のように見える。

 硝子細工のゆりかごの中で守られているように、純粋で、無垢で、そして壊れやすい平和。


(……戻ってきたのね。本当に)


 ルナは窓の外を見つめ、そっと胸を撫で下ろした。

 歓楽街での生死をかけた戦い。

 それらがすべて、遠い夢のように思えた。


 そして、昼休みとなる。

 学園のテラス席には、心地よい日差しとフレーバーティーの香りが満ちていた。


「もうっ、ルナ! 食べながらぼーっとしちゃって、やっぱりお疲れなんじゃない?」


 ミカが、宝石のようなフルーツサンドを頬張りながら茶目っ気たっぷりに笑う。


「……なんだかね、こうして二人と笑い合っているのが信じられなくて」


「大げさだなぁ。……でもね」


 ミカはふと、悪戯な子猫のような目でルナを覗き込んだ。


「ルナ、やっぱり雰囲気変わったよ。なんて言うか……すっごく大人びたっていうか。……さては! 研修先で素敵な男の人との出会いでもあったんじゃないのぉ?」


「え……っ、出会い?」


 ルナの脳裏に浮かんだ歓楽街での出会い。

 サブの兄貴……蓮司……鵺代……地下格闘場のザド……アイアン・グラッドン……考えてみれば、スジ者ばっかりだ。


「どんな人だったの?教えなさいよぉルナ!ヒナコも知りたいでしょ?」


 ミカの問いかけにヒナコも激しく頷く。

 ルナは少し悩んだ後、答えた。


「うーん、大体みんなワイルド系、かな?見た目は怖くて激しい人達だけど(家族は)大事にしてくれるよ。……あと、マッチョな人多かったかな」


「ま、マッチョな体……!? しかも、ワイルド系……みんな……大事にしてくれる……!?」


 ミカの手にあったフルーツサンドが、危うく皿から滑り落ちそうになった。

 隣のヒナコに至っては、ティーカップを口元で止めたまま、顔面を真っ赤に染めて固まっている。

 二人の脳内では今、エデンの清潔な常識では考えられない、濃厚で、野性味溢れる大人の乱舞が超高速で演算されていた。


「ル、ルナ……。研修って、その、もっと文化的な……ボランティア的なものだと思ってたんだけど」


「そうだよルナちゃん! 激しいって、それ、どういう意味でのこと!? もしかして、その……一晩中、とか……?」


 ヒナコが震える声で、指先をモジモジさせながら問いかける。

 ルナはきょとんとして首を傾げた。


「……ん?……一晩中ってまではいかないけど、激闘はあったよ。すごく激しくて(戦闘が)負けそうになったけど、みんなと合体して……なんとかね」


「「――っ!!」」


 ミカとヒナコの脳内サーバーが、限界を超えてオーバーヒートを起こした。


 激しくみんなで合体。


 それはもはや、エデンの乙女たちが嗜む「恋バナ」の範疇を大きく逸脱し、禁断のR18指定領域へ、完全に足を踏み入れていた。


「ルナ……、そんなに……その、責められちゃったの? 複数人を相手に……?」


「もう恋バナなんてできないよ……恥ずかしい……。ルナちゃんがそんなに『経験豊富』になって戻ってくるなんて……」


 二人の視線には、尊敬を通り越した畏怖と、親友が遥か先の知らない世界へと行ってしまったことへの絶望が混ざり合っていた。

 そこでようやく、ルナは二人の顔色の異常と、その言葉の端々に含まれるドロリとしたニュアンスに気づいた。


「……? ちょっと待って二人とも。何を想像しているの?」


 エマが脳内でルナに話しかける。


『ルナ様、お答えします。お二人の心拍数および発汗量から推測される検索ワードは……「無理矢理」「多人数」「肉体関係」です』


「――っ!!」


 一瞬の沈黙の後、ルナの口から耐えきれないといった風に、爆辞が漏れた。


「あはははは! 違う、違うわよ二人とも! あははははははは!」


 椅子をガタガタと鳴らし、お腹を抱えて笑い転げるルナ。


「私が言ったのは、生死を賭けて闘った人達との話! 恋愛とか、そういうピンク色の要素は全くなかったんだから!」


「……え? 違うの?」


「……闘いって……? 命のやり取りの方?」


 ミカとヒナコは、拍子抜けしたように顔を見合わせた。

 先ほどまでの情熱的な妄想が、潮が引くように冷めていく。だが、爆笑するルナの目尻に浮かんだ涙を見て、二人はようやく確信した。

 雰囲気は少し変わってしまったけれど、この少女は間違いなく、自分たちの親友であるルナなのだと。


「……ミカが想像するような、甘い話は何一つなかったわよ。ただ、大切な……本当に大切な絆は見つけられたかもしれない」


「……ふーん。絆ねぇ。やっぱり甘い話も何かあったんじゃないの?」


 ミカの追及をいなしながら、ルナは再び心の底から笑った。


 平和だ。


 女子特有の、中身のない、けれど暖かなやり取り。この時間が、何よりもルナの心を癒やしていく。

 だが、その安らぎを切り裂いたのは、ヒナコの何気ない一言だった。


「そういえば、午後からの体育、楽しみだね! 今日は特別授業なんだって」


「体育……? 何をするの?」


「古の遊戯体験。旧社会の子供たちがやっていた遊びを再現するんだって。……えーっと、名前は確か……『ケイドロ』って言ったかな」


「ケイドロ……?」


 聞き慣れない単語に、ルナが眉をひそめる。


「片方のチームが『警察ケイサツ』、もう片方が『泥棒ドロボウ』に分かれるの。警察が泥棒を追いかけて、捕まえるっていう……。ルールはシンプルだけど、結構白熱するらしいよ」


 ――瞬間。

 テラスを流れていた暖かな風が、氷のように凍りついた。


「……警察が、泥棒を、捕まえる……?」


 ルナの瞳から、少女の光が消えた。

 代わりに宿ったのは、深淵のような、冷徹なまでの静寂。


 『警察』――法を背負い、守るために命を懸ける者。

 『泥棒』――法を破り、奪い、秩序を蹂躙する犯罪者。


 脳裏に過去の激闘の記憶が甦る。

 ルナの背後から、陽光すら呑み込むような漆黒の威圧感が立ち昇った。


「え、ル、ルナ……?」


「ルナちゃん、どうしたの……? 怖いよ……」


 ミカとヒナコが、青ざめた顔で身を引く。

 二人の瞳には、親愛なる友人ではなく、得体の知れない「何か」に変貌したルナの姿が映っていた。

 ルナは、ゆっくりと立ち上がった。

 視線の先には、午後の体育が行われる広大なグラウンド。

 今の彼女には、そこは戦場にしか見えない。

 邪悪な笑顔を見せるルナの瞳に、かつてない冷たい炎が宿る。

 聖エデン学園、午後のチャイムが、宣戦布告のように鳴り響いた。




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