10.憔悴
真っ白な部屋。真っ白な天井。真っ白な床。
視界のすべてを埋め尽くす白の中で、ルナは時間の感覚を完全に喪失していた。
数日が過ぎたのか、それとも数週間が過ぎたのか。
憔悴しきった姿で、彼女は壁に持たれ、力なく座り込んでいた。
最初は抵抗した。
出入口のドアを何度も叩いた。何度も蹴った。何度も、爪が剥がれるほどかきむしった。
その両手は内出血で紫色に腫れ上がり、折れた爪からは血が滲んでいる。だが、今のルナにとって、そんな肉体の痛みなどどうでもよかった。
もう、ドアを叩く力も叫ぶ声も残っていない。
「……寂しい。寂しい。寂しい」
口から漏れるのは、呪文のようなその言葉だけ。
人間は一人じゃ生きられない。
かつて外地で、洗練されたエデンへの移住を受け入れず群れをなして生きる人々を、どこか冷めた目で見ていた自分が、その当たり前の真理に、この理想郷でようやく気づかされるなんて。
「辛い……寂しい……誰かに会いたい。……誰でもいい。誰でもいいから……!」
エイミットの言った通りだ。
人は脆い。
あれだけ抱いていた怒りも、憎しみも、悔しさも、この圧倒的な孤独の波に、すっかり流されてしまった。
あと僅かで、あの漆黒の翼を持つ天使が現れるだろう。その瞬間、ルナは間違いなく、その足元に縋り付いてしまう。
「……エマ」
何度も彼女のことを思い出した。
でも、それももう終わりだ。
(もうすぐ私は……誰でもよくなる。寂しさから逃れられるなら……エマじゃなくてもよくなってしまう。だから……どうでもよくなる、その直前まで。……もう一度だけ、エマを思い出して……いい?)
力なき体勢のまま、ルナは涙を流しながら、ゆっくりと目を閉じた。
図らずも、ルナは心の奥底、彼女自身の記憶の原点へと意識を沈めていく。
それは、ルナ自身もすっかり忘れていた初めてこのエデンに来た時のこと。
自ら家出する形で両親のもとを離れ、一人でこの理想郷へと辿り着いた、あの時の自分。
案内された、この自室。
真っ白な部屋で、初めて彼女に語りかけられた温かな声。
『ルナ様、ようこそエデン国へ』
『これからの生活の中で、何かご不明な点がございましたら、何なりとお申し付けください』
『エデンとお呼びいただければ、24時間、どのような時でも、ご質問にお答えします』
「…………?」
涙に濡れたルナの瞼がピクリと動いた。
極限状態で蘇った最古の記憶。
その記憶の中に、微かな、しかし決定的な違和感があった。
(あれ? ……何でだろう?)
一番最初はエマじゃなかった。
この疑問の答えを、ルナの摩耗した精神が導き出そうとする前に。
永遠に閉ざされたと思われた、出入口のドアが開放した。




