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BABEL ――反逆の十字騎士団――  作者: Hellmärc


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《騎士学校》 3

 訓練が終わると、騎士候補生たちは無言のまま馬場を離れていった。剣の音が消え、砂埃が落ち着いても、空気だけがまだ張りつめている。

 鎧を外した肩に、じっとりとした疲労が残っていた。

 ジルベールは回廊へ向かいながら、無意識のうちに歩調を落とす。

 視界の端で、フランチェスカが指導騎士と短く言葉を交わしているのが見えた。

 形式も、敬意も、どこか欠けている。それでいて、誰も咎めない。


「……なあ、ヴァレリアン」


 隣を歩く彼に、声を落として話しかける。


「騎士って、結局どこまで行けるんだ?」


 唐突な問いだったが、ヴァレリアンは驚かなかった。


「誰として?」

「平民として、だ」


 彼は一拍置き、静かに答えた。


「現実的な話をするなら、レウヴィス・ガードだ」


 王都レウヴィス。

 その名は、栄誉と同時に重みを伴って響く。


「王都勤務。人類の最終防衛線を守る最後の盾。各区から選抜される精鋭さ。血筋は問われない、実力と実績だけ」

「平民でも?」

「だからこそ、最も栄誉ある称号なんだよ」


 ヴァレリアンは言い切った。


「平民が騎士として辿り着ける、最高到達点。王都の盾。それがレウヴィス・ガード」


 ジルベールは小さく息を吐いた。

「……じゃあ、近衛騎士は?」


 その言葉に、ヴァレリアンは視線を前に向けたまま続ける。


「近衛はまた話が変わってくる。第一から第八まである各騎士団の長、騎士長たちの直属騎士」

「直属、か」


 ジルベールはふと兄のことを思い浮かべる。確か、来年にその試験を受けるのだと、騎士試験に受かったことを伝えた手紙の返信にはそう書かれていた。


「でも、生まれた区の近衛にしかなれない」


 回廊の柱が、一つ、二つと流れていく。


「血は関係ない。制度上はね。平民でも選ばれる可能性はある」

「でも……」

「近衛は、その区では騎士長に次ぐ権力を持つ」


 ヴァレリアンは淡々と言った。


「治安判断、部隊運用、非常時の裁量。場合によっては、区政にまで影響するんだ」

「まるで政治文官だ」


「そうだよ」

 即答だった。


「近衛は、剣を持った政治装置だ」


 ジルベールは思わず眉をひそめる。


「騎士が、そんな役割を?」

「騎士だからこそだ」


 ヴァレリアンは足を止め、低く言う。


「騎士長が直接言えば波風が立つ。だが近衛が動けば、現場判断になる」

「責任を……」

「押し付けることも、守ることもできる」


 静かな声だった。


「だから、近衛は重用される。同時に、使い捨てにもされるって話しだけど」

 ジルベールは言葉を失った。


「それでも、近衛もレウヴィス・ガードも、騎士家出身が多い」

「血は関係ないって言ったのは何なんだよ」

「制度上はって言っただろ」


 ヴァレリアンは小さく肩をすくめた。


「現実として、近衛もレウヴィス・ガードも、騎士家出身が多い。騎士家は、才覚のあった騎士たちの末裔だ。ボクのルーベル家もね。剣の振り方だけじゃない。誰の顔色を見るか、どこまで踏み込むか。そういう空気を叩き込まれて育つんだよ」

「政治を読む力、か」

「読めない近衛は、長く生き残れないって言われてるよ」


 でも、と彼は続ける。

「レウヴィス・ガードは、逆。意図的に政治から距離を置かれている」

「置かれている?」


「人事も命令系統も、一人の騎士長じゃ動かせない。王都防衛という名目で、権力を分散させてるんだ」

「それは、安全な地位だね」

「安全なもんか。実際は、政治の真ん中だよ。騎士家、商会、各騎士団。全部が王都に集まる。レウヴィス・ガードは、その間で板挟みにされる役なんだ」


 それは欠点であり、同時に利点だった。ある意味で、我の強いバベルの騎士長たちを押さえているのがレウヴィス・ガードとも言える。王都の盾とは、なんとも皮肉な呼び名だ。


「……フランチェスカは」


 名前を出すと、ヴァレリアンはわずかに言葉を切った。


「彼女は例外だろうね」

「近衛にも、ガードにも向いてない?」

「向いてないんじゃない」


 断言するが、否定できる要素が見当たらなかった。


「彼女が入れば、制度の方が歪むよ。白騎士家には騎士家が持つべき兵役義務がないのも、彼らの立場が騎士長の家系に次ぐ圧倒的なものだからなんだろう」


 白騎士家。墓の魔女の操家。

 力そのものが、政治的圧力になる存在。


「白騎士家は、区の枠すら越えるんだ。彼女自身が政治的な駒であり、切り札だからね」

「だから、どこにも収まらない」

「そう」


 ジルベールが思っていたより、ヴァレリアンはずっと達観していた。それも田舎育ちではなく、騎士家という権力と政治と隣り合わせの場所に生まれたからなのだろう。


「派手な戦果なんて、平時の騎士にはほとんど巡ってこない。だから評価されるのは、命令を正確にこなすこと。規律を乱さないこと。上官に恥をかかせないこと」

「強さとは別だ」

「別だね。でも、それが騎士団だよ」


 ヴァレリアンは指を折りながら続ける。


「まず、騎士叙任後に小隊配属。そこで三年、問題を起こさない。次に、補佐役として中隊に呼ばれる。ここで上官に覚えられるかどうかが分かれ目だ」

「覚えられる、か」

「それも有能だから、じゃなくて。使いやすいから、で決まるんだと思うよ」


 その言葉に、ジルベールはフランチェスカの声を思い出す。

 ――扱いやすいわ。


「……嫌な言い方だな」

「でも、本当さ」


 ヴァレリアンは否定しなかった。


「命令を理解するのが早い。無駄な正義感を振りかざさない。それでいて、いざという時に逃げない」

「英雄じゃなくて、歯車ってことか」

「そう。優秀な歯車」


 沈黙が落ちる。回廊の向こうで、鐘の音が鳴った。


「それでも、出世すれば裁量は増える」

 ヴァレリアンは最後にそう付け加えた。


「白騎士みたいにはなれない。でも、現場を動かす権限は手に入る。守れる人数も、選べる任務も、少しずつ増える」

「……足りないかも知れない」

 誰にも聞こえないように、ジルベールはそう呟いた。

 世界を変える力なんて、最初から持っていない。それでも、自分の世界を救ってくれた存在に恩返しするには、それほどの力が求められている。


「ジルベール」

 ヴァレリアンが、少しだけ真面目な顔で言った。


「君は、出世に向いてると思うよ」

「どこがだよ」

「さっき言った条件、全部満たしてる」


 冗談めかした口調だったが、そこに嘘は感じられなかった。


「……褒め言葉としては、微妙だ」

「騎士団では、最高級さ」


 二人は小さく笑い、再び歩き出す。夕暮れの光が、回廊を赤く染める。


「でもさ」


 ヴァレリアンは静かに言った。


「ボクらが選ぶのは、強さじゃないんだ。そもそも持ってないしね。上に行って、分かれ道に立ったとき。選ぶのは、どこまで政治を背負うか、だと思う」


 剣を振る理由が、いつの間にか、国家の都合と結びついている。

 ジルベールは頷いた。

 自分が立つ場所を、まだ選べていないまま。


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