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《騎士学校》 1

 騎士家には、明確な序列があった。

 最も普遍的なのは、世襲可能な家名と家紋を持つだけの騎士家。その上に銀騎士――ズィルバ。さらに金騎士――ゴルト。そして最上位に位置するのが、白騎士――ヴァイスである。


 家紋には例外なく剣が描かれるが、その剣の色が家格を示す。鉄色、銀、金、そして白。単なる意匠ではなく、騎士団における発言力、任務の選択権、政治的な庇護、そのすべてに直結する色だった。

 ヴァレリアンのルーベル家は銀騎士家で、確かに一般的な騎士家よりは格が高い。地方では名門と呼ばれてもおかしくない家柄だ。だが、最上位の白騎士であるフランチェスカ・クルエラルの前では、その家格ですら霞む。

 ヴァレリアン自身、表立ってそれを口にすることはないが、彼の態度の端々に滲む慎重さが、序列の絶対性を物語っていた。


 それは教官である騎士たちも同じだった。

 訓練場にドレス姿のフランチェスカが現れても、誰一人として注意しない。剣を帯びず、汗一つ流さず、日陰から訓練を眺めているだけだというのに、だ。

 彼女は不意に気が向けば訓練場に顔を出すが、泥と血にまみれる鍛錬に参加することは一度もなかった。ただ、涼しい顔で候補生たちの動きを目で追い、ときおり宝石を弄ぶ。その視線が注がれた者は、捕食者を前にした蛙のように動きが硬くなる。

 女性の騎士候補生も少なくはない。だが、彼女たちですらフランチェスカには近寄らなかった。嫉妬でも敵意でもない、もっと根源的な忌避だ。


 結果として、フランチェスカはいつも一人だった。

 彼女はいつも退屈そうだったし、実際のところ暇だった。

 だから、訓練が終わって全身に鈍痛が響くジルベールが呼び出される。

 レギオンという、盤上に部隊を配置して戦わせる古いボードゲーム。思考力と読み合いを要するそれを、フランチェスカは好んだ。ジルベールは一度も勝ったことがない。

 もう一つの趣味として、フランチェスカはよく宝石を磨いていた。紫水晶、黒曜石、名前も知らない鈍い光を放つ石。どれも異様に重く、手に取ると微かな冷気を帯びていた。

 この半年で、ジルベールはすっかり彼女の身の回りの世話に慣れてしまった。


 昼食の貴重な休憩時間に、昼まで眠っているフランチェスカを起こすところから一日は始まる。厚手のカーテンを少しだけ開け、差し込む光の加減を見極め、声をかける。機嫌を損ねないように。

 なぜか彼女専用に用意されている料理を受け取り、銀器に盛られたそれを部屋まで運ぶ。香辛料の香りも、肉の質も、候補生用の食事とは明らかに違う。

 それから、同じような色合いでありながら微妙に違うドレスを何着も前に並べ、彼女の気分に合うものを選び、着替えを手伝う。指示は曖昧で、気分次第だ。

 すべてを終えると、ジルベールは慌てて訓練場へ戻り、再び汗と泥に塗れる。


 日暮れ。

 訓練が終わると、また呼び出される。フランチェスカの暇つぶしの相手として。

 汗臭いのは気に障るらしく、彼女の不興を買わぬよう、ジルベールは日に三度もシャワーを浴びていた。冷水ではなく、温水だ。訓練後の身体にそれは贅沢すぎるほどで、宿舎の中でこれほど清潔な候補生はいないだろうと、妙な自信すら芽生えていた。

 ただ、一つだけ気になることがあった。

 フランチェスカは、眠るときですら幾つものアクセサリーを身につけたままだった。首元の宝石、指輪、腕輪。外そうとする気配は一切ない。


 それは飾りというより、護符に近い執着だった。

 まるで、何かを恐れているようだった。

 だが、恐れられる側であるフランチェスカが、いったい何を怖がるというのだろう。

 ジルベールは、その疑問を口に出すことはなかった。

 白騎士家の娘。アンダーテイカー。死を操る家系。

 知らない方がいいことも、世の中には確かに存在する。

 













 最初に叩き込まれたのは、六区特有の剣術思想だった。

 朝の訓練場に並べられた武器架を見た瞬間、ジルベールは息を呑んだ。

 そこには、剣だけが並んでいるわけではない。直剣、湾刀、両手剣、長槍、短槍、戦斧、手斧、戦鎚、鉤の付いた鎌、刃物というより農具に近いものまで含まれている。


「剣術という言葉に惑わされるな」

 教官の騎士は、低く抑えた声で言った。


「六区の騎士が学ぶのは、武器の使い方ではない。戦い方だ」


 候補生たちは一列に並ばされ、次々と武器を手渡される。

 剣で構えを取り、数合打ち合ったかと思えば、即座に槍へ持ち替えさせられる。間合いが変わり、重心が変わり、動きの理屈が変わる。その切り替えに一瞬でも遅れれば、木剣や鈍刃であっても容赦なく打ち据えられた。

 ジルベールは必死だった。

 剣で身につけた感覚が、他の武器では足を引っ張る。斧は重く、振り下ろした瞬間に身体を持っていかれる。槍は長さゆえに油断すると穂先が遅れ、鎌に至っては刃の向きすら直感と反する。

 腕が痺れ、掌の皮が裂け、呼吸は荒くなる。


 だが止まることは許されない。六区の合成剣術は、「慣れるまで待つ」訓練ではなかった。

 その中で、ヴァレリアンや他の騎士家の候補生の動きは明らかに異質だった。

 完璧ではないが、武器ごとの身体の使い方を知っている。槍では自然に腰が落ち、斧では踏み込みを深く取る。幼い頃から、六区の騎士家として基礎を叩き込まれてきたことが、動きの端々に滲んでいた。


「やっぱり……違うな」


 短い休憩の合間、ジルベールが息を整えながら言うと、ヴァレリアンは苦笑した。


「六区の騎士家なら、武器を一つしか振れない方が珍しい。遠征は百年以上ないけど、訓練だけは変わらないからね」


 ――遠征はない。

 それは、この世界の騎士なら誰もが知っている事実だった。人域が確立され、境界が固定されてから、騎士団が大規模に外へ出た記録はない。それでも訓練は、まるで明日にも戦争が始まるかのように続けられている。

 午後になると、訓練はさらに苛烈になった。

 候補生たちは正式な騎士鎧を着用させられる。叙勲前の仮装備とはいえ、重量も可動域も本物に近い。金属が肩と腰に食い込み、身体の動きを否応なく制限する。


「基礎体力はあって困るものではない」

 教官はそう告げた。


「鎧を着たまま、走れ」


 合図と同時に、候補生たちは走り出す。

 数分で、鎧の内側は蒸し風呂のようになる。汗が溜まり、呼吸は浅く、金属が身体の熱を逃がさない。脚を上げるたびに、鎧が一拍遅れて追いつき、関節に負担がかかる。

 ジルベールは歯を食いしばった。

 一次試験の外周走よりも、確実にきつい。あの時は重りを背負っていたが、今は身体そのものが拘束されている。自由を奪われた状態で動き続ける感覚が、精神を削ってくる。

 次々と候補生が転倒していく。まだ鎧のバランスに慣れていないものが多かった。

 倒れた者は引きずり出され、鎧を外され、無言で脇へ運ばれる。教官たちは一切声を荒げない。倒れた者たちには、ただ無力感だけが残った。


 ヴァレリアンでさえ、呼吸は乱れ、顔色を失っていた。

 それでも彼は走り続ける。六区の騎士家に生まれた者として、ここで止まるわけにはいかなかった。

 ジルベールも同じだった。剣の才能はない。だが、この場から落ちる理由は、もうどこにもなかった。

 騎士学校は、戦場ではない。それでも、確実に人を削り、ふるいにかける場所だった。

 鎧走が終わった直後、候補生たちはほとんど休憩も与えられないまま、別の訓練場へと移動させられた。

 そこは都市の外縁に近い、広大な馬場だった。踏み固められた土と砂、柵、厩舎。だが空気は先ほどまでの訓練場とはまるで違う。生き物の気配が、濃い。

 厩舎の扉が開かれると、低く荒い鼻息と、蹄が地面を叩く音が一斉に響いた。


「騎士馬だ」

 教官の一人が言う。


「魔獣との混血種。人の馬より遥かに体力があり、気性も荒い。一ヶ月以上走り続けることができるが、だからこそ、扱えなければ意味がない」


 引き出されてきた馬は、どれも異様だった。

 体躯は大きく、筋肉の盛り上がりが明らかに普通の馬とは違う。眼は鋭く、知性すら感じさせる光を宿している。耳はわずかに尖り、血のどこかに魔獣が混じっていることを否応なく主張していた。


「純血の魔獣ではない。だが混血だからこそ、人に従う余地がある」

 そう付け加えられる。


「従わせられれば、だがな」


 候補生たちの表情が硬くなる。

 剣術の訓練や鎧走とは違う。ここでは、力や根性だけではどうにもならない。相手は生き物であり、明確な意思を持っている。

 ヴァレリアンは、馬を前にしても落ち着いていた。

 六区出身の騎士家の子として、幼い頃から基礎的な馬術は叩き込まれている。馬の首筋に手を置き、静かに呼吸を合わせる。馬が一度鼻を鳴らし、それ以上暴れなくなったのを確認してから、無駄のない動作で鞍に跨った。

 動きは滑らかで、恐れがない。

 混血の騎士馬も、それを感じ取ったのか、荒々しさを抑えて歩き出した。


「……さすがだね」


 ジルベールが呟くと、ヴァレリアンは小さく肩をすくめた。


「騎士家の者なら、乗れない方が問題なんだよ」


 その一方で、ジルベールは苦戦していた。

 馬に近づいた瞬間、威圧するように首を振られ、地面を踏み鳴らされる。目を合わせただけで、内臓が縮むような感覚が走った。

 山で相手にしてきた獣とは違う。この馬は、人の弱さを知っている。

 鞍に手をかけ、思い切って跨ろうとした瞬間、身体が弾かれるように振り落とされた。地面に叩きつけられ、息が詰まる。周囲から小さなどよめきが上がった。


「焦るな」

 教官の声が飛ぶ。


「力で押さえつけようとするな。認めさせろ」


 簡単に言う。

 だが、それがどれほど難しいか、ジルベールは身をもって理解していた。剣なら、敵意は分かりやすい。だが、この馬は、ただ乗せないと決めているだけだ。

 何度目かの挑戦で、ようやく跨ることはできた。

 だが次の瞬間、騎士馬は暴れ出す。身体を左右に振り、跳ね、前脚を高く上げる。鎧の重みが災いし、バランスを取るだけで精一杯だ。

 必死にしがみつきながら、ジルベールは思う。

 自分には戦場で、これに乗る余裕があるのか。

 その疑問は、ふとした瞬間に答えを与えられた。

 馬場の端に、いつの間にかフランチェスカが立っていた。


 訓練用の簡素な服装ではあるが、どこか場違いなほど整っている。髪を背に流し、黒い手袋を嵌めたまま、静かに一頭の騎士馬へ近づいた。

 周囲の空気が、目に見えて変わる。

 騎士馬は、彼女を前にして一度嘶きかけ、そのまま、黙った。

 暴れる気配も、拒絶もない。ただ、じっと彼女を見つめている。

 フランチェスカは迷いなく鞍に跨る。


 合図も鞭も使わない。ただ背筋を伸ばし、軽く手綱を引くだけで、騎士馬は従順に歩き出した。

 その動きは、芸術的だった。

 暴力的な支配ではない。命令でもない。まるで、最初からそうあるべき主と従者であったかのような自然さ。

 候補生たちから、抑えきれない感嘆の息が漏れる。教官たちですら、何も言わずに見守っていた。


「……すごいな」


 ジルベールが呟くと、隣でヴァレリアンが低く答える。


「流石に白騎士家だね。死体だけじゃなく、生き物の扱いにも長けてる」


 フランチェスカは軽く馬を走らせ、障害を越え、再び静止させる。その一連の動作に、無駄が一切なかった。

 やがて彼女は下馬し、こちらを見る。

 視線が一瞬、ジルベールに留まった気がした。


「……形だけの訓練ね」


 誰にともなく、そう言った。

 ヴァレリアンが小さく苦笑する。


「百年以上、遠征はないからさ。騎士馬が実戦で使われることも、ほとんどないんだ」

「なんでそれでも続けてるんだよ」


 フランチェスカの問いに、答えたのはジルベールではなく、教官の背中だった。


「遠征は、団長が決めることだ。我ら騎士はその時を、万全の準備で待つ」


 その言葉は、重く、静かだった。

 遠征はない。

 だが、戦う準備だけは、決して終わらない。

 ジルベールは、再び騎士馬を見上げる。

 従うことも、拒むこともできる存在。その背に乗る資格が、自分にあるのかは分からない。

 けれどこの学校は、それを確かめるための場所なのだ。

 











 訓練が終わり、陽が傾き始めると、騎士候補生たちは重い足取りで馬場を後にしていった。土と汗の匂いが残る空間に、まだ余熱のようなざわめきが漂っている。その中で、フランチェスカだけは最初から最後まで、場の空気に呑まれることなく佇んでいた。

 彼女は馬場脇の石壁に腰掛け、髪を肩に流したまま、静かに手袋を外している。訓練用の簡素な服装でありながら、その所作に乱れはなく、どこか舞台の上に立つ役者のようだった。混血の騎士馬を完璧に操り切った直後だというのに、呼吸一つ乱れていない。

 ジルベールは、気づけばその姿を目で追っていた。

 声をかける理由を探していたわけではない。ただ、今なら話してもいい気がした。


「君ってさ、ちゃんと騎士なんだね」


 フランチェスカはすぐには振り返らなかった。手袋を整え、丁寧に畳んでから、ようやく視線を向ける。


「そう」


 短い返答。それだけで終わらせることもできたはずだが、彼女は続けた。


「騎士家にとって、馬を制御できないのは欠陥よ。特別なことじゃないわ」


 その口調には誇示も謙遜もない。ただ事実を述べているだけだった。

 ジルベールは一瞬言葉に詰まり、それから正直に言う。


「でも、皆感心してたよ。あれだけ荒い混血なのに、完全に言うことを聞かせてた」

「あの程度で荒いと言われても困るわね」


 フランチェスカは小さく肩をすくめる。

「彼らは魔獣の血を引いているけれど、所詮は家畜よ。訓練され、用途を与えられた存在。感情を読んであげる必要はないわ。癖と反応を把握すればいいのよ」


 その言葉は冷淡にも聞こえたが、不思議と嫌悪はなかった。

 むしろ、無駄な情を排した合理性が、彼女の強さを際立たせている。


「……君らしいね」

「どういう意味かしら」

「なんていうか、君っていつも迷いがない」


 フランチェスカは一瞬だけ目を細め、それから小さく笑った。

 それは嘲りでも皮肉でもなく、ほんのわずかな機嫌の良さを示すものだった。


「賛美として受け取っておくわ」


 彼女は立ち上がる。近くで見ると、やはり整った顔立ちだった。暗い髪は夕暮れの光を受けて艶を増し、背筋はまっすぐ伸びている。華奢に見えて、その内側に折れない芯を感じさせる立ち姿だった。


「ねぇ、ジル」


 急な愛称で呼ばれ、彼は背筋を伸ばす。彼女とも友達でもなく、歪な主従に近い関係だったので、そう呼ばれたことはそれなりに強い違和感だった。


「アナタって、愚鈍なだけかも知れないけど。他の誰とも違うわね」

「……そうかな」

「ええ。過剰に畏れないし、媚びもしない」


 彼女は彼を値踏みするように一瞥し、すぐに視線を外す。


「扱いやすいわ」


 それは決して貶しではなかった。むしろ、彼女なりの信頼の示し方だった。


「はいはい。光栄だよ」


 ジルベールは真面に受け取らずにそう返すと、フランチェスカは一瞬だけ口元を緩めた。


「ええ。顔も悪くないわ」


 さらりと言い放たれたその一言に、彼は返す言葉に迷う。別に悪い気はしなかったが、剥製にでもされそうで少し怖かった。


「行きましょう。夕食の時間よ。偶には食堂に行こうかしら。供をなさい」

「……提案?」

「命令よ」


 そう言って、彼女は歩き出す。

 ジルベールは少し遅れて、その少し後ろに続いた。

 強く、気丈で、誰にも縋らない淑女。その横顔を見ながら、ジルベールは思う。

 彼女は恐れられる存在である前に、確かに騎士なのだと。

 静かに、二人の距離は縮まりつつあった。けれどそれは甘さとは無縁で、硬質で、危うい均衡の上に成り立つ親近だった。


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