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《騎士の矜持》 4

 六区の首都ヴァルハイム。その中心部に築かれた騎士学校は、街そのものから切り離された一つの領域のように存在していた。鋼の都と称されるヴァルハイムでさえ、この区画だけは異質だった。石と鋼で組み上げられた塀は高く、無駄な装飾を一切持たず、ただ堅牢であることのみを是としている。外から見上げれば、守るための建造物というより、人を選別し、閉じ込めるための器に見えなくもなかった。

 合格者たちは列を作り、敷地の奥へと導かれていく。足音が揃わない。誰もが疲労を引きずり、興奮と緊張が混じった沈黙を纏っていた。ジルベールもまた、その一人だった。試験を越えたという実感は薄く、ただ身体の奥に残る鈍い痛みと、まだ終わっていないという予感だけが確かだった。


 最初に案内されたのは、装備受領室だった。天井の高い石造りの広間に、同じ形の鎧と剣が、まるで倉庫の在庫のように整然と並べられている。そこには、個人の名も家名も存在しない。誰が身に着けても同じであることを前提に作られた、騎士学校の「標準」だった。

 ジルベールが受け取った鎧は、見た目以上に重く、しかし無駄のない造りをしていた。肩に載せると、ずしりとした重みが身体の芯まで伝わる。だが、不思議と拒絶感はなかった。一次試験で背負った五十バルムの袋に比べれば、これは「着るために設計された重さ」だったからだ。動くことを前提にした重量。その違いを、身体が理解していた。


 続いて渡された仮の剣は、よく研がれた直剣だった。刃文もなく、魔力の気配もない。ただの鋼の塊。握った瞬間、冷たさが掌に残る。腰に下げた魔剣ゼルザーの存在が、逆に意識に浮かぶ。まだ一度も使ったことのない、異様な業を秘めた剣。だが、この場で求められているのは、それではない。


「手入れを怠るな」


 装備を渡す騎士は、感情のこもらない声で告げた。


「剣も鎧も、命を預けるものだ。錆びさせる者に、騎士の資格はない」


 それは忠告というより、前提条件の確認のようだった。続けて語られた規則も同様だ。訓練期間中は、全員が同一の装備を用いること。家伝の武具、魔剣、加護の品は原則として使用禁止。才能も血筋も一度ここで均される。その代わり、正式に任務へ就いた際の装備は、各自の自由に委ねられる。

 何を持ち、何を振るうか。その選択の責任は、すべて本人が負う。

 ジルベールは、その言葉の重さを、今はまだ正確に測れなかった。ただ、自由という言葉の裏に潜むものが、決して軽くないことだけは分かった。


 説明を終えた一行は、宿舎へと案内された。騎士学校の宿舎は、質素で、しかし整然としている。長い廊下の両脇に、規則正しく並ぶ扉。白い石壁に反響する足音が、やけに大きく響いた。窓から見えるのは、鋼の都の屋根と、遠くに連なる城壁だけだ。外界との距離を、否応なく意識させられる。

 部屋割りの札を確認し、ヴァレリアンはジルベールの方を見た。


「同室みたいだね」


 軽い口調だったが、その声には安堵が滲んでいた。二人部屋は決して広くはないものの、清潔で、寝台と机が二つずつ備えられている。テント暮らしを思えば、これ以上を望むのは贅沢だった。

 荷を置き、ようやく一息ついた、そのときだった。

 控えめなノックが、部屋の扉を叩いた。

 扉を開けた瞬間、空気が変わった。

 そこに立っていたのは、フランチェスカだ。紫紺の髪は静かに背へ流れ、黒を基調とした外套が、宿舎の簡素な廊下の中で浮いて見える。彼女がそこにいるだけで、周囲の空間がわずかに歪むような感覚があった。


「やっぱり、ここだったのね」


 低く、柔らかな声。黒曜石のような瞳が、部屋の中を一巡し、それからジルベールへと向けられる。


「決めたわ。アナタ、ワタクシの身の回りの世話係をやりなさい」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

 フランチェスカは当然のことのように続ける。


「掃除、洗濯、書類の整理。必要なら買い出しも。騎士学校には使用人を連れて来られないでしょう? 不便で仕方がないの」


 ジルベールが断ろうと口を開いた、その瞬間だった。

 彼女は無造作に、ジルベールの手のひらへ何かを置いた。ずしりとした重み。冷たい金属の感触。

 金貨だ。それも一枚ではない。村で一生触れることのない量が、無遠慮に積まれている。


「給金よ」


 淡々とした声。


「見た目は及第点だし、動きも悪くない。それに……首飾りの件も、まだ終わっていないでしょう?」


 逃げ道は、最初から用意されていなかった。

 ジルベールは金貨を握りしめたまま、何も言えなかった。隣でヴァレリアンが、言葉を探すように口を開きかけて、結局閉じる。

 フランチェスカは満足そうに微笑み、踵を返す。


「一週間後から訓練ね。それまでに、ワタクシの部屋を整えておいて。場所は二階の端よ」


 確かそこは近衛騎士が泊まるときに使われる部屋だと説明を受けた気がしたが、数時間前のその説明は過去のものなのだろう。

 彼女は去り際、ふと思い出したように振り返る。


「逃げても無駄よ。騎士学校は、思ったより狭いの」


 扉が閉まり、静寂が戻る。

 部屋に残ったのは、重たい沈黙だった。

 廊下の向こうへ消えたフランチェスカの足音は、いつの間にか聞こえなくなっている。それでも、彼女がまだすぐ近くにいるような錯覚が、空気の中に残っていた。

 ジルベールは、手のひらの金貨を机の上にそっと置いた。金属が木に触れる乾いた音が、やけに大きく響く。

 椅子に腰を下ろし、しばらく天井を見つめてから、ぽつりと口を開いた。


「あのさ、クルエラル家ってどのくらい偉いの?」


 冗談めかした調子にしようとしたのだろうが、声はどこか強張っていた。ヴァレリアンは一瞬だけ視線を逸らし、それから低く息を吐く。


「君、アンダーテイカーを知らないのかい? 逆らえば死んでも死体が野ざらしになるって言われてるくらい、葬儀業界を独占してる家だよ」


 淡々とした説明だった。だが、その内容は淡々としていていいものではない。

 死体が野ざらしになる。その具体的な表現が、やけに胸に残る。


「それに病魔公エルシニア様が抱える三つの操家の一つで、最上位の白騎士家だ。名誉も権力も、騎士団の中枢に食い込んでる。表向きは、だけどね」


 ヴァレリアンは苦い顔で続ける。


「悪い噂も絶えないし……正直、関わらないで済むなら、その方がいい相手だ」


 ジルベールは何も言わず、机の上の金貨を見つめた。

 フランチェスカの声、笑み、距離を詰めてきたときの視線が、ありありと脳裏に蘇る。

 選択とは、自分が出来るものだと思っていた。だが、それは最初から勘違いだったのだ。

 彼女の言葉は忠告ではなく、世界の仕組みそのものみたいで。

 騎士学校に入ったはずなのに、気づけば自分は、剣とは別のものを握らされている。

 それが鎧よりも重く、剣よりも鋭い「立場」だということを、ジルベールはようやく理解し始めていた。


 窓の外では、鋼の都ヴァルハイムが夕暮れに沈みつつある。

 騎士を育てる場所で、同時に、何か別のものが静かに選別されていく。

 その中心に、死を纏う淑女がいる。

 ――逆らわない方が良い。

 その結論だけが、妙にはっきりと胸に残っていた。

 


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