《騎士の矜持》 2
騎士学校への試験は一週間後に控えており、都市ヴァルハイムにはそれまでの間、志願者たちを受け入れるための仮初めの居場所が用意されていた。とはいえ、それは都市の内側ではない。堅牢な城壁の外、街道と野営地の中間のような場所に、粗布と木枠で組まれた仮設テントが林立しているだけだ。都市の宿を借りる金のない者は、例外なくそこに寝泊まりする。
村を出るとき、ここに来るまでの路銀と、祖父から持たされた銀貨三枚。それがジルベールの全財産だった。選択肢は最初からなかった。彼は迷うことなくテントに入り、固い地面の上で毛布に包まりながら、迫る試験の日を待つことになる。夜になれば外気は冷え、都市の壁に反響する遠い音だけが眠りを妨げたが、星剣を背負った背中は、不思議と落ち着いていた。
一つの区で騎士学校の試験を受ける者は、毎年一万人を超える。辺境からの志願者、騎士家の次男三男、没落貴族、平民の中でも腕に覚えのある者たち。だが実際に騎士学校に入れるのは、そのおよそ十分の一に過ぎない。そこからさらに二年間の過酷な訓練期間を経て、ようやく叙勲され、正式な騎士として人域を守護する任務に就く。試験は受ける人数が多いという都合で三度に分けて行われ、ジルベールは辺境出身という事情から、最後の試験に挑む組に回されていた。
一週間後の朝、テント周辺には同じ試験を受ける志願者たちが自然と集まり、思い思いに声を掛け合っていた。不安を隠そうと冗談を言う者、己の武勇を誇る者、無言で剣を磨く者。熱気と緊張が入り混じった空気の中で、ジルベールは一人、少し離れた位置から周囲を眺めていた。
そのとき、ひときわ目を引く存在が視界に入る。金髪の青年だった。中央で分けられた髪は妙に癖があり、整えられているのにどこか跳ねている。その緑の瞳と、過不足なく整えられた装いから、騎士家の出だとすぐに分かる。何より、身に着けている鎧が違った。
白を基調としたプレートアーマーには、緑金色の模様が精緻に施されている。ただの装飾ではない。魔術式だ。陽光を受けて淡く光るその鎧は、まるで武具そのものが持ち主の身分を誇示しているかのようだった。
ちょうど視線が合い、次の瞬間、彼の方から歩み寄ってくる。
「そこの君、良い剣を下げているじゃないか。それ以外の装備は貧弱なようだが……」
腰に下げた魔剣ゼルザーが、やはり目に留まったらしい。剣の存在感だけで、貴族と誤認されるのは、これで何度目だろうか。青年はそのまま言葉を続ける。
「ボクの名はヴァレリアン・フォン・ルーベル。銀騎士ルーベル家の三男だ。騎士家として、平民を守るのは使命であり、騎士に志願するのは誉れそのもの。君もその志あってここに来たんだろう?」
「ジルベール・デュラン。でも僕は」
否定しようとした言葉は、あっさり遮られた。
「みなまで言うな。平民たちを下に見るつもりはないが、装備の差は家格の差。君もボクの鎧を見てハッとしただろう」
言われて改めて目を向けると、その鎧の完成度は確かに目を見張るものがあった。緑金の模倣が施された白い装甲は、光を柔らかく反射し、関節部の造りも実に洗練されている。模様は術式を描いており、纏うだけで何らかの魔力的な補助を得られるのは想像に難くない。
「志願に当たって、父様から頂いた魔法の込められた鎧だ。内側にはヒポグリフの羽が縫い付けられていてシルクのように軽く、持った物質の重量を下げ、また跳躍力を上げる魔法も込められている。君の剣と同じように、平民では手が届かない一級品さ」
「それは凄いね」
素直にそう返すと、ヴァレリアンは満足そうに頷いた。
「そうだろう? ボクが受からなければ弟が騎士にならなくてはいけないからね。医師を志す弟のためにも、ボクが騎士となってこの区を、ひいては人域を守護する盾とならなければ」
その言葉には、誇りと責任が同時に宿っていた。ジルベールが返す言葉を探していると、場の空気を切り裂くように、試験官の騎士の声が響く。志願者たちは一斉にそちらを向いた。
「まず基礎的な体力を測る。最低限の肉体的素質がなければ、騎士の訓練には一日たりとも耐えられん」
試験官の声は低く、乾いていた。都市の石壁に反響し、逃げ場なく耳に突き刺さる。
「やることは単純だ。この都市ヴァルハイムを囲む外壁――その全周を、明日の二次試験開始までに一周してこい」
一瞬、志願者たちの間にざわめきが走った。
都市ヴァルハイムは“鋼の都”と呼ばれるだけあり、外壁は果てしなく長い。だが、それでも「一日」という猶予が与えられたことで、胸を撫で下ろす者が少なくなかった。夜通し歩けば、なんとかなる。徒歩でも不可能ではない。そう判断した者が大半だった。
だが、試験官はその空気を待っていたかのように、間を置かず続ける。
「ただし」
その一言で、場が静まり返る。
「こちらで用意した背負い袋を持て。その重量は、騎士が実戦で纏う全身鎧と同等――五十バルムだ」
どよめきが、今度は明確な恐怖を伴って広がった。
五十バルム。人一人分に近い重量。穀物袋に換算すれば十袋以上。成人男性が背負って立ち上がるだけでも難しい質量だ。それを背負ったまま、舗装されていない都市外周を一昼夜以内に踏破しろという。休憩も、交代もない。転べば終わりだ。
「なお、途中で倒れ、動けなくなった者は失格とする」
淡々と告げられる条件に、喉を鳴らす音があちこちで響いた。
「これは競争ではない。完走できたかどうか、それだけを見る。言い換えれば――限界を超えられぬ者は、ここで切り捨てる」
さらに、追い打ちがかかる。
「魔道具の使用は一切禁止する。魔力の宿った武具、防具、装飾品はすべて預かる。己の肉体のみで来い」
その瞬間、誰かの声が情けなく漏れた。
「……え?」
ヴァレリアンだった。先ほどまで誇らしげに語っていた魔法鎧が使えないと理解し、顔から血の気が引いている。跳躍力も、軽量化もない。ただの五十バルムだ。
その横で、ジルベールは静かに息を吐いた。
山道。霧。足を取られる岩場。背に感じ続けた重み。ステラの言葉。祖父の剣。
――これなら、やれる。
そう確信できた者は、この場でそう多くはなかった。
合図の角笛が鳴ると同時に、外周路へと志願者たちは一斉に踏み出した。都市ヴァルハイムの壁は、近くで見上げると威圧という言葉すら生温い。鋼と石を幾重にも重ねた防壁は地平に沿って果てしなく延び、視線で追うだけで首が痛くなる。これを一周――言葉にすれば簡単だが、背中に括り付けられた五十バルムの重り袋は、最初の一歩から現実を突きつけてきた。肩に食い込み、鎖骨を軋ませ、歩くたびに内臓が遅れて揺れる。
序盤はまだ秩序があった。志願者同士、無意識に歩調を合わせ、列を保とうとする。だが、それは体力の余裕があるうちだけだ。十分も経たぬうちに、息遣いが乱れ、靴底が地面を擦る音が増え、列は伸びていく。ジルベールは、背負い袋の重心を感じ取りながら、淡々と足を運んだ。山で重荷を担いで尾根を越えた記憶が、身体の奥から呼び起こされる。焦るな、呼吸を切るな、脚ではなく胴で受けろ。
隣ではヴァレリアンが、早くも額に汗を滲ませていた。
「冗談じゃない……こんなの、鎧を着て戦う方がまだマシじゃあないか」
息を吐くたび、言葉が削れていく。貴族の子として整えられた身体は、魔法の補助に慣れすぎていたのだろう。
「無理に速度を上げるな」
ジルベールは視線を前に向けたまま言う。
「夜になれば冷気で体力が奪われる。けど、今急いでも持たない」
「夜って……」
ヴァレリアンは苦笑する。
「……冗談じゃないよ」
日が傾き始める頃には、外周路のあちこちで人が座り込み、あるいは倒れ込んでいた。肩を押さえ、膝を抱え、吐瀉に身を折る者もいる。監督の兵が静かに名を記し、脱落者を運ばせる。その光景が、否応なく時間の長さを刻みつける。
夕刻、影が伸びるにつれて空気が冷え、重りはさらに重く感じられた。汗で湿った衣服が体温を奪い、脚は鉛を詰めたようになる。会話は減り、足音と呼吸だけが延々と続く。そんな沈黙の中で、ヴァレリアンがぽつりと漏らした。
「……君は、どうしてそんなに平然としていられるんだ?」
「慣れてるだけだよ」
「士学院の訓練じゃ、ここまでやらないだろ」
「騎士家の出身じゃないからね」
その一言で、ヴァレリアンの顔がこちらを向いた。
「……は?」
「平民だよ。祖父が元騎士だった」
一瞬、彼の足が止まりかけた。
「じゃあ、その剣は……」
「縁があって手にしたんだ」
驚きと戸惑いが、彼の表情を行き来する。だが、やがて前を向き、歯を食いしばった。
「……信じられないな」
荒い息の合間に、彼は言葉を選ぶ。
「でも君は、ボクより強い……体力も、根性だって」
ジルベールは首を振った。
「強いかどうかは、最後まで走ってからだ」
それからヴァレリアンの目を見て、軽く笑いかける。
「だから、最後まで一緒に行こう」
「……ああ」
その言葉は誓いというより、必死な縋りだった。ジルベール自身、既に足取りは重くなっていた。
夜が完全に落ちると、外周路は昼とはまったく別の顔を見せた。空から色が抜け落ち、松明の火だけが点々と連なって、都市の外縁をかろうじて形作っている。炎は一定ではなく、風に煽られて揺れ、伸び、縮み、そのたびに地面の影が歪んだ獣のようにうねる。昼間には気にも留めなかった石畳の継ぎ目や、わずかな凹凸が闇に溶け、踏み出す一歩ごとに足裏の感覚だけを頼りに進まねばならなくなる。集中を一瞬でも欠けば、それは即座に転倒につながった。
闇の向こうで、何度も短い悲鳴が上がり、そのまま途切れる。痛みに耐えきれず声を上げたのか、心が折れたのか、それすら分からない。音はすぐに夜に吸い込まれ、残るのは重く引きずるような呼吸と、規則性を失った足音だけだ。時間の感覚はとっくに壊れていた。どれだけ進んだのか、あとどれだけ残っているのか、考えようとすると意識が遠のく。ただ次の一歩、その次の一歩と、機械のように脚を前へ出すしかない。
ヴァレリアンの息遣いは、いつの間にか明らかにおかしくなっていた。吸う音が浅く、吐くたびに喉が鳴る。肩は大きく上下し、腕は力なく揺れている。それでも彼は止まらなかった。いや、止まれなかったのだ。止まれば、その場で崩れ落ちて二度と立てないと、身体のどこかで理解していた。
だが、限界は唐突に訪れた。
ぬかるんだ土の中に潜んでいた小石に、つま先が引っかかる。ほんの僅かな躓きだった。昼間なら、まず転ぶことはなかっただろう。しかし、何時間も五十バルムを背負い続け、感覚の鈍った脚は、その修正を許さなかった。
ヴァレリアンの身体が前のめりになる。バランスを取ろうとした腕が空を切り、次の瞬間、彼は地面に叩きつけられた。
重り袋が遅れて背中から落ち、まるで追撃のように彼の身体を押し潰す。鈍く、湿った音が夜に響き、彼の肺から強制的に空気が絞り出された。
「……ぐっ」
彼の口から、声にならない呻きが漏れる。指先が石畳を掻くが、力が入らない。全身が鉛に変わったように重く、起き上がるという発想そのものが遠くみえた。呼吸をしようとしても、胸が上下せず、喉だけがひくりと動く。
痛みが遅れてやってくる。肩、背中、腰、膝。打ちつけた箇所が一斉に自己主張を始め、視界の端が白く滲む。耳鳴りがして、松明の火が幾重にも分裂して見えた。
無理だ。
そんな考えが、驚くほど静かに浮かぶ。悔しさよりも、安堵に近い感情が先に来た。もう走らなくていい。もう、この重さに耐えなくていい。その誘惑が、甘く胸を満たす。
だが同時に、ジルベールの背中が脳裏をよぎった。淡々と、確実に前へ進む背中。約束した言葉。
ヴァレリアンは歯を食いしばろうとして、力が入らず、ただ顎が震えるだけだった。視界の向こうで、松明の影が揺れ、誰かが通り過ぎていく。置いていかれる。その事実が、冷たい刃のように胸に突き刺さる。
呻き声すら上げられず、彼は石畳に額を押し付けたまま、ただ荒い息を吐き続けていた。
「……くそ……もう、無理だ」
ジルベールは足を止め、戻る。周囲には、同じように倒れ、立ち上がれなくなった者たちの姿が点々とあった。
「立てるよ」
「無茶言うな……君だけでも行ってくれ。ボクのせいで、君まで失格にさせるなんて、そんな失態は……」
ジルベールは黙って手を差し出す。
「約束しただろ。一緒に走るって」
数拍の逡巡の後、ヴァレリアンはその手を掴んだ。重い。だが、その重さは、さっきまで背負っていた袋と同じだ。引き上げ、肩を貸す。
「呼吸を合わせる。三歩で一息だ」
立ち上がった瞬間、ヴァレリアンの顔ははっきりと歪んでいた。歯を食いしばり、額から汗とも冷気に凝った露ともつかぬものが垂れ、頬の筋肉が引きつる。それでも、目だけはまだ死んでいなかった。焦点は揺れ、瞳孔は開ききっているが、そこには確かに前を見る意思が残っている。騎士家の三男として刷り込まれてきた矜持と、ここで終われないという執念が、折れかけた身体を無理やり立たせていた。
「……借りを、作ってしまったな」
声は低く、掠れている。感謝を口にする余裕などない。ただ事実だけを吐き出すような言い方だった。
「騎士になってから、返してよ」
ジルベールは息を整えきれないまま、短くそう返す。その言葉に、ヴァレリアンは一瞬だけ口角を上げた。それは笑みと呼ぶにはあまりに弱く、だが確かに前向きな表情だった。
再び歩き出す。最初は引きずるように、次第に歩幅を揃え、やがてごく遅い走りへ戻る。速度は、昼間の半分にも満たない。それでも止まらないことだけが、二人に課された唯一の課題だった。
夜明け前の冷え込みが、汗に濡れた身体へ容赦なく食い込む。筋肉は冷えて硬直し、関節は軋み、足裏の感覚はとっくに薄れている。視界の端が白く滲み、松明の火が流星の尾のように引き延ばされて見えた。何度も意識が遠のきかける。そのたびに、隣を走る足音と荒い呼吸が、現実へと引き戻した。
――一人だったら、もう倒れている。
互いに口には出さないが、その自覚は共有されていた。誰かが隣にいるという事実だけが、次の一歩を踏み出す理由になる。
やがて、空の色が変わり始めた。完全な黒が、わずかに藍を帯び、藍は薄い灰へと溶けていく。遠く、鋼の都ヴァルハイムの輪郭が、夜と朝の境目に浮かび上がる。都市門と集合地点の旗が、ぼんやりと視認できた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
周囲を見渡せば、もはや残っている志願者は数えるほどしかいない。道の脇には、座り込み、あるいは倒れ伏したまま動かない者たちの影が点々と続いている。その一人一人が、ここまで来るために削った時間と体力を物語っていた。
最後の直線。二人は言葉を交わす余裕すらなく、ただ前だけを見据える。脚は震え、肺は焼け付くように痛み、心臓の鼓動が耳の内側で暴れる。それでも、ほとんど転がるようにして、境界線を越えた。
次の瞬間、同時に力が抜ける。
地面に倒れ込み、背中の重り袋が鈍い音を立てて横に転がる。外す力すら残っていない。仰向けになり、ただ荒い息を吐き続ける。空気を吸うたび、胸が引き裂かれるように痛むが、それすら生きている証に思えた。
朝日が昇り、鋼の壁を照らす。冷たく無機質だった都市が、初めて温度を帯びたように見えた。
「……走り、きったっ」
ヴァレリアンが笑った。声は掠れ、喉の奥で途切れ途切れになる。それでも、確かな実感がこもっている。
「ぎりぎり、ね」
ジルベールも同じように笑う。喉が痛み、頬が引きつるが、不思議と心は軽かった。
二人はしばらく、何も言わずに朝の光を浴びていた。過酷な一夜を共に越えたという事実だけが、言葉以上に強く、そこにあった。
夜明けの集合地点には、すでに数百人の志願者が到達していた。壁際に座り込み、膝を抱えたまま動けない者。担架に載せられ、目を閉じたまま運ばれていく者。あるいは、歯を食いしばりながらも立ち続け、次の試験を待つ者。
ジルベールはその光景を、荒い息を吐きながら眺めていた。ステラに背を預けて鍛えられ、祖父に剣を叩き込まれてきたとはいえ、ここにいる者たちは皆、何かしらの積み重ねを持っている。自分だけが特別なわけではない。むしろ、この中ではまだ未熟な部類なのだと、静かに思い知らされる。
やがて、三時間ほどが過ぎた。休息と呼ぶには短すぎる時間だったが、身体を横たえ、呼吸を整えることだけはできた。その程度の猶予の後、二次試験が始まった。
二次試験は、騎士との一騎打ち。円形に区切られた訓練場の中で、志願者が一人ずつ騎士と剣を交える。数合打ち合い、その剣の振り、足捌き、間合いの取り方、そして疲労の中でどれだけ自分を保てるかを見られる。騎士流の剣術は合格後の二年間で徹底的に叩き込まれるとはいえ、剣を振る素地がなければ、訓練についていくことすら叶わない。
先に呼ばれたのはヴァレリアンだった。
彼は震える手を意志の力で抑え、剣を構える。疲労は隠しようがなく、踏み込みはわずかに鈍い。それでも、剣が動いた瞬間、騎士家の剣だと誰もが分かった。流れるような足運び、理に適った角度での受け、そして過不足のない反撃。数合の後、試験官の騎士が間合いを切り、「止め」と合図を出す。その場で合否は告げられないが、ヴァレリアンが戻ってくる背中には、確かな手応えが滲んでいた。
次に名を呼ばれたのが、ジルベールだった。
彼は背負っていた星剣を外し、ヴァレリアンに預ける。布に包まれた白亜の剣は、受け取ったヴァレリアンの腕をわずかに沈ませた。魔剣ゼルザーは腰に下げたままだが、抜くことはない。あれはまだ、一度も振るわれていない剣だ。力を知っているのは、竜だけで、自分自身ですらない。
試験用の剣を受け取り、円の中へ進む。手にした剣は、ごく標準的なものだ。重心も、刃の厚みも、特別な点はない。だからこそ、誤魔化しは利かない。
対面する試験官の騎士は、落ち着いた構えでこちらを見据えていた。年嵩で、無駄のない姿勢。剣先は僅かに下がり、誘うように間合いを保っている。
合図と同時に、騎士が踏み込んだ。
速い。だが、予測できない速さではない。ジルベールは剣を立て、正面から受ける。衝撃が腕に走り、痺れが指先に広がる。重い。五十バルムを背負って走り続けた後の身体には、その一撃だけで相当な負荷だった。
間合いが詰まる。
二太刀、三太刀。試験官は、あえて力を抑えながらも、確実に崩しにかかってくる。ジルベールは受け流し、刃をずらし、下がりすぎないよう足を動かす。脚はまだ重く、踏み込みのたびに太腿が悲鳴を上げる。それでも、間合いを外さない。
――耐えろ。
祖父の声が、頭の奥で響く。
攻めようとするな。今は、崩れないことだけを考えろ。
試験官の剣が、わずかに角度を変える。横薙ぎ。ジルベールは刃で受けきれず、柄で逸らす。火花が散り、手首に衝撃が走る。体勢が浮きかけるが、即座に一歩引いて立て直す。その動きに、試験官の目が僅かに細まった。
反撃の隙は、確かにあった。だが、踏み込めば、脚がもたない。ジルベールは無理をせず、短い突きを一度だけ繰り出す。牽制に過ぎない一撃だったが、剣先は正確だった。試験官はそれを軽く払う。
数合が過ぎる。呼吸が荒くなり、視界の端が暗く滲む。それでも、剣は落ちない。腕は震えているが、構えは崩れない。
やがて、試験官の騎士が一歩下がり、剣を引いた。
「止め」
その声で、緊張が一気に抜ける。
ジルベールは一拍遅れて剣を下ろし、深く息を吐いた。合格か、不合格かは分からない。ただ、ここで出せるものはすべて出した。その確信だけが、疲労で重くなった身体の奥に、静かに残っていた。




