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第2話

最初の患者は、花粉症だった。


 DMのやり取りは、短くて、切実だった。


 「本当に治りますか」

 「薬も効かないです」

 「毎年この時期になると、何も楽しくなくなります」


 文体から、若さが滲んでいた。


 年齢を確認すると、女子高生だという。正直、少しだけ躊躇した。だが、向こうは迷っていなかった。


 「十万円です」


 そう送ると、既読がつくまで少し間があった。


 高い設定だと思った。花粉症だ。命に関わる病気でもない。普通なら、ぼったくりだ。


 それでも、返信はすぐだった。


 「払えます」


 理由を聞くと、こう返ってきた。


 「バイトして、ずっと貯金してました」

 「最近は結構割りのいいバイトがあるので」



 待ち合わせ場所は、駅から少し離れたビジネスホテルだった。


 こちらは、帽子とマスクを着けている。キャップを深くかぶり、顔はほとんど見えない。


 部屋に入ると、まず机を指さした。


 「先に、支払いをお願いします」


 少女は黙って頷き、バッグから封筒を取り出した。中身を確認する。十万円。きっちり揃っている。


 それから、アイマスクを差し出した。


 「次に、これを着けてください。外さないで」


 一瞬だけ、彼女は逡巡した。だが、何も言わずに装着する。


 「……大丈夫です」


 椅子に座ったまま、背筋を伸ばしている。逃げる気も、騒ぐ気もなさそうだった。


 意識を集中させる。


 スキャン。


 暗転した視界に、彼女の身体が浮かび上がる。鼻腔。赤く腫れ上がった粘膜。慢性的な炎症の痕跡。


 触れる。


 熱が走り、腫れが引いていく。空気の通り道が、ゆっくりと開いていくのが分かる。


 数十秒。


 それだけで、終わった。


 「……もう、いいです」


 彼女はアイマスクを外し、無意識に鼻をすする。


 止まる。


 目を瞬かせて、深く息を吸う。


 「……あれ?」


 もう一度、息を吸う。


 「……苦しく、ない」


 声が、わずかに震えた。


 「いつも、この時期は息するのもつらくて」

 「友だちと遊びに行っても、全然楽しくなくて」


 しばらく黙った後、ぽつりと続けた。


 「……実は」


 スマホを取り出す。


 「最初から、録音してました」


 一瞬、空気が張りつめる。


 「変なことされたら、SNSに流すか、警察に行こうと思って」


 こちらは、何も言わない。


 数秒の沈黙の後、彼女は小さく笑った。


 「でも……消します」


 操作音がして、録音データが削除される。


 「ちゃんと、治してくれたので」


 それだけ言って、深く頭を下げた。


 「ありがとうございました」


 ドアが閉まる。


 静かになった部屋で、封筒を手に取る。


 十万円。


 彼女は、疑っていた。

 それでも、来た。


 最近の若者は、ちゃんとしている。

 疑うことも、守ることも、ちゃんと知っている。


 それでも――治ったから、信じた。


 信じさせたのは、誠実さじゃない。

 結果だ。


 治すことは、信用を生む。



 ある日の夜。


 スマホの通知が鳴った。


 見覚えのあるアカウント名。最初の患者――花粉症の女子高生だった。


 DMを開く。


 「ありがとうございました!」


 続けて、写真が送られてきた。


 テーマパーク。


 キャラクターの被り物をして、友達と肩を寄せ合って笑っている。目は少し細められていて、マスクはしていない。


 楽しそうだった。


 文面が続く。


 「今年、初めてちゃんと外で遊べました」

 「ずっと鼻水とくしゃみで、それどころじゃなかったので」

 「本当に、人生変わりました」


画面を、しばらく見つめていた。


 治したのは、花粉症だ。

 たったそれだけ。


 それでも、彼女の春は戻った。


 ――治すことは、意味がある。


 この時はそう思った。





次の依頼は、少し毛色が違った。


 「病気じゃありません」

 「でも、治せるならお願いします」


 送られてきたDMは、妙に丁寧だった。


 「顔です」

 「ニキビと、跡です」


 添付された写真を見て、少しだけ目を伏せた。


 赤黒く残る跡。凹凸。炎症は治まっているが、長年積み重なった痕跡が、皮膚に刻まれている。十代から、ずっとだろう。


 年齢は二十代後半。社会人。


 「病院にも行きました」

 「薬も、レーザーもやりました」

 「でも、もう諦めてます」


 金額を提示すると、返事は早かった。


 「それでも、お願いします」


 待ち合わせは、前回と同じ条件。


 帽子とマスク。

 先払い。

 アイマスク。


 部屋に入ってきた彼は、終始うつむいていた。こちらの顔を見ようともしない。封筒を置く手が、少し震えている。


 「……ずっと、これのせいで」


 アイマスクを着けたまま、ぽつりと言った。


 「人の目が、怖くて」

 「笑われてる気がして」

 「別に、誰も何も言ってないのに」


 言葉が、そこで止まる。


 「始めます」


 それだけ告げて、意識を集中させる。


 スキャン。


 皮膚の層が、はっきりと見える。炎症の名残。傷ついた組織。再生しきれなかった細胞。


 ――治せる。


 直感した。


 触れる。


 熱が走り、皮膚が書き換えられていく。凹凸がなだらかになり、色が均一に戻っていく。時間を巻き戻すような感覚だった。


 数分後。


 「……もう、いいです」


 彼は、ゆっくりとアイマスクを外した。


 鏡を見る。


 動きが止まる。


 数秒。

 十秒。


 それから、息を吸う音が聞こえた。


 「……あ」


 声にならない声。


 「……ない」


 何度も、角度を変えて顔を見る。触れる。確かめる。


 「……本当に、ない」


 笑った。


 でも、その笑顔は、どこかぎこちなかった。


 「ありがとうございます」


 深く頭を下げる。


 「これで……普通になれますよね」


 その問いに、答えはなかった。


 彼は帰っていった。


 後日、DMが届く。


 「治ってました」

 「会社で誰も何も言いませんでした」

 「今まで通りでした」


 少し間を置いて、続きが来る。


 「嬉しいはずなのに」

 「思ったほど、世界は変わらなくて」


 治したのは、顔だ。

 だが、彼の時間は、戻らない。


 コンプレックスは、消えても、記憶は残る。


 ――治すことは、救いじゃないのかもしれない。


 その感覚が、自分の中に積もり始めた。



次のDMは、文章がやけに整っていた。


 絵文字も、感情の起伏もない。


 「うつ病です」

 「診断書あります」

 「薬を飲んでいますが、良くなりません」


 年齢は三十代前半。性別は書かれていなかった。


 「治せますか」


 その一文が、やけに重かった。


 正直、迷った。


 身体の異常とは違う。脳だ。心だ。

 それでも――これまで見てきた限り、治せないものはなかった。


 金額を提示する。


 既読がつくまで、少し時間がかかった。


 「……払えます」


 理由は聞かなかった。


 当日。


 部屋に入ってきたその人は、驚くほど普通だった。清潔な服装。落ち着いた態度。帽子とマスク越しに見ても、どこか疲れているだけの社会人に見える。


 先に支払い。

 封筒。

 アイマスク。


 一連の流れを、淡々とこなす。


 椅子に座ったまま、その人は動かなかった。


 「……一つだけ、聞いてもいいですか」


 アイマスクの下から、静かな声。


 「治ったら、何か変わりますか」


 答えられなかった。


 「始めます」


 そう告げて、意識を集中させる。


 スキャン。


 脳が見えた。


 化学物質の偏り。過剰な抑制。感情を司る回路が、重く沈んでいる。壊れているわけじゃない。ただ、動けなくなっている。


 ――治せる。


 その事実が、少し怖かった。


 触れる。


 熱が走る。


 滞っていた流れが、ゆっくりと動き出す。神経伝達が整い、沈んでいた部分が、本来の位置に戻っていく。


 数分。


 それで終わった。


 「……終わりました」


 アイマスクが外される。


 その人は、しばらく黙っていた。


 深く息を吸う。


 「……あ」


 小さな声。


 「頭が……静かです」


 驚きも、歓喜もない。ただ、確認するような口調。


 「いつも、何かに追われてる感じがしてたんですけど」

 「今は……何もない」


 立ち上がり、ゆっくりと周囲を見る。


 「楽になった、はずなんです」


 そこで、言葉が止まる。


 「……でも」


 視線が、床に落ちる。


 「何をしたいかは、分からないままです」


 沈黙。


 「死にたいと思わなくなっただけで」

 「生きたい理由は、出てこない」


 その言葉は、刃物みたいに胸に残った。


 「ありがとうございました」


 そう言って、頭を下げる。


 その背中は、軽くなったようでいて、どこか空っぽだった。


 後日、DMが届く。


 「薬はやめられました」

 「仕事にも行けています」


 少し間が空いて、続き。


 「でも」

 「治ったのに、幸せじゃないです」


 画面を見つめながら、思った。


 自分は、病気を治している。

 でも、人の人生は、治していない。


 父と母が病気で死んだから、自分は不幸なんだと思っていた。

 でも、違った。


 不幸は、理由がなくても、そこにある。


 治すことは、救いじゃない。


 それでも――人は、治りたがる。



それからは、静かな日々だった。


 派手なことは、しなかった。

 バズる言葉も、使わなかった。

 匿名SNSでも、話題にならないように、投稿は最小限にした。


 DMは、こちらから選んだ。


 本気で困っている人。

 条件を守れる人。

 騒がない人。


 場所は毎回変え、顔は見せない。

 帽子とマスク。

 先払い。

 アイマスク。


 それを、淡々と繰り返した。


 花粉症。

 慢性的な腰痛。

 円形脱毛症。

 ニキビ跡。

 不眠。

 過敏性腸症候群。


 治る。


 ほとんどは、驚き、喜んだ。


 「人生が変わった」

 「もっと早く会いたかった」


 そういう言葉も、何度ももらった。


 一方で、違う反応もあった。


 治ったのに、仕事はつらいまま。

 治ったのに、人間関係は変わらない。

 治ったのに、孤独は消えない。


 世界は、案外そのままだった。


 病気やコンプレックスが、人生のすべてじゃなかった人もいる。

 逆に、それが人生を覆っていた人もいる。


 同じ奇跡でも、結果は違う。


 治すことは、万能じゃない。


 それでも、人は来る。


 治るという事実だけを、信じて。


 その度に、思った。


 ――自分は、何を売っているんだろう。


 治療か。

 希望か。

 それとも、ただの一時的な逃げ道か。


 答えは、まだ出なかった。



 最後の依頼は、本人からではなかった。


 「娘を治してください」


 簡潔なDMだった。

 続けて、年齢と病名だけが送られてくる。


 二十代前半。

 がん。

 ステージ4。


 「本人は、もう治療を望んでいません」

 「ですが、親として、それを受け入れられない」


 金額を提示する前に、相手は言った。


 「いくらでも払います」


 待ち合わせ場所は、都心の高級マンションだった。

 エントランスだけで、住む世界が違うと分かる。


 現れたのは、父親だった。


 高価なスーツ。整った身なり。

 それでも、目の奥は疲れ切っている。


 「娘は、もう寝ています」


 部屋に案内される。


 広い寝室。

 ベッドの上に、若い女性が横になっていた。顔色は悪いが、整った顔立ちだ。医療用のウィッグが、枕元に置かれている。


 本人の意思は、確認しなかった。


 確認する意味が、ないと分かっていたからだ。


 机の上に、アタッシュケースが置かれる。


 「どうかお願いします」


 父親は、深く頭を下げた。


 治療をするために父親は一旦部屋の外に出てもらった。


 意識を集中させる。


 スキャン。


 身体が、はっきりと見えた。


 臓器に広がる影。

 転移。

 何度も見てきた、あの光景。


 ――治せる。


 迷いはなかった。


 触れる。


 熱が走る。


 異常な細胞が、静かに消えていく。

 壊れた組織が、元に戻っていく。


 奇跡は、音もなく進む。


 数分後。


 すべて、終わった。


 彼女は、目を覚ました。


 ゆっくりと、天井を見る。


 「……まだ、いるんだ」


 独り言のような声。


 起き上がり、息を吸う。

 深く。

 何度も。


 「……苦しくない」


 こちらを見る。


 驚きは、なかった。


 「治したんですね」


 責めるでも、喜ぶでもない声だった。


 父親を呼ぶ。

 父親は部屋に入るなり、泣きそうな顔で駆け寄る。


 「良かった……本当に……」


 彼女は、父親を見て、少しだけ笑った。


 「ねえ」


 静かな声。


 「私、死にたかったんだよ」


 父親の動きが、止まる。


 「もう、十分だった」

 「全部、やりきった気がしてた」

 「痛くなる前に、終わりにしたかった」


 部屋の空気が、張りつめる。


 「でも」


 彼女は、続ける。


 「治っちゃった」


 こちらを見る。


 「……これから、どうすればいいの?」


 答えは、出なかった。


 治したのは、がんだ。

 だが、彼女の人生の終わらせ方は、奪ってしまった。


 後日、父親からDMが届く。


 「ありがとうございました」

 「娘は、普段の生活が送れるようになりました」


 その下に、短い一文。


 「ただ、前より笑わなくなりました」


 画面を閉じる。


 治すことは、できる。

 だが、生きる意味は、治せない。


 父と母が死んだから、不幸なのだと思っていた。

 違った。


 生きていても、人は絶望する。

 治っても、人は救われない。


 それでも――

 人は、治ることを選ぶ。


 選ばせるのは、いつも周りだ。


 自分は、ただの闇医者だ。

 神でも、救世主でもない。


 それでも今日も、どこかで誰かの身体は治る。


 生きる理由を、残したまま。


 

 それ以来、依頼は受けていない。


 SNSのアカウントは残っている。

 消してはいない。ただ、更新もしない。


 たまにDMが来る。

 病名と年齢と、必死な言葉が並ぶ。


 でも、もう返信はしない。


 あの夜から、治すたびに思い出す。

 ――治ってしまった人の顔を。


 人は、死にたいから病気になるわけじゃない。

 生きる理由が見えなくなったとき、病気はただの口実になる。


 自分は、その口実だけを消してきた。


 残った人生までは、引き受けられなかった。


 今日も、画面を閉じる。

 未読のDMが増えていく。


 治せる力があることと、

 治すべきだということは、同じじゃない。


 それを知ってしまった以上、

 もう、前には戻れない。


 だから――

 次の患者は、いない。


 これが、自分にできる

 最後の治療だ。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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