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がんばらんば〜Another〜  作者: 尋木大樹


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9.洙田音色 ⑧

 マエストロは、また一緒に海外で暮らすことを音色(ねいろ)へ提案しなかった。

 ひとりではやれることが限られる部活の中で、彼は彼なりにもがき中だ。大変でも面白さを見出し、同時に広い視野で先のことを考えるからこそ、これからの吹奏楽の世界を憂い始めてもいる。そんなまだ十六歳の少年に、音楽界の重鎮である祖父は大きなものを託した。幼い頃より音楽を極めた彼になら、次の偉大な指導者になれると信じて……。

 しかし、音色もマエストロもまだ知らない。マエストロの友人が、この世界で素晴らしい子供たちをたくさん育てたことを。そして、その者たちが今も進み続けていることを。








 二年生の音色は、コンクールでバタバタと忙しくしていた夏休みに恋人の雪深(ゆきみ)から振られた。

 心当たりは全くない。元カノの姫空(ひめあ)の時に自分がいけなかったと思うことを振り返り、雪深には完璧に良いカレシとして接していたはずだった。「いつまで経っても、音色君が私のことを好きじゃないみたいだから」と言われたが、それは初めに伝えている。好きになれるように努力はしたし、嫌々付き合っていたわけでもない。急に態度が変わった彼女へ考え直すように言おうか迷ったが、コンクール時期でそれどころではなく彼は素直に受け入れた。

 そして無事に全国大会を終えた秋、音色は自身の家庭教師を務める女子大学生と付き合うことにした。


「はぁー、痛い。今日はやる気出ないわー」

「いつもじゃん」

「今日は特に痛いの! わかれバカ!」

「わかるわけないだろ」


 音色が用意したブランケットに包まり、昆布茶を飲む彼女の名前は立葵(たつき)。グラマラスなこの女子大学生は、名前の響きからして男性だと勘違いした祖母が家庭教師として呼んでしまった。今は大胆に胸元が開いた服を着て男子高校生には毒のような見た目だが、これは音色の前だけだ。祖父母や使用人たちの前では、上着をきちんと着てお淑やかな女性を演じる。彼女がこの家の家庭教師を選んだのはお金目的で、裕福な家のお坊ちゃんを懐柔するつもりだった。だが音色に本性があっさりバレ、お色気も通用しない。それなのになぜふたりが付き合うことになったのかというと、本命である男性から振られた立葵が泣いてうるさかったからである。彼女に次の恋人ができるまで、彼は代わりとして相手をしているに過ぎない。


「さっき音色が飲み物取りに行ってる間に、これ見つけちゃった。女子の平均より低いってヤバくなーい?」


 立葵は音色の体力テストの結果が書かれたプリントを持ち、ヒラヒラとさせて嘲笑う。


「お前、本当に性格悪いよな。オレ、なんで付き合えてるんだろ?」

「な!? 美人なお姉様と一緒にいられるだけで幸運だと思いなさいよ!」

「お姉様? それ、おばさんの間違いじゃーー」

「だまらっしゃい!」


 持っていたプリントで音色の頭を叩く立葵。しかし、すぐに顔を顰める。一応カレシの音色は彼女の腰をさすってあげた。母親の(しずか)にもやっていたことだ。このスマートさは父親の(りつ)の影響が大きい。


「たらし?」

「はぁ?」

「ま、いっか。……で、解けたの?」

「ん」

「……スペルまた違う」


 こんな立葵も勉強面は優秀だ。教え方も上手い。

 音色は英語の文法やスペルをたまにミスする。ほぼ音だけで語学力を身につけたため、学校のテストではそこが弱点になってしまう。それを彼女は正していく。数学は余裕の学年一位。世界史は、住んだことのある国や調べたことのある作曲家や曲に関わる箇所だけは得意でムラがある。そして、現代文や古文はかなりマズい。文系の彼女がどうにかテストで赤点にならない程度まで教えている。


「結局、大学はどうするつもり? 音大に誘われてるんでしょ?」

「んー、あんま興味湧かないんだよなぁ」

「なんで?」

「音大は海外にいた頃、もういくつか見たから。部活の講師に長崎にある普通の大学の話されてさ、それもいいかなって。音楽推薦があって、筆記はないんだって」

「それは音色向きかもね。大学って学部がいくつかあるから、いろんな視点で物事を見ることに適してると思う。あの人もそう。起業のために、自分の専門外の優秀な学生や教授に声かけたんだって」


 立葵の言う「あの人」こそ、彼女の本命である。彼女と同じ大学出身で、パークゴルフサークルのOBだ。大学在学中から投資で成功し、卒業と同時にベンチャー企業の社長となった。


「……起業かぁ」

「音色も社長になりたいの?」

「ないなら作ればいいかなって」

「何を?」

「今足りてないシステム。このままだとダメだと思うから。オレひとりじゃできない。だったら、仲間集めて会社としてやればよくない?」

「……音色と縁ができてよかったわ」


 遊びのつもりだった音色のことを、立葵はこの時投資目的として傍に置いておくことを決めた。


「筆記試験しなくていいなら、そんなに勉強することないじゃない」

「部活であんまり時間取れないし、やれる時にやっときたい。むしろ、企業するならやんないと」

「真面目ねぇ。……部活って吹奏楽でしょ? 楽譜どおりに吹いてみんなで合わせるだけなのに、何がそんなに忙しいんだか」

「は? バカにしてる?」

「してないけど、それが事実でしょ? 音楽の授業の延長線よね?」

「ちげーよ。どんな音が曲に合うか研究して、指がちゃんと回るまで何度も練習して、合奏も解釈を揃えてバランスも調整する。楽譜上で強弱が書かれていても、それをどの時点でどれだけの音量に持っていくかとか、細かく決めなきゃいけないことが山ほどあんだよ」

「ふーん」

「……」


 興味のない話を熱弁されたところで、立葵の感情は動かない。関心のない彼女に、音色もこれ以上話しても無駄だと思った。今は勉強の時間だ。だから、彼もそっちに集中することにした。








 立葵と交際中の音色は、ある日の部活終わりに元カノの雪深から呼び出された。


「何?」

「音色君。私たち、やり直さない?」

「……え?」

「私ばっかり音色君のこと好きで、ちょっと重かったかなぁって思ってたの。だから、周りに相談とかして一旦引いてみることにしたんだ。そしたら、あっさり受け入れちゃうんだもん。すごくショックだったよ。声かけてくれるのずっと待ってたのに、一向に部活のこと以外で話してくれないし……。でも、それでも私は音色君のことが好きなの! だからーー」

「ごめん」

「っ!」

「オレ、浮気はできない」

「……カノジョいるの?」

「うん」

「……カノジョ、いるんだ」

「……ごめん」

「……そっか。……そうなんだ。……ごめんね。音色君は悪くないもんね。……うん。また明日」

「ああ」


 力なく歩いていなくなる雪深が少し可哀想になったが、二股するつもりはない。気持ちに応えられないが、ここで追うべきではないと彼は判断した。幸い、彼女は部活を辞めなかった。コントラバスは学年にひとりしかいない。続けてくれたことに、彼は同じ部活の部員として感謝した。








 三年生になった音色の元へ、アメリカから封筒が届いた。差出人は向こうにいた頃に付き合っていたKamaria(カマリア)。彼女は現在、歌手としてメジャーデビューし、初の海外ツアーが決まっている。日本公演のチケットが入っていたが、その日程は夏前に行われる定期演奏会の翌日。部活は休みの予定だが、北海道から東京へ行ってその日のうちに帰ってくるだけの体力は絶対にない。また、彼女との約束を忘れていなかった彼は、立葵という恋人がいる今はKamariaと会うことが躊躇われた。だから、チケットは自分で使わず立葵にあげることにした。








 後日、日本公演も成功させたKamariaの話を、音色は立葵を通して聞いた。


「あの歌声は聴いてて震える! 上手いなんてもんじゃないわ。最高だった!」


 あまり音楽に興味がない立葵でも、Kamariaのライブは楽しめた。お土産としてグッズをもらったが、音色はTシャツよりもCDの方が欲しかった。


「おかげで彼と帰りにKamariaの話で盛り上がっちゃった!」

「……ん?」

「雰囲気のいいバーで語る彼ったら、もうかっこいいのなんのって」

「……ひとりじゃないの?」

「ひとりなんて寂しいじゃない! 彼も誘ったわよ。彼ね、結構顔が広いの。だからプレミアチケットも手に入るんだって」

「……」

「今フリーだってわかったし、お酒で機嫌よかったし、思いきって告白しちゃった。で、OKもらったの! 音色、ありがとね。あなたがきっかけをくれたからよ」

「……おめでとう。じゃ、別れるか」

「へ?」

「だって、そういう約束だったじゃん」

「……あ、そっか」


 本命の彼と結ばれた立葵と、音色はもう付き合う理由がない。ただし、投資目的で音色との縁を繋いでおきたい彼女は家庭教師を続けた。








 結果として意味なくKamariaも雪深も振ることになってしまった音色は、定期演奏会が終わった今、コンクールへと頭を切り替えることにした。

 学校から帰って家で宿題を解いていると、祖父から訪問者がいると言われた。


「海外から来たようなんだが、英語が通じなくてな。音色の名前を言っているから、知り合いだと思うんだ」


 Kamariaではないとわかり、音色はほかの知り合いを思い浮かべながら客間へと向かう。しかし、海外で英語圏以外の者ともたくさん出会ったため絞れない。


(ジジイ関係か?)


「あ、音色。この子、あなたのお友達かしら?」


 突然の訪問者の対応をしていた祖母に問われ、音色は座って寛ぐ女性に目をやった。彼女は栗色の髪の持ち主だった。


「……Lucie(リュシー)?」


 名前を呼ばれた女性は紅茶の入ったカップを置いて振り向くと、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

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