6.洙田音色 ⑤
音色の母親の静は、北海道に住む両親からの要望で、子供の成長を写真つきで伝えてきた。しかし、彼女はじっとしていられない。現在地を教えたところで、両親が日本を出て会いに向かってもその頃には別の地にいる。仕事の関係で長く日本を離れられない両親は、やっと彼女と再会できても目的の孫が義理の息子やその親の元にいると聞かされ、娘を厳しく叱ったことがある。
今回も両親がメールで近況報告を求めると、孫が拳銃事件に巻き込まれたことを教えられた。詳細がわからず不安になる両親に対し、娘はなんとも呑気だ。大事な孫のため、一刻も早く彼女たちから引き離す必要があると感じたふたりは、急いでアメリカ行きのチケットを手に入れ、日本の家で受け入れる用意も済ませた。
そして、ようやく会えた孫の音色。感動の初対面となるはずが、祖父母は目を丸くした。
「音色……ちゃん?」
予約したレストランの前で初めて生の音色を前にした祖母は、孫を上から下まで何度も見る。
「……その格好は?」
「ママ、どうかした? 何か変? 普通だと思うけど」
「静もその髪色はなんなの?」
「え? ママたちが来るから控えめな色にしたんだけど」
「どこがよ! それより……どうしてこの子は男の子の服を着ているの?」
「音色は男の子なんだから当たり前でしょ?」
「……え?」
「へ?」
ジャケットとズボン姿の音色は、初めて会った祖母がなぜ戸惑っているのかわからない。
父親の律を見ると、彼は困ったように笑っている。
「お義父さん、お義母さん。お久しぶりです。長旅、お疲れ様でした」
「律君。これはどういうことかな? 我々の孫は女の子だと認識していたのだがね」
「いえ、ご覧のとおりですよ。……静。ふたりにちゃんと報告したって言ってたよね?」
「言ったよ? 音色が産まれてすぐに日本へ手紙送ったもん。『無事産まれたよ。名前は音色でーす!』って」
「性別は?」
「そんなもん言わなくたってわかるでしょ? ほら、見る?」
音色のズボンを下ろそうとする静。それを周りの大人たちが全力で止める。
「お義父さんたちはあの場にいなかったんだよ? 名前の響き的に勘違いされても仕方ないよ」
「そんなこと言われたってぇー」
静が両親へ今まで送った写真の中の音色は、基本的に髪が長めだ。理由は、彼女が切ることを忘れていたから。顔を見せようと前髪を結んだり、仲の良い団員が面白がって女児の服を着せたこともあった。おまけに、彼は中性的な顔立ちをしている。ゆえに、彼女の両親のように勘違いするのも無理はない。
口を尖らせて「そもそも名前決めたのマエストロだから、マエストロが悪くない?」と言っている静。それを一瞥してから、彼女の父親は中腰になって孫と目線を合わせる。
「初めてまして。おじいちゃんです。えっと、音色……君」
「音色でいーよ」
「そうか。では音色。日本へ来て、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしてみないか?」
「なんで?」
「それはーー」
「ここが危ないからよ!」
口を挟んだ音色の祖母は、アメリカで孫の面倒を見ていた律のことを睨みつける。これに律は申し訳なさそうな顔で返した。
「怪我してないし別にいいじゃん。事件の時、現場にもいなかったらしいし」
「よくないわ! それに、まともに学校へ通わせてないみたいね。あなたたち、親としてそれはどうなのかしら!」
音色は一応学校へ行ったことはある。しかし、本人が楽器の練習をしたり大人に混じって知識を深めることの方に興味を感じているため、マエストロやルミ子や律はそれを尊重した。ただし、静に関しては通わせるという当たり前のことをただ忘れていただけだ。律は以前、彼女が学校へ一度も行かせていないと音色から教えてもらった時に、それを聞かなかったことにした経験がある。
「この子の将来のため、これからは私たちが面倒を見ますからね!」
言い切る祖母に、音色の意見を言う隙間はない。
孫に気に入られようと、その後のレストランの食事では祖父母が音色に世話を焼こうとする。マエストロやルミ子とは違うふたりの可愛がり方に反応の困る彼は、黙ってスープを口に入れた。
日本から来たふたりがホテルへ行くと、音色は恋人の元へと向かった。
(もし、本当にここを離れるかもしれなくなったら、また振られるかもしれない。どう伝えたらいいんだろう?)
店で働いていた女性の家で暮らすKamariaは、音色の訪問をハグとキスで歓迎し中へと入れた。
「いつもより顔が暗いけど、何かあった?」
「あのさ、Kamariaに言わなくちゃいけないことがある」
「……何?」
「日本に行くかもしれない」
「……っ!」
息を呑み口へ両手を当ててゆっくり顔を左右に動かし、その場で落ち着きなく少し取り乱すKamaria。暫くそれが続き、音色は彼女のために抱き締めてあげた。
「まだ、決まったわけじゃない」
「……」
彼の腕の中で、彼女は大きく深呼吸している。
「今日はもう帰るよ。驚かせるようなこと言って悪かった」
音色はそう言って、恋人の頬にキスをしてから家を後にした。
翌日、祖父母の決意は強固で、音色がアメリカを出る手続きをしていた。
律は見守ってきたカップルのことが気になり、子供へ声をかける。
「嫌なら言っていいんだよ。ここにはKamariaもいるんだし。もう少し、彼女ともしっかり話し合ってきたら? お義父さんたちは静と口論中でこっちには気づいていないようだから、今のうちに」
「……うん」
律は静にメールを打ち、音色をKamariaのいる家へと連れていった。
前日とは異なり、ドアを開けた彼女の表情は穏やかだ。
「よかった。来てくれて」
「昨日のことだけど……」
「ネイロ。私からも話がある。公園に行かない?」
「……うん」
嫌な予感はしたが、音色はその提案を受け入れることにした。
「もう別れよ?」
「やっぱりそうなるのか。一緒に日本へ行くっていうのもダメ?」
「ネイロのことは今でももちろん大好きよ? でも、Jabariがいるここを離れるわけにはいかないもの」
「だよな」
「私、絶対にプロの歌手になるわ! それでJabariに恩返しするの。本当はネイロにバンドの一員として傍にいてもらいたいけど、たぶんあなたにはもっと輝ける場所があるはず。だから、それぞれの居場所でお互い進み続けましょ? それで、もし再会できた時にどっちもフリーだったら、その時はまたネイロの恋人にしてね」
「……わかった」
音色とKamariaは、公園のベンチでお別れのハグを交わした。
Kamariaと別れた音色は、初めての恋人であるLucieのことを思い出していた。
あの時理由を教えてくれなかった彼女も、きっとKamariaと同じ気持ちだったのかもしれないと彼は思った。ひとつの場所に留まることなく生活をしてきた音色とは違って、彼女たちはその土地に縛られている。彼がそう考えていなくても、彼女たちからは住む場所が別だと言われた気分だ。
(Lucie、元気にしてるかなぁ)
音色はかつての恋人を想いながら、アメリカを飛び立った。
日本の北海道へと降り立った音色は、大豪邸の中に用意された自分の部屋を見て唖然とした。
「い、今模様替えするからな! 女の子だと思っていたからつい」
ピンクを基調とし、大きなベッドには天蓋までついている。さらにそこには、可愛らしいぬいぐるみもたくさん置いてあった。
「音色は何が好きかな? 電車? 飛行機? 宇宙? 恐竜? ヒーロー? おじいちゃんが好きなように部屋を整えてあげるからね」
「シンプルでいーよ」
「……そうか」
小学生らしくない孫に、祖父は少し残念そうだ。
音色は彼と部屋の飾りを取り除いていき、広くて快適な空間を作っていった。
夕飯は祖母が張り切って作った子供の喜びそうなメニューのオンパレード。クリームシチューにフライドチキンにハンバーグ。デザートの大きなショートケーキも彼女の手作りだ。
「気に入ってくれると嬉しいわ」
「……肉、嫌い。牛乳、アレルギー」
「…………え?」
「えっと、あ、じゃあ、お寿司でも頼もうか! おじいちゃん、贔屓にしている店があるんだ」
「……魚介、苦手」
「……」
静まる食卓。
祖母は国際電話でアメリカへと電話をかける。
「アレルギーがあるなんて、どうしてそんな大事なことを教えてくれないの!?」
『あれ、おかしいなぁ。静から聞いてませんか?』
「あの子、『音色は何も心配いらないから大丈夫!』とか言ってたわよ! それより静はどこなの!」
『静ならもうここにいないですよ』
「あの子ったらもう!」
『音色は野菜なら食べられます。ほら、レストランでもそうでしたでしょ? 少食ですから、あまり食費はかからないかと』
「そういうことは、ちゃんと言ってもらわないと!」
『あはははは。すみません。では、音色のことよろしくお願いします』
通話を切られた祖母は、テーブルに着く孫に目をやる。
彼は温野菜サラダのジャガイモをフォークで刺している。その待ち方は決して美しいとは言えない。
「……いろいろと教えることがありそうね」
きちんとした教育を施すことを決めた祖母の考えに気づかない音色は、一年も経たずにまた別の地へ行くのだろうとこの時は思っていた。




