5.洙田音色 ④
父親の律と共にアメリカへ渡った音色は、クラシックオーケストラはもちろん、ミュージカルやジャズなど多様な音楽に触れた。
律はある都市で一番大きな劇場にて仕事をしながら、子供のために路上のバンド演奏を見つけると必ず耳を傾け、小さなライブハウスへも足を運び多くの経験をさせた。その中のひとつである偶然入った店のステージに飛び入り参加したことで、音色はJabariとKamariaというふたりの兄妹と出会った。
兄のJabariは日中に清掃の仕事をし、夜は店で働く。妹のKamariaは学校へ通いつつ、歌の才能を見込まれてたまに年齢を誤魔化しステージへ出る。ここにピアノ奏者はいたのだが、数日前、高齢を理由に引退してしまった。腕の良い代わりの者を探していたところに現れた音色は、まさに彼らにとって救世主だった。そして、律が仕事で相手をしてあげられない時は、彼もここで世話してもらうようになった。夜遅くになると、さすがにステージへは上がらない。その時間は楽屋で練習をしたり、Kamariaの話を聞いてあげる。歳の近い彼女から気に入られ、音色はずっと交際を迫られていた。
「ネイロの好きなところ、百個考えてきたよ。まずは『小さくて可愛いところ』」
「嬉しくない」
「あとは『努力家なところ』。それとーー」
「もういいよ」
「恋人になる決心がついた?」
「あのさ、昨日メールが来たんだ」
「メール?」
「ああ。相手はLucieの……付き合ってたカノジョの姉から。たまに来るんだ」
「内容は?」
「Lucieのことはいつも書かれてない。『今どこにいるのか』とか『元気に過ごしてるのか』とか、そういうやつ。昨日はそこにプラスして『新しい恋人はできたのか』って訊いてきた」
「返事したの?」
「『しつこい女がいる』って返した」
「酷い!」
「だって本当のことじゃん。それで、Fleur……その相手から『Lucieのことは忘れて、新しい子を大事にして』って言われた。……あのさ、Kamariaのことは友達だと思ってる。正直、恋愛感情はない。それでもまだ恋人になりたいって言うのか?」
「当たり前でしょ!」
「こっちにそういう気持ちがなくてもいいの?」
「いいよ!」
「……それじゃあ、付き合ってみる?」
「本当に!?」
「音楽のためでもいいならね」
「ネイロ! 大好き!」
Kamariaは音色の首に両手を回し、彼の頬にキスをした。
真っ直ぐに愛を届ける彼女のことを、音色はこの時少しだけ可愛いと思った。
JabariとKamariaの両親は、既に他界している。
父親は働いていた建設現場で事故に遭い、母親は治る病気に罹ったが高額な医療費を払えず治療を断念。両親との別れは早く、Kamariaはほとんど覚えていない。ふたりを引き取った親戚から暴力を振るわれ逃げ出したJabariが、妹のためにどれだけ自分を犠牲にしてきたのかを、音色はバンドの仲間たちから教えてもらった。
「Kamariaのこと、好きになってくれたのか?」
「いや……まぁ、うん」
「はっきりしてくれ」
「努力はしてる。あと、大事にはしてる」
「……」
Jabariはふたりの交際を心から喜んではいなかった。妹の恋が実ったことは嬉しいが、将来を考えると慎重になる。
「いつまでアメリカにいるつもりなんだ?」
「わかんない」
「あの子を傷つけるようなことはしないでくれよ」
「わかってる」
「音色から見て、Kamariaには歌の才能があると思うか? 一流の歌手になれると思うか?」
「急にどうしたの?」
「歌ってる時の彼女の楽しそうな顔、知ってるだろ? プロになるためのレッスンを受けさせてやることができない俺が育てていては、難しいんじゃないのか? 不自由のないもっと良い環境に連れて行きたくても、俺には無理なんだ」
「どうして?」
「仕事をクビになったり、面接に行っても落とされてばかりだからだ!」
「何かやらかしたの?」
「違う! 全て理不尽な理由をつけられた! 同じアメリカに産まれたのに、この肌がいけないのか学歴がいけないのか……。社会とはそういう所なんだ! ネイロも散々酷い言葉を言われてきたはずだぞ!」
「……え?」
音色は英語を、ヨーロッパにいた頃に出会った楽団員や音楽大学に留学しに来た学生から教えてもらった。イギリスにも長くはないが行ったことがあり、アメリカとは発音などに違いはあれどすんなり溶け込むことができた。ただし、これまで使ってきた英語は綺麗なものだったため、スラングは耳に入っても意味を理解することはなかった。しかも、彼は宗教や人種の問題について何も知らない少年だ。偏った知識しか持たない彼は、Jabariの悩みをわかってあげられなかった。
「……気づいていなかったのか。ならば教えてやる。相手が自分をバカにしていると、これでお前もわかるはずだからな」
それから、Jabariは音色に素行のよろしくない者たちが使う言葉を教わった。また、Kamariaは日本人の恋人のことをもっと知るために、日本語で書かれた漫画を持ってきたり、日本のアニメを観たいと言ってきた。仕方なく音色が言葉を教えるはめになったが、彼も読めない日本語が多い。律に聞いたり、映像作品から音を聴いて学んだ。彼女がセレクトしたもののキャラクターの言葉遣いが綺麗な日本語ではなかったことから、自然と音色の言葉遣いも悪くなっていった。
ある日のこと、音色は律が出演する舞台の見学をした。
帰りが遅くなったが、親子で夜ご飯を食べに兄妹がいる店へと赴くことにする。
すると、店の前にパトカーや救急車が停車しており騒々しい雰囲気だった。
野次馬に混じって心配するふたりの耳に、Kamariaの泣き叫ぶ声が聴こえた。駆け出そうとする音色を律が引き留め、様子を窺う。やがて、担架に乗った血まみれのJabariと、彼にしがみつきながら声をかけ続けるKamariaが出てきて、ふたりは救急車へと乗った。それを、音色は見ていることしかできなかった。
翌日、バンド仲間たちから、音色と律は何が起こったのかを聞いた。
昨日、店にひとりの男が客としてやってきた。その男はかなり酔っていて、ステージで歌っていたKamariaに絡んできた。すぐにJabariが間に入り妹を楽屋へ避難させる。しかし、男は腹を立てて暴れた。店側が数人がかりで外に追い出し安寧を取り戻したかに見えたが、男は再び戻ってきた。しかも、その手にはナイフがあった。Jabariたちが客を逃がしている隙に、男はKamariaのいる楽屋へと入ってしまう。彼女がそこで襲われそうになったその時、なんとか間に合ったJabariは凶器を持つ相手に怪我を負わされながらも妹をほかの店員に託した。そして、なおも彼女の方へ行こうとする男に憤慨し、奪ったナイフで男を刺した。丁度通報を受けた警官が現れ安堵した瞬間、Jabariは犯人だと間違えられ拳銃で撃たれた。
男は出血多量で病院にて死亡が確認された。Jabariの命は助かったが、足に麻痺が残った。これで事件が解決したとは言えない。身体の大きなJabariに正当防衛が認められるのか問題視されてしまった。また、Kamariaが店で働いていたという事実があるが、これを隠すべく店側も客側も話を合わせて彼女を守った。それが兄の願いでもあった。兄の責任で罰を受けることは別に良いが、彼女の将来の足枷になるような問題にはしたくない。彼女と親しい音色が出入りしていたことも、当然なかったことにしなくてはいけない。彼は給料をもらっておらず悪いことはしていないものの、彼女は別だ。たまに夜も働いていた事実をみんなで消した。めちゃくちゃになった店は閉店することになった。
律は、パトロンの力を借りて店員やバンドたちに次の就職先を紹介した。裁判が長引きそうなJabariは、不自由な身体となったことで前のように働くのが難しい。誤射されたことで生じた損害を請求するべく、仲間たちは奮闘し妹のことも支えた。
兄妹のために何ができるのか、音色は考えた。
だが、自分には音楽しかない。
明るかった恋人の辛そうな顔に、彼はかけてあげる言葉が見つからない。
そんな音色の元へ、禍々しい紫の髪色に変化した母親が顔を出しにきた。
「りっちゃん! 音色! 元気してたー?」
「……静。こっちで何があったか伝えたよね? 元気なわけがないだろ?」
「だよねー。でね、それパパとママにも話したの。そしたら『音色ちゃんをこれ以上海外に置いておけないわ!』ってママが怒っちゃってー。日本に連れていくみたいだよ。とりあえず、明後日来るって!」
「……え?」
「誰が来るって?」
「静のパパとママ。つまり、日本に住む音色のおじいちゃんとおばあちゃんだってさ」
「なんで今?」
「それ、パパも同感」
「ねぇ、ハンバーガー食べに行こうよ! アタシお腹空いちゃったー!」
「その前に話そうか」
「うん、食べたらね!」
暴走する静の行動力に、重たかった雰囲気がちょっとだけ緩和された。




