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がんばらんば〜Another〜  作者: 尋木大樹


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2.洙田音色

 オーストリアのウィーンで産まれた洙田音色(なめたねいろ)

 退院後は、両親が所属している楽団の仲間たちに可愛がられた。母親の(しずか)は母乳が出なかったが、団員のヴィーガンである家族から分けてもらい、アレルギー対応の市販の粉ミルクと併用した。指揮者の膝に乗って合奏に参加した時は、落ちないように自身を支えている腕をずっと甘噛みし涎まみれにさせたこともあった。指揮者のこの時の口癖が「più mosso(ピュウモッソ)(より速く)」だったため、音色が初めて発した言葉はまさかの「もっしょ」。「ママ」や「パパ」や日本語やドイツ語でもなくイタリア語を最初に話すとは、両親も予想ができなかった。

 父親の(りつ)がおぶりながら楽器の練習をすると、音色はその音を聴いて気持ち良さそうに眠った。一方、これが静の場合は興奮状態になる。ちなみに彼女は現在、黄緑だった髪色を激しめのピンクに変えている。どちらにしても、彼は大音量の中にいても泣かなかった。ぐずるのは音の調子が悪い時だ。


「りっちゃん、見て見て! 音色がバズィングしてる!」

「歯が生えてムズムズしてるだけだと思うよ?」

「へぇー。先週、アタシ口内炎で上手く鳴らせなくって、音色ったら泣きっぱなしだったでしょ? 今日はご機嫌!」

「音色は耳がいいんだね。大きくなったら、僕たちみたいに演奏家を目指すのかな?」

「トランペットやらせようよ!」

「いや、サックスだよ」

「……」

「……」


 お互いの専門を子供にやらせたい気持ちは同じで、どっちも譲らない。

 律はサックスのリードを、静はトランペットのマウスピースを無言で音色に握らせる。だが、彼は興味を示さない。


「まだ赤ちゃんだからね」

「そうね! もう少し大きくなったらだね!」


 ふたりは自分の楽器に興味を持ってもらうべく、サブリミナル効果を狙って音色の視界に入るよう、アピールを続けた。


「そういえば、実家からの手紙にはなんて書いてあったんだい?」

「あ、そうそう! 音色! 北海道のおじいちゃんとおばあちゃんからメッセージがあるよー! えっとー『音色ちゃん。産まれてきてくれてありがとう。とっても可愛い孫が誕生し、私たちは幸せです。日本に来たら、是非一緒にお人形遊びをしましょう。』だって。ベビー服も届いたけど、全部フリフリだね」

「しかもこれ、ブランド物の高い服しか入ってないよ。あ、帽子は手作りかな? ……はい、音色。うん、可愛いね。天使のようだ」

「手紙に描いてあるこの絵、なんの花だろ?」

「エーデルワイスじゃないか? オーストリアの花だからね」

「ふーん」

「僕のパパとママからもプレゼントがあるんだ。見て、音色。子供用のピアノだよ」

「マエストロとルミちゃん、こっち来られないの?」

「うーん、どうかなぁ。日本の仕事が片づいたらまた海外を拠点にするつもりではあるらしいけど、それがいつかまでは……」

「ねぇ。アタシたちもそろそろ場所移動しない?」

「ウィーンは飽きたかい?」

「そうじゃないけど……。いつでもここには戻って来られるんだし、もっといろいろ見てみたい!」

「ふむ……。音色のためにも、いろんなものを見せるのはいいことかもしれないね」

「でしょ!」


 それから音色たち家族は、ヨーロッパの都市を巡ることにした。

 日本やオーストリアのように水が気軽に飲めない国が多いと教えたのにもかかわらず、忘れて飲もうとしたり生野菜を食べようとする静に律は気が気でなかった。彼はふたりの子供を育てている気分だ。むしろ音色の方が手がかからない。

 各地ではオペラを観劇したり、街中の音楽隊に飛び入り参加したり、自然や建物からその場所独特の雰囲気を感じ取ったりした。全てが刺激となり、それが音楽へと繋がった。

 音色は両親のセッションを楽しそうに聴き、おもちゃのピアノを叩く。適当ではなく音を探している様子に律も喜んだ。


「そうだよ。今の音はラだ」

「ラ!」

「うん。じゃあ、この音は何かな?」


 律は床を軽く三回叩く。すると、音色はファ♯を三回弾いた。


「正解! やっぱり絶対音感があるね」

「すごいじゃん! でもなんだか不満そう」

「ピッチ(音程)が完璧じゃないからね。そうだ! 音色にハーモニーディレクターをプレゼントしよう」


 行き先が頻繁に変わるため、音色の習得した言葉は言語がめちゃくちゃだ。耳が良すぎるせいもあり、日本語以外をよく口にする。しかもそれが何語だか自分でもわかっていない。だから、親子の会話は言葉よりも音楽の方が通じ合えた。


「音色。今日はやっと僕のパパとママに会えるよ。『じーじ』って言ったら、きっと向こうも喜ぶと思うんだ。ほら、じーじ」

「じ!」

「うん。じー」

「じぃー」

「じ」

「じ、じぃー」


 呼び方の練習をした親子は、約束した音楽ホールへと移動した。


「音色ー! じーじだぞー!」


 日本からドイツへ渡った世界的な指揮者である佐藤九郎(さとうくろう)は、コンサート前の楽屋に訪れた息子夫婦と初めて会う孫に向かって両手を広げた。


「音色。さっき練習したろ?」

「じ……じぃ」


 律に抱き抱えられた幼い子供から漏れ出た声に、白髪だらけの髪をひとつに結んだ老人は耳を傾ける。


「ん?」

「ジジイ!」

「……じーじだよー」


 世界のマエストロはめげずに広げた腕で孫を抱っこしようとする。しかし、これに音色は全力で抵抗した。


「……」


 この様子に、律は困ったように笑い静は大笑い。マエストロの妻で元フルート奏者のルミ子は、音色の頭を撫でてから彼を両手で優しく抱いた。白髪混じりの彼女のことを、マエストロは「ばーば」だと紹介した。


「ババーー」

「ルミちゃん!」

「バーー」

「ルミちゃん!」

「……るーちゃ」

「よろしい」


 ルミ子の目は細くなっているが、笑っているようで笑っていない。彼女に逆らってはいけないと、子供でも判断ができた。


「パパの公演、静と音色と一緒に楽しく鑑賞するね」

「そうだな。楽しんでいってくれ」


 音色は産まれてから、何度もオーケストラの演奏を聴いている。だが、祖父の指揮する演奏を聴く姿勢がこれまでと違うことに両親はすぐ気づいた。表情は真剣で、目を大きく開いて集中している。


「音色。どうだった? マエストロはすごいだろ? 今日の演奏は鬼気迫るものがあったね。楽しかったかな?」


 律の問いに、音色は大きく頷いて応えた。

 この公演後、マエストロはある提案をする。


「律。お前もそろそろ仕事に本格復帰しなくちゃいけないんだろ? 静さんも、もっといろんな楽団で経験を積みたいはず。音色にも、もっと世界を見てほしい。だったら、みんなでこの子の面倒を見ないか?」

「パパ。それはどういうこと?」

「それぞれ好きな場所で仕事をして、比較的手の空いている者の所で音色が過ごすんだよ」

「なるほどね。パパとママの元で学べるなら、音色にとっていいことだね。静はどう思う?」

「いいんじゃない?」

「音色。マエストロたちと住んでみるかい?」

「?」

「音楽について、もっと学びたい?」

J a(ヤー)

「イヤなの? ママと離れたくないのね!」

「残念だけど、今のはOKって意味だよ」

「ややこしい!」

「決まりだな。次の公演まで時間があるから、音色は私たちに任せなさい」

「助かるよ、パパ。音色がふたりに慣れたら、そうさせてもらうね」


 この提案により、音色はまた各地を転々と回ることになった。オーディションや演奏会前だと、子供の世話は難しい。そんな時に余裕のある者が音色と一緒にいる。テレビ電話でお互いに連絡は取り合い、音色が寂しく感じることは一度もなかった。

 両親と同じく、マエストロはかつてプロとして弾いていたチェロを、ルミ子はフルートを孫にやらせようとする。しかし、喧嘩になりそうだったため大人たちは話し合い、まずはピアノとヴァイオリンからやらせてみるということで決着した。本人も嫌がることなく、その時世話する大人が属している楽団の団員にも教えてもらい、メキメキと上達していく。教える者の中には、コンサートマスターや協奏曲をするために呼ばれた一流のヴァイオリニストやピアニストもいた。

 こうして、合奏の休憩時間にプロがレッスンをしてくれる環境の中で、幼い音色は育った。

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