14.眼鏡(冷酷部長)
長谷部花藍は、責任感の塊のような人間だ。幼い頃からリーダー気質で、集団をまとめる役を引き受けてきた。これは、彼女よりもしっかりとした者が周りにいなかったからでもある。そして、その立場がより彼女を成長させていった。
長谷部が入部した方南高校吹奏楽部は、全国一の実力を持つ強豪校。その中には、自分よりも技術力のある小野紅蓮や田中翠牙もいる。それでも学年代表へ立候補しみんなの前に出た。同級生へ対して言葉が強くなってしまうこともある。だがそれは全体を考えてのこと。こういったことは、ただ楽器が上手いだけの人物にはできない。嫌われても良いから風紀を正したいという考えを持たなければ不可能だ。
そんな長谷部でも、この嫌われ役にいることに何もダメージがなかったわけではない。恐がられたり、疎まれたりしている自覚はあった。負の感情はあらゆる場所に蔓延っており、辞める部員も増えていく。それが珍しくない環境にいるのだと自分に言い聞かせ、己の甘さを誰にも見せないできた。
中学生までは、長谷部は無敵だった。しかし、人数が多くない団体にいただけで井の中の蛙にすぎなかったと、方南に来て思い知らされた。初めてのマーチングでは柔軟から苦労し、使ったことのない身体の動かし方をやらされる。また、伝統のスタンドプレイでは笑顔を強制され、キビキビとした動きも求められる。自分を捨てて観客を喜ばせるということに慣れておらず、彼女はとても苦労した。それは小野も田中も同じだった。そして、実音だけが違った。
実音は本番中に人を笑顔にする笑い方をする。しかもパターンをいくつも用意しており、吹いている最中とそうでない時や、安心させるような微笑みから満面の笑みまで使い分ける。一瞬で作り上げる様はまさにプロ。長谷部たちがやってこなかったエンターテイメントの大切さを、全身で表していた。そして、その技を惜しみなく教えてくれる。笑うことが苦手な者にも、できることを一生懸命に考えてくれる。とにかく諦めなかった。だからこそ、いつも叱られてばかりの小野も懐き、田中も練習相手として付き合っていられた。オーボエパートだけでなく、実音は部員全員から好かれていた。
人数が多ければ、その分トラブルも多くなる。声を上げられない者もいる。そういう者を、実音は見捨てない。たとえ自分の練習時間が削られても、解決が困難でも、悩んでいる者をひとりにできなかった。パートや学年が違う部員が退部しても落ち込みを隠せず、二度とそうならないようにと考える。その繰り返しだ。長谷部からすれば、彼女の行動には無駄が多い。優先事項がふたりは異なる。何があってもブレることなく前に立つのか、それとも周りをよく見て共に悩むのか、どちらもリーダーとして間違ってはいない。長谷部は実音が人のために苦しむのを見てきて、大所帯を引っ張ることの難しさを学んだ。
ある日、長谷部は田中から秘密をカミングアウトされた。ずっと近くにいたが、彼女は全く気がついていなかった。
「田中が小野のことを、か……」
「恋愛禁止だって、あたしもわかってるわ。恋バナ自体、この部活じゃ気軽にできないこともね」
「……そうだね」
「でも、長谷部からあんなこと訊いてくるなんて意外だったわ」
「え?」
「あたしが雅楽川のことを恋愛対象として見てるって思ったのよね?」
「まぁ……うん」
「それはないから。あたし、あの子のことは女子力の塊だと思ってるの。オシャレに興味なさそうだけど、全体的に雰囲気がもう女の子って感じじゃない? あたしにとってはお姉様にしたい存在ね」
「そっか」
「長谷部は?」
「え?」
「雅楽川のこと、どう思ってるの? 親衛隊だし、悪くは思ってないんでしょうけど。だって、あの子に告白した奴らに対して一番恐い顔してたの、長谷部だし」
「そ、それは……」
「……あ、でも、小野とあの子が一緒にいる時も、あなた同じ顔だったわ。……ん? ひょっとして、長谷部も小野にLOVEなの? あたしと同じ? ねぇ、そうなの?」
「……」
「黙ってちゃわかんないわよ。あたしは秘密を話したんだからね。別に好きな人が被っても、あたしはライバルに嫌がらせとかしないから安心して」
「……違う」
「え、何? よく聞こえないわ」
「あんな変人なんて、少しも好きじゃないから!」
「まぁ、酷い!」
「私が好きなのは……」
「だぁれ?」
長谷部は一旦廊下へ顔を出して周りを見回す。ほかの部員がいないことを確認すると、深呼吸してから田中と向き合う。
「あら、あたし? ごめんなさい。タイプじゃないわ」
「違うって!」
「わかった。百鬼先生ね。気に入ってほしくて学年代表になったんでしょ?」
「それも違う!」
「じゃあ誰よ?」
「…………わ」
「なんて?」
「雅楽川!! 私は雅楽川が好きなの!!」
「…………あんたって子はもう! ……おいで、抱きしめてあげる」
「いらないから!」
抱擁しようとする田中の手を払いのけ、長谷部は真っ赤な顔で息を整える。
長谷部がオーボエを始めたきっかけは実音だった。
彼女はテレビで観て一目惚れしたフルートを吹く実音といつか会えることを夢見て、一緒にアンサンブルするために別の楽器を選んだ。同じ木管楽器で高音を担当するオーボエならば、ユニゾンを奏でられると思った。高校を家から遠い所にある強豪校にしたのも、フルートの上手い実音が来る可能性が高いと考えたから。
しかし、実音はオーボエパートの教室に入ってきた。だから長谷部は『ダッタン人の踊り』のオーディションでコールアングレに力を入れた。そのなのに、実音も同じ楽器でメンバー入りを目指してきた。おかげで、意中の相手を蹴落とす形となってしまった。悉く予想を裏切る実音に、長谷部は人知れず心が掻き乱されていた。
「辛いわね。あんたがこれまで、どんだけ雅楽川に厳しいことを言ってきたことか……」
「全部あの子が可愛すぎるのがいけないの!」
「そうね。本当にそう。さぁ、思う存分泣きなさい」
「だからいらないってば!」
「ただいまー!」
再び長谷部が田中の手を払ったその時、小野が教室に帰ってきた。
「……オレ、お邪魔しちゃった?」
いつもなら黙々と練習しているはずのふたりが、仲良さそうに戯れているように見えた小野は、気を利かせて廊下へ出ようとする。それをふたりは慌てて引き留めた。
「何バカなこと言ってんの! ね、田中」
「……」
「そうなの? さっき、長谷部めっちゃ喋ってなかった? それだけ楽しかったのかなって……」
「部活のことで意見してただけだから!」
「ふーん」
田中が女子の声で話していたと気づかない小野に、長谷部たちは安堵する。
「部活のことって、雅楽川のこと?」
「へ!?」
「っ!?」
「オレ、思うんだ。雅楽川って、いっつも部員のために動こうとしてたじゃん」
「……うん」
「……」
「ってことはさ、みんながちゃんとすればいいんじゃない? 長谷部、どうにかしてよ」
「は?」
「……」
「学年代表だろ? ズバッとなんかさ、言ってやってよ」
「真面目に考えてる?」
「……」
「考えてるって!」
「はぁ……」
「……」
実音のように振る舞えない三人は、どうすれば良いのかわからない。
全員がここに留めておきたいと願っていても、この部活はそういう場所だと理解している。何人もいなくなったという事実があり、これからも変わらないという予想も容易い。
人がいても楽器の音もなく静まるオーボエの教室など、本当に珍しい。そこに、パートの二年生が実音を連れて入ってくる。
そして三人は、実音が退部を決断したと聞かされた。
あまりにショックが大きすぎて、長谷部たちは言葉を失い何も声をかけることができなかった。
実音が東京を去った後、長谷部は彼女のように部員へ振る舞おうと努力はした。だが、そう上手くはいかなかった。せめて、過去一完璧な代にしようと自分を律し、周りの手本となるように完全無欠の冷酷な部長であり続けた。
修学旅行で実音と再会した時は、彼女が吹奏楽を嫌いになっておらず続けていたことに驚き喜んだ。それと同時に自分への不甲斐なさとコンクールの結果への不満を感じ、つい冷たく接してしまった。怯える彼女を守るようにして立ったふたりに嫉妬心を剥き出しにして、方南の部長としての振る舞いを一時的に見失った。
それから長崎で吹奏楽に励む実音のことを、長谷部たち東京の親衛隊の三人は見守った。ホームページは毎日チェックしコメント欄にハートを残したり、演奏会のある日は遠い地から成功を祈った。島原で脱走した小野から実音の様子を聞いた際は、彼が羨ましくて暫く口が聞けないほどだった。
部活中は常に気を張っていた長谷部。全国大会で失格という創部以来初となる大失態をした部の部長は、後輩たちの前では涙を一滴も溢さず耐えて次へ託した。それでも実音が率いる大三東高校の演奏には感動で涙が止まらず、直接それが言いたくて気がついたら彼女を三人で待ち伏せていた。
本当の想いは言えない。言うつもりもない。ただ、実音が笑顔でいてくれるなら、長谷部はそれだけで幸せだと思った。
長谷部は高校を卒業すると、オーボエのプロ奏者となるために音大へと進んだ。ただし、小野と田中とは別の大学だ。同じ場所にいても、変人の小野には絶対に勝てない。それに、小野はソロだが長谷部は一流のオーケストラへの入団を希望している。そこで今度こそ、実音のように周りをちゃんと見て行動ができる人になりたいと彼女は願っている。




