おまけ.強豪校顧問
高校の教師となって吹奏楽部の顧問を引き受けた当初は不安で、ハル先生の元へ行き見学して学んだ。彼の教え子はみんな楽しそうに見えた。「楽」だけではなく「苦」を仲間と経験して乗り越え、成長する素晴らしさを実感しているようだった。自分が教える子もそうなってほしくて、私は彼の指導に倣った。そのつもりだった。
どうして私の顔はこんなにも恐いのだろうか? 悪いことばかりではないから良いが、それにしても生徒たちが寄ってこない。ハル先生はあんなに囲まれていたのに……。
進学校の方南高校に赴任すると、それ以前と比べ、より生徒が大人のように見えた。何も言わずとも、私がいるだけでみんながしっかりと行動をする。上級生は下級生を指導し、勝手にミーティングをして問題を見つけて解決を目指す。コンクールもどんどん上の大会へ進むようになった。こちらは特に直すことがあるように思っていない。演奏会でよかったことを言おうとしても、その前に生徒たちは反省点と改善点を述べてくる。気がついたら、観客に楽しんでもらう十八番として、柄にもない高いテンションで演奏する『エル・クンバンチェロ』が完成していた。……優秀すぎないか? 本当に高校生なのか? 私のイメージする高校生はもっと子供らしいことをするのだが? 今ってそういうものなのか?
私は一度も「全国大会に行こう」などと言ったことはない。それにもかかわらず、いつの間にか目標が高くなり、これを達成してしまった。精神的におかしくなりそうなくらい大変だった。しかし、達成すればもう楽になれるかと思いきや、実際はそうでない。これは地獄の始まりで、金賞を受賞すれば次は一位。一位になったらそれの維持。終わりがない。また、うちの部員に感化されたのか、強くなればなるほど、野球部を中心にほかの部活も比例して上手くなっていった。
方南に入学すれば、私立や中高一貫校に負けないよう怒涛の授業とテストの日々。中学校でトップでも、ここでは下位の成績になることは普通にある。一般生徒でも忙しい高校生活なのに、吹奏楽部に入ったらそれ以上の苦しみが待っている。技術力のある生徒をスカウトできず、推薦制度もない。そんな生徒がほかの強豪校より高みに行くには、並大抵の努力だけで叶うわけがない。幸い、施設環境は公立にしては立派だ。私以外の指導者もいる。とてもありがたい。何よりも、それをわかった上でここに来て奮闘する生徒たちは、私の誇りである。
ただし、もう一度言わせてくれ。これは私が望んだことではない。そう言ってしまったら士気が下がるのは明白だから言わないが、そこまで追い込みたいわけじゃないんだ。真面目すぎて完璧を演じるから、うちの部は「闇属性」と呼ばれてしまった。そう言われることに、心がとても痛む。辛くてもプライドと尊重の心を持ってトップであり続ける生徒たちが、私には輝いて見えるのに……。
ハル先生の教え子である雅楽川実音は、私が潰してしまった。
奏者としても、彼女は優秀な部類に入る逸材だった。だが、入ったタイミングが悪かった。よかれと思ってコンバートさせた私は、本当に指導者失格だ。あんなに後悔をしたことはない。ハル先生も大切に育てた子供を傷つけられたのだから、絶対に天国で怒っているに違いない。本気で叱る時のあの人は、私でも恐ろしく感じる。
教えてきた全ての代に思い出があり忘れられない。しかし、この日卒部する代は特に印象に残ることだろう。雅楽川がいたから目立っていたということもあるが、この子たちは歴代で一番予期せぬことをたくさんしてきた。
部長の長谷部花藍は、とにかく自分にも他人にも厳しかった。私とのミーティングでも鋭く意見を言い、副顧問たちはいつも彼女に萎縮した。気づかれていないと良いが、実は私もおっかないと思っていた。雅楽川とは女子同士であり、コールアングレでオーディションを争ったりもしたから、きっと見ていない所でもピリピリしていたことだろう。タイプが違うし無理もない。もっと肩の力を抜いてもらいたいが、この大所帯では長谷部くらいの者がいた方が空気が締まるのも事実。是非、大学では自分のためだけに頑張ってくれると嬉しい。
木管学生指揮者の田中翠牙は、何を考えているのか最後まで謎だった。ほとんど喋らない役員は、今後も彼以外に出ないだろう。というより、よくあんな無口でやってこられたもんだ。ほぼ無言の圧でまとめて学生の指導をしていたが、私が生徒の立場なら恐くて音が出せないかもしれない。みんなよくついていけたと思う。彼が音大受験をすることは前から知っていた。だが、ピアノで受けることは最近まで知らなかった。言ってくれていれば、選曲も工夫したし練習の時間ももっと取れたというのに、あいつも困った奴だ。
方南史上最も問題児であった小野紅蓮。彼が受けた高校入試で面接を担当したのは私だった。あの時から変人だと思っていた。なぜなら質問があるか尋ねた時に「この学校の先生は優しいですか? オレ、あ、僕、傷つきやすいんです」と言ってきたからだ。そんな者は初めてだ。普通なら「どんな困難も乗り越える力があります」とか嘘でも宣言するところを、あいつは正直に話した。私の学生時代の後輩も甘いことを言う奴だったが、実際にそうすると伸びなかった。結局入部した小野は基本的に叱られ続けたものの、ずっと同じことを言っていた。技術力は申し分なくとも、精神力が鍛えられているのかわからない。しかし、それは杞憂だったようだ。全国大会で、小野は周りのために立ち上がってくれた。もしあの時の勇気ある行動を責める者がいたら、私が許さない。私は初めて彼のことを楽器以外で称賛した。
オーボエの彼らは、予定よりも早くから練習に参加したり、マーチングより座奏のメンバーとして活躍するために特別対応を願い出たり、ソロコンテストへ異例の出場を決めたり、外部の取材を受けたいと頼んできたり、私は翻弄されてばかりだった。
「百鬼先生」
卒部式の歓談中に長谷部に声をかけられ振り向くと、オーボエの三人が立っていた。
「卒部、おめでとう」
「ありがとうございます」
「部を引っ張ってくれたオーボエパートには感謝してるよ。明日からは寂しくなるな」
「オレも寂しいですけど、やっと明日からはみんなに怒られないんだよなぁって思うと嬉しいです」
「それはどうだかな」
「そうそう。小野は周りをイラつかせる名人だから」
「……うん」
「え! 田中もそう思うの!? 酷い! みんな冷たい! 雅楽川はそんなこと言わない!」
「……」
「……」
「あ……」
雅楽川の名前が出ると、三人の空気は重たくなった。
どのパートよりも厳しかったのだから、四人の時もいろいろあったはずだ。もっと高校生らしく、くだらない話題で笑い合える仲だったらよかったのにな。それも、そういう雰囲気を作ってあげられなかった私の責任だ。
「雅楽川のことは気にするな。あっちで上手くやれているそうだ。三人も全国でそれを確認できただろ? あの子のことは忘れて前を向きなさい」
「はい?」
「え?」
「……」
教師としての私の言葉に、睨みつけるような視線を向けてくる三人。
どうやら何か地雷を踏んだようだ。
「そんな簡単に忘れられるとでも?」
「うん、うん」
「……」
「……お前たち、そんなに雅楽川が辞めたことに責任を感じていたのか。その必要はない。全て私が悪いんだ」
「あの。いくら先生でも雅楽川との関係に入ってこないでもらえませんか?」
「そうだそうだー!」
「……」
「え?」
そして、三人には頭を下げると私の前から去っていった。
なんなんだ、あの態度は?
オーボエのメガネーズは、最後まで意味のわからない奴らだった。




