1.暴君爆誕
北海道に住む歯科医師の男と地元で有名な地主のひとり娘が夫婦となり、やがて元気な女の子が産まれた。
名前は洙田静。
母親はお淑やかな女性になってほしいと願い、ピアノや茶道や乗馬など様々な習い事をさせた。しかし、静はじっとしていることができず飽き性で、レッスンから度々逃げ出した。「名は体を表す」と言うが、破天荒な性格の彼女にはそれが当てはまらなかった。
静は中学生になると、小柄ながらも運動神経の良さを見込まれていくつもの運動部から誘いを受けた。そして、「運動部みたいなものだから」という理由で吹奏楽部にも誘われた。
「何これ、オモロ!」
ここで最初に目についたトランペットを吹いたことで、彼女の人生が決まった。この時のことを、当時の顧問は「悪魔に見つかってしまった」と震えながら今でも教え子たちに語っている。
中学校も高校も部活一筋で励んだ静は、その後都内にある芸術系で国内最高峰の大学へと進んだ。変わり者が多い大学内でも、上京ついでに若々しい黄緑色に染めたショートヘアの彼女は浮いており、無神経に他人のプライドをへし折っていく。
そんな彼女が運命の相手と出会った。それはアメリカで活躍中のサックス奏者である佐藤律で、彼は特別公演をしに大学へ訪れていた。「歩く色気の塊」と言われる茶髪の彼の演奏に衝撃を受けた静は、群がる学生たちを押しのけアタックする。
「色気ヤバー! かっこよー! 上手すぎー! マジイケおじじゃーん!」
「ありがとう。何人かの学生集めてレッスンしようと思っているんだけど、君も参加する?」
「するするー!」
こうして、軽いノリで律のジャズレッスンを受講した静。興味のあまりなかったジャンルでもその才能を発揮し、律を唸らせた。その後の発表会の打ち上げでも、彼女は懲りずに彼へ猛アタックする。
「ねぇ、りっちゃん。結婚しよ!」
「付き合ってもいないのに? まぁ、カノジョと別れたからいいけど。でも、僕おじさんだよ?」
「アタシのパパとママと変わんないんでしょ? だったら話合うんじゃない?」
「君は面白い考え方をするね。……わかった。結婚しようか」
「りっちゃん最高ー! そんじゃ、苗字決めようよ。最初はグー! じゃーんけーん」
「え?」
「ポン! はい、アタシの勝ちー! りっちゃん、今日から洙田律ね!」
「……悪くないね」
勢いで結婚を決めた静は翌日、北海道の実家へ電話をかけた。
「あ、ママ?」
『急に連絡してくるなんて、あなた何をやらかしたの?』
「あはは! やらかしてなんかないよー。あ、でね、アタシ結婚したの!」
『…………はい?』
「律って名前のサックス奏者で、色気ムンムンなんだよ! それで、これからふたりで海外に行っていろんな音楽に触れようってなって、結婚式も向こうで挙げるんだ。ママたちも来る?」
『……さっきから、あなたは何を言っているの?』
「場所はねー、とりあえず音楽の都、ウィーン! 詳しいこと決まったらまた連絡するねー!」
『ちょっと静! ちゃんと説明しなーー』
「あ、切っちゃった。ママなんか言ってたけど、まぁいっか!」
大学で学ぶことがなくなった静は大学を中退し、オーストリアへと飛び立った。受験のために頭に叩き込んだ語学力は既に彼女の頭の中から消えており、英語でさえ話せない。しかし、そんなことを気にするような性格ではないため、ジェスチャーと日本語でゴリ押した。律はドイツ語が堪能で、手続きなどは全て彼に任せる。日本の両親からはこっぴどく叱られたものの、これはいつものことでなんとも思わない。
ウィーンでは充実した日々を過ごせており、オーディションを受け夫婦で小さな楽団に入った。箱にこだわる主義ではない彼女たちは、どこで吹くかをフィーリングで決める。ここは、彼女のような破天荒な者も受け入れてくれるアットホームな場所だった。
「体調は問題ない?」
「平気平気!」
この日はクリスマス。珍しく大雪となったウィーンで、静たちはクリスマスコンサートに参加する。そして現在、彼女のお腹には小さな命が宿っている。
いつも本番はパンツスタイルの彼女も、律に言われてゆったりめのワンピースを着用。身体が小さく初産ということもあり、見た目では妊婦だとわからない。
「無理はしないでくれ」
「来月になったらさすがにセーブするから! ヘバメも大丈夫って言ってるんでしょ?」
「そうだけど……」
「ヘバメ」とは助産師のことだ。オーストリアでは、出産だけでなくその前後も妊婦を個人的にサポートしてくれるヘバメをつけることができる。ベテランのヘバメを律が探し出してきて、静は言葉がわからないが彼女とすっかり仲良くなった。今日のコンサートにも招待している。
「あー、早く産まれないかなぁ。あんまり大きくなっちゃうと帝王切開って言われたけど、それは絶対ヤダ! 回復に時間かかるし、痛いに決まってるもん。麻酔かけて楽に産んでやる!」
「麻酔したって無痛じゃないんだよ?」
「りっちゃんが代わりに産めばいいのに」
「ごめんね」
初めての海外でのコンサートは、静にとって大事なものだった。世界でも自分の音が通用するのかがこれでわかる。リミッター全開で、パートナーやほかの団員たちと音を合わせて観客へ音を届けていく。無我夢中でトランペットを鳴らした彼女は、演奏後に拍手喝采を浴びて大きな達成感を味わった。
終演後、周りは舞台袖へ捌けていくが彼女はその場を動かない。異変を察知した律が駆け寄る。
「静?」
「りっちゃん」
「どうかした?」
「めっちゃ痛い。なんか朝から腰痛い気がしたけど、今めっちゃ痛い!」
「……ヘバメ呼んでくる!」
静のこの告白から、大人たちは大慌てとなった。
楽屋に運んだ彼女の子宮口を確かめたヘバメの判断で救急車を要請したが、外は予報以上の大雪で道路は大渋滞。もし来られたとしても病院まですぐに運べる保証はない。とにかくできることをしようと男性たちは雪かきをし、女性たちは消毒や湯やタオルなどの準備をした。
「あとどのくらいで産まれるのー!? もう無理なんだけどー!!」
「あと少しだって」
「少しってどのくらい? 五分? 一分?」
「二時間くらいみたい」
「全然少しじゃない!!」
「このままここで産むことになるかも」
「麻酔は!?」
「そんなのここにはないよ。妊婦用のハーブティーで緩和してくれるって」
「ハーブティー!? それ効果あるの!? 予定日まだまだなのに、なんで今日産まれるかなー!?」
「きっと、静の演奏を聴いて出たくなったんだよ。ほら、これでも握って? 僕の手だと折られたら大変だからね」
律は譜面台を静の手に握らせる。
「あ、まだイキんじゃダメだって」
「地獄かー!!」
「静が苦しむなんて、やっぱりお産は命懸けだね。静も赤ちゃんも頑張れ!」
ヘバメから途中で体勢を変えるよう指示があり、絶叫しながら静は従う。その間、律は甘い言葉をかける。
「静。とってもセクシーだよ。まるで女神のようだ。赤ちゃんに、早く君を見せてあげたいよ」
「そんな言葉、今いらない!」
「照れてる君も可愛いね」
「照れてない! 気が散る!」
このやり取りを、ヘバメは呆れた表情で見ている。律を追い出しても良いのだが、ドイツ語の通じない静のためには通訳として彼をここに置くしかない。すると、予想よりも早くその時が来た。
外ではひたすら男性たちが雪かきをし、女性たちは楽屋の外から祈り、ヘバメはドイツ語でタイミングを伝え、それを律が余計な日本語を添えて伝達し、静は絶叫。そして小さな命がここに誕生した。
「産まれたよ、静!」
「え、産まれたの?」
「……っ」
「え……?」
声を出さない我が子にふたりは息が止まるようだった。だが、ヘバメは慌てない。刺激を与え呼吸を促すと、間を置いてから小さな産声が楽屋に響いた。
「綺麗なA(ラ)だね」
「でも弱くない?」
「可愛いじゃないか」
疲労困憊の静と子供は簡単な処置を施された。まだ痛みを伴わなくてはならない妻へ、また夫は愛の言葉を伝え続ける。
産まれた赤子はとても小さく、軽く拭かれた後は静の肌と触れ合わせてカンガルーケアを行う。
「……血まみれだ」
「ほかに言うことあるでしょ」
「…‥ちっちゃ」
「うん、可愛いね。名前はどうしようか。予定より早かったから、まだ決めてなかったね」
「なんか疲れて頭回んない。りっちゃんが決めてよ」
「そういえば、『産まれたら見るように』ってパパから手紙をもらったんだった」
律はポケットから手紙を取り出しそれを読む。中身は孫の誕生を楽しみにしている男が書いた、いくつかの名前の候補だった。
「僕たちの子供なんだから、勝手に決めないでほしいよね」
「何が?」
「名前が書いてある」
「いいじゃん。いいのあればそれにしようよ」
「えー。……あ、でもこれはいいかも。『音色』だって」
「もうなんだっていいよ。アタシ疲れた」
「お疲れ、静」
ここでようやく救急車が到着した。外にいた者たちも子供の誕生を知り、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。楽器を出して演奏し始める者まで現れた。それをヘバメは叱りつける。低出生体重児に必要なのは、祝うことよりも病院でのケアだ。救急車は日本人家族と命を救った優秀なヘバメを乗せて、雪が降るクリスマスのウィーンの夜を走っていった。




