第七章 F0とF1
あぁ……憂鬱だ。
どうしてDELETEの本部ってやつは、来るたびにこうも息が詰まるのだろうか……。
打ちっぱなしの灰色コンクリ壁に囲まれた長い廊下は、冷たい空気がじわりと肌に染みてくる。
人工照明の白い光はやけに強くて、無機質な光が足元の床にまでギラついて反射していた。どこかで機械の駆動音が唸るように響いていて、まるで巨大な獣の腹の中を歩いているような気分になる。
「さて、まずは健康診断だ。保健課に行け。その後、射撃、近接戦闘、運動能力測定だ」
「はい……わかりました……」
毎回思うが、司令の淡々とした声は、まるで通知音みたいに心に響かない。
でも内容だけは重くて面倒なものばかり。溜め息が自然とこぼれた。
遠くの方から乾いた発砲音が響いてきた。
――パンッ、パパンッ……鋭く、正確な音。無駄のない射撃。耳だけでそれとわかる。
「この射撃している人、かなりうまいですね。誰です?」
「うん? あぁ、君には聞こえるのか……待て、今確認しよう……オリオンだな」
なるほど。納得だ。あいつの撃ち方には、妙なクセがない。
「へぇ、銃変えたんですね。グロックがあんなにいいって言ってたのに……スミス&ウェッソンのPC356か。威力高くていい銃ですよね」
「ははは、君には本当に驚かされる……私すら把握していないさ、そんなこと……」
「いえ、そんなことは……」
視線を逸らしながら口元を少しだけゆるめた。
褒められるのは苦手だ。けど、少しだけ嬉しくないわけでもない。
「さぁ、早く行きなさい。時間があまりない」
「……はーい」
気の抜けた声で返しつつ、重い足取りで廊下を歩き出す。
にしても、この本部……本当に広すぎる。天井の高い構造のせいで、空間がやけに無音で、心音まで響きそうなほど静かだ。
迷わない自信があったはずなのに、頭の中の地図が一瞬かすんだ。
……たぶん、こっちだ。たしか保健課は……
「失礼しまーす」
「おっ! やっと来たか! 遅いんだよ! 何してたんだよ」
明るい声に迎えられる。保健課の室内は、無機質ながらもどこか“人間味”のある空気が漂っていた。慣れた声に、少しだけ肩の力が抜ける。
「いやぁ、道に迷ってて……」
「お前が? そんなわけないだろ! お前が道に迷ったんだったら、ここは迷路だぜ……さぁ検査するから、上の服脱げ、心電図とるぞ」
あいかわらずノリが軽い。だが、腕は確かだ。
冷たいジェルが胸に塗られた瞬間、ゾクリとした感触に背筋がすっと伸びる。
心電図をとるこの時間は、なんとなく落ち着かない。くすぐったいし、無防備すぎて居心地が悪い。
思えば昔は、こんな検査でも暴れてたっけな……。
自分でも呆れるほどのクソガキだった。今では、笑い話だけど。
「よし、問題なしだ。暴れなかったな、えらいぞ〜」
「いつまで子ども扱いしてるんですか……」
「ははは! お前はまだ子どもだろ! よし、これで検査は終わりだ。お前さんの検査は早くて助かるわ。逆を言えば、検査できる箇所が少なすぎるんだけどな……まったく、お前さんの体はどうなってるのやら……いつか研究してみたいね」
「さらっと、怖いこと言わないでくださいよ……まぁ、俺が死んだらいくらでもいじくってください」
「おっ! 本当か! じゃあ殺してやる! おらっ」
「やめたほうが身のためですね……ほら、もう三回刺されてますよ」
「冗談だよ、ほら早く射撃してこい」
冗談とはいえ、軽く肩を小突かれて笑いあえるようになったのは、ある意味進歩なのかもしれない。
さて、次は射撃だ。
廊下を抜け、無骨な金属扉を開けると、冷たい火薬の匂いが鼻をつく。
オリオン、まだ撃ってる。
次々に弾丸が撃ち出され、的に食い込む乾いた音がこだましていた。
――にしても、弾代高ぇのに。
「おっす、お前撃ちすぎだろ。120発くらい撃ってるだろ」
「おぉ! 霊! 久しいな。いやぁ、新作の弾丸を試していてな。結構いい感じだ」
「その新作の弾丸というのは、どういう……?」
「こいつを人に撃つと、解けてなくなるらしい。つまり、証拠を消せるのさ」
なるほど……まるで、現実の痕跡ごと消してしまうみたいな弾か。
便利なもんだな。でもまあ、俺は基本銃を使わないから縁はない。
「んで? お前はどうしてここに?」
「ん? あぁ、身体検査サボってて、今日やっと来たんだ。だから射撃検査」
「ほーう、天下のF0がサボりなんてらしくねぇな」
「忙しかったんだよ!」
さて、久しぶりに銃を握る。
正直、あまり得意ではない。でも手にした瞬間、身体が訓練の記憶を呼び覚ます。
まずは20メートル。
目標を静かに見据え、腕を伸ばし、呼吸を整える。
「相変わらず、きれいなフォームだな」
まぁ、それは体が覚えてるからな。
マガジンに装填された9mm弾を確認し、引き金を引く。
乾いた反動とともに、弾丸がまっすぐに飛んでいく。
……5発中、的確に4発命中。
100点満点中、89点。まあ、上出来だろう。
「おお……さすがだな……」
「いや、オリオンには敵わないよ」
「……あとは反射神経テストだろ? さぞスゴイんだろうな……見てもいいか?」
「ん? あぁ、構わないけど、あんまし面白くはないぜ、たぶん……」
勘違いされがちだけど、俺が攻撃を避けてるのは反射神経のおかげじゃない。
生まれつきの“能力”だ。未来を透視する力、それだけ。
「面白くないってのは、どういうことだよ……まさか私と差が歴然で可哀想だといいたいわけ?」
「いや、全く逆だ。恐らく俺は君よりも反射神経は弱いと思う。あんまり使わないからね」
「どういうこと?」
「まぁ、今日の模擬戦でわかるさ」
検査はすべて終わった。
あとは模擬戦だけ。毎回決まりきった展開。俺が無双して、終わる。
「霊、検査すべて終わったか。それでは模擬戦を行うため、交戦場に来なさい」
はぁ……面倒くせぇ。
せめて、もう少し骨のある奴と戦わせてくれよ……