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命の価値

「よし、こっちも排除完了と……電車が来るまであと1分……間に合うか」


高架の上からホームを見下ろし、彁絲かいとは深く息を吐いた。薄く染まり始めた空は、夜と朝の境界線を曖昧にぼかしながら、静かに1日の始まりを告げている。潮風が鼻をかすめ、かすかな血の臭いが混ざった。全身を駆け抜けた数度のダッシュが、筋肉にじんわりと疲労感を残していた。


「はぁ……朝からガンダッシュばっかで疲れたな……仕事もあったし」


ピピ、と耳のインカムが鳴り、いつもの無機質な声が届いた。


『こちらオペレーター、任務完遂を確認。排除対象:暗殺者二名、狙撃手(子供)一名。報酬は200万円です。毎度お仕事ありがとうございます』


「……すっくねぇ……まぁ簡単な仕事だったし、しょうがねぇか」


報酬の額を聞いて思わず口元をゆがめる。命の重さが、数字で換算されている。どこかで慣れたと思っていたが、それでも時折、虚しさが胸をかすめる。


彁絲は制服の袖口を直し、風に身を任せて軽やかに高架から降りた。着地音はまるで風の一部になったかのように、誰の耳にも届かない。


再び駅の構内へ戻ると、賢太が改札の前で待っていた。


「悪いな、あったわ、イヤホン」


「おぉ!よかったな。いや、時間ぴったりだったぜ」


何事もなかったかのように微笑む彁絲。その裏にある冷徹な現実は、誰にも見えない。仮面は完璧に機能していた。


電車の接近音がホームに響き始める。鉄の塊がレールの上を疾走し、朝陽を浴びてガラスが眩しく光る。その光が彁絲の頬を照らし、わずかな陰影を生んでいた。


「なぁ、今日の1限目なんだっけ?」


「んっ? あぁ、たしか……数学だったか?」


「マジかよ……1限目から数学とか終わってんな……殺しにかかってんだろ……」


賢太の嘆きに、彁絲は軽く笑う。正直、授業内容など頭に入ってこない。彼にとって教室は“監視と護衛”の舞台であり、ノートの裏には座席配置と死角のメモが書かれている。


『まもなく、金時、金時。お出口は右側です』


「おっ、着いたな。いつもより早く感じるな、話し相手がいるからか?」


「そうかもな。まぁ、俺は実際、いつもより早いわけだが」


電車が停まり、扉が開く。ホームには朝の光が差し込み、足元を金色に染めていた。人影はまばらで、この駅で降りる人はいつも少ない。


小さな駅舎を抜けて、二人は並んで改札を通る。改札の外には、小さな噴水がこぢんまりと設置されており、ぽこぽこと絶え間なく水音を立てていた。


その音だけが周囲の喧騒と異質に浮いていた。


(たぶんこの噴水、ちゃんと見てるのは俺くらいだろうな)


ふと、隣で歩いていた賢太が呟く。


「あの噴水、もったいねぇよな。場所が悪くて、あんまし人が見てくれてねぇじゃん」


(あっ……ここにもいたわ、見てる人)


「そうだな……あっ、愛桜あいら


視線の先には、改札近くの柱にもたれるように立っている少女の姿。制服の袖を指でつまみながら、こちらを見つめていた。


「そうだぞ。おまえさ、いつも待たせてるけど、愛桜いっつもこの時間から待ってるんだぜ」


「そうだったのか……」


「レディをあんまり待たせるもんじゃねぇぞ」


(……これは俺の失態だ。護衛対象を一人で待たせていたなんて)


任務内容を思い返しながら、彁絲は内心で自分を戒める。もし先ほどの任務でミスをしていたら、彼女の命が狙われていたかもしれない。


「それじゃ、またな彁絲。俺、今日はバスだから」


「おいおい、歩けよ。体力つかないぞ」


「はいはい、今度な!」


賢太が手を振って去っていくのを見送りながら、彁絲は愛桜に向き直る。


「あっ、彁絲くん! おはよう。今日は早いね。どうしたの? 一本早いので来たの?」


「うん、おはよう。まさかいると思わなくて。いつもこんな時間から待ってたの?」


「ううん、今日は早く来ただけ。なんとなく、彁絲くんが早く来そうな気がしたから」


(そんな“勘”だけで来るなよ……)


彼女には知らせていないが、愛桜には懸賞金がかけられている。2000万円——優秀な暗殺者なら動機には十分だ。


(DELETEは、本人には知らせていないようだな。俺も護衛対象ってこと、伝えてないし……)


この数分の間でも、殺そうと思えば殺せた。無防備な状態で、無邪気な表情で、彼女は笑っていた。


(運が良くて助かってるだけだ。もし任務に失敗したら、俺は“バックスペース”——殺処分だ)


「それじゃぁ行こうか」


「うん……あれ、彁絲くんどうしたの? 朝からお絵かきとかした?」


「うん? あぁこれは……朝、少し鼻血が出ちゃって……」


(しまった……返り血、少し浴びてたか……)


制服の袖に薄くこびりついた赤い汚れ。彼女の無垢な視線が、それをまるで“絵具の跡”のように受け取ってくれていることに、ほっとしつつも罪悪感が胸を刺す。


(最近……仕事が雑になってきてるな)


歩きながら、彼は袖をそっと下ろした。彼女に気づかれないように、日常の仮面をかぶったまま。



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