排除するということ
『コードネーム《霊》、時間です。出発しましょう』
AIオペレーターの冷静な声が耳に届く。音声は感情を排除した機械的なもので、淡々と指示を伝える。
「あぁ、行ってくる」
彁絲は短く返事をすると、制服の襟元を整え、玄関を出た。街はすでに朝の喧騒をまとい始めていた。通学する学生たちの足音、自転車のブレーキ音、遠くで響く車のクラクション——もう地上を駆け抜けるには目立ちすぎる時間帯だ。
「さてと、行くか」
彁絲はすぐさまビルの壁を蹴って駆け上がる。慣れた動きで屋上に着地し、そこからさらに隣のビルへ飛び移る。
「ほっ……よっと……」
身軽な動作。風が髪を撫で、制服の裾を翻す。屋上から見下ろす街は、朝の光に包まれながらも、彼の中では“戦場”に他ならなかった。
「よし、時間に間に合いそうだな」
駅の改札を抜けたとき、クラスメイトの賢太が声をかけてきた。
「おはよう、珍しいなお前、いつも一本遅いだろ?」
「おはよう、うん、今日は早く起きちゃったから。この電車で行こうかと」
そう答えながらも、心の中では計算を巡らせていた。任務対象はこの電車内。できれば一人で動きたかったが、賢太に怪しまれず同行する形になってしまった。
(まぁ、すっとやって、パッと済ませればいい……)
もちろん、賢太は何も知らない“普通の学生”だ。もし巻き込まれたり、正体がバレたりしたら——その時は排除対象になる。
改札を抜け、階段を降りると、視界の端に標的の姿が映る。
(あいつらか……弱いな。警戒心がまるでない。背後にも注意を払ってない)
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるから、先に先頭車両に行ってて」
「おう、わかった」
人混みに紛れながら離れ、無人の待合室に身を潜める。
(さて……暗殺のプランを立てよう)
ターゲットは2名。だが、狙撃手の存在が想定されるため、警戒は必要だった。射線の通りにくい場所——屋根のあるホーム端での排除が最適だ。
(……いるな、狙撃手)
ターゲットは大人の男たちだが、狙撃手は意外にも子供。こちらを探るように高架の上から狙っている。
(撃ってきたら排除する。DELETEの規則では“子供の殺害は極力避ける”だが、“極力”だ。こちらに危害があるなら躊躇はしない)
「こちら《霊》。ターゲット2名と狙撃手1名確認。狙撃手は子供。撃ってきたら排除しても構わないか」
『こちらオペレーター。問題なし。同位置にこちらの狙撃手を配置済み』
「了解」
彁絲は袖の中に数本の鉛筆を忍ばせる。その一本を手の中で回しながら、静かに足を進めた。
ターゲットの背後を取る。呼吸のリズム、視線の動き、周囲の雑音を利用しながら、完璧な死角に入る。
(……はい、一人目)
喉元に鉛筆が刺さる。声すら発させず、男は崩れ落ちた。
(次……二人目)
横目で見ていたもう一人の男の首筋に、鉛筆が音もなく突き刺さる。
静かに血が広がり、地面を染めていく。
「こちら《霊》。ターゲット排除完了。クリーナーの配備確認。登校しまーす」
ヒュンッ!
「うおっと……あっぶねぇ!」
直感で身を翻した瞬間、何かが空気を切って飛び去った。
「どうした?」
賢太の声が後ろから飛ぶ。
「いや、虫が……」
彁絲の目は狙撃手の位置を捉えていた。
(こっちの狙撃手が撃破されたか……腕の立つやつだな)
『こちらオペレーター。こちらの狙撃手は無力化されました。相手はかなりの技量を持つスナイパーです』
「……まさか俺にやれってんじゃないだろうな」
『申し訳ありませんが、可能であれば対応をお願いします』
(……電車が来るまで残り3分。間に合うかどうかギリギリか……)
「ごめん、賢太。イヤホンどっかで落としたっぽくて、探してくる。次の電車になるかも。まじでごめん!」
「お、おう……朝から忙しい奴だな」
彁絲はすでに方向を変え、高架の真下に向かって全力疾走していた。
(距離は約200メートル。投擲じゃ届かない。直接行くしかない)
アスファルトを蹴り、走る。高架の支柱が近づいてくる。
「よいしょっと……」
支柱を一蹴りで飛び、指先をかけて上る。ブースターを50%まで開放。空気が耳を裂くように鳴り、視界の端に高架の端が見える。
「よーい、スタートっと」
秒単位で距離を詰め、高架に飛び乗る。
そこには、小柄な少年の姿。スナイパーライフルを構えて、次の狙撃を狙っていた。
「よぉ、クソガキ。さっきはうちの狙撃手をよくもやってくれたな……っ!」
次の瞬間、鋭い音とともに弾丸が放たれる。
しかし彁絲はそれを——掴み取った。
「なっ……弾を取っただと……!?」
「残念だったな、おまえと俺じゃ格がちげぇんだよ」
少年の目に恐怖が走る。その動きはもう鈍っていた。
「クッ……クソッ! 調子に乗りやがって! うぐっ……」
彁絲の手から放たれた鉛筆が、少年の喉元を貫いた。
静かに、音もなく、少年はその場に崩れ落ちた。
「……やっぱ鉛筆、持ってきて正解だったわ」
朝の光が高架に差し込む。その中に立つ彁絲の姿は、誰にも知られないまま、ただ静かに、次の“日常”へと戻っていくのだった。