第十九章 登校
先日解体したmakerの通信ログから、本部の位置を割り出した──という情報が、胸の奥で乾いた歯車のように回り続けている。学校にいる時間は正直なところ短縮したいが、愛桜を守るという仕事は先に立つ。背中に何か重いものを抱えている感覚は薄れない。
「おはよう、賢太。調子はどうだい?」
陽が高くなり始めたホームに、賢太の明るい声がひびく。電車の金属的な響きと、線路を伝う微かな振動が足元に伝わり、朝の空気はまだ冷たさを残していた。
「ははは……すこぶる悪いね。筋肉痛が痛いわ!」
賢太が腕を伸ばし、ぎこちなく体をほぐす。彼の立ち方はいつもどこか剣道家らしく整然としていて、その背筋の張りが無意識に安心材料になっている。
筋肉痛か。懐かしい刺激だ。俺はもうとっくにそれを感じない身体になっているが、感覚の欠落は記憶の中で逆に鮮やかに残る。
「今日は化学だったか?一時間目だよな」
「そうだ。まじでだるいわ……」
賢太の声は軽いが、耳の片隅で微かにファンの回転音が引っかかる。HALOSの冷却ファンだ。普段はほとんど無音のはずだが、今日はそれを拾ったというのだ。頭の中で小さなアラームが点滅する。
電車はゆっくりとホームに滑り込み、ドアが開くと蒸した空気と人の体温が一気に押し寄せてきた。普段より高校生の姿が少ない。ユニフォーム姿の一団が少なめで、車内はどこか間延びしているように感じられる。
「今日は何かあるのか?高校生が少ないようだが」
「野球の大会があるらしいよ。学校によっては全員で応援に行くところもあるみたい」
人混みは警護の難度を上げる。大量の無防備な人波は、襲撃者にとってカモフラージュの好材料だ。先日の襲撃の記憶が、胸の内でざわつく。
「おーい、どうした?ぼーっとしてるぞ」
「すまない、集中してただけだ。耳をシャットアウトしてた」
戦場の基本は感覚だ。だが今日はその感覚に微かな狂いがある。HALOSの稼働レベルを上げていないせいか、あるいはmakerの干渉か。いずれにせよ、警戒を解くわけにはいかない。
ホームを出ると、日差しが強くなってきた。アスファルトから立ち上る路面熱が足下にまとわりつき、胸元のジャケットが少しだけ重たく感じられる。賢太がふと、耳を押さえるような仕草をして言う。
「さっきからなんかファン音が聞こえるんだけど、気のせい?」
「いや、気のせいだろ。俺には聞こえないし」
HALOSのファンが12デシベル程度でも、個体差で聞こえる者には聞こえる。だが今は重要なのは音の有無ではなく、その可能性──近くに偽装した敵か、makerの妨害か──だ。
駅を背にして待ち合わせ場所へ向かうと、やはり愛桜は車で来ていた。黒光りする車体が朝の光を反射して鈍く光り、その存在感は周囲の雑踏から浮いている。車は見た目通りの異物感を放ち、目立ちすぎるほど目立っていた。
「おはよう、彁絲くん、賢太くん」
愛桜はにこやかだが、彼女の瞳は無邪気さと同時に少しの緊張を含んでいる。父親の過保護ぶりが、こうした過剰装備を招いたのだろう。
車のドアを開けると、装甲の匂いと油の香り、そして微かに火薬の残り香が混じる。外観だけでなく、ラックに据えられた機関銃やミサイルランチャーの影が見え隠れし、思わず視線が固まる。日本の街角において場違いな、戦車に近い佇まいだ。
「おはよう、愛桜。今日はずいぶん目立つ車で来たな」
「うん。お父さんが怖いからって、もう過保護なんだよ」
笑い声の裏で、俺の頭はスキャンを開始する。車体をハックする。装甲材の厚み、車両ITの信号、乗員のバイオシグナル──運転手はDELETEの隊員だ。接触確認と識別が完了する。
『よぉ、久しぶりだな。スキンヘッド、俺のこと分かるか?』
『もちろんです、霊さん。DELETEで有名な方ですよ』
会話は軽いが、モニターの脇で俺は前方500メートルに反応する熱源を捉えた。装甲車。反射率が高く、動きは高速接近を示している。スキンヘッドが運転席から低い声で指示を受ける。
『装甲車だ。相手は敵、すれ違いざまに攻撃してくる可能性が高い。俺は飛び乗って殲滅する。君は運転頼む』
『了解だ。気をつけて』
言葉が終わると、車内の空気は一瞬で張りつめる。振動が増し、エンジンの鼓動が太くなる。俺は咄嗟に計算を巡らせる。ここで消えるわけにはいかない。突然姿を消せば疑念を招くし、車内の装備はまだ整っている。そこで、特別安全隔離室を利用する案を即座に思いつく。
「この車、特別安全隔離室があるはずだ。ここを使え」
「おぉ、すげぇ!秘密基地みたい!」
「悪いがここは二人乗りだ。俺は助手席で安全を確認するから、そこに入っててくれ」
愛桜は少し戸惑いながらも、「わかった」と素直に従う。扉が閉まると、内部はひんやりとした金属の匂いに包まれる。遮音材のせいで外の騒音が吸い取られ、外界との距離が一気に遠ざかる。遮断された空間の小さな振動が、まるで心臓の鼓動を増幅させるように感じられた。
外ではエンジンが唸り、道路の舗装を踏む振動が断続的に伝わる。スキンヘッドがハンドルをしっかり握り締め、俺は計器類に視線を走らせる。前方のセンサーが赤い点を描き、接近を告げる。列車のホームの冷気はもう遠く、目の前には灼熱にも似た緊迫が広がっていく。
守るべき人を閉じ込め、己の背に戦闘の影を載せる──その瞬間、胸の奥の歯車が一段と早く回り出す。夏の強い日差しが車体を焼き、空気は揺らいでいる。俺は呼吸を忘れ、次の指示を待った。外の世界はいつでも変わり得る。だが今ここで、少しでも長く無事でいられるように、すべてを計算に落とし込むだけだ。




