第九章 旧友
さてと、健診や訓練も終わり、ようやく巡ってきた久々の休日だ。
……もっとも、明日からはまた普通に学校が始まるんだが。
「いやぁ…優雅な朝だ…」
カーテンを開け放つと、少し眩しい陽光と、アスファルトから立ち上る熱気が部屋に差し込む。
ベランダに出て、最近買ったエスプレッソマシンでいれた苦味の強いコーヒーをゆっくりと味わう。
舌に広がる苦さと香りが、昨日までの疲労を薄く溶かしていく気がした。
――これが高層マンションの景色なら最高だったんだがな。
頭上には電線が走り、見えるのはせいぜいコンビニの看板。だが学校に近く、DELETE本部にもアクセスの良いのはここしかなかった。仕方がない。
「ふぅ…さてと、この後の予定は…買い物だけか。食料が底を突きそうだしな」
俺は自炊派だ。どんなに疲れていても、栄養のバランスと安価さを考えれば、外食やコンビニで済ませる選択肢はない。
「よいしょっと…朝でも外は暑いな。部屋の冷房が効きすぎてたせいで余計にギャップがきつい…」
一度シャワーで汗を流してから出かけよう。
蛇口を捻ると――
「うおっ!冷たっ!昨日カビ防止で冷水にしてたんだった…!」
氷水のような冷たさに肩が震える。だが、その冷気が一気に眠気を吹き飛ばし、逆に心地よさへと変わっていく。
「きもちい~。朝の眠気を吹っ飛ばすのには最高だぜ…」
シャワーも浴びた、コーヒーも飲んだ。体も頭もすっきり整った。
あとは鍵をかけて外に出るだけだ。
「いきますか…朝のこの澄んだ空気、ゆっくり歩きたい気分だね…」
外に出た瞬間、街の喧騒が微かに耳に入ってくる。小さな子どもの声、自転車のベル、どこかの家から漂う朝食の匂い。そんな平和な光景の中で――ふと、視界の端に見えた。
……あそこに立っているのは、プリンセスじゃないか?
いや、違う。見間違いだろう。休日の朝に偶然出くわすなんて――
「おーい、霊!ちょっと話があるからお茶でもしばきに行こうぜ!」
声が届いた瞬間、胸の奥がざわつく。
俺は咄嗟に言葉を返す。
「わるいな、休日はゆっくり休みたいからまたな」
口調は自然に装ったが、心の奥では違和感が膨らんでいく。
“おかしい”――俺の直感が告げていた。
俺の住所は機密情報だ。DELETEのF1隊員ですら知ることはできない。
なのに、なぜここで俺を呼び止められる?
記憶を掘り返し、思考を巡らせる。
だが、答えは一つしかなかった。
「……おい、お前Makerだろ。俺を欺くにはまだ早かったな」
その名を口にした瞬間、空気が一気に張りつめた。
Maker――俺を作り出した闇の組織。
彼らの手によって生み出されたHPC(Human Personal Computer)は、IQも肉体も常人を遥かに超える存在だ。
本来なら彼らは常時ネットワークで繋がれ、情報を共有している。俺も例外ではなかった……はずだった。
「はぁ…この家ともおさらばか。結構気に入ってたんだけどね」
俺は苦笑混じりに吐き捨てる。だが、心臓は嫌な鼓動を打ち続けていた。
「お前、No.はいくつだ」
偽プリンセスは口元を歪め、答えた。
「流石だね、最強のHPC。俺はNo.109。お前の八代あとの機体さ」
八代後――つまり、世代を重ねた“後継機”というわけか。
普通ならプロセッサもOSも刷新されているはずだが、解析の結果、どうやらそうではないらしい。
つまりこいつは、俺を追跡するためだけに作られた機体。
「残念だったな。お前は成果も得られないまま死ぬことになる」
「いや、十分な成果だ。悪いけど戦う気はないよ」
「いや?戦いなんて一言も言ってない。もう終わってるからな」
言葉を吐き捨てた瞬間、俺の中で確信が芽生えていた。
Makerは俺を失ったことで確実に焦りを見せている。
その証拠が、今こうして目の前に立っている。死体となって。
――急な話で混乱しているだろうが
詳しくは、次に話そう。