丑三つ時の恩恵
時刻は深夜。
今日も今日とていつも通り、優二は彼女に会いに来ていた。
「……やあ」
そう言って振り返るのは、変わらずすべてが蒼で構成された少女だ。彼女は川の中に立っている。ひざ下のあたりまで水中に浸かっているが、冷たく感じているような素振りは見せない。
昨日は川のほとりで立っていたので、優二はなんだか新しい発見をしたように感じた。
彼がまじまじと少女を見つめると、ふと、彼女の来ているセーラー服が気になった。
いつも通りに真っ青で、そこに以前との違いはない。そのまま染色液に浸したみたく、もはやどこにどんな装飾が施されているのかわからないほどに、青く染め上がっている。
「また同じ格好ですね。……ちゃんと服洗ってますか?」
開口一番、服装への文句をつけられた少女はふくれっ面をして、ふいと拗ねたように目を逸らし、
「服は、どうだろうねー。もしかしたら捨てられて、新しいのに着せ替えられてるかも。でも体は綺麗になってるはずから、大丈夫」
「そうですか……」
体は綺麗になっている『はず』。
新しいのに『着せ替えられている』。
その言い方に引っかかりを覚えるも、すぐにそれを振り払う。
「まあ、流石に洗わないと汚過ぎてね。体は綺麗なままじゃないと、君に私だって思われなくなっちゃうかもしれない」
「確かに、ドロドロに汚くなってて髪も服もぐちゃぐちゃだったらわからないかもですね」
「ドロドロって酷くない?もう少し、言い様ってものが……私だって女の子なんだよ!」
「そうなんですか?」
わざとらしく首を傾げて、さも初めて知ったと言わんばかりの反応。それに少女はげんなりした様子で、
「こういう時だけイキイキしてるの、本当性格悪いと思うよ……星ってさーー」
「脈絡どこ行きました?」
思わず優二が発言を遮る。少女はむすっとして、小学生みたいないじけた顔で言った。
「いいじゃん!私が話したかったのはこっちなんだから!好きなふうに話させてよ!終わったことは話さないでよ!」
「……はい」
「不服そうな顔をするなー!」
「……はい」
同じことしか言わなくなった優二にとうとう諦めたのか、少女はうんざりしたように続ける。
「はぁ……んで、星ってさ、すごく綺麗に見えるよね」
彼女は空を見上げ、無数に輝く星に手を伸ばす。随分と気障っぽい、厨二くさい仕草ではあるが、優二は彼女にそれを指摘する気にはなれなかった。
彼女の表情がやけに優しくなっているからだ。
何回か話して、こういう表情をすることは何度かある。その時は大抵、彼女の本心が話されるのだ。
人より多く悲しんで、人より多く楽しもうとして、空回りを続けてきた。そんな彼女の心の底にあるのは、きっと。
「そうですね」
優二は同じように空を見上げ、星々をその視界に映す。
「特に月とかさ、すごい綺麗じゃん」
「……すみません、そういうのはちょっと」
空を見上げたまま、優二は彼女を揶揄った。
やるせない気持ちがこみあげて、どうしようもない思いが溢れて、何もかも吐き出してしまいそうになって。それがどうしても、耐えられないから。
「告白違うわ!単純に、シンプルに、月が綺麗だよねって言ってるの!」
「そうですね」
「え!?告白……!?」
「じゃあ僕帰りますね」
「待って待って!悪かったから!」
こんな風に楽しく会話するだけなら、優二はこんな感慨を抱かずに済むのだ。
だって、彼女はもう――
「……前、花が綺麗に咲くのは誰かに見てもらうためだって話をしたじゃん」
「そうですね」
「でもさ、月は生き物じゃないんだし、見てもらいたいとかないんじゃないかなって。そしたら、なんであんなに綺麗なんだろうね」
「そんなに理由が欲しいんですね」
「あの輝きは、あの美しさは、誰のものなんだろうなって、考えずにはいられないんだ」
「……月が見えるたびに、そんなことを考えてるんですか?」
優二は怪訝そうに少女のほうを見る。
「いや別に。でも、綺麗だなって思ったものは、自分のものにしたくなるじゃん?」
「まあ、理解できなくはないですけど……」
「だから当然、月も私のものにしたいなって思うんだよね」
少女は手を伸ばしたまま、その掌を月に向ける。
優二はその背中を見て、言う。
「でも、いずれは月も人間のものになるかもしれませんよ」
「その時、誰が月を手に入れるんだろうね?」
また後ろを向き、優二からはその表情が見えなくなる。その背中に、優二は語りかけた。
「あなたが欲しいと思っても、手に入るとは限らない。それでも、手に入れたいって思うことが、人の原動力になる。なにより、月なんかよりよっぽど輝いてるものが、案外近くにあるかもしれませんし」
自分でも、らしくないとわかっている。
それでも、仕方ないのだ。
さっきから、本心を曝け出したいと、心の底から思っていたから。
「……天翅君って、以外とロマンチスト?」
「そんな訳ないでしょう。ただの青好きの変人ですよ」
自虐気味に優二は言う。幼いころに見た空と海の二つの『青』が、目に焼き付いて離れない。
他の誰から笑われようと、それは『好き』をやめる理由にはならない。『好き』がやめられないから、他の誰より苦しまなければならない。
「『変人』は私にも効くからやめて……」
きっと、この少女も。
「……『綺麗』を自分のものにしたいから、取り込もうとするんですか?」
「ーーそうだね、そうかもしれない。……時間だ、さっさと帰りなよ」
やらかした、という小さく大きな後悔を胸に、優二は歩き出す。
最後まで、お互いの顔は見えないままだった。