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目の前で姉が婚約破棄されたので相手をぶん殴ったら、その日の内に超絶美形だけど変態な公爵令息にプロポーズされた。


 人生には、戦わなければならないときがある。


 たとえその選択の先にとてつもない困難が待ち受けていようとも。



 このわたし、アシュリー・オールストンに、まさにそのときが訪れようとしていた。



「すまない、クレア。ぼくはどうしてもリリアンと一緒になりたいんだ。だからぼくとの婚約はなかったことにしてほしい」


 クレアはわたしのお姉さまだ。


 たった今ふざけたことを抜かしたこの優男はお姉さまの婚約者。


 隣にいる小柄で気弱そうな女は――ジェントリ階級の娘らしいが、はっきり言って知らない。だれ? そもそも招待されている人? まさか勝手に連れてきたの? いい度胸してるじゃない。


「待って、マシュー。いきなりそんなことを言われてもわけがわからないわ」

「わかっている。君には本当に申し訳ないことをしていると思う。すまない。でもぼくは……君以上にリリアンを愛してしまったんだ」

「そんな……そんな……!」


 お姉さまはふらりとよろめき、くずれ落ちるようにその場に座り込んでしまった。


 わたしはあわててお姉さまに駆け寄り、華奢(きゃしゃ)な肩を抱く。


「お姉さま!」

「ひどい。ひどい。あんまりだわ。式は来月だったのに……」


 確かにあんまりな話だった。


 婚約者が見知らぬ娘と仲睦まじく手を繋いで現れたかと思いきや、一方的に婚約を解消すると言い出したのだから。


 しかもそれを、よりによって我が家で行われた秋の園遊会の場でやらかしてくれるとは。


 ――ふざけているにもほどがある。


 これはもはや当家に対する宣戦布告と言っても過言ではない。



 招待客たちはとうに異変に気づいていて、全員が息を飲んでこちらを注視していた。


 遠くにいた両親もただならぬ様子を察したらしく、速足でこちらに向かって来ようとしていた。


 わたしはお姉さまの震える体をぎゅっと抱きしめてささやいた。


「大丈夫よ。大丈夫。クソ男はわたしにまかせて」

「アシュリー……」


 わたしは奥歯を噛みしめながら立ち上がる。


 姉の仇はわたしの仇。


 許すまじ! マシュー・ロンズデール!


 その様子を見ていたやらかし男は一歩後ろに下がり、連れの娘はおびえた顔つきで男の後ろに隠れた。


「あなたそれ、本気でおっしゃっていて?」


 満面の笑みを浮かべて訊ねたところ、やらかし男はゴクリと喉を鳴らす。


「ああ。本気だ」

「あらそう。わたくしの記憶が正しければ先に好きになったのはあなたの方だったはずだけれど。プロポーズだって、それはもうしつこかったわねえ。お姉さまは最初、乗り気じゃなかったのに、何度も我が家を訪ねてくるものだからついにほだされてしまって」

「……すまない」

「だいたい、今言う必要があったのかしら? 婚約を解消するにしたって、相応のやり方ってものがあるでしょう。双方の将来に響かないようにする方法が」

「リリアンが一刻も早くと……それで……」

「へえ。愛しのリリアン嬢がねえ。そろいもそろって常識知らずってわけね。お似合いですこと」


 ようやく両親が到着し、わたしとやらかし男の間に割り込もうとしたが、わたしはそれを許さなかった。


 お父様、お母様。どうかこの場はアシュリーにおまかせくださいな。


 これからこの男にふさわしい制裁を与えてやりますから。


「まあいいわ。取り返しがつかなくなる前にあなたがしょうもない男だとわかってむしろよかった。それはそれとして、大事なお姉さまを傷つけた挙句、大勢の前で恥をかかせたことについて相応の覚悟はできていて?」


 やらかし男はしばらくうつむいていたが、やがて意を決したように顔を上げる。


「自分にできることならなんでもする」

「そう。だったら――」


 わたしは拳をぎりりと握りしめると、前に一歩大きく足を踏み出しながら肘を後ろに素早く引いた。


「歯ァ、食いしばりなさいっ!」


 突き上げた拳はやらかし男の顔面のど真ん中に当たり、周囲からおおっというどよめきが上がる。


 やらかし男は何が起きたかわからない間抜け面でよろめくと、鼻からツツーと血を垂れ流していた。

 

 アシュリー! とお母様がヒステリックな叫び声を上げる。


 お父様はその隣で顔を覆っていた。


 お姉さまは地面に座ったまま目を(しばたた)かせていた。


 わたしはというと、痛む右手を振りながら澄み渡った空を見上げていて、これ以上ないくらい爽快な気分だった。




 だから、気がつかなかった。



 

 少し離れた場所から、やたらと熱のこもった眼差しを向けてくる人物がいることに。


 後から聞いた話によると、その人物は興奮のあまり頬を染め、息まで弾ませながら、こうつぶやいていたらしい。


「うつくしい。なんてうつくしいんだ……」




     ◇◆◇




 あんなことが起きてしまったので、園遊会は予定よりも早くお開きになった。


 招待客たちがすっかり帰ってしまうと、わたしは書斎に呼び出され、両親による()()のお説教を受けることになった。


「まったく! お前はなんということをしてくれたんだ!」

「そうですよアシュリー! 自分のしたことの重大さがわかっているのですか!?」

「伯爵令嬢ともあろうものが人を殴りつけるとは……! いくらマシューのやり方に問題があったとはいえ、暴行は犯罪だ! 訴えられてもおかしくないんだぞ!?」

「何を考えて生きていたら男の人を殴ろうと思うんですか!まったく、どうかしていますよ! クレアはまともに育ったのに、どうしてあなたはその見た目でそんなに乱暴なのか……! お義母様に似て大変な美人なのに……!」


 わたしはここぞとばかりに口を挟む。


「容姿と一緒に気性の荒さも受け継いだんでしょうね。おばあさまは相当な毒舌家で、わたしみたいに男の人を殴りつけたこともあったって、家政婦長のミセス・ルードから聞いたことがあるわ。それにお父様、自分にできることならなんでもするって言ったのはあの男の方よ。なんでもってことは、殴られるのも入っているわよね?」


 お父様とお母様はそろってため息をつくと、一方はマホガニー製の机を迂回(うかい)して椅子(いす)に座り、一方は部屋の真ん中に置かれた長椅子の一つに腰を下ろした。


「その様子だとまったく反省していないようだな」

「ええ。していませんとも。あの男はね、言葉でお姉さまを殴りつけたのよ? だったら殴り返されて当然よ。でもお姉さまはそんなこと絶対にしないからわたしが代わりにやっただけ」

「どういう理由があろうと暴力いかん」

「それはお父様の価値観ね。わたしは違う。時には痛みで相手にわからせることも必要よ」

「お前はほんっとうに……! 何を言っても反省しないな! 昔から! 減らず口ばかり叩きおって!」


 お父様が机を叩いた。大きな音が鳴った。


 わたしの後ろでは長椅子に腰かけたお母様が深々と嘆息していた。


「アシュリー。あなたがそういう態度なら、こちらも相応の手段を取らざるを得ません」

「というと?」


 振り返ったところ、厳しい目が向けられる。


「前にも言いましたが、修道院に入ってもらいます」


 なんだそれか、と思った。


 修道院行き。


 大抵の令嬢は震え上がって許しを乞うのだろうが、わたしは別にかまわなかった。


 何も世を捨てて修道女になれというわけではなく、生活する場所が修道院に変わるだけなので、社交の場には顔を出さなくていいし、結婚相手が見つからなくてもネチネチ責められないし、平穏に暮らせて結構なことではないか。


 ――などと思っていたら、音を立てて書斎の扉が開け放たれる。


「それはだめ!」


 現れたのは自室で休んでいるはずのお姉さまで、真っ直ぐにわたしに駆け寄ってくると、息が詰まるほどの力で抱きしめてきた。


「だめよ! 修道院に行かせるなんて、そんなひどいことしないで! アシュリーは……アシュリーは私のためにやってくれたの! マシューのしたことを許せないと思ったから……だから……!」


 どうやら廊下で聞き耳を立てていたらしい。


 目が赤く腫れて潤んでいるのは、直前まで泣いていたからだろう。ああ、可哀そうに。


「他のことだってそうよ! アシュリーはいつだって誰かのために戦っていた! 自分がひどいことをされても黙って耐えているけど、目の前の誰かが傷ついているのは放っておけない性格なの! お父様とお母様だってご存じでしょう!?」


 思わぬ援護に胸が熱くなり、わたしはお姉さまの細い体を抱き返さずにはいられなかった。


 やっぱりわたし、お姉さまが好き。大好き。美人だし可愛いし性格も良いし、最高。


 こんな素敵なお姉さまを捨てたなんて、あの男、やっぱり許せない。もう二三発殴っておけばよかった。


「クレア、お前の言うこともわからなくはない。だがな、アシュリーが多くの問題を起こしてきたせいで、私たちがどれほど苦労したと思う?」


 それを言われるとちょっとだけ心苦しかった。


 わたしは――間違ったことをしたつもりはない。


 いつだって自分なりに正しい選択をしてきたつもりだ。


 だがその代償に、両親に多くの負担をかけてしまったことも事実だった。修道院行きを覚悟していたのは、それが両親に対する贖罪になるのなら、という思いも少なからずあった。


「それにアシュリーには前々から言っていましたよ。次大きな問題を起こしたら修道院に入ってもらいますからねって」


 唇を噛みしめたお姉さまは、スミレ色の美しい瞳からぽろぽろと涙をこぼした。


「いやよ。いや。アシュリーはどこにも行かせない! アシュリーはたった一人の私の妹なのよ!? どうしても修道院に入れるつもりなら私も一緒に行く!」


 ああ、この世で最も尊くて最高なお姉さま。大好き。愛している。


 でもね、アシュリーは誰よりもお姉さまに幸せになってもらわないと困るのです。でないとあの元婚約者を殴った意味がありません。


「聞いて、お姉さま。わたし、修道院に行くわ。これ以上お父様とお母様にご迷惑をかけするのは申し訳ないから、静かに暮らせるところに行く。でもね、お姉さまはだめ。お姉さまはね、この先マシューよりずっと良い人と結婚して、たくさん子どもを産んで、幸せな家庭を築くの」

「アシュリーだって……!」

「わたしはだめ。こういう性格ですもの。結婚に向いてない。修道院暮らしの方が性に合ってる。あそこにいれば貧しい人たちの手助けもできるしね」




「――それは困りますね。僕の願いが叶わなくなってしまう」



 それはよく響く若々しい男性の声で、書斎の入り口から聞こえてきた。


 わたしもお姉さまも、お父様もお母様も、ほぼ同時にそちらを向いた。


 そして、あんぐり口を開けた。


 なぜならそこには金髪碧眼の超絶美青年が、光沢のあるグレーのフロックコートを身にまとってたたずんでいたからだ。


 彼の姿には見覚えがあった。園遊会に招待されていた客人の一人だ。

 

 名前は確か――エドガー・エインズワース。ラトクリフ公爵家の嫡男で、現ラトクリフ子爵。


 歳は二十代後半で独身。文句なしの身分で資産家でもあるので、彼を狙う未婚の令嬢は山ほどいると聞く。園遊会の最中も大勢の女性に囲まれていてすごかった。


 そんな大物がなぜここに。そもそも招待客は全員帰ったはずでは?


 彼の後ろでは我が家の執事が困り果てた様子で立っていた。おそらく客間に案内しようとしたところ、勝手に歩き回られてしまったのだろう。


「ご無礼をお許しください、オールストン伯爵。ならびに夫人。レディ・クレア。レディ・アシュリー。急ぎお伝えしたいことがあったものですから」


 ラトクリフ子爵はにこやかに笑いながら書斎の中に入ってくると、お姉さまの前で足を止め、(いたわ)わるような表情を浮かべてみせた。


「今日は大変な災難でしたね、レディ・クレア。ロンズデール子爵でしたか? あなたの婚約者は。あれはひどい男だ。最低な人物だ。あんなやり方であなたを傷つけて。本当にお可哀そうに」

「え? あ、はい。あの……?」

「大丈夫ですよ。あなたの評判は傷つきません。僕がそうさせません。ただし、あの男の評判はガタ落ちでしょう。まともな社交界にも出入りできなくなる。あなたからあの男を奪い取った娘も同様にね。ですからご安心ください。レディ・アシュリーがおっしゃっていたように、すぐに次の結婚相手が見つかります。あなたはただ待っているだけでいい。美しいあなたに恋焦がれる男は多いのですから」


 きょとんとするお姉さまと優しく微笑んでいるラトクリフ子爵の組み合わせに、わたしは内心ニヤリと笑わずにはいられなかった。


 ――まったく、人生はどう転ぶかわからないものである。


 婚約解消という悲劇に見舞われたお姉さまが、その日の内に元婚約者よりはるかに優れた人物から求婚されそうになっているのだから。


「正直におっしゃったらどうです? 自分もその一人だって」


 ラトクリフ子爵の思惑をこの場ではっきりさせてやろうと思ってそう言ったところ、アシュリー、と小声でお母さまにたしなめられてしまった。


 公爵令息相手に失礼な、と言いたいのだろう。でもねお母様、期待に目が輝いているのを隠せていなくてよ。



 ラトクリフ子爵がこちらを向く。


 彼は観察でもするかのようにわたしをじっと見下ろしたかと思うと、次の瞬間、とろけんばかりに甘く笑みくずれて――。


 んん? あれ?


「レディ・クレアには大変申し訳ないのですが、それは違います。僕が恋焦がれているのはあなたです」

「……は?」


 意味がわからず固まっていると、ラトクリフ子爵はわたしの足元に片膝(かたひざ)をつき、許しを乞うかのように胸に手を当ててみせた。


「えっ? あの、ちょっと!」

「レディ・アシュリー・オールストン。僕はあなたに恋をしてしまいました。あなたがあのロンズデール子爵の顔に見事な拳を叩き込んだ、その瞬間に」


 ラトクリフ子爵の完璧なまでに整った顔は苦しそうに歪んでいて、わたしを見上げる紺碧の瞳は切なさに満ちていて――。


 まあ、と声を上げたのはお姉さまだった。


 息を飲んだのはお母様だ。

 お父様は立ち上がって事の成り行きを見守っている。


 わたしだけが目の前で起きている出来事を理解できていない。


 何これ。いや、本当になんなのこれ。誰かわかるように説明して!


「あなたが好きです。どうか僕と結婚してください。僕のことは夫ではなく奴隷と思ってもらってかまわない。生涯あなたに尽くすと誓います」

「えっ、いや、ちょっと……」

「ですからどうか、どうかお願いします。あなたがいいんです。あなたじゃないとだめなんです。なんでもします。なんでも差し上げます。だからどうか、未来の公爵夫人に……!」


 ラトクリフ子爵は必死だった。


 なぜか目は赤いし潤んでいるし、呼吸まで荒くなっているし、ちょっと――いや、かなりこわい。



 人生には、戦わなければならないときがある。


 覚悟の上だった。


 相当な困難が待ち受けているだろう、と。とりあえず修道院行きは確定だろうな、と。




 でもこれは――さすがに想定外過ぎる。わけがわからない。




 わたしは深呼吸を繰り返し、なんとか冷静さを取り戻すことに成功した。そして、たった今自分の身に起きたことを整理すると、よそゆきの笑顔を浮かべて言った。


「いくら身分と顔が良くても変態と結婚は無理です」






「だいたいあなたね、わたしがどんな人間か知らないでしょう。自分でも大概まともじゃないと思ってるくらいよ。社交界での評判もひどいもので、呼び名だって――」

「〈茨棘(いばらとげ)の姫君〉でしょう?」

「へええー、そんな素敵な呼び名があったの? 伯爵令嬢なのに姫君ですって? 知らなかったわ。ちなみにわたしが教えたかったのは〈狂犬アシュリー〉の方よ」

「もちろんそちらも知っています。あなたは有名ですから」

「ああ、まあそうでしょうね。……って、知っていてプロポーズなさったの? ますますどうかしてるわね」


 わたしは相手が公爵令息であることをすっかり忘れて気安い口調で話しかけていた。



 書斎にいるのはラトクリフ子爵とわたしの二人だけだ。



 普通であれば未婚の令嬢が男性と二人きりになるのはありえないことだが、お母様はもう耐えられないと言って自室に行ってしまったし、お父様は別件でどこかに行ってしまったし(たぶん逃げた)、お姉さままで邪魔をしたくないと言っていなくなってしまった。


 それで二人きりになってしまったのである。


 一応、扉は全開にしてあるし、外には使用人が控えてはいるのだが。


「以前からあなたに興味があったんです。武勇伝を聞くたびに一体どんなご令嬢なのだろうと。今日ご挨拶したらあまりにも美しく礼儀正しくまともな方だったので、噂は嘘か誇張だったのかと落胆したのですが、ロンズデール子爵を殴るのを見てこれこそ僕がお会いしたかった〈茨棘の姫君〉だと心が震えました。あの瞬間のあなたは本当に美しかった。まるで戦いを司る古代の女神のようで……」


 うっとりと語るラトクリフ子爵の眼差しは熱病患者のようで、見ていて少し心配になった。


 大丈夫なのかしら、この人。うーん。いや、だめだろうな。


「この美しくも荒ぶる女神であれば、陰湿な弱いものいじめを繰り返す令嬢の顔にうっかりを装ってクリームたっぷりのケーキをぶつけもするだろうし、とある令嬢を故意に池に突き落とした人物二人を自分もろとも池に引きずり込むだろうし、公園を散策中に妙齢の貴婦人が変質者に襲われているのを見れば日傘で叩きのめすこともするだろうと」

「……本当に、よくご存じで」

「もっと知っていますよ? お話ししましょうか」

「結構です」


 わたしのしたことだ。わたしが一番よく知っている。


 というかもういいから、さっさと帰ってくれないだろうか。いい加減、疲れて限界なのだ。


 ベッドにもぐってひと眠りしたい。これ以上変態子爵に付き合っている気力はない。ああ、頭も痛くなってきた。


「これでわかっていただけましたか。僕はあなたがどういう女性か知った上で妻になっていただきたいとお願いしているんです。決して一時の気の迷いなどではない」

「そもそもあなたの結婚観についていけないわ。何? 奴隷って。尽くすって」

「あなたのように支配されたいんです。身も心も」

「だったらなおさらお断りします。歪んだ関係がお好みなら、そういうのが好きな人を探せばいい。言っておくけどわたしは違いますから」

「では、どういう関係ならいいのですか?」

「決まっているでしょう? 対等な関係よ。どんなことも腹を割って話せる関係。上下の存在しない関係。困難なとき支え合える関係」


 そういうことなのでお帰りください、と告げようとしたところ、ラトクリフ子爵はガックリとうなだれ、太腿(ふともも)の上に置いた手をきつく握りしめた。


 肩が、かすかに震えている。


 まさか泣いているのだろうか。それとも怒っているのだろうか。


「あなたは……あなたはなんて素晴らしい人なんだ。本物の女神だ」 

「………………」


 再び顔を上げたラトクリフ子爵はやたらと活き活きしていて、疲れ切っているわたしの目にはだいぶまぶしかった。


「僕が間違っていました。もう一度やり直させてください」

「はあ?」

「あなたが好きです。僕と結婚してください。一緒に幸せな家庭を築いていきましょう」


 なるほど。やり直すってそういうこと。


 まあ、今の言葉ならそう悪くない気がする。一緒に、というところが対等な関係性を感じられてまずまずである。


「うん。まあまあかしらね」

「では……!」

「その申し込み方なら悪くないって意味であって、承諾したわけじゃないわ。そもそもわたし、あなたがどういう人なのかよく知らないもの。変態ってこと以外は」

「なっ、変態ではありません! あなたに対する想いはどこまでも純粋なものです! それに僕のことはこれから知ればいい!」

「そうは言っても修道院に入るし……」

「僕が阻止します! 絶対にそんなところには行かせない!」

「わたしは行ってもいいと思っているのだけれど?」

「だめです! 絶対に行かせません! あらゆる手段をもって――!」

「わかった。わかりました。とりあえず今日のところは帰ってくださらない? 疲れたので休みたいんです」

「……あなたがそうおっしゃるなら」


 ラトクリフ子爵があっさり引いてくれたので、わたしは意外に思いつつほっと胸を撫でおろす。


 玄関までお見送りすると、使用人から帽子とステッキを受け取ったラトクリフ子爵は、真剣さの中に切なさが入り混じる視線をわたしに向けて言った。


「明日の午後また来ます」

「はあ、そうですか。って、明日!?」

「ええ。それではごきげんよう」


 颯爽と立ち去っていくラトクリフ子爵を追いかける気力は当然のことながら残っていない。


 ああもう。なんでこんなことになってしまったんだろう。






 結局、ラトクリフ子爵のせいで修道院行きは保留となり、わたしは彼と数多くの攻防戦を繰り広げるはめになった。


 先に根負けしたのはわたしの方で、お姉さまの婚約解消騒動から一年後には教会で式を上げることになったのだから、人生とはどう転ぶかわからないものである。


 ちなみにお姉さまもその半年後に結婚した。


 相手はラトクリフ子爵のいとこに当たる人物で、今では幸せな結婚生活を送っている。


 姉の元婚約者については、噂によるとあの日連れていた娘とは別れてしまったとか。ざまあみろ、である。



〈了〉


最後までお付き合いいただきありがとうございます。


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