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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第1章『猟奇殺人事件追跡編』
18/77

Interval⑤

 いじめ――どれほど罪深く惨たらしい行為すら、むしろ"弱い者いじめ"や"揶揄(からか)い遊び"という安易なものと軽視されやすくなる忌み名だ。


 「お前、母ちゃんに()()()()()されてたんだろー? だから、熱もねーのに、()()()()()でずる休みしてたんだろ?」


 斎賀夫妻に引き取られる前から通っていた「公設少学校」にて。

 蛍は実母の「朝子・櫻井」と暮らしていた頃から変わらない仕打ちを、他の児童から受けていた。

 以前の蛍は、陰気でみすぼらしい容貌や実母の悪評もあって、周囲から常に煙たがられていた。

 育ち盛りで健康的に艶めくはずの髪の毛は当初、汗や埃、時に血と土で酸化した臭いと(シラミ)でぐちゃぐちゃに絡まっていた。

 洗濯の行き届いていない、生乾きの湿り汚れた衣服や穴の空いた靴を無理に着回して。

 しかし、純真無垢を残酷な形で(あらわ)す無遠慮な小さい強者達は、心無い言葉の暴力を浴びせる。

 中には傍観と無関心を愉しむ者もいた。


 櫻井の人間は、何とも怠惰で汚らしく、躾のなっていない、()に逃げられるような、(ろく)でなしの家庭か、と。


 斎賀夫妻と家族になって以来、蛍は年相応の子どもらしい感情を取り戻しつつあった。

 それでも、未だに蛍へしつこく絡んでくる無知残酷な捕食者(子ども)の暴力を、蛍はただ黙って受けていた。


 「お母さんも言ってたよ。蛍・櫻井は、さいてーな母親(アバズレ)の子ども。だから、仲良くするなって」


 不意打ちに耳元で叫ばれ、驚いても無反応でも嗤われる時も。

 長い髪を引っ張られ、涙が浮かびそうなほど痛い、と感じても。

 学校鞄(ランドセル)ごと背中を突き飛ばされて、硬く尖った(つぶて)で膝を擦りむいて血が出ても。


 教科書や紙本への殴り書きや、筆箱と体操服の踏み潰しをされ、「またか」、と担任教師に叱られても。

 これでも、以前よりも人数が激減しただけ、()()だ。

 今も継続されている"いじめという名の暴力"に対しても、蛍は泣くことも怒ることもない。

 ただ、無情な現実を受け入れる。

 大人しくしている理由は、以前であれば、全てに諦めていたから。

 しかし、今の蛍にとっては、学校での出来事も有象無象の人間のことも、全てが"どうでもいい"のだ。

 あの家で唯一無二の居場所すらあれば、それでいい。


 「何とか言えよー、この"ぎゃくたいのアバズレの子"がー」


 一方、暴言を吐かれても無反応な蛍の態度が気に障ったらしい粗野な男児がついに手を出した。

 周りを無視して緩慢に歩く蛍の長い髪を勢いよく掴もうとした、刹那。


 「何をしているんだい? 君達……?」


 幼い乱暴者の日焼けた手は、白魚さながら滑らかで一回り大きな手にそっと掴み上げられた。

 予期せぬ人物の登場と行動に、男児と周りの子どもは明らかに狼狽した。

 恐らく、下校する蛍を迎えに来たらしいが、深月の珍しい行動に蛍も驚きを隠せなかった。

 大好きな義兄の姿に蛍は素直に嬉しい反面、自分が学校では周りに悪く思われていることを知られる恥と不安も湧いてきた。

 一方、当の深月は蛍の不安に気付いてか否か「ちょっと待っていておくれ。直ぐに済むから」、と普段以上に屈託のない微笑みを花のように咲かせてた。

 ただ困惑に首を傾げる蛍を他所に反転した深月は、立ち尽くしている男児と取り巻きへ相対した。

 膝を折って目線を合わせ、男児の小さな両肩へ両手を優しく置いた。

 こちら側に背中を向けているため、深月と男児の表情は見えない。


 「君達には是非、蛍と"仲良く"してほしいんだ。いいかな?」


 代わりに、まさに子どもを優しく諭す教師さながら悠然と深月は囁いた。

 氷砂糖さながら甘く涼しげな声からは、男児達をキツく咎めるような気配は感じられない。


 「っ……! ひいィ! ご、ごめんなさいっ」


 しかし、男児達は心底恐れ慄いた様子で一目散に逃げていった。

 鼻水や涙をみっともなく垂らした顔には、深月への強い"畏怖"が浮かんでいた。

 まるで、恐ろしい"怪物"に遭遇したかのように。

 一体何が起きたのか、蛍は狐につままれたように立ち尽くすしかない。


 「お兄ちゃん。どうして……」

 「さあ、日が暮れる前に帰ろうか、蛍。父さんと母さんが、待っている」


 当の深月は普段と変わらない涼やかな微笑み、優しく手を伸ばしてくれた。

 蛍の胸に灯る安堵と喜びが優ると、細かい事は清々しさと共にどうでもよくなった。

 今思えば、蛍を虐めていた同級生は深月と顔を合わせて以降、大人しくなった気がする。

 教師ですら手を焼くほど活力に満ち、いじめを含む善悪と是非を理解してもらうのは未だ難しい学童達を、如何なる声かけ一つで黙らせられたのか理由は今も不明だ。

 ただ、蛍が幼いながらに理解(わか)っていたのは――義兄には、周囲を"心変わり"させる魔法のように不思議な能力(ちから)を備えている事。

 全てを清らかに凍らせる氷風に似た、冷凛と響き渡る声。

 まるで、祈り一つであらゆる人間の心を動かす、超人的(カリスマ的)叡智の預言者だ。

 もしくは、人間に罪を悔い改めさせる智性と慈愛を司る天使のように。


 「……お兄ちゃん……ありがとう」


 天から降り注ぐ陽光と重なる義兄の手を蛍は迷いなく取る。


 「……? 何か、お礼を言われるようなことをしたのかな?」

 「お兄ちゃんだから、言ってみたくなったの。ふふふっ」


 深月からすれば、蛍が唐突に感謝を零してきたことを不思議そうに見てきた。

 無垢な眼差しで首を傾げる姿から、深月本人が無自覚かそれとも素知らぬフリか判別はつかない。

 それでも、小さな手のひらへ伝わる温もりと優しい力加減に、蛍は屈託のない笑顔を花開かせた。

 緋色に染まった義兄の綺麗な顔にも、蛍と同じ無垢な微笑みが咲いていた。

 その日も蛍は大好きな義兄と手を繋いで歩いた。

 秋一色に染まった空と大地に挟まれた帰り道を二人きりで。





 ***




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