後
日没の迫るころ。
神殿には街の人々が次々とやってきた。
いつもはひっそりとしている庭園に、人々の楽しそうな声が響いている。
しかし、準備を終えた仲間たちは、それぞれ、行くところがあると言って、帰り支度を始めた。
「せっかくなんですから、仕上げを見て行ってくださればよいのに・・・」
残念そうな顔をして引き止めるシルワに、仲間たちはあっさり言った。
「種も仕掛けも、ぜーんぶ知ってるし、もう、ええわ。」
「おいらも。
お腹すいたし、なんか食べに行くっす。」
「あとはふたりに任せたからね~。
もしなんか叱られたら、そのときは、よろしく。」
そのままけろりとして、手を振って行ってしまう。
残されたシルワは、マリエを振り返って言った。
「わたしたちにとっては、ここからが一番大変ですね。」
「はい、頑張ります。」
マリエも両手をぐーにして頷いた。
西の空は金色に輝き、世界は色を失っていく。
薄闇に落ちていく世界のなか、水盤の水だけ、きらきらと輝く。
刻一刻とその時が迫り、庭園のざわめきも、次第に収まっていく。
みんな、その時、を、息を潜めて待っているのが分かる。
その時が近づくにつれて、シルワは呼吸が浅くなっていくのを自覚していた。
人の多いのは元々あまり得意ではない。
それに、人の前に立つことも、なるべくならしたくない性分だ。
けれど、引き受けた手前、今更逃げるわけにはいかなかった。
気温は低いはずだけれど、寒さはまったく感じなかった。
背中は汗でびっしょりで、衣がはりついてくる。
額から一滴、汗が滴り落ちた。
「・・・シルワ、さん?」
マリエに呼ばれて、シルワはぎこちなく振り向いた。
自分でもおかしいくらい動きがかくかくしている。
気が付くと、手と足が、かたかたと小さく震え始めた。
「・・・わたし・・・だめ、かも・・・しれません・・・」
思わず漏れた声もふるえていた。
涙が浮かんで視界もかすむ。
このまま気を失って倒れそうだ。
そんなことになったら、きっと大勢の人が困るというのに。
いっそ、何もかも振り捨てて、獣のように叫んで逃げ出したかった。
「シルワさん。」
マリエはシルワの手をそっと握った。
「大丈夫です。シルワさん。」
シルワの手を、祈るように、両手で包み込む。
「申し訳、ありません・・・聖女様・・・
ここまで来ておきながら・・・わたしには、自信がありません・・・」
シルワの口から言葉が零れ落ちる。
その声には涙が混じっていた。
「わたくしは、シルワさんなら、きっと、やり遂げられると信じております。」
マリエはシルワの瞳を見つめて、にっこりと微笑んだ。
「けど、もしも、叱られるようなことがあったら・・・
わたくし、叱られるのは慣れておりますから、そのときにはわたくしが叱られますわ。」
シルワの瞳から一滴の涙があふれて落ちた。
けれどそのおかげで、世界にかかっていたかすみは晴れた。
マリエの笑顔もはっきりと見える。
シルワはひとつ頷くと、鮮やかに微笑んだ。
「聖女様を盾になんかいたしませんとも。
いいえ、それ以前に、叱られるような事態にはいたしません。
全身全霊を込めて、今宵、務めさせていただきます。」
そう宣言した途端、手足の震えは収まった。
マリエに包まれた手のひらから、じんわりと温もりが伝わってきた。
それは胸のなかに明るい灯を灯した。
「・・・そうか・・・」
シルワはつぶやいた。
「分かりました、聖女様。
これが、灯火式ということなのですね。」
「はい?」
首を傾げるマリエに、シルワは心からの笑顔をみせた。
「どうか、見ていてください。
貴女が見ていてくだされば、わたしはきっと頑張れます。」
***
壇上に上がったのが見慣れないエルフだったことで、聴衆の間にはどよめきが広がった。
司祭様はどうなさった?
まさか、どこか具合でも?
司祭のことを心配する声。
あれは、エルフだよな?
エルフに灯火式なんかできるのか?
シルワに対する不信の声。
今年も灯火式、楽しみにしてたのになあ。
こんなんじゃ、聖誕祭、ちゃんとくるのかなあ。
早々と落胆する声。
けれど、シルワが手にしたリラを鳴らすと、人々はいっせいに静まり返った。
今は昔 世界は闇に包まれ 人々は絶望に飲み込まれそうになりました・・・
吟遊詩人のように、リラを片手に、歌うように語る。
見たことのない説諭に、聴衆は思わず惹きつけられた。
絶望の淵に立たされた人々の苦しみを、シルワは切々と語る。
あまりに悲しく切ない歌に、涙を流す者もいた。
そのとき 大精霊が降臨し 世界に灯を灯しました・・・
やがて、歌は優しく穏やかな調子へと変わっていく。
癒しの旋律に、人々は、今度は安堵の涙を流した。
それは灯火式の場ではいつも語られるお決まりの話だった。
何度も聞いたことのある話なのに、聴衆はしわぶきひとつせず、シルワの声に聞き入っていた。
語り終えたシルワは、ゆっくりと庭園を進むと、中央に据えられた水盤の前に立った。
水盤にはあふれそうなほど水が満たされている。
夕方には金色に輝いていた水面は、今は、空に散らばる星を映していた。
何が始まるのかと、聴衆は固唾を呑んで見守っている。
これはいつもの灯火式とはなにか違う。
けれど、なにか、すごいもの、を、これから見られるような気もする。
期待と不安の入り交じった空気は、きーんと音を立てそうに張りつめていた。
シルワは、その細い指を、そっと、水面へと浸した。
水にぬれた指先で、水盤の上に紋章を描く。
ほんの少しの間違いも許されぬそれは、精霊召喚の魔法だった。
「世界に灯を。」
静かに誓言し、シルワは紋章を完成させた。
その瞬間、水盤の水は一斉に精霊へと姿を変えて、宙へと飛び立った。
冬の冷たい空気に冷やされた精霊たちは、氷となって、きらきら輝く。
その精霊の輝きが、小さな灯となって、庭園に灯っていった。
おおう、と人々の完成が響き渡る。
やがて庭園は、精霊たちの灯した灯で明るく照らし出された。
シルワは精霊の灯をひとつ取ると、それをマリエへと手渡した。
「聖女様、どうぞ祭壇に灯をつけてください。」
不安そうに見つめるマリエに、さっきのお返しとばかりに、大丈夫、と励ました。
「転んだら起こしてあげますし、落としたら拾ってあげます。
もしも叱られるようなことになったら、わたしが叱られてあげます。」
マリエは小さく笑うと、分かりました、と頷いた。
それから、祭壇へと続く階段を、ゆっくりと上り始めた。
慎重に歩くマリエの後ろ姿を見守りながら、シルワは、そっと、口の中で呪文を唱えた。
それは、マリエが転ばないようにするための、優しい風を起こす魔法だった。
風に送られて、軽い足取りで祭壇へと上ったマリエは、そこに精霊の灯火を移す。
その瞬間、いっせいに鐘が鳴り響いた。
「え?」
突然のことに驚いたシルワは、一瞬、我を忘れて、きょろきょろと辺りを見回してしまった。
しかし、すぐに状況を思い出すと、あわててすました顔を取り戻した。
灯火式できょろきょろする司祭など、不格好なことこの上ない。
それにしても、こんなところで鐘が鳴るとは知らなかった。
どうやらこれは、グランの仕業らしい。
どや?びっくりしたやろ?という声が聞こえた気がした。
鐘の音とともに、神殿の屋根の上から、次々と花火が打ちあがった。
凍り付くような夜空に、大輪の花が開いていく。
これもおそらく仲間たちのやったことだろう。
フィオーリとミールムの得意げな顔が思い浮かんだ。
花火の最後にぱしゅっとまぶしい光が輝き、辺りは一瞬、昼間のように明るくなった。
その瞬間、庭園の木々には一斉に花が開いた。
もうここまでくると、びっくりを通り越して感動しかない。
シルワは思わず拍手していた。
よく見ると、花は全部、紙で作った造花だった。
あまり時間がなかったのか、いびつな花も混ざっている。
それでも、それはとてもきれいで楽しい光景だった。
鳴り響く鐘の音は、いつの間にか、明るい音楽へと変わっていた。
こんなふうに自動的に音楽の鳴る仕掛けなど、見たことも聞いたこともない。
楽団もないのにどこからともなく響く音楽に、聴衆はすっかり喜んだ。
なかには踊りだす者たちもいた。
神殿のなかは一気に祝祭へとなだれ込んでいった。
祭壇から降りてきたマリエの前にシルワは膝をついて出迎えた。
「なんとか無事にやり遂げられましたね、聖女様。」
「はい。こんなにきれいで、楽しい灯火式は初めてです。」
マリエは瞳をきらきらさせて言った。
「まったく、あの人たちには驚かされてばかりです。」
「みなさん、本当によくしてくださいましたわ。
ミールムの言った、豪華絢爛灯火式異種族入り交じり何でもありの大祭典!
というのが、よく分かりましたわ。」
それに、とマリエはちょっとためらってから付け足した。
「今日はわたくしも、転ばずに灯を灯すことができましたの。
昔から、大事なときには必ずと言っていいほど失敗してきたこのわたくしが。
とうとう、ひとつ、やり遂げましたわ!」
「それはよくなさいました。
きっと、大精霊も応援してくださったのですよ。」
嬉しそうに報告するマリエに、シルワも嬉しそうに頷いた。
もちろん、風を送ったことを話すつもりはなかった。
シルワと視線の合ったマリエは、はっとした顔をしてから、慌てて目を逸らせた。
「それから、あの・・・シルワさんも・・・」
言いかけて語尾が小さくなる。
はい?と聞き返したシルワに、マリエはひとつ息を吸うと、一息に言った。
「シルワさん、とっても素敵でした。
お歌も!それから、魔法も!」
「あ、魔法ね・・・そうでした・・・」
シルワはちょっとため息を吐いた。
「ついつい調子に乗って、少々、魔力を消耗しすぎたようです。
これは、そろそろ、ですかね・・・」
「はい?」
聞き返したマリエの前で、シルワは、崩れるように倒れこんだ。
「シルワさん?」
あわててマリエが名前を呼ぶけれど、シルワは目を覚まさない。
すると植え込みのなかから聞きなれた声がして、ぞろぞろと三人が姿を現した。
「あーあ。せっかくええところやのに、力尽きはったか。」
「まあ、シルワさんっすから、こんなもんでしょ。」
「よかったね、僕ら、待機しておいて。」
おろおろとシルワと三人とを見比べるマリエに、ミールムがにっこりと笑ってみせる。
「もう用も済んだでしょ?宿に帰ろうよ。」
「シルワさんは回収しとくから、嬢ちゃんは司祭さんに挨拶しといで。」
「宿の厨房を借りて、グランさんがご馳走を作ってくれたんっすよ。
帰って一緒にお祝いしましょう。」
マリエは目を丸くしていたが、すぐににっこり笑って頷いた。
あなたの御心にも灯が灯りますように。
読んで頂き、有難うございました。