黒い鬼灯
一先ず俺とホオズキは公園から移動し、辺りをぶらつく。やはり人っ子一人居ない。静かな夜更けのようで、まるで時間が止まっているような感覚。身につけている腕時計を確認してみると、針はピクリとも動いていなかった。これが鬼灯の言う、狭間の世なんだろう。
いつの間にか、ホオズキの姿は初めて会った時の麦わら帽子の白いワンピースの格好に戻っていた。本当、見た目は人間の少女そのものだ。
「…なんでその姿に戻るんだ?」
「牽制は出来るけれど、本来の姿は目立ちすぎる。余計な事には巻き込まれたくないんでしょう?」
この白狐、見た目は幼いが実はものすごく強かったりするんじゃないだろうか。歳だってそうだ。
「…なぁ、鬼灯っていくつなんだ?」
「そうね、ざっと700年くらいは生きていると思う」
「なっ──」
人間からしてみれば、途方もない年数。こちら側の住人にしたら、普通なのかもしれない。
「…そんな長い間、一人で過ごしているのか?」
「……今は一人」
ホオズキはこちらを向く事なく、少し含みを持たせるように静かに呟いた。前までは誰かと一緒だったのかとは、尋ねられるような雰囲気でもなく、なんとなく俺まで口をつぐんでしまった。
取り敢えず、ホオズキの後ろについて歩いているものの、目的地が分からない。多分、俺の魂の欠片ってのを探してはいるんだろうけど。
「なぁ、一体どこに向かってるんだ?」
「…提燈を飛ばした。今は一番近い提燈の元に向かっている。欠片を見つけたら護るように命じてある。アナタも同じ」
ホオズキは立ち止まって胸元から木の枝を出すと、それを俺の前で一振りした。すると、俺の腹がパアッと光ると赤橙色の雫の形をしたものが浮かび上がる。目を凝らさないと分からないが、このシルエットは家の仏壇で見た事がある。そして、ここに来てよく口にしている言葉。
「鬼灯…?」
ホオズキがまた枝を一振りすると、鬼灯が俺の腹の中に溶け込むように消えた。
「これがない状態の欠片は、意識は朧気にあっても器がない虚ろの玉。それに、記憶によっては名前の護る力を所持していない可能性もある。相手によっては格好の獲物」
「獲物って、まさか欠片って食べれるのか!?」
俺が慌てていると、ホオズキが肯定するように頷く。呑気に歩いてる場合じゃない。時間制限だけ気にしていれば良かったが、早く回収しないとそれすら出来なくなる。
「清浄に満ちた魂の欠片なんて、馳走そのもの」
「そういう重要な事は早く言ってくれ!」
俺はホオズキを抜かすように走り出し、辺りを見渡す。しかし、そんなすぐに見つけられるはずもない。
「待って」
ホオズキは俺を跳び越すようにふわりと着地すると、静かに制止した。
「大丈夫、名前の効力がなくてもアナタの欠片はそんなに脆弱ではない。清浄な気が、結界の変わりにもなる。低級の霊や妖は早々に手を出せない」
「どっちにしろ早く見つけるに越したことはないだろ。あー!どうやって探せば良いんだ…!」
安心しろと言わんばかりにホオズキはさして焦る事もなく、平然としている。それでも不安が募り、俺は頭を抱えて蹲って叫ぶ。もうヤケになりそうだ。
「器として機能するようになれば、私の提燈を所持しているアナタが、それを感じ取る事も出来るようになる」
そう言うとホオズキは空を見上げて、警戒するように目を細める。俺も倣ってみるが、何か見える訳でもない。そもそも、ずっと夜明けのような薄暗さが続いている為、時間の経過が分からなかった。
「此岸が夜を迎えるから、直に迷い子達が目を覚ます」
ホオズキは手の平を見せるように俺の前に右手を差し出す。そのまま微動だにせず、琥珀色の瞳が何かを訴えている。
「な、なんだよ。金ならないぞ」
「…何を言っているの。手、出して」
渾身のギャグをかましてみるが、見事に無視される。そして、言われるがままに右手を出してみると、ホオズキは無言でペシッと叩いた。出せと言われてこの態度に、俺は少しムッとなる。すると、彼女は俺の左手をそっと持つ。
「…こっち。逸れないように」
「あぁ、手を繋ぐのか。ほとんど経験がないから照れるな…ハハハ、ハァ…」
自分で言っておいて、悲しくなってきた。
ここはどこだろう。暗くて、寒い。なんでか分からないけど、動く事も出来ない。
「……欠片ダ」
呻くような低い声が聞こえる。視界はぼやけていて、はっきりと見る事は出来ない。
「極上ノ欠片」
「ホシイ、ホシイ」
「オレノモノダ」
欠片ってなんだろう。それに、なんだかぼくを見ている気がする。いつも感じている、あの嫌な気配だ。一つじゃない、二つ、三つ…もっとたくさん居る。
「欠片ヲ食ラエバ、彼岸ニ渡レル」
はっきりは見えない。でも、たくさんの黒い塊の中でも一番大きい塊が、何かを引き摺るような音と共にどんどん近づいてくる。
どうしよう、動けないのに。誰か、助けて─!
怖くて声も出ないけど、必死にお願いをしてみる。いつもそうして、逃げてきたから。
黒い塊がぼくの目の前まで来たその時、シャンと鈴のような音がする。
「──去りなさい」
その声は氷のように冷たく感じたけど、息を呑む程とてもキレイだった。その声を聞くやいなや、黒い塊達の気配が遠ざかる。
「狐ダ」
「黒イ狐」
「何故ココニ」
ひそひそと囁くような声がする。黒い塊達が言っているように、このキレイな声の正体はキツネなんだろうか。視界に映る限りで見てみるけど、相変わらず黒い塊が揺らめき立っているようにしか思えない。
「此れは、お前達が手にして良いモノではない。我が預かる」
キツネと呼ばれる人…あ、動物だから人じゃないか。キツネがそう言うと、急にぼくの視界がグワンと激しく回るように動いた。感触はないけど、ぼくを持ち上げたのかな。それに、ポカポカしていて温かい。気持ち良くて少しホッとした。
「キサマ!不浄ノ分際デ──ギャアアアアァァアア」
突然、大きな黒い塊がけたたましい叫び声を上げると、激しく動いているのが見える。しばらくすると、全く動かなくなり気配も消えた。
「穢レタ狐メ」
「コワイ、コワイ」
「もう一度言う、去れ」
キツネが黒い塊達に威圧するように言うと、あっという間に散り散りになった。怖い気配はもうない。
「……懐かしい、彼奴の気に似ているな。これもまた運命か…」
キツネは何かをブツブツと呟いている。ありがとうと伝えたいのに、声が出ない。
「憐れな欠片よ、暫し我の器を与えよう。但し、此れは其方にはちと毒かもしれないが、虚ろより幾分かマシだろう」
欠片ってやっぱりぼくの事を言ってるのかな。どういう事なんだろう。というか、キツネってこんなにペラペラ喋るっけ…。
「さぁ覚醒めよ、清き欠片。其れが完全に馴染んでしまう前に、別の欠片達を探す出す事だ」
キツネは、ぼくに何かを押しつける。
さっきまでは感じなかった、ドクンドクンと脈打つ鼓動がうるさい。ジリジリと焦げるような痛みが全身に走ると同時に、辺りがはっきりと見えるようになった。体を動かす事も出来る。
目の前には、キレイな長い黒髪に大きな黒い耳と長い尻尾、片目は薄汚れた布で隠している朱色の瞳をした女の人が立っていた。
「──っ!?な…なんだ?」
身の毛がよだつような悪寒がして、反射的にブルブルっと震えた。周りを見回してみるが、特に変わった様子はない。俺の震えが伝わったのか、ホオズキが振り返って俺を見る。
「どうかした?」
「い、いや…なんか、その、胸がざわつくというか寒気が…」
ホオズキは手を繋いだまま、空いた手で俺の胸に当てて目を閉じる。触れられているところがじんわりと熱くなる。むず痒い。一体何を調べているのか。
「……此れは、黒い、鬼灯」
目を開けたホオズキの瞳が金色に変わっていた。変化しているとはいえ、力が抑えられないのか風とは関係なく髪やワンピースが揺れている。
その様子を見ている間に、徐々に気分が悪くなってきて俺は額を押さえた。
「……きも…ち…わる……」
耳奥で雑音がする。吐き気もするし、視界も歪んで…──。
目を開けると、一面に広がる深い霧、深い闇があった。
「どこだここ…あれ、ホオズキ?」
ホオズキが居ない。逸れないようにと、あれだけ手を繋いでいたのに。大変だ、いつの間にか知らない場所に来てしまったようだ。
辺りは暗いのにどういう訳か自分の事はよく見える。少し遠くの方でも二つの光が見えた。
「誰か他にも居るのか?」
ホオズキが居ない為、慎重に近づいてみる。一人はTシャツ短パンを穿いたどこから見ても人間に見える背の低い少年、もう一人はホオズキと雰囲気がよく似た少女、恐らく人ならざる者。その二人がポツンと佇んでいた。片方はどこかで見た事のある相貌をしている。かなり幼いが間違えるはずがない。猫背に怯えるように構える両腕、目を隠す長い前髪。あれは──
「……俺?」
俺の事は見えていないのか、二人共俺を見る事はない。
「お……………な……は…」
「………か…ち…」
何かを話しているみたいだが、声が雑音混じりで聞き取れない。ガキの俺は、ぎこちなさはあるものの笑顔だ。警戒している様子はない。しかし、どこか違和感がある。二人共同じ気配な上、俺の方は表面上は白いのに中が黒い。何か潜んでいるのかと思い俺は目を凝らすと、黒い鬼灯が視えた。
俺が借りている鬼灯は赤橙色をしている。なんであれはあんなにも黒いんだ。色がどうこうは後で考えるとして、鬼灯を持っているという事は、今の俺と同じ状態って事だ。
「あいつ、俺と同じ欠片じゃ──」
俺は右手を伸ばすが、何も掴んではいなかった。変わりに、左手は温かみを感じる。
「あれ……」
「良かった、戻ってきて」
「…ホオズキ」
ホオズキは俺の額に手を乗せて、ため息を吐いた。表情が乏しいから分かりにくいが、多分、これは心配をしている顔だ。
俺が気を失っている間、彼女に膝枕をしてもらっていたようだ。この感触、悪くない。人間じゃなくても見た目は可愛いんだし。年齢はまぁ、目を瞑る。
「……夢だったのか。ガキの俺がホオズキに似てる奴と一緒に居て、黒い鬼灯が視えて…」
「…繋がった。それはアナタの欠片、童の記憶」
「やっぱりそうか。でも、お前の鬼灯とはなんか違った気がするんだよなぁ…」
黒はあまり良いイメージがない。闇や恐怖、悪、死…はっきり言ってしまえば、ヤバいものしか連想出来ない。
「…私とは別の提燈が器になってしまった。けれど、それは私と縁の強いものだから反応した」
「別のでも分かるもんなのか?」
ホオズキの提燈ではないが、それのおかげでガキの俺は器を与えられて行動は出来るようになったと考えて良いんだろうか。
「アナタが強く念じれば辿れる。ただ…」
ホオズキは俯いて、口元に手を添える。
「どうした?」
俺が尋ねても、ホオズキは中々口を開こうとしない。俺か彼女にとって、何か不都合な事でもあるのか。
「……私の姉様が関わっている。欠片を取り戻すのには、一筋縄ではいかないかもしれない」
欠片と合流出来そうだと思っていたのも束の間、新たな問題にぶつかる。今度はホオズキの姉貴まで出てくるのか。というか他に家族居たんだな。何歳なんだろうか。
「ホオズキの姉貴なら、話せば分かってくれるんじゃないのか?」
「…そうね、前なら出来た。今は…会っていないし、話す事すら難しいから」
余程複雑な状況なのか、俺は余計な詮索をするのを止めた。
「姉様が欠片に対して器を与えたのなら、暫くは大丈夫。自分好みにして食べさえしなければ」
「良かった、それなら安心…じゃない!」
安心出来たのは一瞬だった。器に入れておきながら、利用されて食べられるなんてごめんだ。
「何かあればアナタに異変が起こるし、提燈で繋がったから。それは姉様も気づく。そちらは後にして、先に残りを回収する事が先決」
この狐、助けるとか言っておいて、本当は俺の事も食う気じゃないだろうな。
「…私は食べない」
「うわっ、心読めるのか」
俺は咄嗟に胸を隠す。別にそうしたところで意味はないんだろうけど。
「読まなくても、顔にそう書いてある…もう良い、アナタもそろそろ動けるはず。いい加減起きなさい」
「いてっ」
ホオズキは立ち上がって、ワンピースについた汚れを手で払う。急に立ち上がるもんだから、俺は固い地面に頭を軽くぶつけた。地味に痛い。
「…起きないとこのまま引き摺って歩く」
「えっ、ちょっ、イテテテ!ま、待てって!」
か細い腕が容赦なく俺を引っ張る。若干引き摺られたが、俺は慌てて起き上がり体勢を整えた。