狭間の世
学校帰り、とぼとぼと田舎道を歩く。いつもと変わらない日常。つまらない毎日。趣味無し。友達無し。もちろん彼女無し。
俺は、生まれつき人間や動物とは違う、ありえないモノが視える力を持っていた。いわゆる霊感体質というやつだ。それらとはなるべく関わらないようにしていたが、そのせいで人も避けるようになってしまった。たまに化けている奴が居るからだ。友達が居ないのはそのせいだった。俺自身が招いている不幸とも言える。家族はこの力の事を知らないし、俺の事も無口で根暗としか思っていない。
そんなこんなでかれこれ18年、もう高校3年の9月中頃に差し掛かる。進路はまだ決まっていない。進学にしろ就職にしろ、今までと変わらない寂しい未来しか想像出来ない。
俺の人生、お先真っ暗ってところだ。
一度綺麗に人生リセットをして、何も視えず、ただ普通に生活を送りたい。
人生やり直しなんて、ゲームのようにはいかない。輪廻転生って言葉も聞くが、死んでどうなるか、分かったもんじゃない。ま、そんな事を思っても、そういう勇気は持ち合わせていないけど。
「はーあ、つまらん」
俺がため息を吐いたその時だった。
古びた神社の手前で、白い物体が横切る。野犬だろうか。しかし、薄汚い感じはなく、むしろ白々と輝いて見えた。それと、ふと目が合う。
「…狐?」
野犬と思ったが、その姿は神社の鳥居の側に建つ狐の像と、よく似いていた。白狐なんて珍しい。長年住んでいるこのド田舎に、こんな目立つ色をした狐が居たら普通は気づくものだ。そうでないとするなら、この狐はただの狐ではない。
いつもなら知らないフリをして、このまま素通りするのが俺のポリシーだ。関わるものじゃない。それでも、惹かれてしまうのは何故だろう。
白狐はプイッと踵を返す。
「まっ───」
俺は白狐を追うように走り出し、待ってくれと叫ぶ前に、何故か体が宙に浮いた。全身が強い衝撃を受けると共に、視界にトラックが映る。
人生リセットしたいなんて思ったからだろうか。トラックに跳ねられて死ぬだなんて、間抜けすぎる。おまけに、他人に迷惑かけてるし。
本当、最期までツイてないな、俺。
気がつくと、公園のベンチに座っていた。通学路でよく通る小さな公園だ。
「あれ…」
さっきの神社はどこだ。トラックはどうした。どうして俺はここに居る。
全身を弄り、傷がないか調べる。学生服は綺麗だし、骨折どころかそもそも傷一つない。痛くもない。
それはそうと、鳥の囀りや虫の声、川のせせらぎ、人の声、何の音もしない。知っている場所なはずなのに、そうじゃないような錯覚に陥る。少し寒気もするか。
「目は醒めた?」
真横で声がするので、驚いて振り向くと季節外れの真白な半袖のワンピースに、麦わら帽子を被った少女が隣に座って、俺をジッと見ていた。
「えっ?うわっ、誰」
反応が遅れて、素っ頓狂な声が出た。まるで気配がなかった。いつから居たんだ。
「私の名前を聞く前に、自分から名乗るのが礼儀じゃない?」
確かに、この子の言う事はもっともだ。
「私は鬼灯」
「いや先に名乗ってるじゃん」
間髪入れずに思わず突っ込む。
ホオズキと名乗るこの少女、見た目は小学生で高学年くらいといったところか。麦わら帽子の大きな鍔で顔は見えない。別にそういう趣味は無いが、話し相手の顔が気になり、チラッと覗いてみる。
焦げ茶色のおさげ髪に、つり目がちな琥珀色の瞳。うん、至って普通に見える。
「俺は、獅子内。獅子内 護」
「…単刀直入に言うけど、七日以内にアナタの欠片を全て回収しないと、死んでしまう」
そうですか、答えたのに名前は無視ですか。
「…え、なんだって?」
「トラックに跳ねられたのは覚えてる?」
覚えてるも何も、リアルな感触は残っている。
「アナタは視えるという事を覚えている魂の一部。本体に一番近い存在」
「そうか、何を言っているのかさっぱり分からない」
大丈夫かこの子。ちょっと早めに来た厨ニ病的なアレか。痛い系なのか。
「今のアナタは、生きてもいないし、死んでもいない…とても曖昧な存在。跳ねられた衝撃で、アナタの魂は欠片となって四方に飛び散ってしまった」
そう話すホオズキは至極真面目な顔をしていた。そして、彼女は俺の胸に向かって指を差す。すると、差された場所がぽおっと光り、青白く丸いものが引き摺り出される。その瞬間、全身が硬直したように動けなくなった。
「…え、何…これ……」
かろうじて声は出るが、震えて裏返ってしまった。
「今のアナタの元となる、魂の欠片」
ゆらゆら揺れる魂の欠片と呼ばれるソレをホオズキが指先で弾くと、俺の胸の中にシュンと戻り、それと同時に体の硬直も解けた。
いよいよ現実味を帯びてきた。まるでファンタジーのような、そんな感覚に陥る。
「名前で護られているから、本体はまだ無事。でも、早くしないと此岸には戻れない。欠片を回収しきれなかったら、彼岸にも渡れず、永遠にこの狭間狭間で彷徨い続ける」
「はぁ」
聞き慣れない言葉に俺は首を傾げる。
「此岸と彼岸は、言い換えれば此の世と彼の世。狭間はそのどちらでもない世」
何ということだ。要は今の俺は魂だけの、それもその一部であって、多分公園に居るのも飛ばされたせいで、おまけに七日以内に欠片を全部集めないと本体の俺はお陀仏って事だ。いや、集められなかったらお陀仏すら出来ない。
「…その名前を名付けた親に感謝する事ね。アナタは視えてはいたけど、こちら側の住人と話したり、関わったり、ましてや巻き込まれた事は一度もないはず」
確かに、言われてみればそうだ。物心ついた頃から視えてはいたが、誰も近づいたりする事はなかったし、俺が視えるという事を向こうは気づいていないように思えた。
「後、アナタは人との関わりも極端になかったせいか、その魂は穢れのない、とても清くて美しいモノ」
なるほど、これまでの生活スタイルがこんな形で功を奏するとは思わなかった。しかし、素直には喜べるはずもなく。
「というか、何でそんなに俺の事知ってるんだ?」
「私は…この町の此岸や彼岸、そしてこの狭間の事なら何でも知っている」
覚醒めたばかりの時は、このホオズキがついつい見た目で人間と判断していたが、こんな状態の俺を物ともせず相手をしているのだ。おまけに魂の欠片なんてものを引っ張り出すし、普通じゃない。人間の皮を被った、それこそ今まで視てきた化物の類だってあり得る。会ったばかりのこのホオズキの言葉をおいそれと鵜呑みにしてはいけなかった。
「…お前、人間じゃないな」
俺はベンチから立ち上がり、冷静にホオズキから徐々に距離を取った。
「何を今更。私はこの町の稲荷神社に住まう、九十九 鬼灯」
ホオズキはゆっくりと立ち上がり麦わら帽子を取ると、みるみる姿が変わっていった。
白々と輝く腰まで届く長い髪、金色の瞳に縦長の瞳孔。朱色の目張り。白い大きな耳とフサフサした長い尻尾。神社の巫女服のような装束。
それはまるで──
「あの時の白狐…か?」
俺が恐る恐る尋ねてみると、ホオズキはこくりと頷いた。
「アナタがこんな目に遭ってしまったのは、私の責任でもある」
ホオズキは目を伏せて、胸に手を当てる。
そもそも白狐を追おうとしたのがきっかけであんな事になったんだ。もちろん、周りを見てなかった俺も悪いという自覚はしている。
「全て揃ったら、此岸に帰りたい?それとも……彼岸に渡り、還りたい?」
生き返るか生まれ変わるかという事を言っているのだろうか。
俺は腕を組んで、しばらく考える。
「…仮に彼岸に渡ったら、生まれ変わって今までの人生やり直せるのか?例えば、こういう視える力が無くなったりとか…」
「それは出来ない。まず、アナタは元々彼岸との繋がりがとても強いから、その力が失われる事はない」
俺の問いに、ホオズキは首を振ってはっきりと否定した。
この力が失われないなら、此岸にも彼岸に居てもずっと孤独なままという事になる。それなら、いっその事ここに居た方が楽じゃないかなんて、そんな考えに至ってしまう。
「今は名前の加護があるけれど、生まれ変わればその効力を失う。名前を引き継ぐ事は滅多にないから」
そんな俺をよそに、ホオズキは淡々と話を続けていく。
「さっきから名前名前って、そんなに大事なのか?」
苛立ちを含めた俺の問いに、ホオズキは無言で俺の前に人差し指を出す。そして、その指先から焔のようなものが灯ったかと思うと、空書きと共に俺がよく知っている文字が浮かび上がる。
『獅子内 護』
俺の名前だった。
「…厄を退ける獅子を内に秘め、自分だけではなく他者をも助け、防ぎ、護る。それが、アナタの名前の意味」
自分を護るって事なら、トラックに跳ねられる前までは、無傷で過ごせたのは分かる。実際、怪我や病気はした事がなかったし、幽霊や妖怪とも何もなかった。
しかし、他者という言葉に疑問を持つ。
「他人との関わりはなかったから、俺には関係ないだろ」
「獣達の死に目によく遭っていたでしょう」
それを聞いてハッとする。
ホオズキの言う通りだ。幼い頃から、やたらと猫や鳥、田舎だから狸や鼬の死骸を目にする事が多かった。周りがそれらを忌避する中、俺は自宅裏の山まで運び、埋葬していた。
山と言っても、俺の爺さんがこの町の山主の為、不法投棄みたいな法には触れていないだろう。
「で、それが何の関係があるんだ」
「その子達が、とても感謝していた。清浄な魂を持つアナタが亡骸を弔った事で、数多の魂が狭間で彷徨わずに彼岸に渡る事が出来たから」
見てしまった事で変に気になるし、何より放っておくのは後味が悪い。ただそれだけの理由だったが、知らず知らずの内に徳を積んだようだ。
嬉しくない訳ではないが、どうせなら生きている人間に感謝されてみたい。
「…アナタ、自分の姿を鏡で見た事はある?」
ホオズキは訝しげに尋ねた。
鏡は見るが、時々映ってはならないモノまで一緒に視てしまうせいで、まじまじとは見ない。そのおかげで髪のセットはいつも適当だ。前髪だってあまり弄らないせいで、女子のように長い。いや、下手したら女子より長いか…?
「人はアナタに話しかけた事は何度もあったはず」
過去を振り返ってみる。最初はまだ話しかけられる方だったが、俺は相手が何であろうと警戒していたせいで、皆すぐに寄り付かなくなった。田舎だし面子もほとんど変わらない為、進学するにつれエスカレートしていってこの有様だ。
「まぁ、あった…けど。それが何だよ」
「…髪で隠れているけれど、その目を見た人なら大抵恐怖を感じると思う」
「目?俺の?」
俺は何の事かさっぱり分からず、本気で考え込む。
「アナタの目つき、とても悪いんだもの。ここ、皺が寄っている」
「これは…人とそうじゃないのを区別するのに目を凝らす事が多いから、もう癖みたいになってるんだよ」
ホオズキは自身の眉間をちょんちょんと指差して、俺に指摘した。
俺は自ら壁を作って、勝手に孤立していただけ。それは自覚している。しかし、無口で根暗だと思われていたのは俺の勝手な解釈であり、正しくは俺の目つきが原因で恐れられていたと。
俺が一瞥すると皆が軽く悲鳴を上げたり、硬直したり、逃げていてたのも、つまりそういう事だ。
「…気が変わった。アナタは此岸に戻るべき」
ホオズキはため息を吐く。それはどこか、呆れているようだった。
「今ならまだ、やり直せる」
ひょんな事から不慮の事故に合い、魂がバラバラになってしまった俺は、此岸に戻る為の欠片探しに出るのだった。