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第2話 そうして私たちは消え失せた

「ま、そりゃ最終的にほぼ死ぬよね、精子だし」


少女はなに食わぬ顔で続ける。どうにも相容れないものを感じ男は語気を強めた。先ほどの後悔と罪悪感が静かに薄れてゆく。

「いや...違うんだよ。俺たちのほとんどが死ぬことに関してどうたら言ってるんじゃない。

要は俺たち...どう足掻いても『生まれる』ことを目標にしないといけないんだよな?な?」


「うん。精子だし」


いつまでものほほんとした様子の少女へ苛立ちが募る。こんなんだからいじめられたのである。

「正確には殺し合いとかじゃなくて尿道から膣内、最後には卵子に向かって一斉に走り抜けるような具合らしいんだけどー...私たちの『お父さん』、オナニーもそこそこするみたいだから無駄射ちで終わっちゃうことも結構あるの。あ、これ先に『射精』されてった先輩精子たちの話ね。

ま、私たちが先輩らと同じ轍踏まず膣に行けるかは運ってとこかなー」


少女の饒舌且つ意味不明な説明は男の耳を通り抜け、悪意なき内に神経を逆撫でした。


男はやり場のない怒りで充血しきった眼で少女を凝視し続ける。

すると少女はふと赤面し、患者服の懐から白いケア帽子を取り出すと照れ臭そうに微笑しながら深々と被った。男が内なる憤怒を眼力で訴えているのではなく、その寂し過ぎる頭部を凝視しているものと勘違いしたらしい。

ともあれ男との温度差があまりにも激しいその挙動は、男の身勝手な怒りを臨界点へと導くのに充分であった。




「っざっけんな!!!」




男は突然立ち上がると癇に障る声色で絶叫し、少女が腰掛けていた真っ白なソファを力一杯蹴った。膝の関節が嫌な音を立てる。

頭に血が上ったとき、過去の嫌な記憶がフラッシュバックしたとき、彼はいつもこうしてものに当たるのだ。男は至る所がボコボコになった自室の壁を思い出した。


目を丸くし呆然とする少女、そして何事かと駆けつけたその仲間たちの視線を後に、男はわなわなと震えながら家を出た。



「追わなくていいのか?」


中世ヨーロッパのそれを思わせる無骨な鎧を身に纏った大柄な男精子が、横から少女に問いかけてきた。

「ま、まあ...私ごときが引き止めたところでなにも変わらないし。

それに外を見てまわるのもここの事情知るのにはいいんじゃないかな、マルセル」


「だからそれは俺じゃなく鍛冶屋の名前だと言ってるだろう...」


鎧の男は己が鎧の左胸に彫られた「Marcel」の刻印を見下ろし苦い顔をした。彼もやはり自身の本当の名を知らないのだ。

曰く生前は竜と剣と魔法の世界に生きていたらしい。不倶戴天の宿敵であった邪竜を前に討ち死にしたことを彼、マルセルは悔やんでいた。


「呼べればなんでもいいでしょ。そんなこと言ってたら私なんて100番目に来た精子だからって『モモ』だよ?テキトー過ぎじゃん」


他愛ない会話を交わしつつも、モモはやはり心の隅で家を飛び出していった男のことを気にかけていた。モモは何が男の逆鱗に触れたのか今ひとつ理解できないでいる。16の秋、若年性乳癌を患うまで春風のごとく順風満帆な人生を歩んできた彼女にとって、彼のような性格の持ち主は初めて会う人種だったのだ。



ほのかに緋色に染まった空の下、男は精巣内の奇妙奇天烈な風景を眺めつつあてもなく歩き続けていた。




---




しばらく平野を歩き続けると、何やら多くの建物が闇雲に建ち並んだ場所に出た。街、のようだったがその建物には文化的、歴史的統一感というものがまるで無い。

ベッドタウンでよく目にするような高層ビル群のすぐ横には数十戸の「ゲル」が密集し、その向かいにはヘレニズム時代を思わせる大理石の神殿がそびえ建ち、大通りの奥に建てられたロココ時代やルネサンス時代のそれらしい優美な聖堂に混じりポツリと素朴な風格を漂わせた書院造が見える。

そしてそれらの建造物は矢張り全てが黒い輪郭線で縁取られ、石材も木材も窓の硝子も白一色で、それは不気味でありながらもどこか幻想的に感じらた。まるで漫画のページの中にでも入り込んだようだった。


男はしばしその景色に圧倒されていた。建物の密集ぶりのせいかビル風が強い。

混沌とした建造物群をぼうっと眺めながら歩を進めていると、見覚えのある建物に鉢合わせた。


学校である。それも何故か男が生前通っていた高校の校舎に酷似、いやそっくりそのまま模倣していた。


(なんだこれ。当てつけかよ。誰がやってるか知らないけどよ)


好ましくないことが起こるたび空想の敵を勝手に心中で創り勝手に憎悪するのは彼の悪い癖である。


とはいえ眼前の校舎へのいい思い出などある筈もない。異性からは気持ちの悪い虫か何かの如く、同性からは使い捨ての玩具か変わった習性を持つ珍獣の如く扱われた場所。彼が引きこもりとなった理由が集結した建物だった。

虫を悪くした男は踵を返し来た道を戻ろうとしたが、どういう訳か校舎のことが気になって仕方がない。

躊躇いながらも彼は校舎に歩み寄り、やがて校門の塀にもたれしゃがみ込んだ。

〜Characters〜

2.モモ

享年16歳。乳癌を患い死亡した。


3.マルセル

享年23歳。戦友達を喰らった邪竜に自らも喰い殺されちゃった。

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