ホットケーキ。
アパートに帰ると、バニラアイスを冷凍庫に入れた。これは明日の朝食用にとっておく。
「歯を磨いて寝るぞ。二人の歯ブラシはこれだ」
歯ブラシをエプニャンデとクロアーノトに手渡すと、歯磨き粉を二人の歯ブラシにつける。
「こっちの世界はこうやって薬をつけて歯を磨くんだ。最初は慣れないと思う」
「わかったわ」
「では……」
エプニャンデとクロアーノトが歯磨き粉のついた歯ブラシを口に含んだ瞬間だった。彼女達は咽せ返り、涙目になってこちらに何か訴える。
「からいぃ……」
「スースーしますぅ……」
「歯を健康に保ちたかったら我慢だ……」
ミント系の香料がキツかったのだろうか?
思えば、俺が子供用の甘い歯磨き粉から、一般の歯磨き粉に変えた時も、かなりの衝撃を受けた記憶がある。
まして、初めての歯ブラシ、初めての歯磨きであればなおさらだろう。
俺は涙目になりながらも、一生懸命に歯を磨くエプニャンデとクロアーノトを見守りながら歯を磨いた。
「エプとクロはこの部屋で寝てくれ」
彼女達を和室の布団をひいた部屋に案内する。
初めて見る布団に興奮し、横になると、嬉々として感想を述べた。
「クロ、貴族の寝具よりふかふかだわ……」
「たしかに、これは気持ちいいですね!」
貴族の寝具というものがよくわからないが、喜ぶ二人を眺めつつ、襖の戸を閉めた。
そしてエプニャンデとクロアーノトを拾ってから初めての夜があける。
これからどうなるのだろう、という不安もあるが、今はなるべく考えないでおく。
この世界も朝を迎え、朝食を作るために起床する。
『朝食の定番』なんて聞けば、まずは『ごはん派』と『パン派』に別れるものだ。しかし、白鷺家、休日の朝食はその二つのどちらでもない。
ホットケーキという、甘美な響きの、お手軽スイーツから一日が始まるのである。
ホットケーキミックスを牛乳でとき、軽く混ぜ合わせて卵を入れる。市販のホットケーキミックスには既に香料などが含まれていて、ただ、かき混ぜるだけでも、ほんのり甘い香りが漂ってくる。
生地をおたまで一杯すくうと、弱火で熱しておいたフライパンの上にそれをそっと流し込む。
フライパンの熱によって昇華したその香りは、部屋いっぱいに広がり、襖一枚隔てた和室にまで辿り着く。
バターの香りと強烈な甘い香りが未だ夢心地に微睡むエプニャンデとクロアーノトの嗅覚に呼びかけた。
「いい香りがする……」
「焼き菓子の匂い……」
彼女達は襖を開けるとフラフラとこちらに歩み寄ってきた。朝に弱いのかはわからないが、まるで、ゾンビ映画に出てくるゾンビのような動きだ。
「これは……‼︎」
「ホットケーキだ。庶民のおやつみたいな感じだな。休日の朝は少し特別な気分を味わいたくてね。それがこの、ホットケーキというわけだ」
「これが庶民のおやつ……ですか? こちらの世界の庶民は、こんなに美味しそうなものを食べられるのですか……」
クロアーノトが、驚きを隠せないと言わんばかりに目を見開いていた。
こちらの世界、日本では、ホットケーキなど全庶民に愛されるポピュラーな食べ物ではないだろうか?
エプニャンデやクロアーノトがいた世界で、庶民の生活とは、どのようなものだったのだろうか。
「エプやクロのいた世界で、庶民はどんな生活をしていたんだ?」
「私達の住んでいたエリアス村だけで言えば、食事は木の実パンと野菜の塩スープが主流だったわね」
「光さんが、今調理しているような豪華な品は、貴族や王族しか食べる事は出来ません……」
貧富の差が激しく、ホットケーキレベルのものですら、上流階級の食べ物という事だろうか。
ならば、この世界の食事はエプニャンデとクロアーノトにとって、魅力的なものなのかもしれない。
ならばせめて、彼女達にはお腹いっぱい美味しいものを食べてもらいたいものだ。
「この程度の食事でよかったら、これからも作るから、たくさん食べてくれ」
「ありがとうございます! 楽しみにしていますね!」
「このホットケーキというのも、美味しそうね」
話をしている間に、三人分のホットケーキが焼けた。皿に移し替えて、その上にバニラアイスをのせる。最後にメープルシロップを好きなだけかけて白鷺流、特別な朝のホットケーキの完成である。
目を輝かせて皿のホットケーキを見つめるエプニャンデとクロアーノト。
皿の上ではホットケーキの熱でバニラアイスが溶けだし、メープルシロップと混ざり合う。
「さあ食べるか。 ……こちらの世界では、食べる前にお祈りはしないんだ。かわりに食材と作り手に感謝の気持ちを込めて『いただきます』と言うんだ」
「わかったわ。いただきます、ね?」
「ああ、それじゃあ……」
「「「いただきます」」」
メープルシロップとバニラアイスで、ひたひたになったホットケーキを、一口大に切り、口へと運ぶ。
メープルの香りが一気に駆け巡った。
メープルシロップとバニラアイスは絶妙に混ざり合い、甘味のハーモニーを奏でて、舌先で踊る。
温かいホットケーキと、冷たいバニラアイスは口の中でホロホロと優しくほどけてゆく。
「感服ね……。これほどのものを食べる事が出来るなど、幸せ以外のなにものでもない……。甘い。とろけてしまいそうなほど甘いわ……」
「エリアス村のパサパサのパンなど、比べ物にならないくらいの、しっとり、ふわふわ感です……。美味しい…………」
「喜んでもらえて何よりだ。ゆっくり食べてくれ」
夢中でホットケーキを口に運ぶエプニャンデとクロアーノト。
女性は皆、スイーツというものに弱いのかもしれない。彼女達を見ているとそんな風に思う。
あっという間にホットケーキを平らげると、エプニャンデとクロアーノトは食器をシンクの流し台へと運んだ。




