七百五十二話 妖精誘致計画始動
シルフィのご機嫌回復の為に急いで楽園に戻り、妖精の花蜜酒を囲んで宴会が始まった。シルフィ達が騒ぐだけあって、妖精の花蜜酒はとんでもなく上質なお酒で、それを呑んだ俺もジーナも感動の体験を味わった。そして翌朝、良い気分で目覚めた俺にシルフィの衝撃の発言が襲い掛かってくる。
「それで、妖精を引っ張り出すってどういうこと?」
朝食が終わり弟子達を訓練に、ベル達を遊びに行かせてから改めてシルフィに問いかける。ちなみにジーナも二日酔いの様子はなく、元気はつらつだった。
「昨日は裕太が先に寝ちゃったから、最後まで妖精の花蜜酒を呑むことができなかったでしょ? その時に話し合ったのよ、毎日とは言わないけど、定期的に妖精の花蜜酒が呑みたいって」
目が回るほど酔っていたから気が付かなかったが、そういえば最初に提供した三個以降、魔法の鞄から妖精の花蜜酒を出した覚えがないな。
つまり……俺が酔っ払ったことは良い結果に繋がったということでは?
少なくとも妖精の花蜜酒十二個と劣化妖精の花蜜酒五個の寿命が延びたことになる。まあ、どのくらい伸びたかは分からないが……。
「それに、そうすれば裕太が保管している妖精の花蜜酒をもっと寝かせておくこともできるでしょ? 時を重ねた妖精の花蜜酒は貴重だもの、もっと寝かせた物を味わってみたいから普段呑む用の妖精の花蜜酒が必要なの」
三個とはいえ、昨晩妖精の花蜜酒を呑んだことで、一旦妖精の花蜜酒に対する欲望が落ち着いたらしい。それにしても寝かせるか。俺の魔法の鞄は時間が止まっているから、どこか別の場所に保管しないと駄目だな。
……あれ? お酒を安全に保管できる場所が思い当たらない。……仕方がない、時間が経過する魔法の鞄に収納しておくか。
それにしても、昨日の俺、ナイスタイミングで撃沈したな。
そのおかげで大精霊達も冷静になって時を重ねた妖精の花蜜酒の貴重さに思い至り、なら普段から呑むための妖精の花蜜酒が必要。なら妖精とコンタクトを取ればいいという結論に落ち着いたんだな。
妖精にとっては迷惑な思い付きかもしれないが、なぜそういう結論に至ったのかは理解できた。
早々に酔い潰れたことを結果オーライだと判断していたが、間違った判断だったかもしれない。満足するまで呑ませていた方が平和だった気がする。
「……なるほど、でも、妖精って自分の世界? かなんかに隠れちゃったんだよね? シルフィ達はそこに行くことができるの?」
まあ、行くことができるなら、交渉でお酒を手に入れればいいのだから、たぶん無理だろうけど。
そもそも妖精は精霊のことが見えるのか?
「行くどころか場所も知らないわ」
やはりか。でもシルフィ、そこは胸を張って断言する場面じゃないと思うよ?
「ならどうするの?」
「たぶん精霊王様なら知っていると思うから、ちょっと聞きに行ってくるわ。裕太はノモスとドリーに聞いて場所の準備をしておいてちょうだい」
精霊王様達を巻き込むつもりなのか? 貴重なお酒の為だといえ、さすがに駄目なのでは? ん?
「シルフィ、ちょっと待って、場所ってどういうこと?」
「妖精の花蜜酒には妖精が育てた花が必要なのよ。当然妖精の世界にも花園や花畑はあるはずだけど、どうせなら楽園で育った花で醸造した妖精の花蜜酒が呑みたいわよね?」
そんなことを聞かれても、俺からすると拘り過ぎじゃない? という空気が読めない返答しかできない訳なのだけど……。
「妖精の居場所を探して、お酒の取引だけさせてもらった方が良いんじゃないの? 妖精はこの世界が嫌になったから引っ込んだんだよね?」
嫌いになってしまった場所に、また戻ってこいというのは嫌がらせでしかない気もするし、妖精は悪戯好きなイメージがあるから、存在にロマンを感じるとはいえ距離を保ちたいという思いもある。
「そこら辺は交渉次第だけど、人は信頼できる数人しか出入りできず、聖域で精霊樹もあって、属性が偏った場所もあるのだから、興味を持つんじゃないかしら?」
人の出入りは確かに少ないし、信頼できない人を連れてくることはないと断言できる。
聖域と精霊樹は確かに強いアピールポイントになりそうだ。でも、属性が偏った場所?
……ああ、それぞれの属性が過ごしやすいように整えた、精霊達の遊び場のことか。
イメージ的に妖精は自然のバランスが整ったところが好きそうだが、聖域自体は自然のバランスが整っているはずだし、あえて自然の場所を偏らせる場合は大丈夫なのかもしれない。
これは止まらないな。
「……妖精を誘致するのは止めないけど、場所の準備は誘致が決定してからでいいんじゃないかな?」
「誘って興味を持ったら下見に来るでしょ? その時に使用していい場所を整えておきたいのよ」
ああ、それは確かにそうだ。俺だって土地や家を買う機会があったら、土地や家の状態や、その周辺の治安まで調べるだろう。
土地や家が安くても、周辺の治安が悪かったりゴミ屋敷が隣に在ったりしたらさすがに嫌だもんな。
ん? 聖域内はともかく、そこ以外は治安最悪でゴミ屋敷どころかゾンビや幽霊やスケルトンやその他魔物が徘徊しているのですが?
まあ、その辺りは妖精の判断次第か。
「……分かった。ノモスとドリーに聞いて場所の準備をしておくよ」
「ありがとう。でも、裕太にしては納得するのが早かったわね。普段の裕太の思考からすると、相手の迷惑や楽園の安全について神経質なまでに考えるのに……もしかしなくても、裕太も妖精の花蜜酒を気に入ったのね」
シルフィが鋭いツッコミを入れてくる。
「……そういう一面が無いこともないかな?」
だって美味しかったんだもの。お酒は元々好きだったけれども、この世界に来てからは自重していた。
うっかり酔って地球のお酒に手を付けたらショックだし、そもそもこの世界のお酒がそれほど魅力的に感じなかったのも原因だ。
エルフの国のクワの実ワインや、王都や迷宮都市、ベリル王国で手に入れたお酒も美味しくはあった。
ただ、味覚が平凡で性格も平凡な俺としては、最初は冷たいビール、続いて酎ハイやハイボール、そんでもって日本酒、焼酎、ウイスキーのごく普通な流れが鉄板だった。
ワインも嫌いではないが、少し格式が高い気がするのと、安いワインでも好きな味はそれなりの値段がするから目先を変えたいときに選ぶタイプのお酒だった。
この世界はエールとワインが主流で、どちらもそれほど魅力的に感じなかったから、シルフィ達が美味しいお酒を完成させるまではこのままかな? といった具合に距離を置いていた。
でも、妖精の花蜜酒はそんな距離感を吹き飛ばす幸福だった。
元々貴重な物らしいから、毎日の晩酌に使えるようなお酒ではないが、偶に楽しめる程度に手に入るのであれば、俺もかなり嬉しいと思ってしまうのは否めない。
ぶっちゃけ、月一、いや、週一程度で楽しみたいと思っている。
それがシルフィ達にバレたら、なんやかんや宴会が増える気がしたから黙っているつもりだったが、バレてしまってはしょうがない。
妖精がロマンと感じているのも嘘ではないが、妖精の花蜜酒は俺も定期的に欲しい。
「ふふ、裕太が進んで協力してくれるのであれば心強いわ。じゃあ私も頑張ってくるから裕太も頑張るのよ」
「え? ちょっと……行っちゃったか」
呼び止める暇もなくシルフィが飛んでいってしまった。
まあ、いいか、ノモスとドリーに会いに行こう。
***
「やはり聖域のスペースを拡張するべきではないか?」
「そうですね、原料は妖精が育てた花の蜜ですから、かなりの面積が必要になるでしょう。事前に準備しておけばそれだけ早く妖精の花蜜酒が完成することになります」
「うむ。幸いミスリルは裕太が大量に保持しておる。容器も造り放題じゃから、妖精の花蜜酒を寝かせるセラーも先に用意するべきではないか?」
「ノモス、ドリー、少し落ち着こうか」
シルフィに言われた通りノモスとドリーに会いに行くと、凄まじい勢いで話が進んでいく。
主導権を放棄したままだと、超巨大な花畑と超巨大なセラーが完成した上で、俺は大量のミスリルを放出し、ついでにノモス達の醸造所まで拡張されかねない。
「まず、どこを拡張するかだけど、どこがいいかな?」
妖精の花蜜酒の為なら、開拓することは厭わない。ただ、無作為にではなく限度を定めた計画的な拡張ならばだ。
「ふむ、まずはどこにという訳か。酒が造りやすいように醸造所側に花畑を作るスペースを用意すれば良いのではないか?」
ノモスの言葉にも一理ある。ただ、そちらを拡張すると自然と醸造所スペースも拡張されそうな怖さがある。
「妖精の住居を考えると、森側を拡張する方が便利かもしれません」
そういえば妖精が居付くとして、どこに住むかなんて考えていなかったな。
「ドリー、住居と森に関係があるの?」
「はい、妖精の花園や花畑は森の中に作られることが多かったのですが、それは妖精が森の木々を住家としていたからです」
なるほど、森が家で花畑が仕事場みたいな感じなのかもな。ちょっとエルフっぽい。
「それにノモス、妖精は醸造所でお酒を造ったりしませんよ?」
「む、確かにそうじゃったな」
「え? それなら妖精ってどうやってお酒を造るの?」
「妖精は木々の洞に蜜を集めて保存します。その蜜を守るために結界を張り蜜に魔力を込めるのです。それが繰り返されていくことで発酵が進み、妖精の花蜜酒と言われるお酒が完成します」
妖精の生態が蜂にしか思えない。
「ん? ミスリルの容器は?」
妖精の花蜜酒を保存するためにはミスリルの容器が必要だったのでは?
「ミスリルの容器は受け取る側が用意する物ですね。妖精が洞に張る結界に似た効果を持つのがミスリルの容器なんです」
ああ、妖精がお酒とミスリルの容器を造って保管していたと誤解していたが、妖精には必要ない物なんだな。
妖精の不思議なパワーでミスリルの容器も用意しているのかと思っていたよ。
「それなら精霊樹が生えている北側の森の向こうを花畑スペースにすればいいかな?」
サクラの精霊樹の成長次第で森の拡張を考えていたが、聞いた話だと森の中でも構わない様子なので、森を拡張する時は花畑を囲むように拡張していけばいいだろう。
「そうじゃな、後はどれほど拡張するかじゃが……」
限度は守りたい俺と、どうせなら大量の妖精の花蜜酒を手に入れたいノモスの熾烈な交渉が今始まる。
まあ、拡張をするのは俺なので、結果は覆らないのだけどね。ノモスとの戦いというよりも、俺自身の欲望との戦いのような気がしてきた。
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