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六百八十四話 断固たる決意

 ぽっかりと時間が空いたので酒島の視察をすることにした。久しぶりの酒島は賑やかさを増し、至る所で精霊が陽気にお酒を呑んでいる。その様子を見た後に酒島の責任者であるブラックさんの元に向かうが、彼は自分のロールプレイを満足させるために店を路地裏に移転させていた。




 シルフィに連れられて細い路地を進むと、視界の先に小さな広場と、妙に古めかしい三階程度の雑居ビルが現れた。


「作り込んでるなー」


 この世界、雑居ビルなんて存在しないはずなんだけど、どうやってここまで……ああ、なんかだんだん思い出してきた。


 日本の歴史あるバーは古い雑居ビルにうんぬんかんぬんと、ブラックさんに情報を搾り取られた記憶がある。


 凄まじい拘りだな。あれでしょ? 雑居ビルが古めかしいのはわざわざ汚したってことだよね。


 プラモとかジオラマとかで故意に破損させたり汚したりすることは聞いたことがあるが、雑居ビルを……というか、コンクリまで再現しているのが怖い。


 コンクリートと同じ材質かは分からないが、外観は日本の雑居ビルとほぼ同じ……あれ? ちゃんと中に鉄筋入ってる?


 たんにコンクリートだけで建てた建物は脆いって聞いた記憶があるから地震が……ああ、ここ、空に浮いている島だった。地震とかありえないか。


 そもそも、精霊は地震で建物が崩れようがどうにかなる存在じゃないから心配するだけ無駄だな。


 うわ、学校の出入口とかによくある緑色の敷物まで雑居ビルの入口に敷いてある。


 あ、踏んだ感触は違うな。さすがに俺の説明であの独特の敷物の再現は無理だったか。俺自身が詳しく理解していないのだから当然だよな。


 昼間なのに薄暗い階段を上る。三階か……ビル内の他の部分はどうなっているのかが少し気になる。


「ここよ」


 三階の一番奥、木製で古臭く、でもどこか上品な扉の前でシルフィが俺に告げる。俺が開けて入れということだろう。


 なんかちょっと緊張してきた。


 趣味に生きる人……いや、存在って、常識が通用しない部分があるよね。


「ふわー」


 なにこれ、超カッコいい。


 視界が薄汚れていた雑居ビルの通路から一転して、クラシックでハイソな空間に包まれる。


 前に教えた間接照明を生かした暗いながらも物の輪郭はしっかりと見える。


 一枚板のバーカウンターだけではなく、内装は味のある木材が中心。ニスの色にも拘っているのだろう。床板の一枚一枚から歴史が伝わってくる。まあ、歴史はないはずなんだけどね。


 カウンターの向こうがわではブラックさんがバーテンダーの衣装に身を包み、上品にグラスを磨いている。


 その背後にはクラシックスタイルの棚に沢山の酒瓶が並んでいる。


 ん? 酒瓶?


 この世界は基本的に樽ですが? ああ、分かります。作ったんですよね。大丈夫、いろんな形の美しい酒瓶の存在を説明したことも思い出しました。

 

 ブラックさんが作らない訳ないよね。


 そしてグラスを上から逆さにつるすスタイルにしたんですね。カッコいいです。


 そして飲んでいるお客さんなのだが、なんかみんな上品なのが気になる。


 俺が知っている精霊は陽気にお酒を呑むタイプが多いのだけど、この店で飲んでいる精霊は静かにグラスを傾けている。


 これ、ブラックさんがこういうタイプのお客さんを選んでいるか、この店では静かに呑むようにルールを決めていそうだな。


「裕太様、いらっしゃいませ。何をお召し上がりになりますか?」


 ブラックさんの前が空いていたので座ると、俺が呑みに来ている前提で話しかけられた。え? まだ午前中なのだけど呑まないといけない感じ?


「私はそうね、ギムレットをお願い」


 隣から聞こえたシルフィの声に俺は驚く。呑むの? というかギムレットって……ドライジンは? さすがにドライジンの作り方は……話したな。


 本物を見たことがあろうとなかろうと、その存在を知った精霊がチャレンジしないと考える方が愚かだ。


 ただ、日本酒の作り方をノモスに事細かに聞かれていたから、今はそちらに力を注いでいるとばかり思っていた。


「……同じものを」


 呑む気はなかったのだけど、どれくらい再現できているのかが気になって頼んでしまった。っていうか、精霊がギムレットって……違和感が凄まじい。


「畏まりました」


 あー、なんかちゃんとしたシェーカーセットが……誰が作ったのか分からないが、俺が日本で見たことあるレベルで道具が揃っている。


 あ、ライムをちゃんと一から絞るのか。


 メジャーカップもちゃんと使うんだな。


 ライムとジンとガムシロップ……。


「そういえばガムシロップはどうしたんですか? 聞かれた時に答えられませんでしたよね?」


 ガムシロップの原材料なんて知らない。あ、調味料の錬金箱で作れるかな? ……まあ、覚えていたら試してみよう。


「我々では用意することがかないませんでしたので、裕太様の水のように透明な甘い液体という言葉をヒントに、砂糖から限界まで不純物を取り除いた液体を用意いたしました。力不足で申し訳ありません」


 砂糖から限界まで不純物をって……それで水のように透明なシロップが作れたなら、日本レベルの砂糖の精製に成功しちゃっているんじゃ?


「そ、そっか、力になれずにごめんね」


 なんか精霊のお酒への情熱が怖い。


「いえ、これもまた未知への探求、我々精霊にとって素晴らしい可能性でございます」


 ブラックさんは上品に微笑み、シェーカーに氷を入れて優雅に、それでいて力強く振り始める。


 なんか凄く堂に入っていて、美しいとさえ言える。まだ初心者の域を抜け出せない時間……ああ、時間か。精霊だもんね。寝る必要すらないもんね。


 試作品を呑ませる相手にも困らないし、カクテルを作りまくったのだろう。


 カクテルのショートグラスに注がれるギムレット。一つ一つの動きが洗練されており、とてもカッコいい。


「ギムレットでございます」


 スッとカウンターの上を滑らせるようにギムレットが置かれる。


 さて、どんな仕上がりになっているのか……少し緊張しながらギムレットを口に運ぶ。


 爽やかなライムの風味とドライジン独特の植物の香り。強い酒精とその風味と少し顔を出す甘味、キリッとして美味しいところはギムレットと言えるが、やはり俺が知っているギムレットとは違う。


 ドライジンを作るときに加える植物の種類や割合が違うからか、ガムシロップを用意できなかったからか、そもそもドライジンが完成していないからか……理由は色々とあるのだろう。でも……。


「美味い」


「ありがとうございます」


 優雅に頭を下げるブラックさん。そうだよね、本物を知らなくても、熱狂的とも言えるお酒好きの精霊が不味いお酒を出すはずがないよね。


 これをギムレットと呼んでいいのかは別だけど……。


 お酒の錬金箱を手に入れたら、ドライジンを含めた俺が知っているお酒の再現に力を入れるか?


 作り方を知らなくても味を知れば精霊達ならなんとかしてしまいそうな気がする。まあ、その時に俺が生きているかどうかは分からないけどね。


 千年後に完成したとか普通に有りそうだもん。


 あ、でも、普通に情報提供は止めておこう。再現したお酒は精霊達に対する強力な切り札になる。


「おかわりをお願い」


 考え込んでいると隣から声が聞こえた。いかん、シルフィが呑みモードに入りそうだ。ショートカクテルの呑み方としては正しいが、そんなペースで呑まれたら話を聞く暇がない。


「シルフィ、悪いけど話を聞く必要があるから、おかわりは別の機会にお願い」


「……しかたがないわね。ブラック、注文はキャンセルよ」


 ちょっと、いや、かなり残念そうだが、納得してくれるシルフィ。助かります。


「畏まりました。それで話とはなんでしょう?」


「ああ、えーっと、酒島で困ったことがないかと聞きにきたんだ」


「お酒が足りません。量も質も種類もです。特に種類ですね。裕太様から教えていただいた様々なカクテルですが、ほとんど再現できていません。特にリキュールでしたか? 蒸留酒に様々なハーブや果物を漬け込むという作りやすいと言えるお酒なはずなのですが、蒸留酒自体の配分が少なく、なかなか手が回らないのです。いくつかの試作は成功していますが、まだまだ――――」


 ブラックさんが怒涛の勢いで話し始めた。蒸留酒か。ノモス達も頑張っているはずだけど、寝かせたり自分達で呑んだり、他のお酒に手を出したり、酒島への分配もあるから絶対量が足りていないんだろうな。


 カルーアミルク、結構好きだからコーヒーリキュールは少し欲しい。


「そもそも、ウイスキー自体もまだまだ発展の余地があり、もっと職人の数を増やし規模を大きく――――」


 ダメだ。ブラックさんも所詮精霊、お酒のこととなるとロールプレイも剥がれてしまうようだ。止まりそうにない。


 どうしよう?


「裕太。これが精霊の本心よ。助けられるのは裕太だけ、私は裕太のこと信じているわ」


 困っているとシルフィが真顔で信じるとか言ってきた。これはアレだ、土下座交渉に近い臭いを感じる。


 シルフィも所詮は精霊、この状況をチャンスととらえて醸造所の確保に走ったか。


「いや、そもそも、俺が聖域を造るまで困っていなかったのだから、別に助けが必要な状況ではないよね?」


 おおっぴらにお酒が造れる環境を手に入れたのだから、お酒の供給はかなり増えているはずだ。


「裕太。人は一度覚えた贅沢は忘れられないものなのよ」


「いや、シルフィ達は精霊だよね」


「人も精霊もお酒の前では同じよ。美味しいお酒を知り、それが気軽に呑めるようになった。それは精霊を甘美な未来へと導いてしまったわ……裕太、責任をとってくれるわよね?」


 シルフィ、真顔で何言っちゃってるの? 精霊って尊敬に値する存在なのに、お酒が関わると途端に残念になるよね。


「うん、責任をとってしっかり醸造量を管理することにするよ。俺のせいで精霊が堕落したら悲し過ぎる」


 ベル達の未来や精霊への恩を考えると、俺が恨まれても断固とした意志を示すべきだろう。精霊をアル中になんて絶対にしない。


「裕太、ちがうわ、そうじゃないのよ」


「裕太様、冷静に話し合いましょう」


 いくらシルフィ達が説得しようとしても、俺の決意は固まった。どうしても醸造所を増やしたければポイントを稼いでくれ。まあ、簡単には稼がせないけどね。


 さて、そうと決まったらこれ以上の滞在は無意味だな。視察は止めて帰るか。


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
交渉にかける熱意が溢れすぎた結果逆効果w
[良い点] 精霊にはお世話になってるんだしお酒くらい作らせてあげれば……と思わなくもないけど、そうすると際限なくなるの目に見えてるからね。
[気になる点] 裕太の決意が固くなるほど、この先バキバキに折れるフラグがたったとしか見えないな
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