六百八十話 久しぶりのトルクさんさん
ベティさんの体重増加問題について冒険者ギルドのリシュリーさんに相談した。最初はなぜ自分がといった雰囲気だったが、現代日本のダイエット知識は優秀なリシュリーさんにとっても衝撃だったらしく、相談内容が俺の手から羽ばたきベティさんが研究の為の生贄に捧げられることが決定した。ベティさん、なんかごめん。
ベティさんからぷっくり顔で睨まれた精霊術師講習三日目も無事に終わった翌日、俺は楽園への帰還時期を悩んでいる。
早く楽園に戻りたいという気持ちがある一方で、祝福の地で窮屈な暮らしをさせた弟子達に迷宮都市で楽しんでもらいたいという気持ちもある。
ジーナは親孝行ができるし、サラ達もギルドの訓練や迷宮、メルのところに顔を出したりと迷宮都市の滞在は悪いことではない。
ただ、俺がちょっと暇なんだよね。
図書館の為に迷宮都市の本屋を巡ろうかとも思ったが、マリーさんに本の目録は提出してあるので今買い足すとダブりが出る可能性が高くなってしまう。
お金には余裕があるし予備として考えれば悪いことではないのだが……本のダブりって日本でも地味に経験しているからできれば避けたい。
買って帰った本が家の本棚に普通に並んでいた時のあのむなしさ、トラウマとまでは言えないが色々な意味で自分が信じられなくなるから嫌だ。
買って家で読んでしっかり本棚に並べておいて、なぜ俺は自信をもって追加購入してしまうのだろう? 謎だ。
だから本屋巡りは却下として、ベル達との屋台巡りも迷宮のコアへの貢物もすでに終わったしやることがない。
今までならトルクさんに絡んで美味しい料理を作ってもらうところなのだが、いまだにトルクさんと会えてないからそれも難しい。
うーん、精霊の村の設計図は王都に丸投げしたから少し時間がかかるし、本格的にやることがない。
精霊術師講習の追加も悪くないが、リシュリーさんはダイエット企画に夢中だから仕事を振ると怖いことになりそうだ。
まあ、ベル達も迷宮都市を飛び回って楽しそうだし、ジーナ達の為にもあと数日暇に堪えてから楽園に戻るか。
サクラには少し申し訳ないが、ラエティティアさんが遊んでくれるから大丈夫だろう。エルフ達には苦言を呈したから、あちらで甘やかされてはいないはずだ……たぶん。
……暇すぎて考えが堂々巡りしている気がする。散歩にでも行くか。
「シルフィ、散歩に行こう」
「そうね、久しぶりに酒屋巡りでもしましょうか」
あれ? 会話が噛み合っていない気がする。
「えっとシルフィ、お酒はマリーさんが用意してくれるから別に酒屋を巡る必要はないんじゃないかな?」
「マリーだってすべてのお酒を手に入れられる訳じゃないし、樽ごとに味が変わるのがお酒だもの、酒屋巡りは無駄にはならないわ」
日本だとお酒の出来はある程度一定だけど、この世界の醸造は不安定だからそういうこともあるか。
とはいえ、ご機嫌なシルフィの様子を見ると不安になる。お酒の錬金箱……迷宮のコアにお願いするのはやはり危険じゃないだろうか?
あっ、お酒の錬金箱で思い出した。
ポイント制を導入したから、ポイントカードとハンコが欲しかったんだよな。酒屋巡りついでにハンコも探してみるか?
メルにでもお願いしようと思っていたが、現在のメルは鍛冶に奮起しているから簡単なお仕事で手間をとらせるのも悪いもんね。
酒屋巡りついでに探してみよう。さて、宿を出るか。
「あ、リシュリーさん、マーサさん、こんにちは」
宿を出ようとすると、リシュリーさんとマーサさんがカウンターで話し込んでいた。珍しい組み合わせだが、なんか嫌な予感がする。
リシュリーさんの用事。普通に食事に来たか別の仕事の可能性もあるが、十中八九ダイエット関連だろう。
料理ギルドはすでに巻き込んでいるはずだが、トルクさんは俺とのつながりも深いし迷宮都市の料理発展の功労者だ。リシュリーさんが協力を仰いでも不思議じゃない。
でもタイミングが悪いよ。
トルクさん、異臭騒ぎの罰で軟禁状態だから、提案自体がマーサさんに却下される恐れがある。
「あ、裕太。良いところに来たね。こっちにおいで」
「裕太様、こんにちは」
おや? なんかマーサさん上機嫌だ。この様子なら酷いことになりそうにないな。ちょっと安心。
「どうかしましたか」
「裕太、あんた凄いこと知っているじゃないか!」
バシバシとマーサさんに背中を叩かれながら褒められる。いつも思うのだけど、俺、結構強いはずなのに、マーサさんのスキンシップが地味に痛い。精霊術師は貧弱なのか?
「えーっと、凄いことと言うのはアレですか? ベティさん関連の?」
「そうだよ! たった今リシュリーから話を聞いたのさ!」
やはりか。その話を聞いて上機嫌だということは、マーサさんもダイエットに興味があるってことだよね。
失礼な言い方になるが、いつも堂々としている肝っ玉なマーサさんも女性だったということか。
「今日の仕事が終わったら旦那を裕太の部屋に向かわせるから、力を貸してやってくれないかい?」
しかもトルクさんの異臭騒ぎの罪も許されたようだ。ダイエット関連、異世界でも強いな。
「分かりました。まだ数日滞在する予定ですので、その間でしたら協力しますよ」
「ありがとうよ。しかし裕太には世話になりっぱなしだねぇ。そうだ! 今度うちの宿に裕太達専用の部屋を造るよ。いつでもタダだよ」
なんか話がおかしな方向に流れている気がする。そこまでか、ダイエット。効果が無かった時が怖いな。
それに、お世話になっているこの宿にはお金を落としたい。ただでさえお金の循環を邪魔しているのだから親しい人くらいには気前よくいきたい。
でも、自分達専用の部屋って言うのはちょっと心が擽られる。派手な特別扱いは気まずくなるけど、俺、宿の常連で専用部屋があるんだぜ、程度の特別感は普通に嬉しい。
「料金は支払いますが、専用の部屋は嬉しいです」
「相変わらず裕太は欲がないねえ。分かったよ、じゃあ裕太達の部屋は裕太達が使いやすいように改装するよ。あんた達、いつも別れて泊っていて不便そうだったからね」
あー、たしかに少し不便ではあった。迷宮都市で夜遊びをしているのであれば部屋が別れている方が便利だけど、迷宮都市だと一緒の方が楽だ。
でも。
「さすがに俺の為に改装してもらう訳にはいきませんよ」
「いいんだよ。裕太には世話になっているし、ましてやリシュリーに聞かされた話は逃せないからね」
あ、囲い込み工作か。まあ、迷宮都市でここ以上に料理が美味しい宿を知らないから移るつもりはないが、それでマーサさんが満足するのであれば大人しく従っておこう。
ちょっと目が怖かったし……。
「あ、ありがとうございます。ではちょっと外に出てきますね。夕食前には戻ります」
「あいよ。気をつけてね」
「えっと、リシュリーさん?」
逃げ出そうとしたら服を引っ張られてリシュリーさんに止められる。そういえば居たな。マーサさんの迫力で存在が頭から抜けていた。
「裕太様、トルクさんとの成果はこちらにも流していただけるのですよね?」
ああ、そこが気になるのか。
「えーっと、俺としては構わないと思うのですが、研究するのはトルクさんが主体ですから判断できません」
俺がリシュリーさんにお願いしたことなので心苦しいが、それでもそれがトルクさんの研究成果の提出とはならないので判断を放棄する。
「ああ、うちは秘匿するつもりはないから構わないよ。ただし、うちでもその太りにくい料理や痩せやすい料理を開発したら食堂で出す。それは譲れないよ。話が途中で止まっていたけど、リシュリーもうちの旦那にそれを話しにきたんだろ?」
話を聞いていたマーサさんがあっさりと許可を出す。なるほど、俺が来た時はまだ話の途中だったのか。タイミングが悪かったな。
「助かります」
ホッと息を漏らすリシュリーさんとマーサさんに軽く頭を下げて宿を出る。
「裕太の提案、大騒ぎになっているわね」
宿を出たところでシルフィがポツリとつぶやく。
(ほんとにね)
リシュリーさんに丸投げして安心したはずなのに、ドンドン話が大きくなってその上で俺もまた巻き込まれそうなのがとても怖い。
なんとかトルクさんとの研究で結果を出してもらって、こんどはトルクさんに丸投げしてしまおう。そうすれば戻ってくることはないはずだ。
***
「裕太、助かったぜ!」
シルフィと酒屋巡りをしハンコも無事に手に入れ、夕食を終えてのんびりしているとマーサさんとの約束通りトルクさんが訪ねてきた。
「トルクさん、お久しぶりです。話は聞きましたよ」
トルクさんを部屋に招き入れながら会話を続ける。
「ああ、ちょっとやらかしちまった。マーサの怒りがとんでもなくてな。本気で身の置き場がなかったぜ」
異臭騒ぎとしか聞いていないが、ブルリと震えるトルクさんを見るに相当ひどい騒ぎを起こしていたようだ。
「だからこそだ。裕太、だからこそ俺は結果を出さなきゃならねえ。すまんが力を貸してくれ」
凄くシリアスな顔で頭を下げるトルクさん。人の命がかかっているレベルの緊迫感なのだけど、実際は異臭騒ぎの償いとダイエット食の開発なんだよね。
ん?
「もしかして、マーサさんに何か言われているんですか?」
シリアスがハンパじゃないぞ。
「裕太に協力してもらって研究するように言われた。笑顔だったが、マーサのあんな笑顔は初めて見た。なんだか分からねえが、逆らっちゃいけねえことだけは理解した」
「……とりあえず俺も全力を尽くします」
どういうことなのかは俺にも分からないが、適当なことだけはしない方が良いことは分かった。頑張ろう。
とりあえず迷宮都市で手に入る食材でのダイエットメニューだな。
プレッシャーが掛かるが、俺にはダイエット必須の食材がある。
教えるのが大変だし料理が難しいから今回はスルーするつもりだったが、トルクさんの真剣な願いには男として応えるべきだろう。
コンニャク……芋煮会の時に頑張って開発しておいて良かった。
読んでくださってありがとうございます。




