六百七十二話 勝に等しい
侯爵様からの仕官のお誘いも、ちょっとした誤解がありながらも穏便に断ることに成功し、最後に狙われている侍女の問題を解決しようと試みたが、なんか予想外のところから難題を放り込まれて困惑してしまう。どうしよう?
うーん、醸造所の追加かー。
実はそれほど問題がある訳ではないんだよね。醸造所が増えまくってスペースがなくなり、新たに開拓なんてことになったら多少面倒だけど、それもちょっと開拓を頑張れば解決できる。
大精霊達には提供する魔力も極小にしてもらっているし、お世話になりまくっているのだから醸造所くらいバンバン建てても損はないくらいだ。
でもなー。なんか怖いんだよ。
楽園の酒島を見ていると精霊達の酒に対する執念がよく分かる。酒カス一歩手前くらいのレベルだ。
まあ、精霊はお酒で体を壊したりしないし、悪酔いもそれほど酷くないし偶に暴走しても周囲が問題なく収めてしまう。
精霊にとってお酒は重要アイテムであり特上の娯楽のようだから提供の場を用意するのはやぶさかではない。でも、俺が制限しないとどこまでも走り続けるような怖さも感じる。
具体的に言えば、俺が無制限に協力すると宣言すれば、世界中の精霊が集まってきて死の大地のすべてを醸造所で埋め尽くすなんてこともやりかねない。
まあつまるところ、お酒に関しては精霊が信用できないということだ。ベル達の将来を考えると、この交渉は負ける訳にはいかない。
だが、精霊側も俺の思惑を知って、どうにか対抗しようとしている。
まずおかしいのはノモスがお酒以外の対価を要求してきたこと。
ノモスは嫌なことは嫌だとハッキリ言うタイプだし、しょうがなくやることになったとしても、基本的にお酒を提供されれば納得するタイプだ。
黒幕が存在する。
シルフィが黒幕の一人なのは間違いない……が、契約している大精霊全員が裏に居ると考えて間違いないだろう。
だってノモスが交渉するなんておかしい。普通なら儂はそういうのには向かんからお前達がやれと言った感じで、交渉役をシルフィやドリーあたりに押し付けるはず。
なのに今回、ノモスが交渉しているのは事前の取り決めがあったと考えるのが妥当。
おそらく裕太から難題を頼まれたら、頼まれた精霊がそれを対価に醸造所を増やすことを要求する、あたりが事前取り決めだろう。
大精霊全員の意思か。俺が嫌だと言ったら諦めるだろうが、俺が断わらずに交渉を求めることも織り込み済みだろう。
そうなると、これからの交渉が重要になる。どうすべきか……。
「ポ、ポイント制を提案します」
悩みに悩んで思いついたのがポイント制。これなら醸造所が増えるスピードを抑えることができる。
「ポイント? どういうことじゃ?」
ノモスが首を傾げる。あんまり可愛くない。
「普通のお願いは別として、大変なお願いをした時に報酬のお酒とは別にポイントを付与。そのポイントが一定まで溜まったら醸造所を一棟追加という形にしたいんだ」
「……つまり、あの苦行を何度も味わわせねば醸造所は増やさんということか?」
ノモス。顔がマジだよ。それだけ祝福の地のオマージュが嫌だったんだね。
「ノモス、落ち着いてよく考えてみて」
「……何をじゃ?」
「ぶっちゃけると、祝福の地の再現って仕事は、ノモスにとって辛いだけで、ある程度芸術的な素養があればそれほど難しい仕事ではないんだよね」
更にぶっちゃけると、美術の成績が五段階評価で二か三くらいあれば問題ないと思う。だってパクリもといオマージュなんだもん。まあ、土の精霊という前提があっての話だけどね。
ノモスだって苦手意識がなければそれほど苦労しないはずだ。たぶん。
「な、なん……じゃと……」
ノモスがショックを受けている。
俺も言いたくはなかったが、交渉は相手の弱みを突くのも戦術の一つ。悪いが受け入れてもらおう。
まあ、音痴の人間に歌を完コピしろと言っているようなものだから、少し、いや、かなり罪悪感があるが、勝負の世界に情けは無用なのだ。
「ねえ裕太、ポイントについては分かったわ。それで何ポイントで醸造所が増えるのかしら?」
ノモスを倒したと思ったら黒幕が介入してきた。シルフィは手強い、気を引き締めてかからなければ。
「うーん、十ポイントくらいかな?」
できれば二十か三十くらいは要求したかったが、パンのお祭りのように購入すればポイントが貰えるわけじゃないから、三十ともなるとかなり悪辣なポイント設定になってしまう。
先に無茶な数字を言って落としどころを探るのも交渉術の一つだけど、まあ、その辺りはノモスはともかくシルフィには通用しないから正直にいこう。
「なるほど、それで今回のノモスの頑張りには何ポイント貰えるのかしら?」
「え? えーっと……一ポイントかな?」
あれ? 難題ごとに一ポイント提供のつもりだったけど、難題のレベルによって複数ポイントを要求される流れか?
それは不味いぞ。難題に合わせた適切なポイント配分はどう考えても難しい。それに、不適切なポイント配分は不満をくすぶらせお互いの為にならない。
ここはどうにか一難題に一ポイントという形でまとめないと怖いことになる。まあ、どんな難題でも一ポイントという時点で理不尽なんだけどね。
そこは報酬のお酒を増やすとかでカバーだ。
***
シルフィには勝てなかったよ。でも、引き分けには持ち込めたと思う。
五ポイント、一時期は三ポイントまで押し込まれていたから、一度に複数ポイントを却下した上での五ポイントだから勝ちに等しい引き分けと言えるかもしれない。
「シルフィ、なんでそんな目で俺を見るの?」
ジト目を通り越してチベスナみたいな目をしているよ?
「分からない?」
「……分かるけど、あんまり分かりたくはないかな」
「ふぅ。まあ良いけど、泣き落としが通用するのは親しい間柄くらいなんだからもう少し頑張りなさい」
「了解です」
たしかにシルフィの言うとおりだな。情報の扱いに長けたシルフィが強敵すぎて、サックリ追い込まれたから理詰めじゃなくて感情で対抗したのだけど、さすがにちょっと情けない気がしなくもない。
でも、泣き落としだろうがなんだろうが二ポイント余裕ができたことには変わりがない。
シルフィは多少ポイントが増えたとしても、時間がかかるだけでたいして違いがない。そう考えているのだろう。
でも、後々それが油断だったということに気がつくだろう。
ポイント制度に詳しくないシルフィは気がつかなかったが、ポイントを醸造所以外にも使えるようにすれば話が違ってくるのだよ。
シルフィ達のポイントがある程度溜まったら、迷宮のコアに会いに行こう。
それで酒特化の錬金箱を作ってもらうんだ。
俺も普通にお酒は好きだし仕事の付き合いで沢山の種類のお酒を飲んできた。その様々な異世界のお酒をポイントで手に入れられるとしたら?
シルフィ達は醸造所までたどり着けるだろうか?
「まあいいわ。交渉も終わったことだし、そろそろ始めましょうか」
「ん? なにを?」
「裕太、ここに何をしにきたのか忘れたの?」
……そうだった。突然交渉が始まって忘れていたが、狙われた侍女をどうにかするために伯爵領まで来たんだった。
冷静になって周囲を見ると、真っ暗な平原が広がっている。……俺はこんなところで何をやっているのだろう?
「……ノモス、お願い」
なんだか凄く虚しさを感じたが、ここまできて何もしないで帰るのは更に虚しいので行動を開始する。
「一ポイントじゃぞ?」
「分かっているよ」
ノモスからポイントって言葉を聞くと少し違和感があるな。
忘れたら揉めそうだし、ポイントカードを作るか。ハンコはメルに作ってもらおう。高級で細かいやつ。
「うむ。では始めるか。ほれ」
ノモスの声と共に平原から土が盛り上がり、巨大な石橋が完成する。
暗視があってもハッキリとは見えないが、子爵領の谷に架けられた石橋と細部まで同じ形をしているはずだ。
違うのは架けられた場所が平原で、石橋としてはなんの意味もないということくらいだろう。
これがシルフィ提案の作戦。
最初は意味が分からなかったが、シルフィの説明を聞いて納得はできた。
伯爵領の領都のすぐ近くの平原に一夜にして無意味な石橋が完成する。
そのことを知った伯爵はビックリ。
その上で子爵領に一夜で架けられた石橋の存在を思い出す。
ほぼ確実に伯爵は子爵領を疑い、同時に一夜で巨大な石橋を造る頭がおかしくてヤバい奴に自分が目を付けられたことを覚る。
意味が分からな過ぎて子爵領に手出しを控える。
というのがシルフィのたてた作戦だ。
俺としてはそんなに上手くいくのか? 逆に子爵領に非難の矛先を向ける結果になるのではないかと思った。
でもシルフィの、真っ当とは言わないけど、普通の馬鹿ではない貴族は自己保身ができるから意味の分からないリスクは回避する。伯爵が馬鹿なら今度は伯爵の家に石橋を架ければいいのよという言葉に納得した。
人は理解できない物を恐れるって聞いたことあるし、絶対に恐れるよね。
だって気がついたから橋ができるんだもん。
***
「さて、裕太に助けてあげてと頼まれたけど、どうしたものかな?」
悩むヴィータの視線の先には、苦しそうに魘される老人が一人。
裕太の行動により、平和な日常が壊れた寒村の村長だ。
数日前にシルフィと共にこの村を訪れたヴィータは、深夜にさっそく村長の治療を開始した。
老化により傷んだ体の隅々まで治療を行い、村長は見違えるほどに健康になった。
普通ならそれで治療が完了しヴィータも裕太のところに戻るのだが、シルフィの用事が済んでいないのでヴィータは戻るまで村長の様子を見守ることにした。
そこで予想外の事態に遭遇する。
「村長、なんか元気そうだな。そういえば、さっき駐屯部隊の責任者が村長を探してたぜ」
「あ、村長、食料が足りないかもだって。家の収穫まで狙われてる感じなんだけど、なんとかしてくれよ」
「おお村長、ようやく来たか。む、村長、なんだか若返ってないか? そうか、自分の村の発展のチャンスだからな、やる気に満ち溢れて体まで変化したか。見事だ村長! うむ、それならば、こちらも負けぬように頑張らねばならんな」
「あ、村長―――」
「おーい村長―――」
「ねえ村長―――」
etc.etc.etc……
「裕太、村長の体は元気にできるけど、精神は専門外だよ」
健康になったことで馬車馬のごとく働かされる村長を見て、ヴィータは途方に暮れた様子で呟いた。
読んでいくださってありがとうございます。




