六百六十八話 凄いのは精霊
祝福の地に入りケンネル侯爵家の別荘に到着。挨拶もそこそこに患者が眠る部屋に連行される。マルコと同年代の少年の瀕死の姿を確認して、これまで考えていた自分に都合の良いプランを破棄、ヴィータを召喚し全ての治療を完了させた。
「……えーっと、シルフィ、悪いけどもう一度言ってくれる?」
たぶん聞き間違いだ。だって俺、この国の村長となんの関わり合いもないもん。
「村長がお酒を飲みながら泣いていたわ」
聞き間違いじゃなかった。あと、なんか情報が増えている。まだ日が落ちて間もないのに泣くほど酔っているってこと? なるほど、泣き上戸か。
「それで、村長が泣いているのと俺になんの関係が?」
別に村長が泣こうが喚こうがどうでもいい。美女が泣いていてそこからLOVEが始まる気配があるのであれば重要情報だが、村長なんてどうせおじさんでしょ?
「私も知らなかったのだけど、かなり迷惑を掛けているみたいなのよね。人間社会の仕組みに興味がなかったから、まったく予想できていなかったわ」
関係ないと思っていたが、実は関係があったらしい。とりあえず詳しく聞いてみるか。
「村長……ごめんね」
シルフィが仕入れてきた情報を整理し、第一声は謝罪の言葉だった。
人間社会に興味が薄いシルフィ達ならともかく、俺は予想してしかるべき問題だった。
祝福の地に入ることしか考えていなかった自分の浅はかさを悔やみたい。
シルフィが聞いた、酔った村長の垂れ流された愚痴の一つ一つが心に刺さる。
曰く、儂しらんもん、ただの寒村の村長じゃもん。
曰く、ボケとらん! 石橋が本当に一夜で現れたんじゃ!
曰く、貴族様、怖い。
曰く、これから村はどうなってしまうんじゃ。
曰く、作業員の受け入れ? 場所があっても設備がないんじゃ!
曰く、村の改革ってなんじゃ! 儂にそんなこと言われても分からん。
曰く、宿? そんなもんこの村には無い!
曰く、お役人様、無理を言わんでくだせぇ。
等々、かなりの時間愚痴を言いながらお酒に逃げていたらしい。
それを聞いたシルフィが周囲の様子を改めて調べ直したところ、子爵領がかなりの騒ぎになっていたことが分かった。
村だけでも大混乱。
小さな村に大量の人員を動員し、石橋の横に石橋を利用して橋を造る。
聞いた時はなぜそんな無意味なことをと思ったが、一夜にして現れた石橋が一夜にして消える可能性と、為政者としての対策だと聞いて納得と同時に頭を抱えた。
そりゃあ子爵領の生命線になるかもしれない橋だもの、怪しげな石橋だけに頼る訳にはいかないことも分かる。
そして、子爵領と男爵領が繋がることにより、村の発展を求められることも理解できる。
ただでさえ作業員の大量動員でキャパオーバーなのだが、今後を見通すと流通の要としての役割も求められる。
領の片隅でただ作物を育て、細々と生活をしていた小さな村に押し寄せる怒涛のような流れ。
そりゃあ村長の心労も凄まじいことだろう。お酒に逃げたくなる。
俺が表立って介入して石橋が消えることなどないと証明できれば村長の負担も軽減できるのだが、俺にそこまでする義理も熱意もない。だって俺は祝福の地の視察がしたいだけなのだから。
石橋を造る場所、間違っちゃったかな?
橋を架けやすく流通経路にも無駄がない場所は他にもあった。その中で近くに村がある方が利用しやすいだろうとあの場所を選んだのだが、村長の愚痴を聞くに無人の場所に橋を架けた方が平和だったのかもしれない。
……まあ、今更の話か。すでに動き出しているのに余計なテコ入れをすると現場が混乱するから、落ち着いた頃に影から何かしらのフォローをすることで、お詫びということにしよう。
あ、でもシルフィに聞いたところ村長って高齢らしい。お詫びをする前にポックリ逝かれたら気まずいし、コッソリとヴィータに出張してもらって体のケアだけはしてもらおう。
メンタルの負担も体が健康であれば耐えられる……はず。
そして子爵領も大騒ぎらしい。
石橋を利用することで深く広い谷に幾本かのロープを渡すことに成功し、たとえ石橋が消えてもその幾本かのロープを利用することで最低限の橋を架けることが可能と判断、下品な圧力を掛けてきた伯爵家に抵抗することを決意する。
子爵の号令でギリギリまで予算を組み橋の建設。同時にその橋を活かすための根回しに奔走しているそうだ。
その裏で子爵の叔父も動く。
義理の甥の暗殺の中止と、実行犯である侍女を子爵領に戻すためにすでにこちらに使者を派遣し、明日には祝福の地に到着するらしい。
つまり明日、使者と代わりの侍女が到着すればとりあえず少年の身の安全は保障される。それまではシルフィに警戒をお願いしておくか。
それにしても子爵の叔父の決断力は見事だな。行動に迷いが感じられない。でも、それだけ思い切りが良いと実行犯の侍女の身の安全が不安になる。
どう考えても侍女の存在は地雷だし、口封じを選択してもおかしくない。だって子爵の叔父は領を守るために義理の甥の暗殺を指示した男だ。冷酷な判断も躊躇わないだろう。
……どうしたものか。子供を暗殺しようとしていたのだから自業自得なのだが、自分が仕える家の当主の叔父に家族を人質に強制されているという裏事情も知っている。
このまま見捨てるのもどうかと思う。
……なんでだよ、単にシトリンお勧めの綺麗な場所の視察がしたいだけだったのに、重病人の治癒はともかく貴族の政治闘争にまで巻き込まれるんだよ。意味が分からん。
……ふぅ、無意味に悩んでも仕方がないか。俺は侍女の為に表に出て苦労する甲斐性はなく、でも、見捨てるとそれを気に病んでしまう面倒な性格だ。
とりあえず自分が気持ちよく過ごせるように対策を打とう。
こういう時はシルフィだな。本当に襲われても彼女なら違和感なく侍女を守ってくれるはずだ。その後、適当なところに侍女を逃がして命だけでも助けよう。
いくらか援助金を渡せば、あとは自力で生きていけるはず。貴族に仕える教養があるのなら探せば仕事くらいみつけられる。
正直、ここまでする義理はないのだが、自分の心の平穏の為だと納得することにしよう。
ん? ノックか。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋に入ってきたのは執事さん。日も落ちたし夕食のことかな? 湖のお魚、期待しています。
「キャスアット様がお目覚めになりました。おくつろぎ中申し訳ありませんが、診察をお願いできますでしょうか?」
キャスアット? そういえば患者の少年がキャスと呼ばれていたな。ヴィータが目覚めるのは夜だと言っていたし間違いないだろう。
うーん、ヴィータが治療したのだから診察なんて必要ないのだが、そういう訳にもいかないよな。
「分かりました」
一緒に連れて行ってもやることがないので、ベル達とジーナ達、それと念のための護衛にシルフィを部屋に残し、俺とヴィータだけで向かう。
部屋に入ると家族勢ぞろいでキャスアット少年の目覚めを喜んでいる。複数いる侍女たちも同じく嬉しげなのだが、顔色の悪い侍女が一人。
まあ、あの侍女も明日には少しは重荷から解放されるはずだし、頑張ってほしい。
「あ、裕太殿、どうぞこちらに」
俺に気がついた侯爵から手招きされる。なんか侯爵の態度がちょっと丁寧になっている気がする。治療成功のおかげもあるが、たぶん後で勧誘されそうな感じだ。
まあヴィータの治癒の力を見て勧誘しない権力者はいないよね。断って気まずくなる前に祝福の地の視察は終えておきたい。
侯爵一家が場所を開けると、はかなげな少年が俺を見ていた。さすがにまだ起き上がる力はないようだが顔色は悪くない。
「ご加減はいかがですか?」
「……痛いのと苦しいのはなくなりました。でも、体に力が入りません」
本当に体に力が入らないのだろう。声を出すのも大変な様子で、少し話しただけで息が切れている。相当体力が落ちているな。
あと、マルコと同じくらいの年頃なのに言葉遣いがとても丁寧だ。凄いな貴族、マルコに同じようにさせようとは思わないが、子供にちゃんと教育ができているのは素直に尊敬する。
サラ……は別としてマルコとキッカの教育には俺も頭を悩ませているからな。二人ともとっても良い子なのだけど、性格面で少し心配がある。話す機会があれば侯爵から教育論を聞いてみたいものだ。
おっと、そんなことよりも診察だな。少年の様態を確認するふりをしてヴィータに目を向ける。
「心配ないよ。完治しているし、新たに毒を盛られたりしていない」
家族が付きっ切りだったみたいだから、さすがに毒を盛り直す隙はなかったようだ。まあ、新たに毒を盛るにしても、俺が治療しちゃったから自分の判断だけでは侍女も毒を盛れないよね。
あ、そうか、侍女の顔色が悪いのって罪悪感だけじゃなくて、俺が原因が病ではなく毒だと言いだすかもしれないからかも。
まあ俺は面倒に関わりたくないから言わないんだけどね。
「そうですか。体に力が入らないのは、病で体が弱ってしまったからですね。確認してみましたがそれ以外に異常は見受けられません。ゆっくりと体調を整え少しずつ体を動かせば数ヶ月で元のように元気になれますよ」
「おお、そうか。良かった、裕太殿ありがとう」
キャスアット少年に話しかけたのだけど、横で聞いていた侯爵が大喜びする。昼に完治したと告げてはいたが不安だったのだろう。まあしょうがないよね。
「ゆ、裕太様でしたな。キャスアット様はどのような病だったのでしょう。恥ずかしながら私では力及ばず、少しだけでも苦しみをやわらげるようなことしかできなかったのです」
「え? ああ、そうですね……」
いきなりお爺さんに話しかけられた。そういえば昼にもベッドの傍に居たな。お医者さんだとは思っていたが、やはりそうだったようだ。
それはいいのだけど、都合の悪い質問をしないでほしい。毒だとは言えないし、その質問を誤魔化す知識とかないから。
あ、誤魔化す必要はないのか。
「申し訳ありません。私は医師でも治癒師でもなく精霊術師なので、あなたに答えるすべを持ち合わせておりません」
凄いのは全部精霊なんだよ。誤魔化しでもなんでもなくそれが事実。
あ、お医者さんがショックを受けている。精霊術は知識がなくとも患者を癒すことができるのかなどとつぶやきながら呆然としているが、そのとおりなんだよね。
真面目に努力を積み重ねてきたお医者さんからすると、ヴィータの存在はチートでしかない。なんかすみません。
読んでくださってありがとうございます。




